「水を守る」~叔母さんと二人の少女(水シリーズ①)

小原ききょう(TOブックス大賞受賞)

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二人の少女の行方

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「仁美ちゃん、私、ちゃんと学校行くから、アパートの前で待つのんだけはやめて」
 次の日の朝、胸騒ぎがしてアパートの前で待っていた私を悠子は責めた。
「わかった、わかった。気になって、来てしもうたんや・・それで昨日はなんもなかったん?」悠子はアパートの前で私が待つのをすごく嫌がる。
「何もあらへん」悠子は首を強く横に振る。
 何もないはずはない。
 悠子は間違ったことは言わないけれど、悠子の言うことは嘘ばかりだ。
 確かに昨日の晩はあの男の怒鳴る声と悠子のお母さんの声が聞こえた。
「嘘ついてへんか?」
「嘘ついてへん。ドラマだって、みんなと一緒に見たし」
「本当? 神様に誓える?」
「うん、誓える」悠子の顔が苦しそうだ。
 たぶん、私たちは死んでも天国には行けない。
「仁美ちゃん、私にかまっとったら、クラスののけ者になるよ。前みたいに清田さんたちと仲良くしてちょうだい」
 悠子は歩きながらそう言った。
「私は悠子といる時が一番楽しいねん」
 本当にそうだ。友達なんていらない。
「そんなわけないやん、仁美ちゃんこそ嘘つきや」
「私は嘘なんてつかへん」
「私もつかへん」
 もし悠子がこれから先もずっと嘘をつき続けて地獄に連れて行かれるというのなら、私は一緒について行く。



「悠子、昨日、晩ご飯、ちゃんと食べたん?」
 アパートから少し離れた場所で仁美ちゃんは毎朝決まったように私に訊ねる。
 その質問が私にとってはすごく辛いものだとわかってはいても訊かれるとちょっと安心する。私は仁美ちゃんにまだ見捨てられていない・・そう思える。
「うん、食べた」
 嘘だった。
 食べたけど、ちゃんとではない。仁美ちゃんは前に「嘘をつく子は嫌いだ」と言っていたことがある。
「悠子のお母さん、ご飯をちゃんと作ってくれるの?」
「作るよ。すごく美味しい」
 上手なのは嘘ではない。昔はきちんと作ってくれていたし、本当に美味しかった。
「信じられへん」
 昨日の夜は給食のパンだけだったけど、その前はお母さんが居間に呼んでくれて三人でご飯を食べた。お味噌汁もあった。
 その日、あの男はいなかった。パチンコで勝ったらしくどこかに遊びに行ってしまったようだった。パチンコで勝つと男は機嫌がよくなるらしくてお母さんも喜んでご飯を私の分も用意してくれる。でもあの男が出て行ったまま帰ってこないとまた不機嫌になる。不機嫌になると私に八つ当たりをする。
 でもお母さんは悪くない。お母さんは本当は優しい。
「悠子のお母さん、あんな男に夢中になって」
 お母さんはあの男に夢中なんかではない。きっと寂しいだけなんだ。
「『あんな男って』・・あんまり私のお母さんを悪く言うのやめて」
 どうして私は仁美ちゃんにいつも反抗的な態度をとってしまうのだろう。
「お母さんを悪く言うてるんちゃうよ、あの男のことや。この前あの男の悪い噂聞いたよ」
 あの男は私かて嫌いや、でもそんなこと仁美ちゃんにもお母さんにも言われへん。
 だってお母さんは支えてくれる人が他におらへんのんや。
「あの人を悪く言うたらお母さんを悪く言うてるんと同じや。あの男かて、お母さんがちゃんと選んだ人やから間違いないねん」
 仁美ちゃんは私のこと心配して言ってくれてるのに私はいつも反抗してしまう。
「それ、悠子のお母さん、絶対間違ってるわ」
 そう続けて言う仁美ちゃんに私は我慢できなくなった。
「だから仁美ちゃん、お母さんのこと悪く言わんといてっ」
 私は思わず大きな声をだしてしまった。仁美ちゃんに嫌われる。
「それに毎日毎日、昨日ご飯食べたんか、食べたんかって、私を馬鹿にしてるわっ」
 完全に嫌われた。
 こんなこと言わなきゃよかった。後悔しても遅い。
「悠子・・」
 仁美ちゃんの声が小さくて聞こえないよ。
「仁美ちゃん、ごめんなさい」
 謝っても、もう遅いことはわかっている。
「そやかて、私は悠子が心配で」
 仁美ちゃんの声がどんどん小さくなる。仁美ちゃん、本当にごめんなさい。
「お母さん、本当はすごく優しい人やねん」謝りながらもそれだけは言った。
 仁美ちゃん、こんな私を嫌わんといて、見捨てんといてちょうだい。
「はい、悠子、これ、絆創膏、また怪我してるやん」
 仁美ちゃんが私の擦り剥いた肘を見て絆創膏を二つ差し出した。
「こっちは指の方に使って」
 この前、仁美ちゃんにもらった指の絆創膏はとっくに剥がれていた。
「ありがとう、仁美ちゃん」私は差し出された絆創膏を受け取った。
「悠子、ごめんね、いつも学校ではつらくあたって」
 仁美ちゃんは委員のことを言っているのかな?
「かまへんよ、仁美ちゃんの気持ち、ようわかってるから」
 私は仁美ちゃんにまだ見捨てられていないけれど、私には仁美ちゃんにしてあげられることが何一つない。
 以前、仁美ちゃんのお父さんの会社が危ないって聞いた話も私には遠い世界の話。
 そう、仁美ちゃんのお父さんは私には遠すぎる。
 遠すぎて私には何の関係もない・・



 今日は夏休みの間にある登校日だった。
「悠子、もうすぐお祭りやね」
 私は悠子と学校に向かっていた。
 悠子に言われたとおりアパートから少し離れた所で待ち合わせをした。
「うん、そうやね。私はあんまり関係ないけど」
 つまらない話題をだしてしまった。
「でも行ったらサイダーもらえるらしいよ。先着順らしいけど」
「私、走るん遅いから」
「安心して、サイダーは悠子の分も私が絶対取ってくるから」と言おうとしたけど、悠子の場合、首を振って「そんなん無理してまでいらへん」と言いそうだからやめた。
「それにしてもなんでこんなに暑いんやろ、髪の毛がもうべっとり」
 髪を触りながら話題を変えようとして、私はまたどじったことに気づいた。
 悠子の髪はべっとりどころではない。
「悠子、ごめん、今日は一緒にお風呂屋さん行こ。今日は安い日や」
 夏の間は毎日でも悠子を銭湯に連れて行きたかった。それくらいのお小遣いならある。けれど悠子は私の誘いのほとんどを断る。
「うん、ええよ、仁美ちゃん、私もちょうど行きたかったところ。お風呂屋さんの前で待ってる」
 今日は悠子は断らなかった。少し、悠子の笑顔が見れてほっとする。
「でも石鹸の匂いさせて家に帰れんから、おうちに帰るまでに汗かいておく」
「そんなことせんでええやん」
「あかんよ、この前だって悠子ちゃん、私に香水かけたし、あの時だって家に帰った時・・」 そう言いかけて悠子は口ごもった。
 悠子の家に住む人たちは悠子以外、私とは何の縁もゆかりもない人たちだ。
 どうしてそんな人たちに気を使って悠子とお風呂屋さんに行かなくてはならないのだろう。
 でも、もっと大人になったら言いたいことも言えるようになる。
 悠子だって私が変えてみせる。二学期に入ったら絶対に悠子を何かの委員にさせる。それが悠子の第一歩だ。
 いつか私たちは堂々と二人でこの町を歩いてみせる。

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