聖者の金杯 〜魔術師の慚愧、魔王の安息〜

雪月黒椿

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2章 コルマトン編

鍛冶屋の手帳

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「どうでしょうか、うちに置いてあるので一番オススメなんですが。麻製でかなり細いですが、満月蜘蛛の糸と一緒により合わせたものなので強度もありますよ」

「うん、この弦いいなあ。1本いくら?」

「90ウィーガルです。値段はちょっと高いですが、麻の弦を何回も変えるよりお得になると思いますよ」

「じゃあとりあえず4本で。弓も見ていい?」

「もちろん!」

エルヴィスはコルマトンの武具屋で武器を吟味していた。魔物退治系キャラバンの聖地だけあって、やはり武具屋は数が多く賑わっている。

「これは海神山羊の角です。なかなか取れないんで結構値が張るんですよね。けどやっぱり飛距離が違いますよ、さっきの弦と合わせると最大で2ガトルィートくらい飛びますから。今は19630ウィーガルで出してます」

「うえ、高いなあ。それに上手い人でも狙えるのは500ルィートくらいが限界じゃない?」

「はは、まあそうなんですが。けどよく飛ぶだけあって、矢速と威力は他と格が違いますよ。それに弦を張ったままでもほとんど反りません」

「そう聞くと欲しくなっちゃうなあ……財布と相談しなきゃかな」

ひとしきり悩んだエルヴィスは、結局弓を買わずに店を出た。予算は高く見積もっても15000ウィーガルだ、慎重に選ばねばならない。

他の武具屋を見ようと通りをふらふらと歩いていたエルヴィスの視界に、見知った姿が入り込んだ。扉が開け放たれたままの、あるキャラバンのカウンターに並んでいる。褐色の肌に紫がかった黒髪、昨日行動を共にした男だ。エルヴィスは彼の用事が済むのを待って、出てきたところで声をかけた。

「や、ウィツィ」

「ん? おお、エルヴィスじゃん。どしたよ、何してんだ?」

「良い弓がないか探してたんだ。ウィツィは仕事?」

「いや、今日は休みなんだ。んで、良いのは見つかったか?」

「ううん、まだまだこれから。ウィツィ、ちょっと時間ある? 訊きたいことがあるんだけど。ほら、昨日のこととか……」

エルヴィスが声を潜めれば、ウィツィは辺りを見渡して喫茶店を指差した。

席について注文した飲み物を口にして、エルヴィスは何から訊くべきかと唸った。ウィツィはそれを見て、呆れたように切り出した。

「んで、昨日のことで何が知りたいんだ?」

「んーとね、えーとね……それじゃあまず、昨日捕まえた人たちは目的の組織で間違いなかった?」

「ああ、まあ一応はな」

「一応?」

「俺らが捕まえたのは所詮トカゲの尻尾だからな。切り離してもいくらでも生えてくるようなやつだ。大元の調査は賢者の教典でやるだろうけど、あの下っ端どもからどれほど聞き出せるか分かんねえし。で、そんなこと聞いてどうすんだよ」

ウィツィは退屈そうに紅茶を啜った。正直な人だなあと思いはしたが、エルヴィスはそれを口には出さなかった。

「ちょっと気になっただけだよ。それじゃあもうひとつ。なんで男の人の顔が燃えてたんだと思う?」

「だからまあ……人体自然発火現象じゃねえの」

「ふうん。そう言えばウィツィ、体調は平気?」

「体調? 俺はいつも通り元気だけど」

子どもの暇潰しに捕まってしまった、失敗した。ウィツィはあからさまにそんな顔をしている。エルヴィスはそれに構わず続けた。

「だってさ、地下で何か燃えたら大変じゃん。煙は充満するし、酸欠になっちゃったり。煙とか吸わなかった?」

「あー……いや、けど煙は別にそんな出てなかったな」

「へえ、不思議だね。けどアルヴィンも言ってたんだよね。煙はあんまり出てなくて、水をかけるまで燃え広がりも消えもしない炎だったって。ウィツィはその火がどうやって着いたんだと思う?」

「……だから、人体自然発火現象だろって」

「僕はね、魔法だと思うんだ」

ウィツィはカップを持とうとした手を止めた。心底不思議そうにしているウィツィを見て、エルヴィスも見当が外れて間抜けた顔をした。

「魔法って、そんなのあるわけないだろ」

「どうしてそう言い切れるの?」

「俺としてはどうしてそういう発想が出んのか不思議だわ。もっと常識的なことを言えよ、周りの奴らに馬鹿にされんぞ」

「ウィツィは馬鹿にしないね」

「いーや、内心こいつ馬鹿だって思ってんぞ」

もういいだろ、俺も暇じゃないんだ。そう言ってウィツィはテーブルに紙幣を1枚置いた。ウィツィの開いた鞄の口からは何枚かの書類が覗いている。

エルヴィスが立ち去ろうとするウィツィを呼び止めると、ウィツィは眉を寄せながらも振り返った。ここで振り返ってしまうのが彼の好ましいところだと、エルヴィスはゆったりと笑った。

「ウィツィって良い人だよね」

「んだよ急に」

「正直で律儀で、良い人だよね」

「なんだよ、俺褒められてんの? そんな気ぃしないんだけど」

「褒めてるつもりだよ。まだ会って日は浅いけど、僕はウィツィのそういうとこ、かなり好きだよ」

「そうかよ、そらどうも」

ウィツィは呆れたように小さく笑って立ち去った。エルヴィスは軽く手を振りながら見送って、冷めかけの紅茶を一気に飲み干した。

ウィツィはボリューニャの出身だ。本人の口から聞いたわけではないが、エルヴィスは服装や名前からすぐに気付いていた。ボリューニャの人間なら魔法について何か知っているかと思ったが、先程のウィツィの反応を見る限りでは情報は期待できそうにない。

「おかしいなあ」

弓探しの続きをしようと店を出たエルヴィスはやはり聖火の鏡に向かうことにした。時刻はもう午後3時半だ、1軒ずつ足を運んでいては日が暮れてしまう。他に弓を使っている冒険者に良い店を教えてもらおうと考えたのだ。

「あ、エルヴィス」

「え?」

「よ、おっつー」

エルヴィスが名前を呼ばれて振り返ると、そこには朝仕事に出掛けたはずのアルヴィンがいた。横にはカサネも立っている。

「あれ、仕事は?」

「もう終わった。今さっき戻ってきたところなんだ」

「え、もう? 群れの討伐でしょ?」

「カサネさんがとんでもなく速かったからな」

「へえ!」

カサネが腰に手を当てて得意げに鼻を鳴らした。アルヴィンの瞳はやけにきらめいていて、カサネへの眼差しには明らかな憧れが込められている。移動時間を加味して考えても、アルヴィンが魔法を使った場合と同等だ。エルヴィスは素直に感心した。

「で、良い弓見つかったか?」

「気になるのはいくつかあったけど、まだ決めてないんだよね。聖火の鏡に戻って良い店教えてもらおうかなって」

「へー、んじゃ私の使ってる店行ってみる? 完了報告はその後でもいいし」

「是非お願いします!」

エルヴィスの弓探しだと言うのに、アルヴィンの方が食い気味に頷いた。

カサネの案内で到着した鍛冶屋の手帳という産業系キャラバンは、数多くの種類の武器を取り扱っているが、店は然程大きくない。多くの職人を抱える工房が他の場所にあり、注文を受けた品をその都度取り寄せているとのことだ。興味津々で近くの剣に目をやったアルヴィンは、値札を見て目を白黒させた。

「うわ、結構しますね……」

「ここのは既製品でも高品質だかんね。命かかってんだから、こだわんなきゃねー。私の武器と装備も結構かかってんだよね、全部特注品だし」

カサネは胸当てを外してアルヴィンに手渡した。アルヴィンはそれを指で叩き、隅々まで眺めて頷いた。

「かなり薄いんですね、これ。軽いですね」

「でしょ? 今って金属も軽くて硬いのが打てるらしくってさ。鉄の他になんかいろいろ混ぜてんだって。脛当ても肘当ても拍車も全部ここで作ってもらってんだー」

今は取り外しているが、カサネは魔物退治の際には踵に拍車を着けている。本来馬の腹を蹴るためのものだが、足技を用いる際に踵で魔物を殺せるよう、分離可能で鋭く改造したものを装着している。

「で、めっちゃお金と時間かかったのがこれね」

カサネは槍の鞘を片方だけ外した。今日の仕事ではあまり使われなかった薄い片刃が光を受けて輝いている。

「一撃じゃ無理み強いって時はこっち使うのね。こっちは力入れなくてもよく切れるから、これで筋とか切っちゃうの。膝の裏とか踵とか」

「それで殺せるものなんですか?」

「いんや、動きを止めるくらい。動き止めたら血管切って弱らせればいいし。太い血管がある太ももとか脇とか首とか。こっちの刃は欠けやすいから骨とかは駄目だけど、肉とか皮膚はよく切れるんだよね」

「なるほど……」

「今のはざっくりね。私が強いのは半分以上装備のおかげだから、アルヴィンも適当に選んだ剣よりちゃんとしたやつの方が良いんじゃね」

クララやルクフェルもそうだったが、ある程度目の肥えた者には使い慣れた剣でないことはすぐに分かってしまうらしい。アルヴィンは高級品に囲まれた状況で適当な安物を携えているのが恥ずかしくなり、隠すように剣に手を添えた。

「で、エルヴィスの方は……私は弓は分からんし、ドニさん、この子見てあげてくれない?」

「はいはい、今行きますよっと」

ドニと呼ばれた温厚そうな初老の男は、エルヴィスを見て小さく会釈をした。武器によって担当者が変わるらしく、カサネはドニにエルヴィスを任せると防具のコーナーに向かった。アルヴィンはカサネに着いて行こうかと迷ったが、折角ならばと剣を見ることにした。

「海神山羊の角が気になってるんだ、矢がよく飛ぶって聞いたから」

「あれは確かによく飛ぶけども、ふうむ……腕を上げて貰えるかな、ちょっと失礼」

ドニはエルヴィスの肩や背中に触れて、難しそうに唸った。そうして選んだ弓に弦を張り、エルヴィスに持たせた。

「あれはかなり背筋が必要だから、身体が成長し切ってないうちに無理に使うと、腕や肩を傷付けやすいんだ。こっちの岩斧山羊の方は飛距離と矢速は多少劣るけども、負荷は少ないし連射もしやすいと思うよ。さ、ちょっと弾いてみるといい」

「うん!」

意気揚々と弦を弾くエルヴィスを見て、アルヴィンは感嘆の溜息をついた。聖地だけあって武具屋は数だけでなく店員の質も違う、リンガラムと比べて値段が高いのも肯ける。

「どうも、あたくしはローザといいます。さて少年、君は剣でしょう? 剣はあたくしの担当ですので」

アルヴィンよりひとまわりほど歳上の女性が、簡単な挨拶をして爽やかな笑みを見せた。アルヴィンは少しだけ緊張しながら、ぎこちなく笑い返して会釈した。
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