幸福の刺繍

尾藤イレット

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幸福の刺繍 後編

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「ダニエル! 」

 セシリアは、北門前の人だかりに向かって叫んだ。
 
 そこには、少しやつれた顔をしながらも、元気そうなダニエルが手を振っていた。
 セシリアは、その胸へと一気に飛び込んだ。

「なんで……なんで……そんな危ない事したのよ! 」

 抱き着きながら、セシリアはダニエルの胸を叩きながら、本気で怒った。

「君が……セシリアが惨めな思いをしてるんじゃないかって思って……。心配を掛けて済まない……。」

 ダニエルは、弱々しく謝る。

「それで勝手にそんな危ない思いをしたって言うの! 私はあなたと居て惨めだて思った事なんて一度だって無いわ! 私は、あなたさえ居てくれたらいいの! 」

 言葉の最期が溶けるように消えると、セシリアはダニエルに抱きついて泣きじゃくった。

 そんな彼女にダニエルは懐からハンカチを取り出す。
 泥に汚れてしまっているものの、セシリアが縫ったクローバーの刺繍は、しっかりとそのハンカチに見て取る事が出来た。

「……何度も、もうダメだと思ったけど、これを見て絶対に生きて帰らなきゃ。そう思ったんだ。」

「…………。」

 ダニエルの胸の中で泣くセシリアを見て、やっと彼女に追い付いたベアトリスとパメラも、思わずハンカチーフで目頭を押さえた。

*

「では、報告書を作らなくちゃならないから、ダニエルとみんなは一旦冒険者組合ギルドまで来てくれ。」

 身分証も無くしていたダニエルたちを、衛兵詰所まで迎えに来ていた冒険者組合ギルド職員が、ダニエルたちを呼んだ。

「……解った。いま行くよ。……セシリア、子供達に先に知らせておいて欲しい。」

「……わかった……今度は早く帰ってきてね。」

 両手の甲で目を拭いながらセシリアは答える。

「さ、私たちも一旦家に戻って待ちましょう。」

 セシリアの肩を抱いたベアトリスが、優しくセシリアを促し、パメラは頷いた。

「ベアトリスさま……パメラ……。」

「本当に……良かった……。」

「ええ……本当に……。」

 今まで、どれだけセシリアが涙を浮かべようが、穏やかな笑顔を崩さず、大丈夫だからと励ましていた、ベアトリスの瞳に涙が溢れていた。

───不安だったのは、きっと彼女たちだって変わらなかった。それでも私を元気づけようと、必死で我慢してくれていたんだ。

 セシリアの胸に、再び熱いものがこみ上げて来る。

「ありがとう……ベアトリス……パメラ。」

「何を言ってるの。私たち……お友達じゃない……。」

 そうして抱き合って泣く三人は、身分の差など感じない、ただの友人同士にしか見えなかった。

*

「さて、それでは、私たちは帰るわね。あとで話を聞かせてね。」

 馬車に乗り込むベアトリスとパメラを、セシリアは家族全員で見送った。
 冒険者組合ギルドから戻って来たダニエルも、緊張した面持ちでセシリアの横でリリーを抱きながら見送りに立つ。

 子供達も彼女たちにずいぶん懐いており、腕白ぶりも鳴りをひそめて、寂しそうにしていた。
 ベアトリスには、今度はみんなで屋敷にいらっしゃいとは言われていたが、さすがにそれは叶わないだろうなとセシリアは思う。

 そして、馬車の窓から手を振るベアトリスとパメラを、家族全員で、その姿が見えなくなるまで見送り、そして家族全員で頭を下げた。

「さて……一体、何があったの? 」

 緊張が解けて、あっという間に寝てしまった子供達を、それぞれのベッドに運んでから、セシリアはダニエルに訊ねる。

「今回は、本当に済まなかった。」

「もう、こんな危ない真似はしないでね。」

「もちろんだ。セシリアは……バシリスクに襲われたってところまでは聞いたんだったよな? 」

「うん。遺跡から突然溢れて来たって。」

「これは言い訳になるかも知れないが、前日に偵察をした時には全く問題無かったんだ……ただ……」

「ただ……? 」

「奴らは、本当に突然、遺跡の影から沸いて来た。そしてあっという間に囲まれてしまいそうになったから、何とか血路を開いて、その場から俺たちは逃げたんだ。だが、俺のパーティーとは何とか合流出来たんだが、本隊とは、はぐれてしまったんだ。」

「それで……自分の居場所が解らなくなったの? 」

「いや、方角も地理も解っていたから、集合場所に戻る事は出来た。ただ、バシリスクってのは一度獲物に狙いを定めると、ひたすら追ってくる。そして追跡者となった連中は、さらに仲間を呼び寄せやがるんだ……」

 そしてダニエルたちは、最初の襲撃で怪我をした仲間が居たため、中々ペースが上げられなかった。

 このまま本隊に戻っては、バジリスクを連れて帰ってしまうと思ったダニエル達は、ダンジョンの東側にある山を越える事を選択する事にした。
 山越えならば、途中で罠を張ることも、見通しも良いからだった。

 超えた辺りには小さな村があり、バジリスクの追跡を振り切る事が出来れば、その村まで逃げ込む算段を立てた。

「あの時、もっとバシリスクの数が増えてれば、ひとたまりも無かった。途中から急に数も減ってくれて助かったよ。」

「あなたたちが行方不明になってから、直ぐに捜索隊が出発して、魔物を倒してくれたのよ。」

「それで……だったのか……。」

 セシリアは、ベアトリスに感謝してもしきれないと思う。
 もし、彼女が特権を用いて捜索隊を指揮していなければ、目の前にいるダニエルは居なかっただろうと、容易に想像出来たからだ。

 その後、ダニエルたちは、何とか不眠不休で山を越えて麓まで降り、バジリスクの姿が、もう見えない事を確認した。

 そして、ホッとしたのも束の間で、村へと向かう道の途中、突然今度は人喰鬼オーガに遭遇してしまったのだ。

「本当についてないと思った。ただ、村ももい近かったから、奴がもし村の方向に行けば、大惨事になるのは目に見えてた。だから、俺たちは何とかオーガを撒いて村へと走り、そしてオーガが出た事を伝えたんだ。」

「それからは……? 」

「……何も言わず、オーガを村に押し付けてしまえば逃げられる。そう思ったけど、そんな事をして生き残っても、君たちには二度と胸を張る事は出来なかっただろうな。」

 セシリアは、その話を聞いて悩む。
 ただ、その場では答えを出す事は出来なかった。

 ダニエルは、村の皆を避難させる準備が出来た頃、ある老夫婦から足の不自由な娘が居なくなった事を告げられた。
 きっと西の森に行っているはずだと言われて、自分達が逃げて来た方だと気が付いたダニエル達は、慌ててその森へと向かった。

「さすがに装備も無い、体調も万全では無い、そんな状態だったから、覚悟は決めていた。ただ、彼女……いや、彼女と彼を見つけた時には、既に人喰鬼オーガは倒されていたんだ。」

 傷ついた農夫と、精も根も尽き果てて動けなくなっている娘。
 その二人を、ダニエルたちは手分けして運び、村へと着いた。

「その……魔物は誰が倒したの? 」

「その娘ってのが、元は王都の騎士団員だったんだ。俺たち冒険者でも、普通は十人は必要な魔物が真っ二つになってた。流石だよ。……そうして、後は峠を越えて街に帰って来れたんだ。」

「ねえ……ダニエル。」

「本当にすまなかった。」

「そういう事じゃないの。……もし、もしもよ、あなたの命と他の誰かを天秤に掛けなきゃいけなくなった時は、あなた自身を必ず選んで欲しいの。」

「……だが……。」

「その時に、あなたがどんな選択をしても、私はあなたの味方でいる。だから、何があっても私たちのところに帰って来て欲しいの。」

「わかった……。心配を掛けてごめんよ。セシリア。」

 済まなそうにダニエルは頭を下げる。

「大丈夫よ、ダニエル。あなたが私のためにしてくれたって事は、私が一番解ってるから。」

「……ただ、逃げる時に装備をほとんど捨ててしまったから、今回の戦利品は何も無くなっちまった。だけど、俺の話を聞いた農夫と女騎士が、これを贈ってくれたんだ。貴方たちがオーガの事を知らせてくれなかったら、きっと大事なものを失っていたって言われてさ。」

 ダニエルはそう言うと、粗末な木の小瓶をセシリアに渡す。

「だから、これだけが君に渡せるプレゼントになっちまった。」

 ダニエルはそう言って項垂れる。

「何を言ってるの。あなたが生きて帰ってくれたじゃない。それが私たちにとって一番のプレゼントだわ。」

 そう言うと、セシリアはダニエルに口づけた。

*

 ダニエルが持って帰って来た小瓶に入っていたのは香水だった。
 その香りは、とても優しく、そして心まで落ち着くようだった。

 セシリアは、誇らしげに首筋に付けて、いつもの刺繍とお茶の時間に向かった。
 家を出て来るときに、抱き締めてくれたダニエルにも喜んでもらえた。
 例え、手作りの木製の小瓶に入っていたような香水でも、セシリアにとっては、ダニエルが喜んでくれるなら、それだけで良かった。

*

「ベアトリスさま……パメラ……。本当にありがとう。もう……なんてお礼をしたら良いか解らないの。」

 屋敷に着いたセシリアは、ダニエルが帰って来てからの初めてのお茶会で、まずはベアトリスに礼を言わなくてはならないと思っていた。
 彼女にはどれだけ頭を下げても足りず、どれだけ感謝をしてもし足りない。
 会う前に、言葉は色々と考えていたが、顔を見た瞬間に気持ちが溢れ、何も言えなくなった。

「そんな……私は自分のすべきことをしただけですよ……。」

 パメラは、逆に恐縮しながら答える。

「……じゃあ、ご主人に何があったか、私たちに聞かせてくださる? お礼はそれだけで良いわ。」

 穏やかな笑みを浮かべて、ベアトリスが言う。
 そんな事では全然足りないと思うが、先ずは一緒に心配をしてくれたダニエルの事を話すのも悪くないと、セシリアは思った。

「それでは……。」

 セシリアは、ダニエルに聞いた話をベアトリスに聞かせ始めた。

*

「本当に…。あなたたちが居なかったら私どうなっていたか…。ありがとう…。」

 全てを話終わったセシリアは、二人を抱きしめる。
 友人だとは言っても、貴族に抱き着くなんて、普通はしてはならない。
 ただ、どうしても感謝と友情をセシリアは示したくなった。

「ねえ。セシリアの付けてる香水って、その農夫の方から貰ったものかしら? 」

 セシリアが付けていた香水の香りにベアトリスは気が付いた。

「ええ。そうなんです。とっても良い香りで気に入っているんです。」

「その香水は、女神の涙と言って、各国の王族位しか手に入らない、とても希少なものなの。使い差しでも農場どころか、貴族位だって買えてしまうくらいのものよ? 」

「…………え? 」

*

 それ以降、三人のお茶会は、この香水を付けて行われる事になった。

 最初は、パメラどころか、ベアトリスもそんなものは付けられないと言っていたが、一人では使いきれないし、かと言って、ダニエルから貰ったものを売る気もないと言うセシリアに押され、お茶会の時に皆で付ける事に決めた。

 常に微笑みを絶やさないと言われている女神が流す涙なのだから、希少なのは当たり前だと言って、優しい香りに包まれながら、三人で笑う。

 そして、それからも三人の友情は、続いた。

 その後、ほどなくして、不仲が噂されていた、ルイビル伯爵夫妻の仲睦まじい姿が見られるようになり、美人だが性格がキツいと敬遠されていた冒険者組合ギルドの職員の一人が結婚を決めた。

 この地方で作られる刺繍は、いつしかルイビル物と言われるようになり、
その特徴である、必ずどこかに入れられる四つ葉のクローバーの模様は、今では幸福の刺繍と呼ばれている。
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みんなの感想(1件)

299
2021.03.22 299
ネタバレ含む
2021.03.23 尾藤イレット

いつもご感想をいただけて、大変嬉しく思っております。
出来るだけ多くの方に、心を動かしていただける作品が書けるよう、頑張って書いて行きますので、今後とも、拙作をどうか宜しくお願いいたします。

解除

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