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銭湯①
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◆
湯気が立ち込める中で僕は思考を巡らせていた。
なぜ僕はビー玉を買って香山さんや小川さんの家に行ったのだろう。彼女たちも理解に苦しんだに違いない。きっと今もそう考えていることだろう。
彼女たちと何かで繋がりたかったのだろうか?
僕はこんなビー玉のようなもので人の関係を繋げておきたかったのだろうか?
でも何かで繋いでおかないとみんな流れ出してしまいそうな気がした。
放っておくと、みんな大きな川に溺れて流れ出し河口に流れ着いた時にはみんなバラバラになって、そのまま深い海の中に沈んでしまいそうな気がした。
海の中はとても深くてお互いのことなど顔も体もわからなくなって誰にも助けられない。 僕のしていることは正しいことなのだろうか?
そんなことを考えながらブクブクと僕は銭湯の湯船の中に頭まで浸からせ体を沈ませた。 周りの人の声が遠くに聞こえた。上を見上げると水面がゆらゆらとしているのがわかった。こんな風に沈んでしまったら人の声も届かなくなる。息もできずそのうちに死んでしまう。そう考えていたら怖くなった。
遠くで「陽ちゃーんっ!」と言う声が聞こえた。周りの大人たちのどんな声よりも大きく聞こえた。
僕は湯船から顔を出し、ぷはーっと大きく息を吐きそのまま上半身まで出した。勢いよく出たのでお湯がざぶんざぶんと揺れた。
叔母さんが隣の女湯から大きな声で呼んでいたのだった。叔母さんが呼んだのは「もうすぐ出るよ」という合図だ。
今日は父と来ずに叔母さんと一緒に銭湯に来ていた。叔母さんは休憩所にあるピンボールをしたかったらしい。新しいピンボール台が入ったのだ。
浴槽から出て歩き出すと頭が揺れている感じがして足元がぐらつく。
お風呂ではあまり難しいことは考えない方がいい。母に言われていたことを思い出した。
浴槽の中では同じ年くらいの男の子がまだ浸かっていた。お湯が揺れても動じず目を瞑って気持ちよさそうにしている。
さっきまで僕が色々考えていたのが愚かしく思えるほどの何も考えていないような顔だった。あんな風に生きていれば余計なことは考えずに済むのだろうか?
そう勝手に考えながら脱衣所で着替え叔母さんの待っている休憩所に行くと、叔母さんは大きな扇風機の前に腰掛け扇風機の風にあたりながら髪を乾かしているところだった。
錆びた扇風機の機械の薄汚れた羽と叔母さんのふわりとした黄色のワンピースが対照的だった。
「陽ちゃん、顔が真っ赤っ」
僕が頭までお湯に浸かっていたのを知られたようで少し恥ずかしかった。
「そんな陽ちゃんには、はい、これっ!」
叔母さんは脇のテーブルに置いてあったフルーツ牛乳を僕の目の前に差し出した。
フルーツ牛乳を手に取ると瓶はよく冷えていて周りに水滴がたくさん付いている。
その冷たい感触を熱くなった頬や腕にあてたりして楽しんだ。叔母さんの顔の向こうから流れてくる風で熱くなった顔を冷ました。
叔母さんも自分の分のコーヒー牛乳を飲み始めた。喉をコーヒー牛乳が通っていくのが一目で分かるほど気持ちいい飲み方だった。
叔母さんは飲みかけのコーヒー牛乳をテーブルに置くと「陽ちゃんはアイスクリームの方がよかったかな?」と訊ねた。
僕は首を横に振りながら「これの方がええ」と答えてフルーツ牛乳を飲み始めた。
でもアイスクリームも食べたかった。アイスクリームなんて家で食べることはまずないからだ。叔母さんの家で食べたきり食べていない。
「あとで一緒にピンボールしようね」叔母さんはやる気満々のようだ。
叔母さんに答えようとした時、背後で男の声がした。
「この前はすまんかったなあ」
振り返ると、あのバイクのおっさんだった。
「すまんすまん、くつろいでるのに急に話しかけたりして」
バイクのおっさんじゃなくて銭湯のおっさんだ。
「そちら、お姉さんかいな?」
叔母さんはすかさず「叔母です」と微笑みながら答えた。
おっさんは叔母さんに軽く会釈をした。叔母さんもこくりと会釈をした。
「君の名前、聞いてなかったなあ・・陽一くん、やったかいな」
「村上陽一です」誰から僕の名前を聞いたんだ?
叔母さんは涼みながら僕とおっさんを見ている。おそらくどういう関係かわからないからだろう。いや、関係なんてそもそもない。
「陽一くんに言うとかな、と思うてな」
叔母さんは飲みかけのコーヒー牛乳を飲みだした。おそらく僕たちに気をつかっているのだろう。
「香山のお嬢さんから話を聞いたんや。ビー玉はお嬢さんが預かるって言うとったわ」
お嬢さんって、香山さんのこと?
おっさんは続けて話す。おっさんの腹が目の前で揺れている。
「文哉くんがトシオの奴から取り戻してくれたと思うたら、君の手に渡ってたんやなあ」
叔母さん、ピンボールするの、もうちょっと待ってて。僕、このおっさんの話を聞きたい。
「あの、香山さんのことですか? それとおじさんの名前は?」
近くで見ると誰かに似ている。
「わしか、すまん、すまん。名乗ってへんかったな。わしは藤田、藤田五郎。息子とはクラスも違うから全然わからんわなあ。風呂に同じ年頃の男の子おらなんだか? あれ、わしの息子や」
ああ、あの風呂に何時間でも浸かれるっていう強心臓の・・道理で。
「それで香山さんは何て言ってましたか?」
僕はあれからずっと香山さんに聞きたかった。
「『悠子に渡せるようになるまで、私が持っとく』と言うとった。香山のお嬢さんはええ子や」
よかった・・それにしても、一体このおっさんは何者なんだ?
「香山さんのお嬢さん、わしが悠子を見とらんでも、いっつもきっちり見てくれるんや。あんなええ子、他におらんで」
叔母さんはテーブルに置いてある週刊誌の頁を片手でぱらぱらとめくっている。
湯気が立ち込める中で僕は思考を巡らせていた。
なぜ僕はビー玉を買って香山さんや小川さんの家に行ったのだろう。彼女たちも理解に苦しんだに違いない。きっと今もそう考えていることだろう。
彼女たちと何かで繋がりたかったのだろうか?
僕はこんなビー玉のようなもので人の関係を繋げておきたかったのだろうか?
でも何かで繋いでおかないとみんな流れ出してしまいそうな気がした。
放っておくと、みんな大きな川に溺れて流れ出し河口に流れ着いた時にはみんなバラバラになって、そのまま深い海の中に沈んでしまいそうな気がした。
海の中はとても深くてお互いのことなど顔も体もわからなくなって誰にも助けられない。 僕のしていることは正しいことなのだろうか?
そんなことを考えながらブクブクと僕は銭湯の湯船の中に頭まで浸からせ体を沈ませた。 周りの人の声が遠くに聞こえた。上を見上げると水面がゆらゆらとしているのがわかった。こんな風に沈んでしまったら人の声も届かなくなる。息もできずそのうちに死んでしまう。そう考えていたら怖くなった。
遠くで「陽ちゃーんっ!」と言う声が聞こえた。周りの大人たちのどんな声よりも大きく聞こえた。
僕は湯船から顔を出し、ぷはーっと大きく息を吐きそのまま上半身まで出した。勢いよく出たのでお湯がざぶんざぶんと揺れた。
叔母さんが隣の女湯から大きな声で呼んでいたのだった。叔母さんが呼んだのは「もうすぐ出るよ」という合図だ。
今日は父と来ずに叔母さんと一緒に銭湯に来ていた。叔母さんは休憩所にあるピンボールをしたかったらしい。新しいピンボール台が入ったのだ。
浴槽から出て歩き出すと頭が揺れている感じがして足元がぐらつく。
お風呂ではあまり難しいことは考えない方がいい。母に言われていたことを思い出した。
浴槽の中では同じ年くらいの男の子がまだ浸かっていた。お湯が揺れても動じず目を瞑って気持ちよさそうにしている。
さっきまで僕が色々考えていたのが愚かしく思えるほどの何も考えていないような顔だった。あんな風に生きていれば余計なことは考えずに済むのだろうか?
そう勝手に考えながら脱衣所で着替え叔母さんの待っている休憩所に行くと、叔母さんは大きな扇風機の前に腰掛け扇風機の風にあたりながら髪を乾かしているところだった。
錆びた扇風機の機械の薄汚れた羽と叔母さんのふわりとした黄色のワンピースが対照的だった。
「陽ちゃん、顔が真っ赤っ」
僕が頭までお湯に浸かっていたのを知られたようで少し恥ずかしかった。
「そんな陽ちゃんには、はい、これっ!」
叔母さんは脇のテーブルに置いてあったフルーツ牛乳を僕の目の前に差し出した。
フルーツ牛乳を手に取ると瓶はよく冷えていて周りに水滴がたくさん付いている。
その冷たい感触を熱くなった頬や腕にあてたりして楽しんだ。叔母さんの顔の向こうから流れてくる風で熱くなった顔を冷ました。
叔母さんも自分の分のコーヒー牛乳を飲み始めた。喉をコーヒー牛乳が通っていくのが一目で分かるほど気持ちいい飲み方だった。
叔母さんは飲みかけのコーヒー牛乳をテーブルに置くと「陽ちゃんはアイスクリームの方がよかったかな?」と訊ねた。
僕は首を横に振りながら「これの方がええ」と答えてフルーツ牛乳を飲み始めた。
でもアイスクリームも食べたかった。アイスクリームなんて家で食べることはまずないからだ。叔母さんの家で食べたきり食べていない。
「あとで一緒にピンボールしようね」叔母さんはやる気満々のようだ。
叔母さんに答えようとした時、背後で男の声がした。
「この前はすまんかったなあ」
振り返ると、あのバイクのおっさんだった。
「すまんすまん、くつろいでるのに急に話しかけたりして」
バイクのおっさんじゃなくて銭湯のおっさんだ。
「そちら、お姉さんかいな?」
叔母さんはすかさず「叔母です」と微笑みながら答えた。
おっさんは叔母さんに軽く会釈をした。叔母さんもこくりと会釈をした。
「君の名前、聞いてなかったなあ・・陽一くん、やったかいな」
「村上陽一です」誰から僕の名前を聞いたんだ?
叔母さんは涼みながら僕とおっさんを見ている。おそらくどういう関係かわからないからだろう。いや、関係なんてそもそもない。
「陽一くんに言うとかな、と思うてな」
叔母さんは飲みかけのコーヒー牛乳を飲みだした。おそらく僕たちに気をつかっているのだろう。
「香山のお嬢さんから話を聞いたんや。ビー玉はお嬢さんが預かるって言うとったわ」
お嬢さんって、香山さんのこと?
おっさんは続けて話す。おっさんの腹が目の前で揺れている。
「文哉くんがトシオの奴から取り戻してくれたと思うたら、君の手に渡ってたんやなあ」
叔母さん、ピンボールするの、もうちょっと待ってて。僕、このおっさんの話を聞きたい。
「あの、香山さんのことですか? それとおじさんの名前は?」
近くで見ると誰かに似ている。
「わしか、すまん、すまん。名乗ってへんかったな。わしは藤田、藤田五郎。息子とはクラスも違うから全然わからんわなあ。風呂に同じ年頃の男の子おらなんだか? あれ、わしの息子や」
ああ、あの風呂に何時間でも浸かれるっていう強心臓の・・道理で。
「それで香山さんは何て言ってましたか?」
僕はあれからずっと香山さんに聞きたかった。
「『悠子に渡せるようになるまで、私が持っとく』と言うとった。香山のお嬢さんはええ子や」
よかった・・それにしても、一体このおっさんは何者なんだ?
「香山さんのお嬢さん、わしが悠子を見とらんでも、いっつもきっちり見てくれるんや。あんなええ子、他におらんで」
叔母さんはテーブルに置いてある週刊誌の頁を片手でぱらぱらとめくっている。
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