君…から

megi

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第2章 君を忘れないといけないから

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 金曜日の23時。今、僕は、詩織先輩と、タクシーに、乗っている。

 窓の外、夜の街へと、繰り出している人々の姿を眺めている。

 左肩に、詩織先輩が、頭をちょこんと乗せ、気持ちよさそうな寝顔を浮かべている。

 良太が、津上を呼ぶときに『』ではなく『』と、呼ぶようになったのは、さっきまで、飲んでいた『浜平』から。

 どうして、こんな事に、なったんだ……!!??

 *

「古賀君、『大平スーパー』との打ち合わせは、どう?」
「はい。明日の10時に、本部さんと、会います」
「そう……私、別件があるから、お願いね!」
「はい! 津上先輩!」

 入社してから、数ヶ月が3ヶ月が経つ。

 良太も営業マンらしくなって、1人立ちとまでは、いかないが、津上の代わりに、営業先へ、1人で、出向いていく事が、増えた。

「津上先輩……今度の商品は……」
「う……ん。何か違うのよねぇ……」
「えっ、商品が、店のコンセプトに、合いませんか?」

 今度、開店するオーガニックスーパーの商品について、飲みながら、話している時だった。

「古賀君は、私のパートナーよね?」
「はい……おかげさまで、光栄です……」
「それよっ! それっ!」
「えっ!?」
「よそよそしいのよ……」
「はぁ……??」

 ジョッキのビールを”ゴクゴク”と飲んで、蛸とキュウリの酢の物が、入った小鉢から、赤い蛸の脚を”ポイッ”と口に、放り込む。今日の津上先輩は、ビールを飲むピッチが、早いような気がする。

 もともと他人なのに、よそよそしいって、何がだろう……?

 何か、面倒くさい事にならなきゃいいけど……。

「『』で、いいんじゃない?」
「えっ、呼び方……ですか?」
「そっ、何か……しっくりこないのよ!」
「でも、先輩は、先輩だから……」
「わかった『』で、いいわ! 私も『』って、呼ぶから!」
「はぁ……」

 たまに、この人は、突拍子もない事を言い出す。

 社内では、クールに振る舞うのに、2人でいる時は、急に、身近な存在になる。

 友達のような、学生時代の先輩と後輩みたいに、馴れ馴れしく振る舞いだす。

「じぁ……詩織先輩……」
「何、良太?」
「イャァ……やはり、まずいですよ!」
「何がよ?」

 女性を苗字でなくて、名前で呼ぶのは、『咲』以来。少し抵抗がある(社内で、フランクに呼び合うと、きっと、誤解を生むよ!)。 

「誤解されますよ……」
「誤解……? 大将、ビールおかわり!」
「はい……『いつから、そんな仲になったのか?』って……」
「宮部君?」
「はい……でも、宮部だけじゃないですよ! 他の男性社員からも……」
「何それっ??」
「はい! ビールね!」
「あっ、大将、ありがとう……」

 あっ、この人、周りから、どんな風に、思われいるか、気づいてないのか……?

「先輩は、デートの誘いとか、告白とかされませんか?」
「そんなの、あるわけないじゃない! みんな、避けてるわよ!」
「先輩、男性社員の視線を集めてるんですよ」

 さっき、店に入った時だって、髪を後ろで束ね、白いノースリーブのカットソーと、グレーのパンツ姿の先輩の姿に、数人の男性の視線をくぎ付けにした事。
 
 先輩は、気づいてないんだ。

「知ってる! 私を目の敵にしてるんだよ!」

 詩織先輩は、ビールを”ゴクゴク”と一気に、飲み干すと、空のジョッキをテーブルの上に、”ドンッ”と置く。

 先輩……!?

 先輩は、仕事ができるし、おまけに、容姿端麗だから、周りも、近寄りがたいんですよ……!

「だから、そういう事じゃなくて、ですね……」
「いいじゃん……女が、仕事で、男より、勝ってもさぁ……」
「そっ、そうですね! イヤッ、だから……そういう事では、なくてですね……」

 珍しく、詩織先輩が、悪酔いしてる。顔は赤くなり、目を充血させてる。

「本当に、男って面倒くさいのよね……」
「今日は、どうしたんですか?」
「あらっ、心配してる……振りかしらっ?」
「まぁ、心配は、しますよ……」
「そっ、優しいんだね……」

 あっ!? 

 詩織は、テーブルの上に突っ伏すと「スースー」と、寝息を立てはじめる。

「先輩!? 詩織先輩!?」

 詩織の肩をゆするけど、起きる気配がない(嘘だろ……)。

 女性の酔う姿を見るのは、初めてではない。母親の瞳も、何度か、店で酔う事があった。

『うれしい時』・『楽しい時』・『やり切れない時』・『悲しい時』

 詩織先輩の横顔。今日の彼女は『悲しい』のかな、閉じた目から、流れる涙が、テーブルを濡らしている。

「あぁ、詩織ちゃん……また、ふられたんだね……」
「えっ!?」
「彼女ね……男に振られると、悪酔いするんだよね……」

 大将が、狼狽える良太を看兼ねて、2人のテーブルへと近づいてくる。

「いつも、1人で、酔いつぶれるんだけど、君の事を信頼してるんだね……」
「そっ、そうですか?」
「女性が、男の前で、酔いつぶれるって、相手を信頼してるか……不用心なのか……だろうね」
「はぁ……でも、どうしたらいいんですか? いつもは、どうしてるんですか?」
「いつもはね、目が覚めるまで、そっとしておいたけど、送ってあげたらどうかな?」
「ぼっ、僕がですか?」
「うん。この前は、送ってもらっただろう……」

 確かに、そうだけど……僕が、送るの……!?

「それにねっ! 今日は、店を早く閉めたいんだよ! だから、タクシー呼んどいたっ!」
「はい……わかりました……」

 *

「お客さん、ここでいいの? お客さん、聞いてる?」
「はい! ここでいいです! お釣りいいですから」

 良太は、財布から1万円札を出すと、6550円のお釣りを受け取らずに、詩織のマンションの前で、タクシーを降りる。

「ほらっ、先輩! 着きましたよ! もう……歩いてください!」
「ハイッ! ファ……イ」

 良太は、詩織の腕を首に回して歩き始めるけど、彼女より背の高い良太に、体重を預け、半ば足を引きずる(先輩って、意外と重たいなぁ……)。

 項垂れる彼女の髪の匂いと、小さな肩。

「先輩、どうやって開けるんですか?」
「ファイ……これ、鍵だから……番号を押してぇ……から……」

 オートロックのマンションの入り口。意識を失いそうな詩織から、鍵を預かると、部屋へ入る。

「何があったんだ……?」

 この前良太が、酔って止まった時は、綺麗に片づけられた部屋は、テーブルの上には、数本のビールの空き缶。クシャクシャになった布団が、ベッドから、床に落ちている。

 良太は、詩織をベッドに寝かせ、帰ろうとするけど……(あっ、鍵⁉ 鍵どうする!?)。

 部屋を出て、外から鍵を掛けると、中からは鍵を掛けれないと、思った。

 結局、部屋に、とどまる事にした(しょうがないなぁ……)。

 先輩の服を着替えさせる……?

 イヤイヤ、そんなのダメでしょっ! 

 寝返りする度に、布団からはみ出る丸いお尻、口を半分開いて、心地よさそうに、寝息を立てる無防備な女性の寝顔。

 う……ん……!?

 何をしていいか、困る。

 意外と、寝入った女性を目の前にすると、男性は、無力……かもしれない。

「んんん……」

 乱れた布団を掛けなおして、テーブルの上の空き缶を捨て、良太は、床の上に、丸くなる。

「良太……良太……」
「咲!」

 夢を見ていた。

 何もない、白いもやのかかった空間の中。幼い頃の咲が、今にも、泣きそうな顔で、こちらを見て、名前を呼んでいた。

「私、咲ちゃんじゃないんですけど……」
「先輩……?」

 目を開けると、ハラリと落ちた髪をかき上げる詩織の顔があった。ニコリと柔らかな笑顔だった。

 白い壁に掛けられた、ピンク色の丸い時計の針が、4時30分を過ぎようとしていた。

「ごめんね! 送ってくれたんだ……」
「酔ってたから、その……部屋の鍵も、どうしたら、いいかわからなくて……あっ、何もしてませんよ!」
「わかってるよ……!」

 はにかむ詩織のピンク色の唇に視線を奪われる。

『男に、振られたんだね……』

 大将の言葉を思い出した。

 彼女の頬に残る涙の跡。良太は、詩織の瞳をまともに、見る事ができなかった。

「僕、帰りますね」
「まだ、電車……ないでしよ?」
「たっ、タクシーでも、拾いますよ」
「そう……」

 良太は、鞄を抱えると、靴を履きながら、背中に感じる詩織の存在。いつも感じる強い女性の存在でなく、弱々しい女性の存在。

「先輩、大丈夫ですか?」
「うん……大丈夫よ!」
「じゃ、また、月曜日!」
「あのね……」
「はい……」
「鍵……ポストに、入れといてくれたら、いいんだよ!」
「あっ……アァ……!」

 言われて気づいたことだけど、ドアの新聞受けから、鍵を投入して、明日の朝にでも、電話を入れれば、いいとは思いもしなかった。「あのね……」の言葉に、一瞬でも、ドキッとしたことに、顔が熱くなる。

「お疲れ様……です……」

 良太は、ドアを閉めると、急いでマンションを後に、した。
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