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男との対峙
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◆
僕が無茶苦茶言っているのはわかっていた。
でも「香山さんをお祭りに誘ってあげて」小川さんにそう言うことが今日ここに来た理由だった。目の前の小川さんは可哀相なくらいに何かに怯えている。やっぱりこんなこと言うべきじゃなかった。
「村上くん、やっぱり今日は帰って、また改めて話を聞くから」
そう言うだろうと思っていた。でも小川さんは僕から何かを聞きたがっている、けれどできない。痛いほどそれが伝わってくる。
僕は小川さんに変わって欲しかった。
僕は彼女とは赤の他人だけど、そう願ってここに来た。
香山さんが小川さんに委員になって欲しい、と思ったことと同じように。
小川さんがドアが開けられないように力を入れていても女の子の力が大人にかなうはずがなかった。ドアが勢いよく開けられ中からあの男が出てきた。
煙草やお酒、他にも色んな匂いがドアの向こうからドッと噴き出る。
「ひょっとしておまえ、トシオを殴った奴か。悠子、大人しい顔して男を垂らしこんだんかっ」男は僕と小川さんの顔を見ながらしきりに喚きたてた。
男は文哉くんと僕とを勘違いしてる。でもどっちでもいい。目の前にあるのは忘れなくなりそうな醜い大人の顔だった。
「悠子、ほんまか?」あのシュミーズの女、いや、小川さんのお母さんまで出てきた。
「お母さん、私、何のことかわからへん」
ごめん、小川さん、お母さんのこと悪く言いたくないけど、この状況では娘の味方をして欲しい。
このまま僕が帰ったら、あとで小川さんがひどい目に合わされる気がした。
「そのトシオくんって言う子、誰かのもの盗ったんとちゃいますか、それで」
僕がそう言った次の瞬間。男が僕の首を片手で掴んだ。
「トシオが顔が痛い、痛い言うとんや、お前もおんなじ目にしたろかっ」
お酒と煙草の匂いがムッとした。気持ちが悪い。男が僕の首を掴んだままぐいぐいと右に左にと揺さぶる。苦しい、息が出来ない。
僕はなんてことをとっさに言ったんだろう。あんなこと言ったら男が逆上するに決まっている。
「やめてっ」小川さんが叫んでいるのが聞こえた。
なんて嫌な男なんだろう。どうしてこんな奴が僕の町に住んでいるんだ?
広場で子供たちが遊んでいる声が聞こえる。大勢の大人たちの声もした。
時間がゆっくり流れているようだった。暑さが感じられなくなった、けれど喉がカラカラに渇いて水が飲みたかった。水道水ではなくてもっと違う水を体が欲していた。
「あんたっ、みんな見てるっ」小川さんのお母さんが男に言った。
男が手を離した。一瞬で僕の首を空気が通った。
僕の後ろでアパートの人たちが出てきて見ているのがわかった。
このアパートってこんなにたくさん人がいたんだ・・それほどの数だった。
親子連れ、杖をついた年寄り、若い夫婦のような男女、遊んでいると思っていた子供たちの声は好奇の目をこちらに向けている子供たちの声だった。
小川さんの家の同じ階の人たちもドアから顔を出してこちらをじっと見ている。
このアパートに訪れたことのない喧騒がアパートを覆っている感じがした。
男は「ちっ」と舌打ちをしてアパートの外に出て行った。
「あんたっ」小川さんのお母さんが呼び止める大きな声がしたが男はその声を無視した。 パチンコに行くのだろうか? お母さんも近所の目を気にして、それ以上何も言わなかった。
「村上くん! 大丈夫?」
小川さんが声を出した。駄菓子屋さんに居る時みたいに大きな声だった。近所の人たちは興味が失せはじめたのか、それぞれの場所に戻りだしている。
「首が痛い」僕は首を押さえたまま笑った。
「あんた、いったい、何の用事やったんや」
小川さんのお母さんが腕を組んで言う。男がいた時とは違う表情をしていた。
「小川さんをお祭りに誘いに来ました。他にも僕の友達や親戚の人がいます」
少しだけ嘘をついた。小川さんにも僕の嘘はわかったはずだ。
「あんたが敏男を殴ったんちゃうのは見たらわかるわ」
そう言った小川さんのお母さんは少し笑っている。ひょっとしたら、小川さんはお母さんと二人きりだったら案外上手くやっていけるのではないだろうか?
「僕は殴っていません」
僕の返事に小川さんのお母さんは深い溜息をつくと、小川さんの方を振り返り、
「悠子、お祭り、行ってきたらええやん。悠子がおらん方が家の中、平和でええわ」と言った。どんな表情で言ったのだろうか?
「お母さん・・お祭り、行ってええの?」
小川さんの頭の中にはお祭りに行けることと、お母さんに言われた残酷な言葉がきっと渦巻いているのだろう。
「何べんも言わすんやないで。かまへん、行ってき」
小川さんは泣いているのか喜んでいるのかわからないような表情を見せた。
「小川さん、僕、帰るわ。絶対香山さんを誘って来てな」僕がそう言うと小川さんは小さく頷いて「村上くん、なんか一生懸命やね」と微笑みを浮かべた。
こんな顔もできるんだ、ここに来た甲斐があったと僕は少し嬉しくなった。
「村上くんは誰とお祭り行くの?」
小川さんのお母さんは家の中に入って行った。
「たぶん、叔母さんと」
「ああ、あのお姉さんみたいな・・」
小川さんは僕の叔母さんの顔を思い出したように少し笑った。
僕が無茶苦茶言っているのはわかっていた。
でも「香山さんをお祭りに誘ってあげて」小川さんにそう言うことが今日ここに来た理由だった。目の前の小川さんは可哀相なくらいに何かに怯えている。やっぱりこんなこと言うべきじゃなかった。
「村上くん、やっぱり今日は帰って、また改めて話を聞くから」
そう言うだろうと思っていた。でも小川さんは僕から何かを聞きたがっている、けれどできない。痛いほどそれが伝わってくる。
僕は小川さんに変わって欲しかった。
僕は彼女とは赤の他人だけど、そう願ってここに来た。
香山さんが小川さんに委員になって欲しい、と思ったことと同じように。
小川さんがドアが開けられないように力を入れていても女の子の力が大人にかなうはずがなかった。ドアが勢いよく開けられ中からあの男が出てきた。
煙草やお酒、他にも色んな匂いがドアの向こうからドッと噴き出る。
「ひょっとしておまえ、トシオを殴った奴か。悠子、大人しい顔して男を垂らしこんだんかっ」男は僕と小川さんの顔を見ながらしきりに喚きたてた。
男は文哉くんと僕とを勘違いしてる。でもどっちでもいい。目の前にあるのは忘れなくなりそうな醜い大人の顔だった。
「悠子、ほんまか?」あのシュミーズの女、いや、小川さんのお母さんまで出てきた。
「お母さん、私、何のことかわからへん」
ごめん、小川さん、お母さんのこと悪く言いたくないけど、この状況では娘の味方をして欲しい。
このまま僕が帰ったら、あとで小川さんがひどい目に合わされる気がした。
「そのトシオくんって言う子、誰かのもの盗ったんとちゃいますか、それで」
僕がそう言った次の瞬間。男が僕の首を片手で掴んだ。
「トシオが顔が痛い、痛い言うとんや、お前もおんなじ目にしたろかっ」
お酒と煙草の匂いがムッとした。気持ちが悪い。男が僕の首を掴んだままぐいぐいと右に左にと揺さぶる。苦しい、息が出来ない。
僕はなんてことをとっさに言ったんだろう。あんなこと言ったら男が逆上するに決まっている。
「やめてっ」小川さんが叫んでいるのが聞こえた。
なんて嫌な男なんだろう。どうしてこんな奴が僕の町に住んでいるんだ?
広場で子供たちが遊んでいる声が聞こえる。大勢の大人たちの声もした。
時間がゆっくり流れているようだった。暑さが感じられなくなった、けれど喉がカラカラに渇いて水が飲みたかった。水道水ではなくてもっと違う水を体が欲していた。
「あんたっ、みんな見てるっ」小川さんのお母さんが男に言った。
男が手を離した。一瞬で僕の首を空気が通った。
僕の後ろでアパートの人たちが出てきて見ているのがわかった。
このアパートってこんなにたくさん人がいたんだ・・それほどの数だった。
親子連れ、杖をついた年寄り、若い夫婦のような男女、遊んでいると思っていた子供たちの声は好奇の目をこちらに向けている子供たちの声だった。
小川さんの家の同じ階の人たちもドアから顔を出してこちらをじっと見ている。
このアパートに訪れたことのない喧騒がアパートを覆っている感じがした。
男は「ちっ」と舌打ちをしてアパートの外に出て行った。
「あんたっ」小川さんのお母さんが呼び止める大きな声がしたが男はその声を無視した。 パチンコに行くのだろうか? お母さんも近所の目を気にして、それ以上何も言わなかった。
「村上くん! 大丈夫?」
小川さんが声を出した。駄菓子屋さんに居る時みたいに大きな声だった。近所の人たちは興味が失せはじめたのか、それぞれの場所に戻りだしている。
「首が痛い」僕は首を押さえたまま笑った。
「あんた、いったい、何の用事やったんや」
小川さんのお母さんが腕を組んで言う。男がいた時とは違う表情をしていた。
「小川さんをお祭りに誘いに来ました。他にも僕の友達や親戚の人がいます」
少しだけ嘘をついた。小川さんにも僕の嘘はわかったはずだ。
「あんたが敏男を殴ったんちゃうのは見たらわかるわ」
そう言った小川さんのお母さんは少し笑っている。ひょっとしたら、小川さんはお母さんと二人きりだったら案外上手くやっていけるのではないだろうか?
「僕は殴っていません」
僕の返事に小川さんのお母さんは深い溜息をつくと、小川さんの方を振り返り、
「悠子、お祭り、行ってきたらええやん。悠子がおらん方が家の中、平和でええわ」と言った。どんな表情で言ったのだろうか?
「お母さん・・お祭り、行ってええの?」
小川さんの頭の中にはお祭りに行けることと、お母さんに言われた残酷な言葉がきっと渦巻いているのだろう。
「何べんも言わすんやないで。かまへん、行ってき」
小川さんは泣いているのか喜んでいるのかわからないような表情を見せた。
「小川さん、僕、帰るわ。絶対香山さんを誘って来てな」僕がそう言うと小川さんは小さく頷いて「村上くん、なんか一生懸命やね」と微笑みを浮かべた。
こんな顔もできるんだ、ここに来た甲斐があったと僕は少し嬉しくなった。
「村上くんは誰とお祭り行くの?」
小川さんのお母さんは家の中に入って行った。
「たぶん、叔母さんと」
「ああ、あのお姉さんみたいな・・」
小川さんは僕の叔母さんの顔を思い出したように少し笑った。
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