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3章 京都動乱

4、無銭乗車

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有名な観光地・八坂神社を観光したぼくらは、お揃いのお守りを買った。そして念入りに祈願をしたあと、八坂神社を後にして、ねねの道と呼ばれる小道を進んだ。ここは、豊臣秀吉の正室ねねのゆかりの地らしい。
 
「道の脇は塀で囲まれておるし、風情のある場所じゃのう」と、侍さんも満足そうだ。
 
 
そのとき、雪が声をあげた。
「ねえ。あの道の先に見えている人力車に乗ろうよ。私、乗ってみたかったんだ」
 
「え?なんだか恥ずかしいよ」
 
「そんなこと言わずにあの人力車をみて?
今は男の人2人が乗っているんだよ。私たちが乗っても違和感ないって」
 
確かに人力車の座席には2人の男が乗っていた。
 

その瞬間、2人の男は車から飛び降り、目にもとまらぬ速さで、二方向に走り出した。
 
 
「無銭乗車だ!」人力車を引いていた屈強な男は、そう叫んだ。
人力車を乗車と言うのかどうかの是非は別にしておいて、これは緊急事態かもしれない。
 
そして、飛び出した男の1人は真正面、つまり、ぼくらの方向に向かって走ってきた。
 
突然、走り出した男に気付いた観光客たちは、叫び声をあげて、押し合いへし合い、道路の端へ逃げ惑う。
 
走り込んできた人物がいたならば、逃げるということが基本戦略なのだけど、ぼくの逃げの一手を遮る人物がいた。そう、雪だ。
 
彼女はすっと、ぼくの後ろに立つと、「勇くん。ロマンのために買った木刀だけど、実用する時がきたよ」と、言い、ぼくの背中を押したのだ。
 
「どきやがれ!小僧!」と叫び、猛然と走りこんで迫り来る男と対峙したとき、侍さんはこう言った。「儂が憑依しようか」
 
「いや、ここはぼくに任せて。今日までの鍛錬の成果を見せる時だ」

ぼくはなぜか自信があった。すっと息を吸い込むと、迫り来る男の速度が、スローモーションに見える。
木刀を真横に構えて腰を落とし、じっと狙いを定めた。
 
そして一歩踏み込む。男の腹部を捉えた木刀は、男の勢いを止めた。
 
「ぐあぁ!」っと叫んでゴロゴロと転がり倒れこむ男に対して、雪は大声で叫んだ。
 
「ここに無銭乗車の男がいます!みなさん捕まえてください!」
 
先ほどまで逃げ惑っていた観光客たちは、雪の声に吸い込まれるようにやってきて、倒れこんでいる無銭乗車男を押さえ込んだ。

 
ほどなくすると、人力車を引いていた屈強な男がこちらにやってきた。もう一つの方向に逃げた男を、縄で縛りつけて連行している。彼が捕まえたようだ。
 
そして屈強な男性は、「さっきからみんなが言ってるんだけど、木刀でこの男の動きを止めてくれたらしいな。ありがとうよ。ボウズ」と言って、ぼくの頭を撫でた。
その男性の顔つきは、ほんの少しだけ、侍さんと似ていた。

横では雪が「凄いでしょ!勇くんは凄いんだ、やっぱり」と一人でうなづいていた。

「お、この可愛い子ちゃんは、ボウズの彼女か?」とからかってくる男性に対して、ぼくらはただ無言で俯くことしかできなかった。
 
しかし、この時の侍さんの様子はおかしかった。その男性を見たときの侍さんは、今まで見たことがないほど苦悶の表情を浮かべていたのだ。
 
そして、その男性もぼくの横にいる侍さんに気付いているような気がした。
彼らは知り合いなのだろうか。

しかし後ほど、侍さんに先ほどの男性のことを尋ねても「知らん」としか答えてくれなかった。

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