聖者の金杯 〜魔術師の慚愧、魔王の安息〜

雪月黒椿

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2章 コルマトン編

死臭

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繊細な銀細工が施された白磁のティーカップに、明るい麦色の紅茶が揺らめいている。横には同様の細工がされた皿があり、木の実や乾燥果実をふんだんに使った贅沢なクッキーが何枚か並んでいる。柔らかく大きなソファと、芸術品のようなレースのカーテンの隙間から覗く星々の光。

アルヴィンとエルヴィスはまるで絵画のように上品な光景の中にいた。しかし2人の目の前にいるのは鼻水を垂らしながら号泣する小太りの男だ。

夕方頃にラシアラン領に到着した2人は、状況と依頼内容の確認のために領主の館を訪れた。

大きな館を見上げて呆けたのも一瞬、領主に引きずり込まれるようにして館の中に入り、用意された紅茶やクッキーに手をつける暇もなく、泣きながら話す彼らの話にひたすら相槌を打っていた。

「もう、もう3名も犠牲者が出ました! その内の1名は愛しい我が娘……! お願いしますぞ、必ずや魔物共を仕留めてくだされ!」

「我々が駆け付けた時にはもう遅く、そこには食べ残されたリリアナの手と足が、ううっ……!」

「なんと嘆かわしいことか……! 可愛い可愛い義妹の無念を払うために、何卒よろしくお願いいたします!」

ラシアラン領主とその妻、そして茶髪の男がどこから出てくるのかというほど涙を流しながら事態の悲惨な現状を訴えている。

遺された家族の悲痛な想い、心を痛めて必ず魔物を仕留めることを宣言する。アルヴィンはそうするべきだと分かってはいたが、いかんせん館に招かれて3時間が経過している。

死んだ魚のような目で小さく揺れる振り子のように相槌を繰り返すだけのアルヴィンに対し、エルヴィスは涙しながら領主の手を取っていた。しかし時折気を抜いた時の表情は疲労感が漂っている。

「お母様、お父様、ジェロック様。私たちは必ずや、リリアナの仇を取らねばなりません。そのため冒険者様と会議をしなくてはいけません。ここからは私に任せていただけますか?」

「おお、そうだな。だがラセリアだけに任せるわけにもいかん、わしも同席しよう」

「いえ、お父様はお母様を寝室にお連れしていただけますか? ジェロック様も今日はもうお戻りになってください。これ以上暗くなると危ないですわ」

長女であるラセリアの言葉で、ようやく終わりの見えない話し合いが終わった。ラセリアは申し訳無さそうに苦笑して、アルヴィンとエルヴィスに茶菓子を勧めて紅茶を淹れ直した。

「申し訳ありません、あんなに長くなってしまって」

「いえ、いずれにせよ実行は明日からでしたから」

「まあ、大切な娘さんが犠牲になったんだから悲しいよね。ところであのジェロックとかいう男の人、帰っちゃったけど家族じゃないの?」

「エルヴィス、敬語使え」

「そのままでも結構ですわ。彼は私の婚約者ですの」

「はあなるほど、だから義妹って言ってたんだね」

クッキーを口に放り入れ紅茶を味わうエルヴィスを一瞥して、アルヴィンは小さく溜息をついた。

高級なソファも容易く手折れそうなカップの持ち手も、何もかもが落ち着かない。早く解放されたい一心で、アルヴィンは本題を切り出した。

「今日お伺いさせていただいたのは、現状確認と何か情報等があれば教えていただきたかったからです」

「そうですよね。目撃された場所はここから約9600ルィート東で、周辺の住民には避難してもらっています。今の所2匹目撃されています」

「分かりました。2匹の討伐と、他にもいないか確認しておきます。ところでこの依頼書の、山火事に留意と言うのは?」

「火狼が目撃されたのは山に入る道の付近なんです。私たちが最も危惧しているのが山火事でして、火狼は人を見ると火を吐きますので、もし山に火がつけばと思うと……」

「大丈夫、アルヴィンは火を消すのがうまいから」

魔法で水を出したり物を凍らせることができるため、火を消すことができるというのは間違ってはいない。しかしラセリアがそれを知るはずもなく、エルヴィスの言葉に不思議そうに首を傾げた。

「それにしても、ラセリアさんだけやけに冷静だよね。他の人たちは取り乱してたのに」

「両親があんな調子ですから、せめて私がしっかりしないといけませんもの。それに私、妹が死んだなどと信じていませんわ。手足がなくなっても、人は生きられますわ」

ラセリアの言葉の最後は彼女自身に言い聞かせるようで、2人は肯定も否定もせずに聞くだけだった。


翌日、アルヴィンとエルヴィスは火狼退治のためにラセリアの情報通り東へ向かった。

アルヴィンはまだ手に馴染んでいない剣の柄を何度も握っては離して、感触を確かめた。

「火狼って強いのかな」

「さあな。被害者は多くない方だろうけど……やっぱり最大の課題は山火事の防止なんだろうな」

「例えば魔法を使えない人がこの仕事をしようとすると、どう動くかな」

「魔物が気付く前に一撃で仕留めるか、大雨の日に動くかだろうな」

「つまりこの仕事は、結構な手練れか、視界と足場が悪くても十分に動ける人でないとこなせないわけだね。だけど天候は運任せ、それでもって失敗すると大惨事になるかもしれない。なるほど、これが銀階級かあ。さて、アルヴィン」

エルヴィスは突如立ち止まって目を細めた。辺りを見渡して、そしてすぐに約200ルィート先の山を指差した。

「あそこだね。あそこに……1匹いる」

「1匹だけか?」

「うん。もう1匹は見当たらないかな」

昔からエルヴィスは、魔物の数やいる位置を的確に知ることができる。そしてアルヴィンに伝えるのだが、ほとんどの場合エルヴィスの言う通りなのだ。

アルヴィンがそれについて尋ねたことがあるが、返ってきたのは勘だとか感覚だとか曖昧な回答のみだ。

アルヴィンは剣の柄を握って、再び歩き出した。

火消しに魔法を使うことは考えていたが、最低でも魔物は剣で仕留めたい。そうでないとこの先、自分が冒険者としてやっていける気がしなかった。人の目があると戦えない冒険者など、滑稽で仕方がない。

魔法が使えるようになるまではナイフが武器だった、やってやれないことはないと、アルヴィンは深呼吸をした。

少し歩くと熊よりやや小さい身体の火狼が、木々の間の獣道を歩いているのが見えた。

火狼の唸り声が耳に届いた瞬間、アルヴィンは反射的に駆け出していた。人間よりも聴覚が優れている火狼にはすぐに気付かれ、牙の奥には炎が溜め込まれる。

直後に放たれたそれが先程まで自身が立っていた道の雑草を燃やすのを見て、アルヴィンは冷や汗をかいた。

「あっぶね」

炎を吐き出す前の動作を目に焼き付けて再び距離を詰める。

再び吐かれた炎を避け、鞘から抜いた勢いでそのまま火狼に斬りかかる。しかし火狼は人間より反応が良い、すぐさま後ろに飛び退いて唸った。

アルヴィンは間を置かずに追撃し、大きく踏み込んだ足の力に任せて刺突する。剣先が火狼の目の上の肉を抉ったが致命傷には至らない。

怒り狂った火狼が火を吐こうとするのを見て、アルヴィンは身体を回転させてそれを避けた。

回転で勢いのついた剣身が火狼の首に振り上げられ、このまま決着がつくかと思われた。

甲高く小気味いい音がその場に響き、振り上げた腕は振り下ろされなかった。剣身が周りの木に食い込みとどめの一撃を止めていた。

火狼が好機とばかりにアルヴィンに飛び掛かり、アルヴィンが剣を捨てようと手を離した次の瞬間、火狼は首を反らせてひっくり返った。

「油断したね、アルヴィン。まったくもう、慣れない武器なんか使うから」

「……うるさい」

エルヴィスの放った鉄の矢が、火狼のこめかみを正確に射抜いていた。

助けられたのだから感謝するべきだと分かってはいたが、自分が仕留めるつもりだった魔物を仕留めたエルヴィスが得意気な表情をしていたことで、アルヴィンは不機嫌そうに顔を顰めた。

火狼は完全には絶命していないようで、時折痙攣しては蠢いている。アルヴィンが喉首を切れば、火狼は数回の痙攣の後に動かなくなった。

「何をそんなに怒ってるのさ」

「怒ってない。ただ俺が仕留めたかった」

「それならもう1匹はアルヴィンが仕留めればいいよ。今度は大人しくしてるからさ」

エルヴィスが再び周りを見渡してもう1匹の姿を探る間、アルヴィンは剣についた血を拭いながらエルヴィスの索敵が終わるのを待った。

しかししばらく経ってもエルヴィスは一言も発さない。焦れたアルヴィンが肩を叩くと、エルヴィスは眉を下げて困ったように笑った。

「どうしよっか、見つからないや」

「はあ? けど目撃情報では2匹のはずだ」

「うーん、そうなんだけど見当たらないものは見当たらないしなあ」

「とりあえず、他にもいないか確認することも約束したんだ。一応歩きながら探すぞ」

「あ、ちょっと待って。なんかこっちから変な臭いした」

猫のように鼻を鳴らしたエルヴィスが木の間を潜り抜けていき、アルヴィンもその後を着いていく。

間も無くアルヴィンの鼻にも、生臭い獣の臭いが届いた。

エルヴィスが感覚で気が付かないとすれば、もう絶命している可能性が高い。しかし猟師も冒険者もいないラシアラン領においてそれは不可解なことだ。

「なあ、まさかこれって……」

獣の血の臭いに加えて、腐り始めた肉の臭いが漂っている。正しく死臭だ。木々の向こうにたどり着いたエルヴィスが、立ち止まって鼻を覆った。

「いた」
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