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エピローグ
<エピローグ>
しおりを挟む───まずいっ、寝坊した!
カーテンが半分開いた窓の外から、いつもより明るい光が目元に差し込んできて、僕は慌てて起き上がった。よりによって、こんな大切な日に寝坊してしまうなんて。
いつも隣で眠っているはずの夫の姿は既になく、シーツは冷たくなっていた。何で起こしてくれなかったんだと思いながら、急いで服を着ようとクローゼットに駆け寄ると、隣にあった姿見に移る自分を見てぎょっとした。はだけた寝間着の隙間から、キスマークや嚙み跡が覗いている。服を脱いでよく見てみると、それは首筋や胸元以外にもいたるところにあり、昨晩の情事の激しさを物語っていた。
あんまり痕つけないでって言ったのに…!痕が消えかけると、すぐまた新しいものを付けてくるんだから。
頭の中で夫を叱責しながらハイネックの服とスラックスを着て、急いで1階のダイニングキッチンに向かった。
結婚祝いとしてルナシスさんから贈られたこの家は、表通りに面した小さな店舗に錬金工房が隣接しており、広めの中庭を挟んだ裏手に2階建ての住居がある。1階がダイニングキッチンやリビング、浴室といった共有スペースで、2階には個室が5部屋もある広い家だ。
1階に降りると、ダイニングに入る前から、美味しそうな匂いが漂っていた。どうやら既に、朝食の準備が整っているようだ。
「ごめん!寝坊したっ」
「おはよう、ユイ。ちょうど起こしに行こうとしたところだよ」
ダイニングに入ると、僕の最愛の夫───ルークが朝食を乗せたトレイを持って、キッチンから出てきた。いつもは二人で食事の準備をしているが、僕がたまに寝坊した時は、ルークがこうして準備をしてくれる。寝坊する理由の大半は、ルークに原因があるのだが。
僕も手伝いをしようと奥のキッチンに入ろうとしたら、ルークは背後から優しく僕の背中に手を添え、そのままテーブルに座らせた。
「ユイは座ってて。あとは運ぶだけだし」
「ありがとう…って、どうして起こしてくれなかったの?」
「昨日の夜は、随分無理させちゃったから」
ルークは僕のハイネックの襟をそっと下げ、リップ音をたてながら項にキスをした。僕は昨夜の情事を思い出し、恥ずかしくなって堪らず両手で顔を覆った。
「ユイっていつまで経っても、反応が可愛いよね。コトの最中はあんなにいやらしく誘ってくるのに」
「こんなおじさんを揶揄うんじゃありません。それに、いやらしく誘ってなんかない」
「おじさんだなんてよく言うよ。ウチの店でも<ノクターナ>でも、顔を出す度に若い客に口説かれているくせに」
僕たちは結婚して間もなく、小さな魔法具兼薬屋を営み始めた。開業間もない頃は<ノクターナ>での仕事も続けていたが、店が軌道に乗ると正式に退職した。しかし、今でもたまに応援要請があると、手伝いに出向いている。
「僕が既婚者なのはこの辺の人はみんな知っているし、冗談で言っているだけだよ」
「でも、人妻ってところに背徳感を感じるんじゃない?」
ルークは僕の顎を持ち上げながらそう言うと、唇が触れ合いそうなところまで顔を近づけ、じっと僕の目を覗き込んだ。結婚してもうすぐ20年になるが、ルークは歳を重ねた今でも若々しいのに、大人の色気は格段に増している。店の常連さん(主に女性)には大人気だし、一緒に街を歩いているときなんかも、すれ違う女性は必ずと言っていいほど振り返る。
「ルークだって人のこと言える?女性客に口説かれてること、知ってるんだから」
「俺はユイ以外に興味なんてないよ」
「本当かなぁ?」
僕が半分揶揄うように言ったら、ルークは僕を黙らせるかのように、しっとりした唇を重ねてきた。ほんの数時間前まで交じり合っていたからか、触れられるだけで身体が熱くなるような官能的な気分になる。
「当然でしょ?こんな綺麗で愛らしい奥さんがいるのに、他なんか目に入らないよ」
互いの息がかかる距離で見つめ合っていると、ルークの手が僕の腰に忍び込み、ゆっくりと裾から素肌へと侵入してきた。
「ちょっ…待っ、ここでこんなことやってたら───」
「胸やけして朝食食べられなくなるから、イチャイチャするのやめてくれる?」
背後から声がして振り返ると、苦虫を嚙み潰したような顔をした黒髪碧眼の青年と、ニコニコ顔の銀髪紫眼の青年が出入口に立ってこちらを窺っていた。
「あっ、おはようっ。シアン、シオン」
僕は慌ててルークの胸を押し返すと、二人の息子にあいさつした。
「…おはよ。ほんっと何度言ってもやめないよな」
黒髪碧眼のシアンは呆れたように言いながら席に着き、ルークと瓜二つの顔を未だ歪ませている。
「おはよう。母さん、父さん。今朝も仲良しだね」
「いいことだろう?」
「僕は嫌じゃないよ。シアはああ言うけど」
ルークの言葉に微笑んで返すシオンは、長い銀髪以外は僕にそっくりだ。
シアンとシオンはあまり似ていないが、これでも双子の兄弟だ。王立魔法学院に通っている二人はこの春最終学年に進級し、今年の誕生日で18歳を迎える。
いつもは同じ制服を身に纏っているが、今朝はシオンだけフォーマルな出で立ちだった。それは、彼が今日から1年間、隣国チェトホフへ留学するからだ。留学先の学園では既に新学期が始まっているが、シオンの希望で登校時期を少し遅らせている。
食卓の準備が整い、4人で席に着くと、いつもと同じように朝食が始まった。
「シオン、準備の方は大丈夫?忘れ物ない?」
「大丈夫だよ、母さん。もし足りないものがあったら、あっちで揃えるし」
僕が尋ねると、シオンはサンドイッチを頬張りながら答えた。シオンは僕の倍は食べるのに、体格はすらりとしていて線が細い。毎度食事する様子を眺めていると、料理が吸い込まれるように消えていくから、見ていて面白い。そんな姿も、これからしばらく見られなくなると思うと寂しくなる。
「何か困ったことがあったら、すぐに連絡するんだぞ?」
「ありがとう、父さん」
「シオなら大丈夫だろ。気がかりなのは、一緒に留学するあの婚約者の方だ」
「シアってば、まだ彼のことを認めてないの?」
「当然だ」
シアンは小さい頃からとにかくシオンを溺愛していて、婚約の時も留学を決めた時もなかなか受け入れられず、説得に苦労したのを覚えている。しかし、留学の話が持ち上がった時にてっきり自分も一緒に行くと言うかと思ったが、以外にもそんなことは一切言わなかった。どうやらシアンには、ここを離れたくない理由があるらしい。
「あいつに泣かされたら絶対言うんだぞ?俺がすぐに始末してやる」
「シアは本当にやりそうだから怖いなぁ」
話の内容はさておき、ほのぼのとした空気を感じていると、自然と笑みがこぼれる。それはルークも同じだったようで、隣に座る彼にふと視線を向けたら、優しいまなざしを子どもたちに向けていた。
朝食が終わり、シオンの持ち物を確認しながらお茶を飲んでいると、玄関の呼び鈴の音が響いた。
「あっ、来たみたい」
ちょうどお茶を飲み終えたシオンが、足元に置いたトランクケースを掴んで席を立った。それに倣って僕とルーク、そしてシアンも立ち上がり、シオンの後ろについてエントランスに向かう。
シオンが玄関のドアを開けると、そこには予想していたとおりの人が立っていた。
「やあ。おはよう、シオン」
「おはようございます、殿下」
「…君はいつになったら、私を名前で呼んでくれるんだ?」
「ふふっ、さあ?いつでしょう」
シオンの返答に困ったような笑顔を向ける彼が、シオンの婚約者であり、この国の第二王子でもあるエリック・レシウス・アヴァンテンシア殿下だ。シアン、シオンと同い年だが二人より長身で体つきも良く、王族の特徴である金髪金眼が朝日を浴びて眩しいほどに輝いている。
婚約者同士のやり取りを微笑ましく眺めていたら、エリック殿下が僕たちにも丁寧にあいさつしてきた。
「おはようございます、クイントス夫妻。そしてシアン義兄上」
「誰が義兄上だ」
「こら、シアン。不敬だよ」
シアンのエリック殿下に対する態度は何度注意しても、出会った頃から一向に変わらない。エリック殿下は許容してくれているが、それでも親としては不安だ。
一方ルークは、シアンがそんな態度を取ってもいつも静観している。シオンの婚約は一応許可しているものの、その内心は複雑で、未だ納得していないみたいだ。
「おはようございます、エリック殿下。御自らお越しいただき、大変恐縮でございます。本日より、どうぞ息子をよろしくお願いします」
「もちろんです。シオンのことは必ず護ります」
美しくも精悍な顔つきで応える姿は頼もしかったが、シアンの視線は鋭いままだ。そんなシアンを、呆れたような笑顔のシオンがぎゅっと抱きしめ、耳元で何やらコソコソと囁いた。するとシアンは、みるみるうちに顔を赤らめ、押し黙ってしまった。
その様子に満足したらしいシオンは、次にルークを抱きしめた。
「母さんをお願いね。あまり求め過ぎて、無理させちゃダメだよ?」
「そこは…善処する。シオンも身体に気をつけて。必ず連絡するんだぞ」
「うんっ」
二人は名残惜しそうに離れると、最後にシオンは僕を抱きしめてくれた。
「寂しくなるよ、シオン」
「うん、僕も。…ねぇ、母さん。ひとつ、お願いしてもいい?」
「なに?」
「小さい頃みたいに、僕に『おまじない』をかけて」
……顔には出さないけど、シオンも不安なんだ。
シアンとシオンが幼い頃、けがをした時や不安な時に、僕はよく二人に<言霊>でささやかな『おまじない』をかけていた。一時的な慰めではあったものの、それで二人は笑顔になってくれていた。成長するごとにそれは減っていったが、ここでお願いしてくるということは、僕が想像している以上にシオンは不安なのかもしれない。
僕は深く静かに息を吸い、集中して<言霊>を言葉に載せた。
「〝大丈夫だよ。シオンは独りじゃない。すぐそばに、君を助けてくれる誰かが必ずいるから〟」
「……ありがとう、母さん。僕、頑張るから」
シオンは僕を抱きしめる腕に一瞬力を込めると、すぐに身体を離した。真っ直ぐ僕を見る顔つきがいつもより大人びて見えて、否が応でも成長を感じてしまう。涙が流れないように、僕は懸命に笑顔を作った。
「うん、いってらっしゃい」
「いってきます!」
そう言ってシオンは、エリック殿下にエスコートされて、異国に旅立っていった。
「俺も学院行ってくる。あっ、帰りはそのままアルのところに行くから、夕飯はいらない」
「わかった、シアンもいってらっしゃい。アルによろしく伝えておいて」
「うん、いってきます」
シオンを見送ったあと、すっかりいつもの調子に戻ったシアンは、鞄を片手に颯爽と家を出ていった。さっきまで賑やかだったエントランスは急に静かになり、僕とルークだけがそこに残された。
「ユイ、大丈夫?」
沈黙を破ったルークが僕の肩を優しく抱きながら、気づかわし気に尋ねてきた。僕はルークに身体を預けるように寄り添い、添えられた手に自分の手を重ねた。
「…子どもの成長って早いよね。来年の今頃には、二人ともこの家にはいないって思うと、すごく寂しい」
「そうだね…。でも、俺はいつまでもユイのそばにいるよ?」
ルークは僕の正面に向き直り、そっと額を重ね合わせ、柔らかいまなざしを向けて言った。僕の頬を包む両手はいつも冷たいのに、今はとても温かく感じる。
「ありがとう、ルーク。大好き」
互いの唇の距離が次第に近くなり、やがて触れ合ったかと思うと、それはだんだん深くなっていった。
「……ベッド行こ?」
「っ、こら。今日は騎士団へポーションの納品をする日でしょ?」
「はぁ…そうだった」
「僕が行こうか?」
「それはダメ。あそこの副団長、すぐユイに触るから。そこにやましい気持ちがないから余計に質が悪い」
ルークは僕の腰を抱くと、鋭い目つきをしながらエントランスを出て店舗へと向かう。何とか機嫌を直して仕事を始められないかと、僕は中庭を歩きながら花壇に視線を移した。薬の材料になる植物が所狭しと植えられた庭には、色とりどりの春の花も一緒に咲き誇っている。
「じゃあ今日は早めに店を閉めて、デートしようか。大聖堂の庭園のお花が見ごろだそうだよ」
腰に添えられたルークの手に指を絡めてデートに誘うと、ルークの表情が一気に明るくなった。
「いいね、それ。帰りは<ノクターナ>で食事するのはどう?シアンもアルのところに行くし、明日まで二人きりでゆっくり過ごそう」
「うん、楽しみ」
やる気が出たのか、ルークの足取りが俄然軽くなった。そんなルークを見て僕も嬉しくなり、午後のデートに年甲斐もなくワクワクした。
外は雲一つない淡青の空が広がり、春の温かな日差しが降り注ぐ。
いつもと変わらないこの光景が、幸せな僕たちの日常の始まりを、今日も告げていた。
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