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かぶとむしくんとアリおばさん
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まあるい月にうすい雲がかかった、生あたたかい夜。すっくとのびたどんぐりの木の下の落ち葉が幾重にも積もってできた土の中で、うすちゃいろのからにしっかりと守られたかぶとむしくんは、眠りからさめた。
(あれ?あれれ?)
からをやぶって外へでようとしたかぶとむしくんは、あわてた。眠っている間に変化した体が思うように動かない。それでも、あれこれこころみているうちに、何とかからがやぶれ、頭だけが外に出た。とたんに鼻をくすぐる土のにおい。そのすがすがしくてよどんだにおいは、眠りにつく前と変わらず、かぶとむしくんの心を落ちつかせるものだった。
かぶとむしくんは、新しく生えた足を使って、からをすっかりぬぎすてると、ゆっくりと自分の体をたしかめた。
黒光りする丸っこい体。先っぽに、爪がある六本の足。すっとのびた、いかめしい角。
(これが、僕)
かぶとむしくんは、うれしくなって、みぶるいをした。湿った枯れ葉の下で仲間たちと大人になる準備をしている間中ずっと、りっぱな角が生えたオスのかぶとむしになれますようにと、ねがっていた。そのねがいがかなったのだ。こんなにうれしいことはない。
だが、そのうれしい気持ちは、すぐにしぼんだ。辺りを見回しても誰もいないのだ。
(あれあれ、僕が最後なの?)
あわてて、枯葉をかき分け外へ出る。ほんのりと明るい夜の林。あちらこちらで、枯葉を踏む音がする。
「おーい!かぶとむしのみんな、どこ?」
大きな声で叫ぶ。だが、返事はない。声の大きさを変え言葉を変えて叫んでも、同じこと。かぶとむしくんのよびかけに、返事をするものは、だれもいなかった。
(僕が出てくるのが遅かったから、置いていかれたんだ……)
途方にくれたかぶとむしくんは、力なく座り込んだ。と、その時、「いたっ!」と大きな声がした。
だれかが見つけてくれたと思ってふりむいた、かぶとむしくん。だが、その背後には誰もいない。にもかかわらず、また声が。
「いたいっていってる!はやくどいて!」
かぶとむしくんは、わけがわからぬまま腰をうかし、足の間をのぞきこんだ。いた。湿った枯葉の上に、お団子が三つくっついたような六本足の生き物が。
「あの――あなたは?」
「私?私はアリ。アリですよ」
その生き物は、そっぽをむいて答えた。
「アリ?」
「そう、アリ。コツコツ働く、働きアリ。ま、でも、そういうの、もうやめたんだけどね」
「やめた?なんで?」
「だって、もう充分働いた。もういいだろう?自分の思うように生きたって。こんなことを考えるようになったのは、老いぼれた証拠かね……。働きアリに生まれたのは別にいいんだけどね、でも、次々と女王様が産み落とすアリの世話に追われる日々じゃねえ。たまに、未来の女王アリがうまれて、その子が無事に育って羽を広げて飛んでいくたびに思うんだ。いいなあ、どんなオンボロな羽でもいいから生えていたら、私も好きなところへ行って好きなように生きるのになあってねえ」
「ふうん」
かぶとむしくんは、その老いたアリの話に引き込まれ、座り込んで、聞き入っていた。
アリは物知りで、話が尽きなかった。かぶとむしの事もいろいろ知っていて、寿命のこと出会いのことなど、ことこまかに教えてくれた。
大人になったばかりのかぶとむしくんには、ピンとこない話が多かった。だが、アリの言う「仲間が集まるというえさ場」には行ってみたいと思った。それを伝えると、アリは目の前の大きな木を指し示し、そこなら誰か仲間に会えるだろうといい、場所を詳しく教えた上で最後にこう付け加えた。
「かぶとむしは、幼虫の間は仲良くできても、成虫になったらそうはいかない。特にオス同士はね。うかうかしてたら、はじかれて、何も口に出来ないまま干からびて死ぬことになる。それこそ、私たちアリのえじきだね。いいね、はじかれそうになったら戦うんだよ、でなきゃ、食いっぱぐれて死んでしまうよ」
かぶとむしくんは、大きくうなずいた。この頭に生えた角は、オスのしるし。かぶとむしのオスは戦う生きものなんだ。
かぶとむしくんは触覚を慎重に動かし、夜の林のにおいをかぎながら、ざらざらした樹の皮に爪を立て、そろりそろりと上り始めた。
どれぐらいのぼっただろうか。重い体を支える細い爪が痛くなり、心がくじけそうになった頃、前方にえさ場が見えてきた。
歩みを止め、様子をうかがう。奇妙な模様のガやコクワガタに交じって、頭に生えた角を細かく動かしながら無心に蜜を吸っている強そうな虫がいる。オスのかぶとむしだ。
幸い、えさ場はそんなに混んでいない。かぶとむしくんは、そのオスを避け、えさ場の端っこの樹皮についている蜜をそっと吸った。
たらふく蜜を吸って満足したかぶとむしくんは、後からやってきてモジモジしているメスのかぶとむしに気付くと、場所をゆずった。そのメスは、礼を言うと、お行儀よく蜜を吸い始めた。その吸い方が何とも愛らしく、かぶとむしくんが、うっとりとみつめていると不意に例のかぶとむしが荒い息を吐きながらやってきて、かぶとむしくんをにらみつけた。
かぶとむしくんは、びっくりして木から落ちそうになったものの何とかこらえ、笑顔を作ってあいさつをしようとこころみた。
だが、まだ何も言わぬうちに、相手の角がかぶとむしくんをすくいあげ、投げ飛ばした。かぶとむしくんは、宙を舞い、元いた枯葉の上に背中から落ちて目を回し、動かなくなった。
それからゆるやかに時がすぎた。かぶとむしくんが目をあけると、かたわらに例のアリが立っていた。
「なさけないね。もう、やられたのか」
「アリのおばさん、ひどいんだよ。僕、何もしてないのに、落とされた」
かぶとむしくんは、涙ながらに事情を話した。だが、アリは、「なさけないね。やり返してきなさいよ」というばかり。
「またあそこまで上るの、嫌だよ、僕」
「飛んで行ったらいいだろ。立派な羽があるんだから」
かぶとむしくんは、びっくりしてアリを見た。アリはゆっくりと顔を上げてかぶとむしを見返し、続けた。
「あるだろ、背中に。それを使えばいいんだよ」
その黒々とした瞳のおくには、無数の星がきらめく夜空が広がっているようだった。その瞳をみつめるうちに、かぶとむしくんの頭に、ある考えが浮かんだ。
「ねえ、一緒に行かない?羽があったら好きなところへ行きたいっていってたじゃない。僕が、あなたの羽になる。好きなところへ連れていってあげるよ。だから、一緒にきてくれない?僕一人じゃ、やられちゃう」
思いがけない誘いに、アリは、迷いをかくせない様子だった。だが、やがてその迷いを断ち切るかのように「よし、のった!」と叫ぶと、かぶとむしくんの背に、はいあがった。
「角にしっかりつかまって!行くよっ」
ぶーん。
アリおばさんを背中に乗せたかぶとむしくんは、梢の上のえさ場めがけて飛び立った。
「いるいる、あいつだね」
かぶとむしくんを投げ落としたオスのかぶとむしは、メスのかぶとむしの上にのしかかり、押さえ込もうとしていた。
「どうやらあの子は嫌がっているね。じゃ、えんりょなく」
「どうするの?」
「あいつの背後に羽音を立てて近づいて気をひき、あの子をにがす。それからあいつの正面に回って、その角で投げおとすんだ」
「わかった!」
ぶーん。
かぶとむしくんは、アリおばさんに言われたとおり、耳障りな音を立てて近づく。と、そのかぶとむしが振り向き、すごんだ。
「なんだ、お前、やるのか?」
「こっちだよ、おーいで」
かぶとむしくんが、からかうようにとびまわる。と、相手がそれに気をとられたすきに、メスのかぶとむしが腹の下からはいだした。
「今だよ、行け!」
アリおばさんの号令で、かぶとむしくんは、相手の正面にまわりこみ、角を体の下に差し入れると思いっきりふりあげた。
「ひゃー」
ふいうちをくらったそのかぶとむしは、なさけない声をあげて落ちていった。
「やったあ!」
「大成功!」
かぶとむしくんとアリおばさんは、おおよろこび。
「ねえねえ、おばさん、このままどこか遊びにいこうよ。どこへ行きたい?」
「そうだねえ。この木のてっぺんは、どうだい?そこから何が見えるか知りたいんだ」
「いいね。行こう。何が見えるかな。楽しみだね」
アリおばさんをのせたかぶとむしくんは、木のてっぺんをめざし、円をえがきながら上へ上へととんでいく。その後を、つられてメスのかぶとむしがおいかけた。
(あれ?あれれ?)
からをやぶって外へでようとしたかぶとむしくんは、あわてた。眠っている間に変化した体が思うように動かない。それでも、あれこれこころみているうちに、何とかからがやぶれ、頭だけが外に出た。とたんに鼻をくすぐる土のにおい。そのすがすがしくてよどんだにおいは、眠りにつく前と変わらず、かぶとむしくんの心を落ちつかせるものだった。
かぶとむしくんは、新しく生えた足を使って、からをすっかりぬぎすてると、ゆっくりと自分の体をたしかめた。
黒光りする丸っこい体。先っぽに、爪がある六本の足。すっとのびた、いかめしい角。
(これが、僕)
かぶとむしくんは、うれしくなって、みぶるいをした。湿った枯れ葉の下で仲間たちと大人になる準備をしている間中ずっと、りっぱな角が生えたオスのかぶとむしになれますようにと、ねがっていた。そのねがいがかなったのだ。こんなにうれしいことはない。
だが、そのうれしい気持ちは、すぐにしぼんだ。辺りを見回しても誰もいないのだ。
(あれあれ、僕が最後なの?)
あわてて、枯葉をかき分け外へ出る。ほんのりと明るい夜の林。あちらこちらで、枯葉を踏む音がする。
「おーい!かぶとむしのみんな、どこ?」
大きな声で叫ぶ。だが、返事はない。声の大きさを変え言葉を変えて叫んでも、同じこと。かぶとむしくんのよびかけに、返事をするものは、だれもいなかった。
(僕が出てくるのが遅かったから、置いていかれたんだ……)
途方にくれたかぶとむしくんは、力なく座り込んだ。と、その時、「いたっ!」と大きな声がした。
だれかが見つけてくれたと思ってふりむいた、かぶとむしくん。だが、その背後には誰もいない。にもかかわらず、また声が。
「いたいっていってる!はやくどいて!」
かぶとむしくんは、わけがわからぬまま腰をうかし、足の間をのぞきこんだ。いた。湿った枯葉の上に、お団子が三つくっついたような六本足の生き物が。
「あの――あなたは?」
「私?私はアリ。アリですよ」
その生き物は、そっぽをむいて答えた。
「アリ?」
「そう、アリ。コツコツ働く、働きアリ。ま、でも、そういうの、もうやめたんだけどね」
「やめた?なんで?」
「だって、もう充分働いた。もういいだろう?自分の思うように生きたって。こんなことを考えるようになったのは、老いぼれた証拠かね……。働きアリに生まれたのは別にいいんだけどね、でも、次々と女王様が産み落とすアリの世話に追われる日々じゃねえ。たまに、未来の女王アリがうまれて、その子が無事に育って羽を広げて飛んでいくたびに思うんだ。いいなあ、どんなオンボロな羽でもいいから生えていたら、私も好きなところへ行って好きなように生きるのになあってねえ」
「ふうん」
かぶとむしくんは、その老いたアリの話に引き込まれ、座り込んで、聞き入っていた。
アリは物知りで、話が尽きなかった。かぶとむしの事もいろいろ知っていて、寿命のこと出会いのことなど、ことこまかに教えてくれた。
大人になったばかりのかぶとむしくんには、ピンとこない話が多かった。だが、アリの言う「仲間が集まるというえさ場」には行ってみたいと思った。それを伝えると、アリは目の前の大きな木を指し示し、そこなら誰か仲間に会えるだろうといい、場所を詳しく教えた上で最後にこう付け加えた。
「かぶとむしは、幼虫の間は仲良くできても、成虫になったらそうはいかない。特にオス同士はね。うかうかしてたら、はじかれて、何も口に出来ないまま干からびて死ぬことになる。それこそ、私たちアリのえじきだね。いいね、はじかれそうになったら戦うんだよ、でなきゃ、食いっぱぐれて死んでしまうよ」
かぶとむしくんは、大きくうなずいた。この頭に生えた角は、オスのしるし。かぶとむしのオスは戦う生きものなんだ。
かぶとむしくんは触覚を慎重に動かし、夜の林のにおいをかぎながら、ざらざらした樹の皮に爪を立て、そろりそろりと上り始めた。
どれぐらいのぼっただろうか。重い体を支える細い爪が痛くなり、心がくじけそうになった頃、前方にえさ場が見えてきた。
歩みを止め、様子をうかがう。奇妙な模様のガやコクワガタに交じって、頭に生えた角を細かく動かしながら無心に蜜を吸っている強そうな虫がいる。オスのかぶとむしだ。
幸い、えさ場はそんなに混んでいない。かぶとむしくんは、そのオスを避け、えさ場の端っこの樹皮についている蜜をそっと吸った。
たらふく蜜を吸って満足したかぶとむしくんは、後からやってきてモジモジしているメスのかぶとむしに気付くと、場所をゆずった。そのメスは、礼を言うと、お行儀よく蜜を吸い始めた。その吸い方が何とも愛らしく、かぶとむしくんが、うっとりとみつめていると不意に例のかぶとむしが荒い息を吐きながらやってきて、かぶとむしくんをにらみつけた。
かぶとむしくんは、びっくりして木から落ちそうになったものの何とかこらえ、笑顔を作ってあいさつをしようとこころみた。
だが、まだ何も言わぬうちに、相手の角がかぶとむしくんをすくいあげ、投げ飛ばした。かぶとむしくんは、宙を舞い、元いた枯葉の上に背中から落ちて目を回し、動かなくなった。
それからゆるやかに時がすぎた。かぶとむしくんが目をあけると、かたわらに例のアリが立っていた。
「なさけないね。もう、やられたのか」
「アリのおばさん、ひどいんだよ。僕、何もしてないのに、落とされた」
かぶとむしくんは、涙ながらに事情を話した。だが、アリは、「なさけないね。やり返してきなさいよ」というばかり。
「またあそこまで上るの、嫌だよ、僕」
「飛んで行ったらいいだろ。立派な羽があるんだから」
かぶとむしくんは、びっくりしてアリを見た。アリはゆっくりと顔を上げてかぶとむしを見返し、続けた。
「あるだろ、背中に。それを使えばいいんだよ」
その黒々とした瞳のおくには、無数の星がきらめく夜空が広がっているようだった。その瞳をみつめるうちに、かぶとむしくんの頭に、ある考えが浮かんだ。
「ねえ、一緒に行かない?羽があったら好きなところへ行きたいっていってたじゃない。僕が、あなたの羽になる。好きなところへ連れていってあげるよ。だから、一緒にきてくれない?僕一人じゃ、やられちゃう」
思いがけない誘いに、アリは、迷いをかくせない様子だった。だが、やがてその迷いを断ち切るかのように「よし、のった!」と叫ぶと、かぶとむしくんの背に、はいあがった。
「角にしっかりつかまって!行くよっ」
ぶーん。
アリおばさんを背中に乗せたかぶとむしくんは、梢の上のえさ場めがけて飛び立った。
「いるいる、あいつだね」
かぶとむしくんを投げ落としたオスのかぶとむしは、メスのかぶとむしの上にのしかかり、押さえ込もうとしていた。
「どうやらあの子は嫌がっているね。じゃ、えんりょなく」
「どうするの?」
「あいつの背後に羽音を立てて近づいて気をひき、あの子をにがす。それからあいつの正面に回って、その角で投げおとすんだ」
「わかった!」
ぶーん。
かぶとむしくんは、アリおばさんに言われたとおり、耳障りな音を立てて近づく。と、そのかぶとむしが振り向き、すごんだ。
「なんだ、お前、やるのか?」
「こっちだよ、おーいで」
かぶとむしくんが、からかうようにとびまわる。と、相手がそれに気をとられたすきに、メスのかぶとむしが腹の下からはいだした。
「今だよ、行け!」
アリおばさんの号令で、かぶとむしくんは、相手の正面にまわりこみ、角を体の下に差し入れると思いっきりふりあげた。
「ひゃー」
ふいうちをくらったそのかぶとむしは、なさけない声をあげて落ちていった。
「やったあ!」
「大成功!」
かぶとむしくんとアリおばさんは、おおよろこび。
「ねえねえ、おばさん、このままどこか遊びにいこうよ。どこへ行きたい?」
「そうだねえ。この木のてっぺんは、どうだい?そこから何が見えるか知りたいんだ」
「いいね。行こう。何が見えるかな。楽しみだね」
アリおばさんをのせたかぶとむしくんは、木のてっぺんをめざし、円をえがきながら上へ上へととんでいく。その後を、つられてメスのかぶとむしがおいかけた。
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