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プロローグ②
しおりを挟む安住 琴里。旧姓、蒲地――。
わたくしの実家は、京都で和菓子屋を営んでいます。その和菓子屋にある喫茶スペースの中央には苔むした小さな中庭があって、夏は窓を開け放つと涼やかな風が吹き、冬はシンシンと降り積もる雪を見ながら、暖かな部屋で雪見抹茶を楽しむことができます。季節は移ろえど変わらずそこにある水琴窟は、カツーンコツーンと言葉にしてしまうと味気ないのだけど、不規則な可愛らしい音色を聴くことができました。
それが琴里の名前の由来。
母親は陣痛を感じながら、自宅がある和菓子屋の二階の窓辺で、かすかに聞こえるその音に耳を澄ましていたと言います。女の子だからいずれはお嫁に行ってしまうからと、水琴窟の音が響くこの家を、里を忘れないでねと願い込めたそうです。
いずれはお嫁にーー。
そう、わたくしは五年ほど前に結婚しました。旦那はどんな男かって。
さっき、部屋から出て行った彼女です。
名前は安住 宗太郎。
一年ほど前までメガバンクに勤めるエリート銀行員でした。仕事ぶりは優秀で、異例の出世コース。スリーピースの細身のスーツを着て仕事をしていましたから、彼と呼ばなければいけないかもしれません。でも、その下にはレースの、面積の少ないちょっとえっちな女性用の下着をつけていました。
彼女が男か女か、と聞かれたらーー。
コン、コンコン。
部屋の引き戸をノックする音に、スラックスのファスナーが下着のレースを噛んでしまって『どうしよう、時間がない』と顔を真っ赤にしながら慌てていた彼女との思い出を頭の中からかき消しました。
引き戸が開き、姿を現したのはわたくしが洗礼を受けたカトリック教会の神父様でした。学生の詰め襟のような墨色のスーダンの上に、和服用のコートを着ています。本来なら入り口で脱ぐべきところを場所が場所だけに、周りへ配慮して部屋までコートを着てくるのだと思います。
親日家で、もう数十年前に帰化した元イタリア人の神父様のふさふさの髪は真っ白で、鼻は一見すると魔女の鉤鼻のようです。
「こんにちは、琴里さん。原稿が書き上がったと連絡をいただきました」
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