上 下
1 / 58
一章

一話・サーラ

しおりを挟む
アデス王国は大雑把に分類すると、惑星の北半球に属する地域である。標高が高く山に囲まれ、どちらかといえば寒冷な時期が長い。名産はブドウで、よくワインが造られる。また、隣国のイリシア王国と固く同盟を結んでおり、互恵関係にある。警察部隊に限って言えば、アデスとイリシアの両国を跨いで活動している。そんなアデスにももちろん朝がやってくる。サーラは鼻唄を歌いながら洗濯物を干していた。今日もいい天気だ。カラッとした空気が心地よい。彼女はイリシアからアデスに嫁いできたばかりの王女である。年齢は16だ。まだまだあどけなさの残る長い白髪の少女である。サーラはその美しい白髪を三つ編みに結っている。瞳の色は射抜くような金だった。一見、獰猛な雰囲気のする瞳だが、サーラの表情は可愛らしく柔らかい。見る人をホッとさせるような顔立ちをしている。今は夏だ。サーラは肩のでた緑色のワンピースを着ていた。これによく似たデザインのワンピースをサーラは数着持っている。

「サーラ王女、それは私たちの仕事ですので」

侍女たちに洗濯物を干すのを止められたサーラはキョトン、として笑った。その綺麗な笑みに侍女たちは思わず見惚れてしまう。

「良かったら私もお前たちの仕事に混ぜてくれ」

「で…ですが…」

サーラの言葉に侍女たちはお互いを見合った。彼女がイリシアからアデスに嫁いできた日から毎日この調子である。侍女たちが困っていると、黒髪の青年がやってくる。彼こそがアデス王国王子のシンだった。優しくて、見た目もハンサムな彼は国民からとても人気がある。野生動物が必要以上に畑に近寄らないよう、山の中を猟友会の面々とよく歩き回っているシンだ。猟銃を扱わせたらピカイチという評価も得ている。彼もまたサーラと同じ16歳だった。二人は幼馴染である。

「サーラ、みんなを困らせちゃいけないよ」

「だが、すごく暇なんだ。私に、おしゃれやおしゃべりはとても難しくて」

サーラが困ったように、体の前で手を弄びながら言う。シンはそんな彼女の頭を撫でた。

「それならブドウの世話でもする?」

ぱあっとサーラの表情が明るくなる。

「する!」

「じゃあ動きやすい格好に着替えておいで。ここで待ってるから」

「分かった!」

サーラがたたたと走っていく。侍女たちはシンを取り囲んだ。

「殿下、ありがとうございます。姫様は私達より働いてしまって」

侍女の言葉に、シンは笑うことしか出来ない。サーラはそういう人である。王族でありながら、サーラはずっと城に篭もりきりの生活をしていた。イリシアにおいて、サーラという存在は一部にしか知られていない。そのため、シンと結婚した現在もイリシアの姫だという国民たちの認識は薄い。その理由はサーラの金の瞳にあった。アデスとイリシアは遥か昔、神々が治める神々のための国だったと言い伝えが残されている。神々は生と死を支配していた。アデスの神々は生を、イリシアの神々は死を。アデスの神々は銀色の瞳を持ち繁栄を願い、イリシアの神々は金色の瞳を持ち永遠の安楽を願った。その言い伝えは今になってもなお、アデスとイリシアに深く根付いており、王族を神々と奉る者もいた。シンもまた銀色の瞳を持つ。だがサーラの場合は忌み嫌われた。イリシアにとって、金色というのは、死を意味するとされていたからだ。サーラが産まれてきた際、サーラの存在を両親は隠した。赤ん坊は亡くなったと国内に流し、サーラはそっと城内で静かに育てられた。サーラは聞き分けの良い可愛らしい女の子だった。そんなサーラを家族が溺愛しないはずがない。可愛らしいサーラをアデスに連れてきては沢山遊ばせた。シンとも仲良くなり、二人は恋に落ちた。誰も邪魔をする者などいない。二人は結婚し、サーラはアデスに嫁いだ。そして今がある。

「シン、見てくれ!つなぎを着せてもらった!」

約十分後、支度を終えたサーラが走りながらやってくる。

「サーラ、日焼け止め塗った?」

「あ…」

「せっかくサーラは肌がキレイなんだから」

シンが自分の作業着のポケットから肌に優しい日焼け止めを取り出して、サーラの肌に塗る。

「はい。おっけー」

「シン!ありがとう!」

侍女たちはその様子をじっと見ていた。微笑ましいシンとサーラのやり取りをいかに見られるかという謎の競争が水面下で行われている。

「じゃあ、昼にまた来るから」

「はい!殿下、姫様、お気を付けて!」

シンとサーラはブドウ畑に繰り出したのだった。
しおりを挟む

処理中です...