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第一章
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しおりを挟むまるで握り潰されたみたいに、心臓がいたい……。息が……、うまくできない……。
目の前の出来事が信じられず、でも目を逸らすこともできずにその場に立ち尽くした。自分の鼓動と吐息だけが鼓膜に響いて、ほかに何も聞こえない──。
そして気が付いたら、僕は道端で座り込んで、降りしきる雨に打たれていた。
昼食が終わって、お茶の時間になっても帰ってこないルークに、得も言われぬ不安が過った。いつもはどんなに遅くても、この時間には帰ってきているのに……。
気持ちを落ち着かせるために、僕は礼拝堂に向かった。外に出ると、あんなに晴れていた空が、今はどんよりとした雲に覆われている。
ピアノを弾いたら、気分も変わるかもしれない。そう思い、僕はピアノに触れた。
カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲──。少し切ないけど緩やかな旋律だから、不安を和らげるのにいいかも……。
胸につかえる一抹の不安を、曲にのせるようにゆっくりピアノを奏でる。すると、少し気持ちが落ち着いた。でもこの曲が使われている作品の場面を考えたら、さすがに縁起が悪かったかな…?
ピアノから離れて、飾り窓の向こうに見える<世界樹>をぼんやり眺めながら、そう思った。
しばらく長椅子に腰かけていると、さっきより外が暗くなってきてハッとした。
そろそろ、夕食の準備が始まる時間だ。
急いで孤児院のダイニングに行くと、ユアンとリリィが院長の手伝いをしていた。ダイニングテーブルではライルとアリスが一緒に本を読んでいて、ルークはまだ戻っていないようだった。
「ああ、ユイ!丁度いいところに来てくれたわ」
「遅くなってすみません。どうかしましたか?」
「実は、まだパンが届いていないのよ。いつもならサラがもう来てる時間なんだけど…」
「じゃあ僕、店まで取りに行ってきます」
「気を付けてね。雨も降りそうだし」
今にも雨が降りだしそうな空を見ながら、僕はトミーさんの店に急いだ。以前ルークと一緒に来たときも、この時間は店の扉は閉まっていたから、迷うことなく裏口に向かう。そして建物の角に差し掛かったとき、ふと話し声が聞こえてきて足を止めた。
この声……サラ?誰かと話してる…?
裏口はすぐそこだが、出ていって話の腰を折るのも気が引ける。しばらく待とうかと思っていた矢先、話し声が聞こえなくなった。
……終わったかな?
角からそっと覗いてみると、誰かと抱き合っている長い茶髪の後ろ姿が見えた。…サラだ。
相手の男性に目を向けると、……長身で銀色の髪と、空のような青い瞳をしていた。
………ルー…ク…?
あまりの衝撃に、息が止まった。
二人は抱きしめ合う身体を少し離すと、次は口づけを交わし始めた。角度を変えながら徐々に深くなっていくそれは、見たくもないのに、僕の目を釘付けにして離さなかった。
雨が降り始めるとようやくふたりは唇を離して、寄り添いながら裏口から中に入っていった。
二人が視界から消え、身体がやっと動くようになった僕は、孤児院に向かって息を切らしながらがむしゃらに走った。しかし、孤児院までもう少しというところで、石に躓いて転んでしまった。呼吸をするのに精一杯で、何とか身体は起こせたものの、足に力が入らず立ち上がることができなかった。
そうして、しばらく雨に打たれながら俯いて座り込んでいると、誰かが声を掛けてきた。
「ユイ?どうしたんだ!?」
「………アラン?」
顔を上げると、そこには傘を傾けて心配そうに見つめる、アランの姿があった。
「あっ……、ちょっと…転んじゃって……」
「立てるか?濡れてるし、早く中に入った方がいい」
「うん…大丈夫。すぐに、立つから」
「……いや、じっとしてろ」
アランがいきなり僕の身体を抱き上げ、孤児院に向かって足早に歩を進めた。
「わっ、ちょっ…、アラン!」
「動けないんだろ?こうする方が早い」
孤児院の玄関先に着くと、アランは僕を降ろして「待ってろ」とだけ言い残して中に入っていった。そしてすぐに、タオルを抱えた院長を連れて戻ってきた。
「ユイ!?大丈夫?怪我したの!?」
「あっ、あの!ちょっと転んだだけなんで…」
「でも座り込んでたって……。それに、こんなに濡れてるじゃない!アラン、この子を浴室まで抱えていってちょうだい」
院長は僕の頭にタオルを被せながら、アランに指示した。するとアランは、僕の制止も聞かず、再び僕を抱き上げて浴室へとズンズン進んでいった。脱衣所に入ると、そこに置いてあった椅子に僕をそっと降ろしてくれた。
「……大丈夫か?」
「…うん……」
「とりあえず、身体を温めろ。少しは気分が良くなる」
そう言って出て行こうとするアランを、慌てて呼び止めた。
「あっ、アラン!」
「ん?」
「あの…、ありがとう。……いろいろ」
アランはを踵を返して戻ってくると、僕の頭をぐしゃぐしゃに撫でながら笑った。
「…なんかあったら呼べ。話くらい、聞いてやる」
「……うん」
そしてアランは出ていき、脱衣所はしんと静まり返った。さっき目にした、ルークとサラのやり取りが頭から離れない。長衣を脱ごうとしても、視界がぼやけ、手が震えて思うようにいかなかった。
ようやく服を脱ぎ終えてシャワーを全身に浴びると、目に滲んだものが、お湯か涙か分からなくなった。
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