北海道6000km

おっちゃん

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第二章 広さに圧倒

寒さに震えた旭川

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  8時にはホテルを出発し、道路標識に「稚内」の文字が見えた。「何!○○○km?」三桁の数字の標識は初めて見た気がする。しかも三桁目の数字が4である。400km以上も離れたところに今日中につけるのだろうか?高速道路ならいざ知らず、一般道で400キロなんて経験したことがない。今ならナビゲーションがあるので最良のルートを勧めてもらえるだろうが、あの頃はそんなものは無い。地図を頼りに行くしかなかった。本当は日本海に沿って走るのが最短らしかったが、旭川に向かう方が真っ直ぐだと勘違いして、旭川を目指してしまった。 
 札幌から岩見沢、岩見沢から砂川、砂川から旭川にとやってきた。時計の針はもう2時を回っていた。さすがに走り通しなのと、途中にファミレスのようなものは皆無。旭川に来てようやく見慣れた店の名前を見つけた。その名は「パルコ」あのパルコと同じかどうかは別として、私たちはその名に惹かれて店に向かった。クルマを降りてびっくりした。寒い!異常に寒いのだ。二人とも半袖姿だったので、慌てて羽織るものをバックから出して店に向かった。
 都内のそれとはかなり趣が違っていたが、同じ系列のようだ。少しホットしてレストランを探し、あまり郷土料理にこだわらない食事をとった。見ると町の人たちはみんな長袖シャツを着ていた。温度計は20度を下回っていた。札幌では30度を遥かに上回っていたのに、ここではエアコンを設定値よりも低い気温なのた。北海道は広いと感じた。紫野も疲れているに決まっていたが、彼女はとても我慢強い。私と出かけるといつもかなり歩くことになる。その頃サイズの合わない小降りのスニーカーを履いていたため、良く足が痛くなっていた。しかし、しばらくして私が気づくまで、一言も不満を言わなかったのだ。見かねて私が大きいサイズのスニーカーを買い与えたことがあったくらいだ。
 だから、こんな長旅でも一言も不満を漏らさない。私の方から気づいてやらなくてはいけないと思った。パルコを出てまた旭川から士別、士別から名寄、名寄から音威子府、音威子府から幌延についた頃はもう夜の8時になっていた。幌延駅に行けば宿の一つくらいはあるだろうと駅に向かった。国道をそれて駅のおる方向に車を進めると、街灯もない真っ暗な道に出た。驚くことに二車線程の道路に蜘蛛の巣がかかっていたのだ。いったいどれくらいこの道を車が通らなかったのか?とかなり不安になった。紫野も不安を隠せないでいた。ようやく明かりが見えてきて駅に出た。観光案内所で空いている宿を探してもらうと。運良く一部屋空いていた。案内された宿はかなり古くからこの地で営業したいたと思われる老舗旅館の面立ちだった。部屋に通されると若い中居さんがやってきて、「ご飯はもうできないけど、お風呂をいつでも入れるよ。」と独特なこの辺りのイントネーションで話してくれた。
 とても失礼だとは思ったが、彼女が部屋を出て行った後で私たちは笑いをこらえるのが大変だった。とにかく、夕食を買いに行かなくてはならないので、駅前で一軒だけのスーパーでおにぎりと缶詰めとスナック菓子菓子、それにビールを買って戻った。
 旭川はめちゃめちゃ寒かったがそれより北の幌延の方が過ごしやすいのは不思議な気がした。とにかく風呂を済ませてつましい食事の後ビールで乾杯した。
 この「幌延町」という名前は単なる田舎の一集落としか見ていなかったが、数年後に日本一有名な町になることをその時は知る由もなかった。
 
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