醜いのは誰でしょうか

やぎや

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彼にとっての希望の光と、私にとっての悪夢

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 その日は天気が悪かった。雨が降りそうな雲をしていて、湿度が高くて過ごしにくい、そんな天気だった。
 殿下はいつものように私の屋敷にやってきて、私の手を握ってしっかりエスコートして薔薇園のベンチに座った。
 使用人がゆっくりと薔薇の香りのする紅茶を淹れてくれて、お茶菓子を出す。
 その日に限って私たちはいつものように語り合うことはせずに、沈黙を楽しんでいた。変なことなのかもしれないけど私はその沈黙がいつも心地よくて、まるで彼の一番大切な人になったかのような気分になれるのが好きだった。
 いいえ、違う。私はその時だけでも彼の一番になることができたのだ。

 ヴェールを少しだけめくって、淹れてもらったばかりの紅茶を一口飲む。熱すぎたようで舌がひりついた。
 彼は舌を火傷した私に気づかないで、口を開いた。呆れてしまうほど朗らかな顔で、嬉しそうに切り出す。

 「キャサリン」

 その日だけ、私の名前をきちんと呼んだ。

 「大切な話があるんだ。」

 嫌な予感がした。私にとって望まないことが起きるような気がした。

 「実はね。」

 本当に大切な話なのだろう。

 「僕の目が、治るかもしれないんだ。」

 その瞬間私の胸に湧き上がったのは、絶望という感情だった。
 もし、彼の目が治ってしまったら? 見えるようになったら? 私はどうなるのだろう? いらない子の私は、どうやって生活すればいい? よくない感情しか出てこなかった。

 「そうすれば、僕は王太子としての仕事もできるようになって、キャサリンに辛い目を合わせなくて済むようになる。王家の荷物だった僕が、荷物ではなくて人間になれるんだ。重大な、大切な人間に。素敵なことじゃない? キャシー。僕は目を手術をするんだ。5つの頃から見れなかった世界を見れるんだ。君と一緒に薔薇を見れるんだ。」

 私の心を置いていくように、彼の声は希望に満ちていた。私はそのことにもっと悲しくなったけど、彼が私の事を考えてくれていることに気づいたから、思ってもいない事を仕方なく口にした。声が震えていることに気づかれないように、ゆっくりと話す。

 「とっても素晴らしいですわ! 本当に? ……様が! わたくし、……様と一緒に薔薇を見たかったんですの! いつ手術をなさるのですか? どのくらいの期間、療養するのですか? 暫く離れているのは辛いのです。教えて下さいまし。」

 彼の顔が嬉しさでほころんだ。

 「来月に手術をするんだ。一月くらい療養するけれど、心配することは何もないよ。隣国から伝わってきた手術でね、成功率はあまり高くないんだ。でも僕は隣国の有名な医者にかかれるみたいで、殆どの確率で成功するそうだよ。」

 成功率は高くない、けれど彼は良い医者にかかるからきっと成功する? 聞きたくない話だ。
 ずっと悪いままでいい。私のそばにいてくれるから。私の醜さを受け入れてくれるから。
 きっと手術が成功すれば、私は要らない。優秀な彼には王位継承権が与えられ、新しい婚約者も彼にあてがわれるだろう。でも、もしかしたら彼は今のままで王位継承権を得ることはできないかもしれない。王に相応しい人物ではないかもしれない。民のことなどこれっぽっちも考えない人になるかもしれない。私との婚約は続けられるのではないか。
 醜い感情が私の心を支配した。
 私は悔しくて堪らなかった。これまでそばにいてくれた私だけの王子様が、私だけのものではなくなるなんて、我慢ができない。きっと私は感情を押し殺すだろうし、我慢もできる。でも、それは外見だけだ。私は狂ってしまう。
 彼の目が治らないように祈りたくなった。

 あと一月で、この楽園ユートピアは壊されてしまうだろう。
 薔薇園の薔薇は色あせて見えるだろうし、私はまた1人だけでお茶をし始めて、一日中部屋に閉篭もるのだ。そうしてお婆さんになるまで屋敷に居座り続けるのだろう。
 いや、違うのだろうか。
 そうではなくて、修道院の入れられてしまうのかもしれない。こんなに醜い姿の私が神に受け入れられるのかすらも分からないけれど。

 「よかったですわね、……様。」

 上機嫌なふりをして、笑顔を貼り付けて。醜い顔にそんな表情を浮かべても美しくはなれないのに。

 「愛しておりますわ。誰よりも、きっと。わたくしは……様の味方です。」

 もうこれからは言えなくなる気がした。
 愛している、と口に出してしまえば、その言葉は私の胸にストンと落ちてきた。
 私は彼の事を心から愛しているのだ。
 愛してるから、彼に執着してしまう。そういう自分の醜さに呆れた。

 「私も愛しているよ、キャサリン。」
 
 美しい彼が発する言葉は美しすぎて、私には相応しくない気がした。
 涙がこみ上げてきて、視界がぼやけて彼の顔も見えなくなる。

 「嬉しくって。貴方が私に愛してるって言ってくれたのが、嬉しかったの。今なら死んでもいいわ。」

 口調が砕けた言い方になっても、彼は怒らない。私をそっと抱きしめて、手を握ってくれた。

 もう私たちはおしまいだ。醜い野獣は王子様と一緒にはなれないんだ。

 心根まで醜くて、なんの魅力もない野獣は、王子様のへの愛に溺れ、嫉妬に狂って死んでしまいました。その後王子様は美しいお姫様と出会って、幸せな生涯を送りました、めでたしめでたし。

 想像ができた。私が落ちぶれていく様を、彼がのし上がっていく様を。彼が美しい女と結婚する姿を。私が狂っていく姿を。

 ああ、彼の目が治りませんように。今度こそ天に祈った。神様がほんの少しだけでも私に情をかけてくれるのであれば、きっと彼の目は治らないだろう。
 
 彼が私に紅茶を飲むように勧めてきた。私は機械的にカップを持って、香りの消えたお茶を飲んだ。紅茶は氷のように冷たかった。

 その夜、私は眠ることができなかった。声を押し殺して泣き続けた。
 暗い部屋が私を嘲笑っているように感じて、この世に私の味方なんていないんだと実感する。

 私はその日から天に祈り続けた。手術が成功しませんように、と祈った。
 



 彼はその日から屋敷にやって来なくなった。手術の用意で忙しいのだろう。
















 二月経って、私は殿下から手紙を受け取った。初めて見る殿下の筆跡は整っていて、何度も練習した事が分かった。

 「世界がこんなに素晴らしい物だったなんて、知らなかった。早くキャシーに会いたいな。」

 殿下は便箋に何枚も手紙を書いていたけれど、ここの文書だけがやけに印象的だった。

 殿下の手術は成功したらしい。

 私は自分が神にまで見捨てられた事を理解した。
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