北海道6000km

おっちゃん

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第一章 初めての北海道

旅の始まり

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 今年の夏、私たちは東北自動車道を北に向かって走っている。埼玉の岩槻から高速道路に乗り、栃木県の佐野SAが近づくと前方の景色が大きく変わってくる。日光の看板が見えたとき、うっかり「小学生の時来たんじゃない。」というと「行きました」と返事が返ってきた。思いがけない答えで少し驚いた。何故なら紫野は小学4年生の頃から学校に行っていなかったからだ。だから、聞いてはいけないことを聞いてしまったと思った。でもあえて質問を繋いでみた。「じゃあ、温泉が湧き出ている場所も見た?」というと、これも「見ました」と返事が返ってきた。「臭かったでしょ」というと「臭かったです」と返ってきた。こんなやりとりが私たちの日常のやりとりなのだ。その後、那須辺りまでは、ほとんど会話がなかった。これから約2週間二人が、内緒で旅をすることに多少の罪悪感と期待感が交互に頭に浮かんできて、言葉を発するタイミングがつかめないでいた。とはいえ、隣に紫野がいることは、それらのすべての不安をかき消して余りあるものだった。
 クルマが福島に入ると、私にもいつもの軽口が出るようになった。この時は、かつて高村光太郎の「智恵子抄」に出てくる安達太良山にラリーの練習に行ったときのことを話した。
 安達太良山は火山で約2400年前の噴火以来噴火はしていない。そのため山周辺の道は風化した岩石がごろごろと転がっていて、当時履いていたヨコハマタイヤ製のタイヤではやや不安があった。麓からどんどん登って行くと、岩が風化して割れたと思われる、角の鋭い石がごろごろと道を覆っていた。これは、ヤバいと思った次の瞬間、「パン」と音がした気がした。気になったので車を止めてすべてのタイヤを見て回った。すると左の前輪がパンクしていた。タイヤのサイドウォールが切れてパックリと穴が空いてしまっていた。ラリー用のタイヤのスペアを持っていなかったので、普通タイヤに交換し、道を進めることにしたが、この悪路では、他のタイヤも同じことになる可能性が高い。慎重に路面を選びながらなんとか無事に下山できたという思い出を話した。
 紫野はその話をただ静かに聴いていた。紫野にとっては何の役にも立たない話だが、熱心に話す私の気持ちを気遣ってか、時折感心したような表情を見せながら聴いていた。
 私のラリーの話は更に続いた。福島には別のコースで練習に来たこともある。コースの詳細は覚えていなかったが、その日は同じコースを別の一台も走っていて、走り方に注意が必要だった。基本的にはそのクルマの後を追う形で走ったのだが、かなり間隔を開けないと前のクルマが巻き上げた埃で前が見えない!ガードレールの無い山道、落ちれば数十メートルは転落すること間違いなし。車線の狭い林道なので抜き去ることもできない。すると、前のクルマのクルーが私たちのクルマに気づいたようで、時折現れるやや広いエスケープゾーンにクルマを停めていた。挨拶をしようと私たちもクルマを止めた。すると「埃で走りにくいでしょう。先に行っていいよ。」と道を譲ってくれた。「すんません。じゃあ先に行かせてもらいます。」といって今度は私たちが前を走ることになった。視界は良好になったが、逆に谷が丸見えで恐怖感は増した。ともかく、無事にコースを走り終わると、しばらくして道を譲ってくれたさっきのクルーも到着した。「結構ハードなコースでしたね。」というと「なかなか面白いコースでしたね。」といい残して彼らは帰って行った。
 クルマも走りも私たちよりもかなり鍛えられたクルーに見えた。
 ここで紫野が口を開いた。「先生、先生ってどんな人なんですか?」「どして?」「だって、普段かなり安全運転ですよね、なのにラリーとかしてたんですか?」「ラリーと言ったって、初歩の初歩だけどね。」「でも、山とか走り回っていたんでしょ?」「まあ、そうだけど。」「そんなところ見てみたかったな。」「いや、紫野を乗せてあんな運転はできないよ。一歩間違えば命を落としちゃうからね。」「え、なおさら見たいです。」「紫野は見かけはおとなしいけど、内心は結構挑戦的だよね!」「え、今頃わかったんですか?」「なんとなくわかっていたけどね。」「じゃあ、ちょっとだけ飛ばすか!」といって私は少しだけアクセルを強く踏んだ。クルマのスピードメーターは150km/時を示していた。「オー!」といって紫野は嬉しそうだった。
 そのまま走っていたら、パトカーに追われるので、120km/時まで落として行程を先を進めた。
 クルマが白石ICに近づいた時、紫野が「先生、ここ前に来ましたよね。」という。以前、蔵王に行った時のことを覚えていてくれたらしい。「そうだね。蔵王に行った時にここで降りたね。」「道路脇の雪の壁も凄かったし、蔵王のお釜も凄かった。」「めちゃめちゃ寒かったよね。」「そうでしたか?あんまり覚えていない!」と嘯いたので、「私といたから寒さを感じなかったんじやない!」と言おうとしたがやめた。私は…あの時、ずっと私の腕にしがみついていたくせに…と思った。
 クルマは仙台を抜けて岩手に入った。もうすぐ一関だ。東北自動車道をここで降りてしばらく一般道を走ることにした。実は紫野に中尊寺の金色堂を見せたかったからだ。 
 一関で降りるとすぐに平泉の看板が見えた。「紫野、中尊寺に行こうか?」というと「行ってみたいです。」と目を輝かした。こいうときの紫野は本当にいい顔をする。
 中尊寺に着いて駐車場にクルマを置き、金色堂のあるところに向かって木立の間の坂を登り始めた。坂道の両脇には杉の木と思われる立派な太い木が林立しているために日陰にはなっているが、なにしろ暑い。今日は8月7日だ。しかも晴天。いくら東北と言えども、この時期晴れれば暑い。汗を拭き拭き坂を登り切ると建物がみえてきた。地蔵堂と書いてあった。そこを過ぎると中尊寺の本堂が現れる。しかし、これがあの「金色堂」ではない。紫野が「先生、金色堂ってどこにあるんですか。」と言うので、私も初めてだからわからないな。」といいつつも、もう少し歩けばあるだろうと思った。金色堂はそこからさらに奥に入ったところにあった。「先生凄い!これ全部金ですか?」と言うので「そうさ、すべて金箔が貼られているんだ。」というと、「なんだ、金箔なのか。」とちょっと失礼なことを言った。まあ、この年の子にそれ以上は望めない。
 ここで、少し歴史のお勉強をしよう。「金色堂って、誰が建てたか知ってる?」と聞くと、「先生、意地悪です。私が歴史が苦手なの知ってるくせに。」「じゃあ、平安時代にこの辺りを治めていたのは何氏だった?」と聞くと「それは知っています。藤原氏ですよね。」「知ってるじゃないか。じゃ藤原氏三代の当主は言える?」と聞くと「それは無理です。」と言った。地元の人に聞かれたら恥ずかしいとも思ったが、「これを建てたのは初代清衡という人だよ。その頃この平泉は京の都に劣らぬ立派な都市が拓けていたらしい。」と話した。「え、こんな田舎にですか?」とこれまた失礼なことを言った。「そうさ、奥州平泉といえば近隣の多くの武将が憧れた大都市だったらしいよ。」「そうなんですか?」といつものやつを返してきた。
 「ところで、平泉といえば義経だよね。」と話を変えた。「義経、ああ源平合戦の時に活躍した人でしょ。」「そう、よく知ってるね。」「先生、私をバカにしてるでしょ?」「ごめん。その義経が京都で牛若丸と呼ばれていた頃、平治の乱で平家の平清盛たちに義経の父源義朝が敗れて死んでしまうんだよ。」「それと平泉がどんな関係なんですか?」「よく聞いてくれたね。平氏は再び源氏が盛り返すことを恐れて、義朝の子供たちを出家させようとしたんだ。」「その一人が義経ですね。」「その通り。そこで金売吉次という人に連れられて16才の義経、つまり牛若丸がこの平泉にかくまわれることになるのさ。」「先生何で藤原氏は義経(牛若丸)をかくまったんですか?」「いい質問だ。」「?」「もともと源氏の始まりは藤原氏なのさ。つまり奥州藤原氏と源義朝は遠い親戚関係だったといえるんだ」「親戚なんだ?」「義経はここで6年も過ごすんだ!」「先生、そのあとはどうしたの?」「え、それを聞くの?」「だって、義経は22才でしょ?」「そう、義経が22才の時は西暦1180年、この年何があったっけ?」「1180年?」そんなの歴史の教科書にのってましたか?」「多分のってると思うけど?」「わかりません。」「もう少し考えてよ!」「無理です!」「じゃあヒントをあげよう。義経は29才の時再びこの平泉に逃げてくるんだ。」「え、また逃げて来るんですか?」「そう、今度は身内に追われてね!」「身内?」「もう、わかったでしょ」「?」しばらくして「わかりました。義経が22才の時、お兄さんの頼朝が立ち上がったんでしょ!」「そう、頼朝が伊豆で挙兵した。それを聞いて義経は兄のもとに向かった訳」「なるほど!」とまたいつものやつが出た。
 「先生、でも何でまたここに逃げて来たんですか?」「これは、いろいろあるけど簡単にいうと兄の頼朝の誤解、嫉妬、義経の力を恐れたといったところかな?」「そうですよね。だって平家を倒すのに義経が一番活躍したんでしょ?」「まあ、どこまで真実かは解らないけど、義経にまつわる逸話は多いよね。反面、頼朝が活躍した逸話は聞いたことがない。」「そうなんですか?」と来た。
「ところで、義経がここに逃げて来て、秀衡が生きていたときは義経も無事に過ごせたんだけど、秀衡が死んで泰衡になると、泰衡の裏切りで義経は自刃させられてしまうんだよ。」「裏切り?」「そう。秀衡は戦上手な義経をかくまうことで、頼朝に平泉を攻めるのを自重させた。しかし、泰衡は頼朝の脅しに勝てなかったんだね」「その時弁慶は何をしていたんですか?」「もちろん義経を守るために戦った。『弁慶の仁王立ち』って聞いたことある?」「ありません」「そうだよね。私の子供の頃は義経と弁慶と言えば男のモデルみたいなものだった。」「でも、今は少し違って来たね。それに女の子は弁慶にはあまり興味を持たないかもね」「?」「その時の逸話はね。弁慶が義経のところに敵を行かせないように、敵の放った矢を何本も受けながら死んでも仁王立ちになって、敵を睨みつけていたというんだから凄いよね!」「死んでも立っていた?それは凄い!」
 そんな会話をしながら金色堂を見ていた私たちは、時間が気になり始めて、月見坂を降り始めた。すると、「歌詠み台」という場所に着いた。そこでツアーのガイドさんが「ここは松尾芭蕉が『夏草や強者どもが夢の後』と俳句を詠んだ場所といわれています」と説明をしていた。紫野と私はそこから眼下に広がる平原を見つめた。藤原氏がここに壮大な都市を築いていたと思うと、『強者どもが夢のあと』という意味がよく理解できた。  
 歴史上いろいろある藤原氏だが、ここに奥州の都ともいえる大都市を築いた初代藤原清衡が、戦で亡くなった者やその他たくさんの奪われた命を弔うためにこの金色堂を建てたという。藤原氏の存在は日本の歴史に欠かせない存在であることは間違いなさそうだ。
 中尊寺を出た私たちは一路、十和田湖に向かった。十和田湖に着いたときは既に3時を回っていた。とりあえず、乙女の像を見て、湖の周辺を走り、十和田湖を体験して今夜の宿がある弘前に急いだ。夏とはいえこの辺りでは6時を回るとやや薄暗くなってきた。何か明かりが見える。気がつくとあちこちに明かりが見える。その明かりの一つが前方に近づいて来た。明かりの後ろを子供たちが歩いているのがわかる。「先生、あれなんですか、気持ち悪い!」と紫野が言った。これがねぷた祭りなのかとすぐにわかった。何故なら、弘前のねぷたは青森のそれとは違い、どれも形が扇形をしているのだ。「あれはねぷた祭りの山車だと思うよ?」広々とした平地のあちこちに耕運機のようなものに引かれる扇形をした、いわば大きな提灯のようなものが動き回っている。市街に近づくにつれてその数も増えて来た。しかも、やや大きいものも出て来た。市内の旅館に着いて車を置くとすぐに二人で大通りに歩いて行った。「先生見て!」紫野が指差す方向には高さが10mはある巨大な扇形のねぷたが現れた。大きな太鼓を細い棒のようなバチで叩きながら移動する山車も現れた。大勢の人が出ている。紫野が変な顔をしている。「どうしたの?」と聞くと「先生、私ここの人達が何を話しているのか全くわかりません!」と言う。「え、本当?」と言って私も地元の人達の会話に耳を傾けた。「本当だ!」何一つわからない。まるで外国語を聞いているみたいだった。私たちは思わず顔を見合わせた。そしてしばらく弘前のねぷた祭りを堪能して宿に戻った。
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