「水の行方」~ 花言葉の裏側で(水シリーズ②)

小原ききょう(TOブックス大賞受賞)

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 智子と二人で歩く、いつもの学校からの帰りだった。四つ角を右に折れると「芦田堂」のある道に出る。すぐに銭湯の煙突が見える。
 けれど、智子の目は煙突なんて見ていなかった。
「芦田堂」の前に誰かいる。同じ小学生の・・あれは川田さんと赤坂さんだ。
「加奈ちゃん、ごめん。これ、持ってて」智子は私にランドセルを持たせると駆け出した。
 私もすぐに追いかけた。あの人たちは何をしているの?

「川田さん、そこで何してるのっ!」
 智子のあんな大きな声を聞いたのは初めてだった。
 通りを行く人がみんな振り向いた。
 川田さんたちは画用紙サイズの白い紙を「芦田堂」のガラスの窓に貼ろうとしているところだった。赤坂さんの手にはまだ何枚か紙がある。

 お店の中には智子の両親のどちらかがいるというのになんてことを。
「なんや、もう帰ってきたわ」二人はそう言って駅の方に走って行った。
 二人は逃げる際に持っていた紙をぱらぱらと道に捨てていった。
 智子のお父さんらしき人が店の中から出てきて「あの子ら、何をしてるんや」と言いながら紙を拾い上げた。
「あいつらの仕業やったんか」
 お父さんは拾い上げた紙を見て言った。
 紙にはそれぞれ違うことが書かれてあった。「芦田堂」の商品の悪口や「町を出て行け」とかどれもひどいものばかりだった。
 これが彼女たちのいじめのやり方なのか。
 智子が前に言っていた変な電話っていうのもあの人たちがしたことだったんだろう。
 近所の人も集まって見ている。おかしな噂が立たなければいいのだけど。
「でも、あの子ら、何でこんなことするんや」
 お父さんは道に散らばった紙を拾い集めだした。私も手伝った。
 智子は白い紙を拾い上げるとびりびりに破って「こんなものっ、こんなものっ」と叫んでいる。破られた紙が道に散らばった。
「智子、ゴミを道に出したらあかん」
 いつも智子が言っていたお父さんだ。それは人生の教訓を智子に何度も教えているお父さんの姿だった。
 お父さんは智子が細切れに破った紙を拾い集めている。
 それを見た智子は道の上だというのに両膝を地面についた。
「智子、しっかりして!」私は叫んだ。
 がくっと全身の力が智子の体から抜けたように見えた。
「ごめんなさいっ、お父さん、ごめんなさいっ」
 そう言いながら智子はお父さんの方を見上げた。
「お父さん、全部、私のせいなんだよっ、私が悪いんだよっ」
 大粒の涙が智子の頬を伝わっていた。
「何で智子が謝るんや。わしはようわからん」
 智子は首を強く横に何度も振った。
「お父さんがずっとやってきたお店なのに、私のせいでなくなっちゃうよっ」
 智子は川田さんたちの悪戯の全部の責任を自分で背負おうとしているのだろうか?
「智子、心配せんでも、こんなことでお店は無くなったりせえへん」
 お父さんは智子の肩を軽く叩いて早く立ち上がるように促している。
「私がおらんかったらよかったんやっ」
 わーっと智子は今までに聞いたことがないような大きな声を上げて泣いていた。
「智子がおらんようになったら、お父さんの方が困るやないか」
 お父さんは本当に困った様子だった。
「智子、そんな大きい声を出さんでも。あの子らの悪戯やって、わかったからかまへん」
「智子、何があったの?」
 智子のお母さんも心配そうにしながら店の中から出てきた。

 誰だろう?
 若い女の人が店の中から出てくると智子のランドセルを私の手からすっと取り上げ智子に負わせた。
「泣いたら可愛い顔が台無しや。家に入る時はランドセルを背負って家の人を安心させるもんよ」
 智子がうんうんと頷いているから知っている人なのだろう。
 智子が立ち上がると、女の人は「ほらっ」と言って智子の背中を優しく押した。
 その人は「芦田堂」の扉の向こうに智子の姿が消えるのを見届けると、向かいの文房具屋さんに入っていった。
「あ、あの、芦田さんのお父さん、お母さん、お時間よろしいですか?」
 私は川田さんたちのイジメをご両親に言わなければいけない。
 私が店内に入る時、智子のお兄さんらしい男の子が道で拾い上げた紙をじっと見続けているのが見えた。



「優美子叔母さん、もう電車を降りて、こっちに向かってるかもしれへんわ」
 僕が学校から帰るなり母がそう言った。
「いつ電話があったん?」
「だいぶ前よ」
 今度来る時に迎えに来てって言ってたのに、叔母さん、何で言うてくれへんのや。
 僕は急いで自転車を出してペダルを踏んだ。

 角を通りの方に曲がると通りの向こうから叔母さんが歩いて来るのが見えた。
「陽ちゃん、来なくてええって、ねえちゃんに言っといたのに」
「だって、叔母さんとの約束やったから」
 叔母さんは片手にレコードを持っている。おそらく「別れの曲」だろう。
 僕は自転車を降りた。
「陽ちゃん、約束のこと覚えてくれて、ありがとう。はい、お土産」
 叔母さんはそう言いながら「芦田堂」の栗饅頭を差し出した。
「これ、そこの店のやんか。立ち寄ったんか?」
「うん。あの店、いろいろあったみたいやけど。それからそこの文房具屋に行って仕事用の方眼紙を買ったりしてたところ」
 叔母さん、こっちで仕事の続きをまたするのか。
「村上くん!」
 石谷さんが「芦田堂」の前にいた。店から出てきたところに僕を見つけたようだった。
「叔母さん、先に帰ってて」
 石谷さんが僕に何か言いたいように感じられたので僕は叔母さんにそう言ったのだけど、ついてきていた。
「さっき、ひどいことがあったの」
 石谷さんの顔は怒りに震えているように見えた。
 石谷さんは川田さんたちが紙を店に貼ろうとしていたことを話し、芦田さんのご両親にいじめのことを話したと言った。
 芦田さん、どんな気持ちで石谷さんの話を聞いていたのだろうか?

「でも、あの子やったら、もう大丈夫よ」
 石谷さんの話が終わると叔母さんはそう断定するように言った。
「何でそんなことわかるんですか?」
 石谷さんの口調が強くなる。
「そやかて、あんな立派なお父さん、それに優しいお兄さんもおるやないの」
 芦田さん、お兄さんがいるのか。
「守ってくれる人が大勢いる人が一番強いのよ」
 叔母さんは僕たちの視線のもっと先を見ているのだろうか。
「逃げて行った子らにはそんな人はおらんみたいやね」
 叔母さん、そんなこと何でわかるんや。
 ああ、でもそうなのかもしれない。人は誰かに守られていないことの不安から守られている人を妬んでいじめたりするものなのかもしれない。
「あの、失礼ですけど、あなたは?」
「私?・・私は陽ちゃんの叔母です」
 叔母さん、いつも答え方が違う。
「あっ、智子から聞いてます・・お姉ちゃんみたいな叔母さんって」
 芦田さん、そんなことを石谷さんに言っていたんだ。
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