あやかしよりまし

葉来緑

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続章【逢魔】六日目②

逢魔ヶ刻(おうまがとき)

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午後の授業中、ずっと木葉の言葉の意味を考えてた。
────関わると無事では済まないと木葉は言っていた。
そして最後の最後まで選択肢を俺に残した。
一体どうして……。
いくら考えても、合点がてんがいかなかった。

「どうした修一郎? 思い詰めた顔して……。ははーん、紗都梨ちゃんと美生……どっちにするか悩んでるんだろう?」
HRに入る前に猫柳が話しかけてきた。
「……残念ながらそんな楽しい悩みじゃない」

猫柳は、頭を掻きながら雨空を見つめる、
雨音に混じって、軽い溜め息の音が聞こえた、
「ふむ、何かまた前と同じみたいな感じだな?」
「前と同じって?」
「ほら、死神がどうとか言ってたろ? あの子供を守るクイズっぽいの」
死神……八咫烏やたがらすの事か。子供とは……紅葉もみじの事だ。
「あの時と同じ、深刻な表情だぜ。誰かの身を案じて、心配してる感じだ」
「心配……?」



HR終了後、猫柳が部活に誘った。
「悪い、今日は休ませてもらうよ」
「んあ? うーん……そうか、残念だな。まあ今日は雨だし筋トレ中心だからな。そういや木葉の野郎はねえのかな? 昨日何か話してたろ?」
「……多分、あの調子じゃ今日は来ないと思う」
おそらく明日以降も来ないだろう。
木葉は日没まで神社に居ると言った。
部活の事なんて頭に無いだろう。
「うーん、案の定……か。まあその方がやり易いな。俺、あいつ苦手なんだよ」

猫柳はあまり見た事がない様な表情をした。
「だから昨日は帰り際、機嫌が悪かったんだな」
「ああ、やる気があるのかないのかわからねえし、どうも人を見下してる感がありやがる。修一郎、お前はどうなんだ?」
「…………わからない」
苦手だが────嫌いにはなれなかった。
妖の事もある……同属嫌悪と親近感が入り混じった奇妙な感覚だった。



教室を出て、屋上へと向かった。
Aクラスを覗くと、HRはとっくに終了していたらしく、生徒の半分は下校していた。
────木葉や御堂の姿は見えない。
だが、何人かの残っている生徒を見てぎょっとした。
泥状の妖が憑いている生徒が何人か居た。

憑かれている生徒は生気をなくしている様に見える。
憑かれていない生徒は、隙がなさそうに見えた。
泥状の妖は、憑人よりましを離れそのまま崩れ落ちて行くのも居た。
……憑かれるのも跳ね除けるのも本人の意思次第か。



屋上の階段付近では、御堂が待っていた。
御堂は俺を確認すると小さく手を振ってきた。
「そう言えば雨が降ってたんだね。あはは……駄目だなあ、私」
御堂は照れ笑いをする。
およそ隙というものがなかった御堂が今は失敗続きだ。
見ると────御堂には泥状の妖が憑いていた。
(……吽狛うんこま
本人気付かれない様に吽狛に祓わせた。

「いや……そう言えば俺も気付かなかったな」
「ごめんね、急に呼びつけて……。時間は大丈夫なの?」
「うん、多分……」
本来は行く必要がない用事だ。



扉を開けて空を見上げる。
雨の日は日没が早い。
もうすっかり空は薄暗くなっていた。
「……あんまり時間がなさそうだね。手短てみじかに話すよ」
「ああ、悪いな」
本来ならゆっくりしたい所だった。
……そもそも、行かないのも自由なんだが……。

「修一郎君が居ない間にね、今週の土曜日にお蕎麦屋さんに行く話が決定したの」
「え? ああ、決定したのか。うん、問題無いと思う」
「それでね、私からお願いがあるんだけど……。その次の日、日曜日────」

御堂は思い詰めた様に息を呑む。
そして一呼吸を置いて、その言葉を口にした。
「に、日曜日────……空いてるかな? 修一郎君と行きたい処があるの」
「────え」
……余りの申し出に、気の抜けた声しか出なかった。
そ、それと言うのはつまり……。
「つ、都合…………悪いかな?」
御堂は頬を染め、上目遣いでこちらを見てきた。
「い、いや! そ、そんな事ない!!」
しどろもどろで応答する。思考が巧く働かなかった。

「良かった……」
御堂は胸に手を置き、大きく息を吐いた。
「話はそれだけ。詳しい待ち合わせ場所は後でケータイに連絡するよ。……それじゃあ、私、帰るね」



そう言って御堂は階段を降りて行った。
御堂の後ろ姿を見て……少し哀しげな雰囲気がした。

最近の御堂は元気がない。
昼食や買い物の時は楽しそうに笑う。
だが……又三郎の言ったように、どこかに孤独感のようなものを感じる。
舞台の時……コンタクトがずれたと言っていたが……本当に泣いていたんじゃないだろうか。
御堂の力になってあげたい。
御堂の事を、もっと知りたいと思った。



昇降口に行き、傘化けを探した。
『────遅いな、修一郎。物珍しさに置き引きされそうになったぞ』
埋もれた傘の中から傘化けの声がした。
「……傘に待たれると言うのも変な感じだな」
靴を履き替え、傘化けを手に取った。
『くく、傘ゆえに待つのには慣れている。それにしても……随分ずいぶんと泥田坊の欠片が多いな?』
「ああ、そうだな────……今からその原因を確かめに行く所だ」
『? 原因を知っているのか?』
「……知っていそうな奴に聞きに行くのさ」





雨の中、神社へと向かう。
神社までの道は────妖が少ない。
神様の通り道の延長でもあるこの道は、歪んだ妖はなかなかに近付き難い領域だった。
前回に襲われたと感じた妖は“獏”だったのだとわかったし、安全な道だった。
────……そのはずだった。

雨の中、妖は何匹も徘徊していた。
明らかにいつもと様子が違う……。

妖と眼を合わせないように小走りで抜ける────。
幸い、妖達は吽狛と傘化けに警戒している為か近付いて来ようとしない。

先に進むに連れて、妖達の数は増えて行く。
……かなりの数だ。
一斉に襲い掛かられでもしたら……無事では済まないだろう。



立ち止り、空を見上げた。
雲はどんどん濃くなって来ている。
日が沈むまでは時間の問題だ。
……今ならまだ引き返せる。

“関わると────死にますよ?”

木葉の言葉が頭に響く。

“決して思い上がり、相手を救おうとはしない事だ”

“君はもう“魔”に逢ってしまった。もはや関わる事は避けられない運命なんだよ”

……そして、鏡さんの言葉が頭に響いた。




これが言霊ことだまとか言う奴なのだろうか。
たったあれだけの言葉で胸騒ぎが治まらない。
携帯電話の履歴から鏡さんの番号を表示させる。
鏡さんなら、どういった判断をするのだろう。
発信ボタンに触れ────思い留まった。

「…………」
携帯をしまい、前へ一歩踏み出す。
関わらない方が良いのかも知れない。
間違ってるのかもしれない。
だけど……前に進む事を止められなかった。

そんな折、仕舞ったばかりの携帯電話が鳴った。
ディスプレイに映る電話の主は────鏡さんだ。
「もしもし……」
前に進みながら電話に出る。
神社までは────あと500M程だ。

【やあ、狛君。そろそろ学校が終わった頃じゃないかと思ってね。無事のようだな、安心したよ】
「わざわざありがとうございます……はい、学校は終わりました」
【それで昨日の話の続きなんだが……状況はどうだ? 問題の彼はどういった行動を取って来た?】
「そいつはもう────俺には興味がないみたいです」
【ふぅん? そいつは意外な展開だな。これでもう一安心ひとあんしんって訳か】
「いえ……、安心は出来ません。この地域の妖が────“魔”が増えています」
木葉との会話内容を説明する。鏡さんは電話の向こうで黙って聞いていた。
【“魔”が……? ……そうか、やはりな】

「! やはり? 何か知ってたんですか?」
【君と出逢ったあの日────土地や空気に漂う違和感を感じた。それについて問題の彼は何と言っていた?】
「わかりません……ただ、もっと良くない事が起こると。そして……この件には関わるなと言いました」
【そうか……君は思いのほか、強運のようだ。それは大人しく従った方が良い】
もっともな意見だった。
【それはそうと……君は今、何処に居る? 何処に向かっている?】
「…………」
【どうした? まさかとは思うが、君は今……その“魔”に関わろうと考えてるんじゃないのか?】
鏡さんは沈黙から鋭く思考を読み取る様に言った。
「神社です。どうして俺が関わろうとしている────そう思うんですか?」
【一度“魔”に魅入られたものは、それを追い求めてしまうのさ】
「…………“魔”に魅入られたとか、そう言うのじゃ、ないんです」
【引き返すんだ────今ならまだ間に合う】
「そう言うのじゃ…………ないんです】
【────……親しい間柄だと言うなら尚更だ】
「……俺が行かないと」
その時、背後に大きな妖が近付いてくる気配を感じた。
────掴みかかる様な爪が振るい落とされる。
身をひるがえし、その爪は体を掠めた。
────もう片腕の爪が襲い掛かって来る。



すかさず傘を折り畳み、半ばカウンター気味に妖の顎を突き上げた。
急所に入ったのか、そのままぐらりと倒れこむ。
『……一撃か、なかなかやるな修一郎? 無傷じゃないか』
「いや、無傷じゃない」
水溜りに浸かってしまった携帯電話を拾い上げる。
液晶が真っ黒になってしまっていた。
電源を切り、携帯電話をしまう。
「……参ったな、楓姉に怒られる」
空を見上げ、天に向かって自己に降りかかる不運を呪う。
あいつも……いつだって、困った事があると空を見ていた。

"……空を飛ぶってどんな感じなんだろうね。トシゾーみたいに体が動かせたら気持ちが良いだろうな"



視線を下げると、目の前には見慣れた鳥居が立ち塞がっていた。
あいつは……イサミは……────木葉かもしれない。
「俺が行かないと……」
足を一歩踏み入れた。
「────他に誰があいつを……救ってやれるって言うんだ」
意を決し、鳥居の中に足を踏み入れた。



歪んだ妖は、鳥居と言う境界を越えて境内の中には入って来れない。
この土地自体の強い守護が働いているからだ。
にも関わらず……信じられない光景が広がっていた。
少なくない数の妖が……其処には居た。
しかも、その全てが倒れ込み、うずくまっていた。
中には瀕死なのか……消えかけている妖もいる。

そしてこの場所全体的に漂う空気は────普段の澄み切った空気と違い……澱んでいた。



神門をくぐり、本殿へと歩を進める。
────本殿の扉は開かれていた。
元々ここは無人の社だ。
鍵は壊れていたのか……そもそも最初からなかったのか。
入る事は容易かった。



意を決して中に入り込む。
進むに連れて、外から差し込んでいるはずの光が次第に無くなって行った。
明かりはなく、暗がりのなか奥へと進む事となった。

程無くして、最奥の扉の向こうから物音が聞こえてくる。
扉の前には元は鍵の形状をしていたと思われる鉄塊が落ちていた。




本殿の奥には小さな祭壇があり、その前には木葉が立っていた。
木葉は鉄製の錫杖しゃくじょうのようなものを手にしている
そしてそれを祭壇中央の何かに向かって振り下ろそうとしていた。
────それは御神体の銅鏡だった。
夢に出て来た銅鏡と同じ形をしている。
だとすれば────妖を映し、呼び出す鏡だ。

「おい木葉!! 何をやっているんだッ!?」
木葉の腕が止まる。
木葉は一瞬こちらを見て、すぐまた向き直り御神体に向けて錫杖を振り下ろした。
「────止めろッ!!」
手にした傘化けを突き出し────木葉の錫杖を制した。
小柄な外見にも関わらず、物凄い打撃の重圧がかかる。
渾身こんしんの力を振るい続けるが、木葉の力は一向に緩まない。
じわじわと競り下がり、傘化けの腹が御神体に触れた。
「────……吽狛ッ!!」
即座に吽狛が御神体を回収し、後方に下がった。
木葉がそれに気を奪われた刹那、打撃を跳ね除け間合いを計る。

「……これはどういう事だ! 説明しろ!!」
木葉を睨みつける。だが木葉はくくっとたのしそうに笑うだけで質問には答えない。
その木葉の表情は、屋上で俺を突き落とした時と同じ表情をしていた。
『妖がほぼ前面に出ているな……憑依ひょうい状態と言う奴だ』
傘化けが木葉を睨みながら言った。
『……暴れるにせよあの御神体を何処か安全な場所へ運べ』

俺は黙って頷き、吽狛に御神体をくわえたまま、祭殿の外へと走り出させた。
木葉はそれを止めようともせず、錫杖を一文字に構えこちらに向き直った。
『逃げろ、修一郎。あれはまともにやり合っても太刀打ち出来る相手じゃないぞ』



傘化けの言う事はもっともだった。
先程の鍔迫り合いで感じた圧倒的な力……そして木葉に宿る妖の気配からは高い次元のものを感じる。
────眼の力を越えていた。
『高位の妖である大妖たいようかもしれん。神か魔か……私の見立てでは、あれは魔に近い。風太郎殿でも祓えるかどうか』

傘化けを強く握り締め、下段に構える。深呼吸をして、気を鎮めた。
『……? 何をする気だ修一郎、まさか……あれとやり合おうと言うのか?』
「…………」
それには答えず一歩ずつ、前へと進んだ。



木葉は不敵に笑い、前へと身を乗り出してきた。
一瞬で間合いを詰められる。
突き出した錫杖を振り上げた傘化けで弾く。
木葉は弾かれた錫杖を即座に回転させ、足払いを仕掛けてきた。
飛び退け、足払いを避けつつ、傘化けの腹を木葉の胴に打ち込もうとする。
それと同時に自身の足元に衝撃が走った。
「────うぅッ!?」
避けたと思った足払いが即座に二段打ちを放ってきた。
足元がふらつき、膝を突く。
更に来る下段突きを傘化けで弾く。

だが、それも一時しのぎに過ぎない────連撃を防ぎきれず、傘化けの腹ごと胴に重い一撃を喰らい、後方へと吹き飛ばされた。
「────……ぐわッ!!」
『大丈夫か!? 修一郎!!』
「…………大丈夫だ、お前こそ折れてないだろうな?」
『錫杖如きで折られるものか。頑丈さゆえに生き永らえて来たのだ』
「……お前を連れて来て良かったよ」
傘化けを軸にして立ち上がった。

木葉は微動だにせず、くくと不敵に笑い────俺の動向を伺っている。
彼奴きゃつめ……愉しんでいるな。御神体よりお前に興味があるようだ」

────その時、木葉の背後に妙な気配を感じた。
「……?」
木葉の背後から人の形をした……しかしその顔や腕は樹木の妖が出てきた。
────夢の中に出てきたものと同じ妖だった。

人型の樹木は木葉を通り過ぎ、こちらへと向かって来る。
『……な、何だこいつは!?』
────普段遭遇している妖とはまた違った存在だ。
歪んだ印象はない。
むしろ神聖で畏れ多い雰囲気すらある。
ただ無機質な動きでこちらに向かって近付いてきた。
傘化けを構え、対峙する。

しかし────樹木の妖は俺の横をも通り過ぎ、入り口に向かい、進んで行った。
『……どういう事だ?』
木葉の方を向き直すと、木葉は不敵に笑い、錫杖を樹木の妖が向かった方向に指し示した。



……ふと、夢の記憶が頭を過ぎる。
鏡を手にした瞬間────あの樹木の妖は出現した。
樹木の妖が御神体に反応すると言うのなら……。
「もしかするとあれは……吽狛を追って行ったのかもしれない」
『……何だと? しかし……あの速度では吽狛には辿りつけないだろう』

────吽狛の脚は速い。
本気で駆ければ小回りも利くし、まず大抵の妖には追い着かれる事はない。
加えて吽狛は命令に対しては絶対服従だが、命令遂行にはほぼ自律的に行動する。
ある程度の困難な状況でも自己判断で遂行してくれる。
今頃は神社の外に脱け出ている筈だ。



入り口から樹木の妖が再び姿を出した。
その腕には────……銅鏡を咥えた吽狛が抱え込まれていた。
吽狛はもがき、樹木の腕へと爪を立てるが、まるで効果は無い。
「────なッ!?」
『信じられん、あの吽狛がこうも容易く捕まるとは……どうなっているのだ!?』
樹木の妖は吽狛を捕らえたまま……その姿は消えようとしていた。
銅鏡を咥えた吽狛は解放され、眼の前に着地した。

木葉はこの様子を可笑しそうににやにやと笑いながら見ていた。
そして再び錫杖を銅鏡に向ける。
────また破壊しようというのか?

「吽狛ッ! 鏡をこっちに渡せ!」
吽狛に命令し、銅鏡をこちらに放らせた。
銅鏡がこちらの手に渡った。
その瞬間────消えかかった樹木の妖は再度具現化し、こちらへと向かって来る。

樹木の腕が襲い掛かって来た。
鈍い動きで避けやすいが────重い。
避けた先の壁が破壊された。
あんなもの……喰らったら一溜まりも無い。
間髪入れずに次の腕が襲い掛かる。
吽狛が体当たりをして、腕の動きをずらした。
『此処に居ては危険だ────ひとまず離れろ!!』 
銅鏡を持って樹木の妖の脇を抜けた。



外気を遮断した通路は真っ暗で、視界が閉ざされる。
しかし……ここに来るまでは真っ直ぐな道順だったはずだ。
本殿の扉に向かい、走る。
背後からは樹木の妖が追いかけて来ているのを感じた。

(早く……早く此処から出なきゃ)
御神体の銅鏡を追って来ているのであれば、木葉を何とかしない事には元には戻せない。
これが破壊される事に────悪い予感を感じた。
今は、銅鏡の保護が先決だった。
背後に迫る樹木の気配が消えないまま、ひたすら暗闇の中を走った。
だが……一向に本殿の扉に辿り着けない。

────おかしい。
本殿の入り口までは、こんなに距離は無かった筈だ。
そうこうしている内に、樹木の妖が追い着いてきた。
巨大な腕が襲い掛かる。
咄嗟に避けるが、視界が悪く転んでしまった。
「うわっ!?」
転んだ拍子に、背後の祭壇の明かりが眼に入った。
祭壇から漏れる明かりは……此処までさほど距離が無い事を表していた。
「……まさか? たったこれだけしか離れていないなんて!」

樹木の妖は鈍重な動きで襲い掛かる。
そのまま転がり避け、再び本殿の扉を目指す。
だが……開いたままになっている筈の本殿の扉の光は一向に見えなかった。
「外に……出れない!?」
視界が閉ざされた暗闇が不安を駆り立てる。
樹木の両腕は、今度は抱え込むように圧し掛かけてくる。
『うぅむ……これは……とんでもない場所に迷い込んだ様だな!』
傘化けが自身を突き立て、樹木の妖の体を止まらせた。
眼前には相変わらず祭壇の光が漏れている。



其処には、相変わらず可笑おかしそうにこちらの様子を見ている木葉の姿があった。
「何が可笑しいんだッ!!」
掴みかかろうとする樹木の妖から傘化けを引き抜き、脇をすり抜ける。
バランスを崩された樹木は転倒し、大きな振動が起こった。
通路は塞がれた形となり────もはや祭壇への道しか残されて居なかった。

銅鏡を手にし、再び祭壇へと足を踏み入れた。
樹木の妖は入り口まで追って来ると────そのまま姿を消してしまった。
いや……見えなくなっただけかもしれない。
「……これを持っている限り、此処からは出れないと言う事か」
夢の中でもあの樹木の妖は出現した。
『うぅむ……あれは────御神体である銅鏡を守護するモノなのかもしれんな』

銅鏡を祭壇に戻せば、この異質な空間から解放されるのかもしれない。
祭壇の方に向き直る。

中央に座り込んでいた木葉は、ゆっくりと立ち上がる。
そして錫杖を懐にある銅鏡を目掛け、振り下ろしてきた。
「な…………ッ!!」
『油断するなッ!』
すかさず傘化けが割り込み、錫杖を弾いた。
寸でのところで銅鏡は無事だ。
この銅鏡が何であるかはわからないが、破壊させてはいけない気がした。
吽狛に銅鏡を咥えさせ────傘化けを構える。

二撃、三撃と撃ち付けられ、後退していく。
一撃一撃が重く、凌ぐだけで精一杯だ。
肩に一撃が加わり、体勢が崩れた。
「うっ……!!」
木葉はそのまま攻入らず、鏡を咥えた吽狛に狙いを定めた。
吽狛は咄嗟に飛び跳ね、錫杖は大きく空振りする姿となった。
そこに狙いを定め────手元を目掛け、傘化けの一撃を加える。
しかし返す石突いしづきの部分で、防がれた。

『……舐めるなよッ!! 小僧!!』

傘化けは自身を捻り込むように石突の防御を弾き返す。
そのまま鳩尾みぞおちを突き、吹き飛ばした。
木葉の体は壁に打ち付けられ、片膝を突く。
「が……ッ!! は……ッ!?」
木葉の顔が苦痛に歪む。
その表情は、いつもの木葉に見えた。
「……い……稲生さん? 何だ、本当に……来たんですか」
此処に来て木葉は初めて言葉を発した。
むしろ今初めて俺の存在を意識しているかのように思えた。

「!? 正気を取り戻したのか? これは一体どういう事なんだ!? この異様な状況は……お前に憑いている妖の仕業か!?」
「……はあ、はあ。先日……お告げを聞いたんです」
息を切らしながら木葉が言う。
大量の汗をかいていた。
「此処に来て妖を祓い、儀式を行え……と────僕はそれに従っているだけです」

立ち上がった木葉の錫杖が襲い掛かってきた。
先程のような重く、鋭い一撃ではなく────受け堪える。
「────儀式だと!?」
「道をひらき、旅立つ為の儀式です。僕は再び……この世から去ります」
「この世から……?」
「ええ、これで三回目。僕は僕の中の神様により生かされている。……声に従うのみです」
木葉は体勢を変え、錫杖を大きく振り払う。

後方に退き、互いが得物えものを取り、向き合う形になる。
「訳のわからない事を…………何故その妖の言う事が正しいと信じられるんだ!」
「……僕は信じます。僕はこの神様に命を救われ、力を授かった。従うのは力の代償と言うものです……ッ!」
降りかかる木葉の一撃が次第に重く、激しくなっていく。
「……何が力だッ!! お前はその力にとらわれているようにも見えるぞ!」
木葉の大振りな攻撃は、隙が垣間見えた。
腕に、肩に────打撃を打ち込む。
「……ふふッ! ……やりますね。……でも────僕には勝てませんよ!」
急所を突いたにも関わらず、木葉は怯むことなく次の打撃を加えて来る。
────更に打撃戦が続いた。
腕が痺れたのか、木葉は片腕の状態で攻撃を加えてくる。
短時間だが全力の撃ち合いに、疲労は限界まで達し、お互いの息が上がる。
「勝てない理由が……あるん……です」
木葉は大きく呼吸を乱しているが、その動きは一向に衰える様子は無い。
むしろどんどん動きに鋭さが増している気がした。
「はあ……はあ……」
「…………悔しいなあ……」
しかし撃ち合いの最中、一瞬────木葉が無防備になった。
頭を垂れ、表情が隠れる。
『疲弊したか────ッ!!』
すかさず叫んだ傘化けが木葉を目掛け、鋭く突こうとする。
直撃は────怪我では済まない。
「────待てッ!!」
傘化けを制した。


傘化けを引くと同時に、物凄い殺気を感じた。
木葉の背中に再び翼が出現した。
(────……翼だ!)
だが、確認する暇も無く、激しい殺気に包まれる。



木葉は信じられない速度で錫杖を繰り出した。
傘化けは上段に弾かれ、錫杖を激しく胴に突き立てられた。
一瞬だけ覗かせた木葉の顔は────妖が前面に出た別の形相だった。
意識がなくなりそうになるくらいの激痛と共に、吹っ飛んだ。

「ぐぁッ!!」
そのまま壁に叩きつけられる。
胸を激しく打ち付けられ、呼吸がまともに出来ない。
『馬鹿なッ!! 何故止めた!?』
「ゲホッ……あ、相手は生身の人間なんだ! 無茶をするなッ!!」
『お前だって生身だろうが! やらねばやられるぞ!!』

木葉は天井の高さ近くまで舞上がり────真上から吽狛の胴体を叩きつけた。
更に喉輪を喰らわせ、銅鏡を奪った。
銅鏡を奪った木葉は、不敵な笑みを浮かべる。
『あれで退くか……誘いの効果が半減したわ』
発せられた声は、木葉の声だったが……まるで違った印象を受けた。
この世のものではない────畏れ多い威厳のある声をしている。
『なかなかにたのしめた』

木葉は乾いた様な笑いをすると、錫杖を収め、銅鏡を祭壇中央に置いた。
傾いて置かれたそれは、燭台の灯りに照らされ、天井にもうひとつの灯りを照らし出す。
「お前は……誰だ? 木葉じゃない……木葉に憑く妖か!?」
『そうだ、お前のお陰でだいぶ馴染めたな。“口寄くちよせ”も可能となった────感謝するぞ』

「木葉から離れろ……ッ!! 何を企んでいる!!」
『まあ待て……刻は満ちた。そろそろ始まるぞ』
「始まる……? 一体何が……」

その時、御神体である銅鏡に────変化が起きた。
燭台の灯りとは別の、異様な光を発している。
異様な光は────斜めに傾けられ、壁側面と天井を照らしている。


『……逢魔おうまとき


「おうまがとき……?」
『昼と夜の境界であるこの世のものでないモノが生じる不安定な時刻の事。────今日は天候もまた不安定……』
この密室は外界から閉ざされているので、時間の感覚はわからない。
今まさに夜に差しかかろうとしている時だと言うのはわかるが……。

『そしてここは境界を無くした不安定な場所。……先程のお前は、なかなか察しが良かった。これを盗む不埒者ふらちものは此処から外へと出る事は出来ぬ』

一瞬────ぐらりと自分が立っている場所が歪んで見えた。
足場すらも不安定に感じ、気持ちが落ち着かない。
例えようの無い不安定さに、息が苦しくなる。
幻覚でも見ているのかと、眼を覆った瞬間……鏡の砕ける大きな音がした。
「!?」
見ると銅鏡に向かって錫杖が振り下ろされていた。
しかし、銅鏡には傷ひとつ付いていない。
確かに砕けた音は聴こえた。
未だに亀裂の入ったガラス状の何かが更に崩れていく音が聴こえる。

『境界の中に────それは生じる』

眼の前に何かが落ちてきた。
────木だ。
材木状の大きな欠片が次々に落ちてくる。
欠片は自分の頭上にも落ちてきた。
傘化けを広げ、防ぎながら天井を見上げる。



「────ッ!?」
天井から側面にかけて────信じられない光景が広がっていた。
光が当った面全体に大きな影の形をした亀裂が入っていた。

天井を構成していた材木は次々と床に落ち、狭間と言う狭間から光が漏れてくる。

そこには────光と共に青く澄み渡った空が広がっていた。
「そんな……ッ!! 今は夜のはずだ!!」
あれだけ激しかった雨音がない。
爽やかなせせらぎの音に変わっている。
近くに川なんてないはずだ。
足場が更に不安定になり、体が宙に浮いた様な感覚になった。

『────異界だ。異界への道は開かれた』

木葉は背中の妖の翼を広げ、天井の向こう側へと浮遊する。
────浮いていた。
力強い翼で向こう側へ羽ばたこうとしていた。

「ま……待てッ!!」
浮遊する木葉を捕まえる────まるでひとひらの羽の様に軽い。
『お前も来るか?』
木葉は抵抗もせず、邪気の無い顔で笑った。
────体が宙に浮いた。
向こう側の空はどこまでも青く、澄み渡っていた。
穏やかな気分にさせる光が差し込んでくる。
だが、上昇した体は、異界へと近付くにつれ────まるで天に向かって落ちて行くように吸い込まれた。
ひび割れてない天井部分にしがみ付き、上昇を押さえる。
その時、向こう側の景色が見えた。



「────!?」
その時、初めて天地が逆転している事に気付く。
周囲はこちら側の神社とそこまで代わり映えはしない。
まるで鏡の国の世界に入り込んだのかと錯覚する。
だが、遠くを見渡すと────不思議な形の山が立ち並び、力強く覆い茂った緑と透明な湖畔が広がっていた。
『美しい……』
景色を見渡し、傘化けがぽつりと呟いた。
異界と呼ばれる其処は────とても綺麗な処の様に思えた。
心を奪われ、誘われるままに辿り着きたい衝動に駆られる。
「此処が……異界」
『そう、人の心が産み出した世界……仙界とも桃源郷とも、好きに呼ぶが良い。お前は既に異界のモノが見える────今更何を驚いている』
「心が産み出した世界……? 死後の世界────彼岸ひがんとは違うのか」
『あれも似たようなものではあるがな。だが、彼岸のことわりとはまた違う。美しく平和な地もあれば、醜く争いの絶えぬ地もある。……むしろ此岸しがんと余り変わらぬか』



───近くの方向に、暗雲が立ち込めているのが見えた。
そこは暗く、危険な感じがした。
まるで正と邪、光と影の様に対照的な景色が並んでいる。
その時点で、身体の半分が異界に入り込んでいる形となっていた。



『異界の扉はもうすぐ閉じる。話の続きはあちら側でする事にしよう』
「……待てッ! 訳もわからないままに……そちら側に行く訳にはいかない!」
境界部分の天井裏を、残りの半身で喰い止めた。
体を振り解き、元の場所に戻ろうとした。
『来ないのか? では、その手を離すが良い』
木葉は俺の手を振り解いた。

「あ……ッ!!」
落下しようとした瞬間、木葉の手にした錫杖を掴む。
「木葉ッ!! 正気を取り戻せ!! お前も戻るんだッ!」
錫杖を掴み這い上がり、引き戻そうとした。
しかし、それ以上の力で上空へと引っ張り上げられる。



ひび割れた天井が、まるで逆再生ビデオのように徐々に閉じていく。
『修一郎! 手を離せッ! このままでは……境界の狭間で分断されるぞ!!』
傘化けの叫び声に応じる前に、木葉の────錫杖を手離す姿が見えた。
「あ……!?」

錫杖ごと自身の体は落下し、地面に吸い寄せられるのを感じた。
受け身も取れず────頭部に激しい衝撃が来る。
打ち所が悪かったのか、意識が朦朧もうろうとしてきた。
薄れゆく意識の中で、境界の向こう側を見つめた。
「……イサ……ミ」
狭間から漏れた光は次第に弱くなっていく。
……後には暗闇と静寂が残った。




《六日目②終了 追憶編⑥に続く》
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