「先輩、その距離は反則です!」

静羽(しずは)

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第11話|近付きたい先輩。離れたい後輩。

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そんなことを言われるなんてまさに寝耳に水だった。
湊に近づきすぎたことを後悔していたのはむしろ自分の方だ。
あの夜の自分の軽率な行動。
酔っている湊に触れたこと。
「印象づける」ような卑怯な気持ちで近付いて卑怯なな行動。
だから距離を取った。
だから仕事だけの関係に戻したつもりだった。



――なのに。



まさか湊がそれを「気にしていた」なんて。
ましてあんなふうに感情をぶつけてくるほどだなんて想像もしていなかった。
湊のさっきの感情は何だったんだ。
先輩として冷たくされて辛かったのか。
人として急に構われなくなったことが寂しかったのか。
それとも、、



「、、、いや。」



綾瀬は小さく首を振った。
自分を戒めるように。
自惚れるな。
湊はノーマルだ。
そう何度も自分に言い聞かせてきたはずだ。
あの真っ直ぐな性格。
人懐っこい笑顔。
特別な感情で自分に接していたなんてそんなはずはない。


、、、けれど。



この、胸の奥に残るざらついた違和感。
湊の言葉が表情が何度も頭の中で再生される。
このままギクシャクした関係でいいわけがない。
仕事に支障が出る。
それ以上に。



「、、、俺が、一番逃げてるだけだな。」



綾瀬は深く息を吐いた。
距離を取ったつもりで本当は自分の感情から目を逸らしていただけかもしれない。
困らせるつもりはない。ただ誤解は解きたい。



「、、、カミングアウト、、、してみるか。」



あんな必死に気持ちをぶつけてきてくれる顔を見たらきちんと向き合いたい気持ちになった。



(引かれたら、それはそれまでだ。)



逃げる湊を見て考えると同時に先綾瀬は足を動かしていた。
追いかけようとしたときにはもう目の前に湊の姿はなかった。
ほんの数秒。
立ち去ってから振り向いて追おうと決めるまでのわずかな時間。
それだけで湊は視界から消えていた。



「、、、結構、足、早いな。」



追いかけながらそんなことを考える。
けれど次の瞬間には口元がわずかに歪んだ。



――俺だって、走る速さなら負けてない。



そう言わんばかりに綾瀬は床を強く蹴った。
思いきり走り出す。
視界の奥に階段が一つ見える。
上りか、、、下りか。


一瞬だけ迷って。すぐに結論を出した。


衝動的に逃げる人間は大抵上へ向かう。
階段を駆け上がる誰かの足音が微かに耳に届いた。



「、、、やっぱりな!」



綾瀬は上り階段を選び二段抜かしで駆け上がった。
息が少し乱れるのも構わず足を止めない。
そして。
屋上階の踊り場。
そこに、いた。
手すりの近くで立ち尽くす見慣れた背中。
肩がわずかに上下している。



「、、、湊。」



胸の奥がきゅっと締めつけられる。
見失わなかったことへの安堵とここから何を言うべきかという緊張が同時に押し寄せてきた。
綾瀬は一度だけ深く息を吸ってからその背中に向かって静かに歩み寄った。
はあ、はあ、と。
しばらくのあいだ、踊り場には二人の息遣いだけが響いていた。
沈黙を破ったのは綾瀬だった。



「、、、お前、結構足早いな」



息を整えながら少しだけ力の抜けた声。
湊は驚いたように目を瞬かせてから軽く苦笑する。



「、、、綾瀬さんこそ、です。革靴の音が後ろから近づいてきて。正直、めちゃくちゃ怖かったです。」



その言い方がおかしくて。
緊張と動悸が少しだけほどけた。
二人は顔を見合わせる。
ほんの一瞬。
ほんの少しだけ。
ふっと、同時に笑ってしまった。
張り詰めていた空気がゆっくりと緩んでいく。
さっきまでの衝突も言葉も息切れと一緒に宙に溶けていくようだ。
大きく息を吐き少し間を置いてから湊の隣に立った。
何を言われるのか分からず湊は思わず息を止めていた。
その横顔ににじむ緊張を綾瀬はそっと見つめていた。



「お前、何か飲みもの買いに来たんじゃないのか?」



不意に投げられたあまりにも普通の一言。



「え。あ、、、はい。」



思わず間の抜けた返事になる。
まさかこんな何気ない会話から始まるなんて思っていなかった。
もっと重たい言葉が来ると思っていたから拍子抜けしてしまう。



「下の階の資料室の横に自販機あるからさ。ちょっと行くぞ。奢ってやる。」



そう言い残すとさっきまで息を切らしていた綾瀬はもうそこにはいなかった。
まるで何事もなかったかのように革靴の音を響かせながら颯爽と階段を降りていく。
風を切るようなその背中。



「ま、待ってください、、、!」



言葉より先に体が動いて湊は慌ててその後を追いかけた。
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