「先輩、その距離は反則です!」

静羽(しずは)

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第39話|理性がそっと負けた瞬間

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コンコン。



「おはようございます。」



いつものように湊は営業課に書類を持ってやってきた。
部屋の中を見渡すが人の気配がない。



あれ。
全員、出払ってる、、、?



ドアを閉め中へ入る。
持ってきた書類をいつも納めている場所にそっと置いた。
誰もいない部屋。
ふと視線が綾瀬のデスクに吸い寄せられる。
無意識のまま静かに近づいていた。
指先で机の縁をなぞる。



綾瀬さん、、、。



胸の奥で、小さく名前を呼ぶ。



煮卵おにぎりの日から全然会えてないな。
今日朝はいたんだっけ。
先輩は「会った」って言ってた。
あの時、いついなくなったんだろう。
もうどこかに行っちゃったのかな。



湊はそっと綾瀬のデスクに視線を落とした。
書類の山の端。
いつも同じ位置に置かれている一本のボールペン。
無意識のまま指が伸びる。
デスクの上に置かれたそれにそっと触れた。
冷たい金属の感触。
でもどこか見慣れていて落ち着く。
綾瀬さんがいつも使っているもの。
それだけで、
ここに確かにいた痕跡みたいなものを感じてしまう。



会いたいな。綾瀬さん。



ガチャ。
その瞬間背後でドアの開く音がした。
反射的に綾瀬のデスクに触れていた指を引っ込める。



「ん?湊?」



聞き慣れた声。



、、、綾瀬さんだ!



「あっ、綾瀬さん!!お、おはようございます!!!」



先ほどの行動を隠すように両手を背中の後ろへ回した。



「書類か?」



久しぶりに会った綾瀬は、
以前よりも少し眩しく見えた。



「はい。今日は誰もいなくてちょっとびっくりしました。いつもは誰か一人は残ってるので。」



湊の言葉に綾瀬は軽く肩をすくめる。



「今日は俺以外全員外回り。俺は溜まってた事務作業な。」



そう言いながら手に持っていた数枚の紙をひらりと揺らした。
忙しそうなのにどこか余裕のある仕草。
その何気ない動作ひとつひとつが湊にはやけに格好よく見えてしまう。



「、、、大変ですね。」



「まぁな。でも静かだから落ち着いて仕事が出来るから。こういう空間も悪くないな。」



そう言って、
綾瀬はデスクに紙を置きふと湊を見る。
その視線に胸の奥が小さく跳ねた。



今日は。会えてよかった、、、。



言葉にはしないまま湊はそう思っていた。
綾瀬は湊の首元から下がる社員証に視線を落としていた。



この社員証を、どこで忘れて。
そして、誰が届けてくれたのか。



朝からそればかりが頭を離れなかった。
知りたい。
知りたい、けれど、、、。
聞いていいのか分からない。
胸の奥に溜まるのは答えのないモヤモヤだけで実は朝からほとんど仕事に集中できていなかった。
ただ一つだけはっきりしていることがある。
こうして今、湊の顔を見て。
会えて、言葉を交わせていること。
それだけで心の底から安堵している自分がいる。
また湊が自分の元へ向かってきてくれたという事実。
それだけで。
胸の内がふんわりと優しい感情に塗り替えられていくのを感じていた。

抱きしめたい。

そんな衝動に今にも飲み込まれそうになる。
理性さえ簡単に吹き飛んでしまいそうで。
綾瀬は抑えきれない愛おしさを必死に堪え自分の拳をぎゅっと握りしめた。



「湊。」



名前を呼びながら優しい笑みを浮かべて言う。



「煮卵おにぎりありがとうな。めちゃくちゃ美味しかった。しかもいつも俺が飲んでるコーヒーまで添えてくるところ。ほんと、よく見てる。」



その瞬間、湊の表情がぱっと明るくなる。



「良かったです!気に入ってもらえましたか?」



「ああ。気に入ったよ。今度は、俺のお気に入りを食べてもらおうかな。」



「え、なんですか?」



きらきらした目で見上げられた瞬間胸の奥が一気にざわめいた。
触れたい衝動を理性で必死に押さえ込む。
この距離を壊したくない。
でも湊の笑顔ひとつで心が持っていかれる。
思わず、ぽん、と頭に手を置いて撫でてしまった。

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