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呼び鈴
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◇
私の家の呼び鈴はめったにならない。
この前、村上くんが来て、それから集金の人が何度か来たくらいだ。
でも今日は藤田のおじさんが来る予定・・私の誕生日だからだ。
今晩は三人でお母さんが買ってきたケーキを食べる。
家の中はすっかりお母さんと私の持ち物だけになった。綺麗に片付いている。
あっ、呼び鈴が鳴った。
藤田のおじさん、少し早いな、と思いながらドアを開けた。
あ・・藤田のおじさんじゃなかった・・
ドアの向こうに立っていたのは、仁美ちゃんのお父さん、いや、私のお父さんだった。
またお父さんに会えた・・二回目だ。これはきっと神様のくれたプレゼントだ。
神社でのお祈りが効いたのだろうか?
でも、そもそもどうして私は神社に行ったのだろう?
思い返せば、そのきっかけをくれたのは村上くんだった。
村上くんが、仁美ちゃんをお祭りに誘って一緒に行け、と言ってくれたからだ。
彼って一体何者なの?
「あの・・お母さんに用事ですか?」
私は恐る恐るお父さんに訊ねた。
「いや、悠子に会いに来た」
今、確かにお父さんは私のことを「悠子」と呼んだ。
「これ、誕生日のケーキだ」
お父さんは私の方へ小さな白い箱を差し出した。
「悠子、誕生日おめでとう」
それはお父さんの言葉が私の心に深く刻み込まれた瞬間だった。
私が顔を熱くしていると「ケーキ、多分、だぶるよな。お母さんが用意してくれてるだろうから、新しい洋服の方がよかったかな・・」
お父さんは申し訳なさそうにしている。
「かまいません。私、食べます、全部食べます」
ああ、神様はいつだって二つくれる。お父さんも誕生日もケーキも二つ。
「一年に一度くらい、お父さん、ここに来てもいいか?」
私は頷くと「お父さん、お父さんっ」と生まれて初めて口にしたその名を何度も何度も繰り返し呼んだ。
泣いている顔を見られたくなくて私は両手で顔をふさいだ。
気がつくと私の体はお父さんの大きな両手に引き寄せられていた。
その瞬間、あの高台はもう私にとって「特別の国」ではなくなった。
あそこは私のお父さんのいる場所だ。
◆
木枯らし一番が吹いて、上着を着込んでも肌寒い季節になった。
僕はあれからあのアパートの前を何度も通った。
そして、僕はその女の人を一度だけ見たことがある。その人は二つのアパートの間の広場に立っていた。
あれは、おそらく小川さんのお母さんだ。おそらく・・と思ったのは女の人は高台の方を向いていて僕の位置からは見えないからだ。でもあの人はきっと、小川さんのお母さんだ。
もちろんシュミーズ姿などではなく、これからどこか勤めに行くのだろうか、きっちりとした服装をしている。
そして、小川さんのお母さんは高台の方を一度だけ見上げると数秒間深々と頭を下げた。
砂場で遊んでいる子供たちが女の人を不思議そうに見上げている。高台の香山さんの家の南側には大きな家がもう出来ていた。おそらくもっと金持ちの家なのだろう。
アパートと高台とを仕切るようなコンクリートの崖は相変わらずアパートの人にとってはそびえ立っているように見えるけれど、高かった崖が心の中で少し低くなった人たちがここにいることを僕は知っている。
(了)
私の家の呼び鈴はめったにならない。
この前、村上くんが来て、それから集金の人が何度か来たくらいだ。
でも今日は藤田のおじさんが来る予定・・私の誕生日だからだ。
今晩は三人でお母さんが買ってきたケーキを食べる。
家の中はすっかりお母さんと私の持ち物だけになった。綺麗に片付いている。
あっ、呼び鈴が鳴った。
藤田のおじさん、少し早いな、と思いながらドアを開けた。
あ・・藤田のおじさんじゃなかった・・
ドアの向こうに立っていたのは、仁美ちゃんのお父さん、いや、私のお父さんだった。
またお父さんに会えた・・二回目だ。これはきっと神様のくれたプレゼントだ。
神社でのお祈りが効いたのだろうか?
でも、そもそもどうして私は神社に行ったのだろう?
思い返せば、そのきっかけをくれたのは村上くんだった。
村上くんが、仁美ちゃんをお祭りに誘って一緒に行け、と言ってくれたからだ。
彼って一体何者なの?
「あの・・お母さんに用事ですか?」
私は恐る恐るお父さんに訊ねた。
「いや、悠子に会いに来た」
今、確かにお父さんは私のことを「悠子」と呼んだ。
「これ、誕生日のケーキだ」
お父さんは私の方へ小さな白い箱を差し出した。
「悠子、誕生日おめでとう」
それはお父さんの言葉が私の心に深く刻み込まれた瞬間だった。
私が顔を熱くしていると「ケーキ、多分、だぶるよな。お母さんが用意してくれてるだろうから、新しい洋服の方がよかったかな・・」
お父さんは申し訳なさそうにしている。
「かまいません。私、食べます、全部食べます」
ああ、神様はいつだって二つくれる。お父さんも誕生日もケーキも二つ。
「一年に一度くらい、お父さん、ここに来てもいいか?」
私は頷くと「お父さん、お父さんっ」と生まれて初めて口にしたその名を何度も何度も繰り返し呼んだ。
泣いている顔を見られたくなくて私は両手で顔をふさいだ。
気がつくと私の体はお父さんの大きな両手に引き寄せられていた。
その瞬間、あの高台はもう私にとって「特別の国」ではなくなった。
あそこは私のお父さんのいる場所だ。
◆
木枯らし一番が吹いて、上着を着込んでも肌寒い季節になった。
僕はあれからあのアパートの前を何度も通った。
そして、僕はその女の人を一度だけ見たことがある。その人は二つのアパートの間の広場に立っていた。
あれは、おそらく小川さんのお母さんだ。おそらく・・と思ったのは女の人は高台の方を向いていて僕の位置からは見えないからだ。でもあの人はきっと、小川さんのお母さんだ。
もちろんシュミーズ姿などではなく、これからどこか勤めに行くのだろうか、きっちりとした服装をしている。
そして、小川さんのお母さんは高台の方を一度だけ見上げると数秒間深々と頭を下げた。
砂場で遊んでいる子供たちが女の人を不思議そうに見上げている。高台の香山さんの家の南側には大きな家がもう出来ていた。おそらくもっと金持ちの家なのだろう。
アパートと高台とを仕切るようなコンクリートの崖は相変わらずアパートの人にとってはそびえ立っているように見えるけれど、高かった崖が心の中で少し低くなった人たちがここにいることを僕は知っている。
(了)
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