北海道6000km

おっちゃん

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第四章 このままいられたら!

旅も終盤

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 クマに会えた登別をあとにし、また海沿いの道を走り出した。昨日までの景色と同じ景色が続いている。もう何日同じ景色を見てきたことか。するとまた湖が現れた。洞爺湖だ。洞爺湖がどんな湖かはわからないが、これもカルデラ湖ではないだろうか。というより、洞爺湖で思い出すのは、私がまだ学生だった頃、中村雅俊が先生役で出ていた「夕陽ヶ丘の総理大臣」というドラマで生徒と洞爺湖の友人を訪ねるというのがあった。当時の大岩先生(中村雅俊)の自由奔放な姿に、こんな先生がいたら面白いだろうなと思いつつ毎日楽しく見ていた。(再放送だったと思うが)そのドラマのある回が洞爺湖がロケ地になっていて、湖周辺の景色が映し出されて行ってみたいと思っていたので、やはり寄ってみることにした。
 この湖もやはりカルデラ湖でほぼ円形をした湖の真ん中に中央火口丘である島が四つある。
一番大きいものは標高455mもあるらしい。北海道にはなんとたくさんの火山、しかも巨大な火山が多いことかと驚いてしまう。話によれば、かつてあの中島に人が住んでいたというのだからさらに驚いてしまう。
 「紫野、あの湖の真ん中の島に二軒の家があったらしいよ!」と話すと「嘘でしょ、どうやって暮らしていたの?」とかなり驚いた顔で聞いてきた。「私もそう思うよ。」わざわざあんなところに家を作る理由がどこにあるというのだ。まして、火口丘に家を建てるなんて有り得ないことだ。
 そんなことを思いながらも、二人で眺める目の前の洞爺湖はあまりにも美しい湖だった。しかし、このあと10年も経たない平成十二年に洞爺湖の南にある有珠山が大きな噴火を起こして、洞爺湖の温泉地や周辺の道路などに大きな災害ももたらすことになる。北海道の東側は丁度北米プレートの下に太平洋プレートが潜り込んでいる場所なので、こうした巨大火山が多いのだろう。
 美しい洞爺湖に後ろ髪を引かれながらも私たちは再びクルマに乗り込んだ。内浦湾を左に見ながら国道37号線を軽快に飛ばす。並んで走っている室蘭本線にレールと抜きつ抜かれつのレースをしながら長万部についた。長万部は函館から小樽、札幌に向かうにも、室蘭、苫小牧に向かうにも通らなくてはならない土地なので、古くけら栄えた街だという。そして、目の前の内浦湾はほぼ円形をしている。そこで「紫野、内浦湾はほぼ円形をしていて、周りは大小様々な山に囲まれているよね、といえば何を思い浮かべる?」ときくと、「カルデラ湖」と即答。「だよね。しかし、これがカルデラ湖だとすれば、阿蘇山よりデカくなっちゃうね!さすがにカルデラ湖ではないらしいよ」というと「なんだカルデラ湖じゃないんですか。」「しかし、丸いよね!もしかしたらクレーターだったりして?」「もう、何でもいいです!」などと話しているうちに、クルマは国道5号線の移っていた。正面に高い山が見える。「先生、あの山何ですか?」「懐かしいねあの山」「懐かしい?」「十日前に見た山だね。」「十日前?羊蹄山?」「惜しい!、その前に見た山」「わかんない!」「駒ヶ岳だよ!」「北海道に来て初めて見た高い山ですよね?」「そう!函館山の次に雄大な北海道の入り口で『ようこそ!』って挨拶してくれたよね。」「そうでしたね!」「今は北海道の旅の終わりにお帰りなさい!北海道はどうでしたかって言ってるみたいでしょ。」「そうなんですか?もう北海道とお別れなんですね!」「駒ヶ岳が左に見えるようになって、駒ヶ岳が後ろになった頃はもう函館に着くよ!」「え、もうすぐ函館なんですか?」「そうだよ!」と話しているうちに駒ヶ岳が左手に見えるようになって来た。
 函館に着くともうお昼になっていたので、軽く昼食を済ませてもう一度函館山に登った、「先生、何度見ても素敵な景色ですね!」「!」私はこのまま紫野と永遠に旅を続けられたらという想いを消すのに必死で、何も答えられなかった」紫野が気づいて、「先生、またいつか北海道に連れてきて下さいね!」と言ったことで、私の心は平常心を取り戻した。「そだね!また来ようね!」の会話がこの旅を締めくくった。
 私たちは函館港に急いだ。クルマがフェリー乗り場に着くと、すぐに乗船が始まった。タイヤをロックして、急いで甲板に上がった。たくさんの人が桟橋に来ていた。TVでしか見たことがなかったが、甲板からたくさんの紙テープが投げられている。「ありがとう!」「また来てね!」「元気でね!」などと、別れの言葉が飛び交っていた。私たちはお互いの手を強く握りしめながらこの光景を見ていた。
 船が桟橋を離れた。声は一段と大きくなって、やがて消えた。皆、各々に甲板から離れて行った。私たちはその場に立っていた。手も握られたままである。多くの人たちにとっては一つのセレモニーかも知れないが、私と紫野には重い光景である。この旅が終わると、私たちはまた違う土地で生きることになる。この光景は今まで見ていた心地よい夢から見事に覚ますことになった。函館山が小さくなると船は津軽海峡に入る。この船は青森には行かない。大間行きだ。大間は下北半島の突端にあるので、すぐに着いた。大間と言えば「マグロ」だが、紫野は生さかなが食べられない。だから諦めて先を急いだ。陸奥湾が右手に見えた頃はもう日が傾いていた。海面が夕日を反射してとても美しかった!紫野は黙っている。何もしゃべらない。
私も何も話さず黙って運転していた。
 野辺地から国道4号線にはいった頃、ようやく紫野が口を開いた。「先生、このまま東京まで帰るのは大変でじゃないですか?」と言った。「しばらく国道を走ってから高速道路に入るから、8時間はかかるね!」「じゃあ着いたら夜中です!」「そっか?」「先生、途中で宿とれませんか?」「この時間からでは難しいかな?」「じゃあ、どうするつもりだったんですか?」といわれて初めて、この日の無計画を反省した。「どうしようか?」「先生、が考えて下さい。」といわれて、「じゃあ行けるところまで行って、そこで仮眠を取ろう。」と言うと、「仮眠ですか、キチンとお布団で寝たいです。」といわれてしまった。そうなるとあれしかなかった。じゃあ、24時間いつでも泊まれる宿でいいかい?」というと「そんな便利な宿あるんですか?」と言った。もちろん私は紫野と一度も行っていない。「まあ、あるよ!」「じゃあ、それにしましょう。」と言った。そう言えば、道内でそれを見たことがない。探してなかったこともあるかも知れないが、北海道にあれは無いのかなと思った。紫野が元気になってきた。それを見て、私もまた新しい旅が始まった感覚になった。
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