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最終章
92 -ルークside- ㊱
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翌朝、陽の光とフライパンで何かを焼く音で目が覚めた。目を開いて一番最初に見えたのは、エプロンを着けたユイが楽しそうにキッチンに立っている姿だった。
起きた俺に気付いたユイは、手を止めずに視線だけをこちらに向け、「おはよう、ルーク」と微笑みかけた。その笑顔は、昨日に比べてどこか晴れやかに見えた。
俺はあいさつを返して、料理をするユイの邪魔にならないよう、そっと背後に近づいた。
「朝食を作ってくれてるの?」
「うん。もうできるから、顔洗っておいで」
「ありがとう」
何気ない生活の場面でも、そこにユイがいるだけでこんなにも世界が輝いて見える。それは、俺の心が幸せで満たされている証拠だ。
ユイはスクランブルエッグと焼いたソーセージ、生野菜サラダやバゲットといった朝食を食卓に並べた。
「ウィルさんや、クイントス家の料理人とは比べ物にならないけど…」
申し訳なさそうに笑って言っていたが、今まで食べたどんな料理よりも美味しかった。
「世界一おいしい」
「揶揄わないでよ」
俺の率直な感想を、ユイは謙遜して冗談と捉えているようだったが、嬉しそうに顔を綻ばせる姿を見て、ちゃんと気持ちは伝わっているのだと感じた。
「ねぇ、ユイ。突然だけど、俺と一緒に領地のクイントス邸に行かない?あのアーティファクトの手がかりがあるかもしれないんだ」
朝食のお礼として食後のお茶を淹れながら、俺は緊張しつつユイに尋ねてみた。ユイは何かを考えるように俯いたが、僅かな沈黙のあと真剣な面持ちで答えた。
「うん、連れて行って」
ユイも<最後の救済>について、知りたいことがあるんだろう。あまりにも真剣な表情をしていたから、何だかもう一つの目的のことを言い出しづらくなって、後から伝えることにした。
紅茶を飲み終えて片付けると、俺はユイの手を握って、まずはタウンハウスの自室に転移した。王都から領都の邸へ転移するためには、タウンハウスの敷地内でしか魔法陣を展開できない。チェトホフの魔術式を魔法陣に組み込めば、もしかしたら座標設定をせずにどこへでも転移できるかもしれない。しかし、それを実現させるためには、更なる研究と時間が必要だろう。
姉さんに一言伝えに行こうとドアに身体を向けたが、その前に俺は今回の帰省のもう一つの目的を、ユイに今伝えるべきだと思った。
「…あの、ユイ」
「なに?」
「領地の邸に行くにあたって、一つお願いしたいことがあるんだ」
次の言葉を待つ夜明け色の瞳にじっと見つめられ、鼓動が速くなる。ユイが真っ直ぐ見てくれることが面映ゆくて、言葉がうまく出てこない。
『ユイのことを俺の大切な人って、父さんに紹介してもいいい?』
それを聞くだけなのに、なぜか俺の口は動かなかった。しばらく沈黙が続き、ようやく口が動いたその時、室内にノックの音が響いた。
昨日といい今日といい、どうしてこうもタイミングが悪いんだ?しかも、転移してきた瞬間を狙ってきたみたいに……。
溜息をつきながらドアを開けると、予想どおりの人物がそこにいた。
「なんだ?ロイド」
「ルナシス様より伝言を預かって参りました。『邸に戻ったら、何よりもまず母上の墓へ花を手向けろ』とのことです」
ロイドはその手に抱えられた白い小ぶりな花束を、一切の隙のない表情で渡してきた。
「姉さんは、今何を?」
「王宮へ向かう支度をしております。先ほど急遽、御召状が届きましたので」
「…そうか。姉さんには『分かった』と伝えてくれ」
「かしこまりました」
きれいにお辞儀をするとロイドは足音も立てず、廊下の奥の方へ消えていった。王宮からの突然の呼び出しにも対応する姉さんを想像しながら、やはり俺には領主という大役は無理だと改めて思った。
「ユイ。悪いけど、母さんの墓参りに付き合ってくれる?」
「もちろん」
ユイはにこやかに応えると、俺が受け取った花束を見つめた。
「ルークは、いいお姉さんを持ったね。領地運営や社交界で忙しいはずなのに、ルークのことも気遣ってくれて」
やっていることは貴族の義務だ。だから当然と言えば当然なのだが、こうも卒なくこなされると、それを放棄しようとしている自分が少し恥ずかしくなる。
「俺には到底、真似できないな」
「そうかな?ルークにも十分、こなせる力はあると思うよ?」
それは暗に、姉の手伝いのために家に残れという遠回しな説得だろうか。いや、ユイの場合は、素直に俺の能力を評価したうえでの発言だろう。
捻じ曲がった勘繰りを振り払うように、俺はユイの手を再び取り、領都の邸への転移魔法陣を展開させた。
代々、クイントス家の当主とその夫人が亡くなった後は、教会ではなく領都の邸の敷地内にある霊園に葬られる。季節の花々が咲き乱れるその場所は、一見すると丁寧に整えられた庭園のように見える。
俺は両手に白い花束を持ち直し、記憶を辿りながら母さんの墓石を目指した。母さんの墓石の周りには母さんが生前好んでいた花が、魔法の力によって枯れることなく年中咲いている。10年近く経つというのに、そこはきれいな状態に保たれていた。
「お母さん、どんな方だったの?」
俺が墓石の前に花束を手向けていると、ユイが尋ねてきた。
「聡明で、優しい人だったよ。植物が好きで、花や薬草をたくさん育てていた。錬金術の心得もあったけど、どちらかといえば薬師のようだったかな」
幼い頃の母さんとの思い出が沸々と蘇ってきた。限られた時間ではあったが、俺と姉さんに薬草の見分け方や薬の煎じ方など、いろいろなことを教えてくれた。姉さんはあの頃から、母さんの影響を強く受けていたと今更ながら思う。
思い出に浸って黙り込む俺の肩に手を置き、ユイは優しく微笑んだ。
「お母さんとの素敵な思い出が、たくさんあるんだね」
「うん」
「……ルクス?」
ユイに母さんのことを話していると、背後から俺の名前を呼ぶ懐かしい声が聞こえた。おもむろに振り返ると、そこには手に花束を抱えた壮年の男が、一人立っていた。
「……父さん…」
起きた俺に気付いたユイは、手を止めずに視線だけをこちらに向け、「おはよう、ルーク」と微笑みかけた。その笑顔は、昨日に比べてどこか晴れやかに見えた。
俺はあいさつを返して、料理をするユイの邪魔にならないよう、そっと背後に近づいた。
「朝食を作ってくれてるの?」
「うん。もうできるから、顔洗っておいで」
「ありがとう」
何気ない生活の場面でも、そこにユイがいるだけでこんなにも世界が輝いて見える。それは、俺の心が幸せで満たされている証拠だ。
ユイはスクランブルエッグと焼いたソーセージ、生野菜サラダやバゲットといった朝食を食卓に並べた。
「ウィルさんや、クイントス家の料理人とは比べ物にならないけど…」
申し訳なさそうに笑って言っていたが、今まで食べたどんな料理よりも美味しかった。
「世界一おいしい」
「揶揄わないでよ」
俺の率直な感想を、ユイは謙遜して冗談と捉えているようだったが、嬉しそうに顔を綻ばせる姿を見て、ちゃんと気持ちは伝わっているのだと感じた。
「ねぇ、ユイ。突然だけど、俺と一緒に領地のクイントス邸に行かない?あのアーティファクトの手がかりがあるかもしれないんだ」
朝食のお礼として食後のお茶を淹れながら、俺は緊張しつつユイに尋ねてみた。ユイは何かを考えるように俯いたが、僅かな沈黙のあと真剣な面持ちで答えた。
「うん、連れて行って」
ユイも<最後の救済>について、知りたいことがあるんだろう。あまりにも真剣な表情をしていたから、何だかもう一つの目的のことを言い出しづらくなって、後から伝えることにした。
紅茶を飲み終えて片付けると、俺はユイの手を握って、まずはタウンハウスの自室に転移した。王都から領都の邸へ転移するためには、タウンハウスの敷地内でしか魔法陣を展開できない。チェトホフの魔術式を魔法陣に組み込めば、もしかしたら座標設定をせずにどこへでも転移できるかもしれない。しかし、それを実現させるためには、更なる研究と時間が必要だろう。
姉さんに一言伝えに行こうとドアに身体を向けたが、その前に俺は今回の帰省のもう一つの目的を、ユイに今伝えるべきだと思った。
「…あの、ユイ」
「なに?」
「領地の邸に行くにあたって、一つお願いしたいことがあるんだ」
次の言葉を待つ夜明け色の瞳にじっと見つめられ、鼓動が速くなる。ユイが真っ直ぐ見てくれることが面映ゆくて、言葉がうまく出てこない。
『ユイのことを俺の大切な人って、父さんに紹介してもいいい?』
それを聞くだけなのに、なぜか俺の口は動かなかった。しばらく沈黙が続き、ようやく口が動いたその時、室内にノックの音が響いた。
昨日といい今日といい、どうしてこうもタイミングが悪いんだ?しかも、転移してきた瞬間を狙ってきたみたいに……。
溜息をつきながらドアを開けると、予想どおりの人物がそこにいた。
「なんだ?ロイド」
「ルナシス様より伝言を預かって参りました。『邸に戻ったら、何よりもまず母上の墓へ花を手向けろ』とのことです」
ロイドはその手に抱えられた白い小ぶりな花束を、一切の隙のない表情で渡してきた。
「姉さんは、今何を?」
「王宮へ向かう支度をしております。先ほど急遽、御召状が届きましたので」
「…そうか。姉さんには『分かった』と伝えてくれ」
「かしこまりました」
きれいにお辞儀をするとロイドは足音も立てず、廊下の奥の方へ消えていった。王宮からの突然の呼び出しにも対応する姉さんを想像しながら、やはり俺には領主という大役は無理だと改めて思った。
「ユイ。悪いけど、母さんの墓参りに付き合ってくれる?」
「もちろん」
ユイはにこやかに応えると、俺が受け取った花束を見つめた。
「ルークは、いいお姉さんを持ったね。領地運営や社交界で忙しいはずなのに、ルークのことも気遣ってくれて」
やっていることは貴族の義務だ。だから当然と言えば当然なのだが、こうも卒なくこなされると、それを放棄しようとしている自分が少し恥ずかしくなる。
「俺には到底、真似できないな」
「そうかな?ルークにも十分、こなせる力はあると思うよ?」
それは暗に、姉の手伝いのために家に残れという遠回しな説得だろうか。いや、ユイの場合は、素直に俺の能力を評価したうえでの発言だろう。
捻じ曲がった勘繰りを振り払うように、俺はユイの手を再び取り、領都の邸への転移魔法陣を展開させた。
代々、クイントス家の当主とその夫人が亡くなった後は、教会ではなく領都の邸の敷地内にある霊園に葬られる。季節の花々が咲き乱れるその場所は、一見すると丁寧に整えられた庭園のように見える。
俺は両手に白い花束を持ち直し、記憶を辿りながら母さんの墓石を目指した。母さんの墓石の周りには母さんが生前好んでいた花が、魔法の力によって枯れることなく年中咲いている。10年近く経つというのに、そこはきれいな状態に保たれていた。
「お母さん、どんな方だったの?」
俺が墓石の前に花束を手向けていると、ユイが尋ねてきた。
「聡明で、優しい人だったよ。植物が好きで、花や薬草をたくさん育てていた。錬金術の心得もあったけど、どちらかといえば薬師のようだったかな」
幼い頃の母さんとの思い出が沸々と蘇ってきた。限られた時間ではあったが、俺と姉さんに薬草の見分け方や薬の煎じ方など、いろいろなことを教えてくれた。姉さんはあの頃から、母さんの影響を強く受けていたと今更ながら思う。
思い出に浸って黙り込む俺の肩に手を置き、ユイは優しく微笑んだ。
「お母さんとの素敵な思い出が、たくさんあるんだね」
「うん」
「……ルクス?」
ユイに母さんのことを話していると、背後から俺の名前を呼ぶ懐かしい声が聞こえた。おもむろに振り返ると、そこには手に花束を抱えた壮年の男が、一人立っていた。
「……父さん…」
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