「水の行方」~ 花言葉の裏側で(水シリーズ②)

小原ききょう(TOブックス大賞受賞)

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ピアノコンクール②

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 ホール内に長田さんのショパンの練習曲第3番ホ長調「別れの曲」が流れだした。
 その瞬間、技術では私の方が絶対に上だと確信した。
 でも、なに、この音?
 なんて寂しいピアノの音、なんて悲しい「別れの曲」だろう。曲のイメージのせいもあるかもしれないけど、それとはまた違う感じのピアノの音だ。
 ピアノで人を感動させることができるのは単なる技術だけではない。
 技術だけを持っている人ならいくらでもいる。
 内面の感情がピアノの音と譜面と合ってそれがかみ合ってこそ、人を感動させる力が生まれる。
 そして、このピアノの音の寂しさはどうだろう。まだ始まったばかりなのに、このピアノの音には人を引き込む力がある。
 私は長田さんに技術では勝ったと思ったけど、人を感動させる力では完全に負けたと思った。
 おそらく彼女はずっと一人きりでピアノを弾き続けていたのだ。
 一人というのはピアノの教師がいるとかピアノ教室に通っていたとかという問題ではない。誰かに励まされたり、誰かのために、ということだ。
 私には応援してくれたり励ましてくれたりする父や母がいたから頑張れた。今は智子に喜んでもらうためにも弾いている。
 長田さんにはそんな人が一人もいなかったのかもしれない。
 私は運動会の日、教室で長田さんと少し話した時にそう感じた。
 長田さんはおそらく誰かと遊んだことなんて今までになかったのだろう。
 押し花を受け取った多くの女の子たちは配下のようではあったけれど決して友達なんかではなかった。
 運動会で見た騎馬戦のように。
 まわりに大勢の人がいるのに一人きりという現実。
 彼女は私なんかと比べようがないくらいの孤独の中で日々を過ごしていたのかもしれない。孤独が彼女のピアノを人を感動させるものに変えていった。
 ピアノの音がそれが真実だと語っている。

「別れの曲」が中盤にさしかかった。曲調が激しくなる。
 上半身が激しく揺れはじめ金色の髪が舞った。
 私には長田さんの表情までは見えないけれど長田さんの心が見える気がした。
 きっと長田さんは心の中で泣きながらピアノを弾いているのだ。
 私にはあんな風にピアノは弾けない。
 絶対に無理なのだ。ピアノには技術では到達できない領域がある。

 今、わかった気がする。
「他の人が譜面を間違えて弾いてくれたらいいのに」
 長田さんが私にそう言ったのは、その言葉で私に笑って欲しかったからなのだ。
「本当よね」とか言って一緒に笑って欲しかったのだろう。
 何てつまらない冗談だ。
 本当に何て不器用な人なんだろう。
 あんな言い方では普通の人は冗談と本気の区別がつかない。
 あまり人と話したことがないとそんな話し方になってしまう。
 こんな人は一生かかっても友達なんてできっこないだろう。
 少なくとも私は長田さんと友達になることは絶対にできない。
 でも・・

「別れの曲」が終盤を迎え、曲調が元に戻る。
 長田さんはなぜこの曲を選んだのだろう?
 どうして押し花を女の子に配ったりしたのだろう?
 村上くんの話では長田さんは押し花はもらったことを誰にも言わない子には渡していなかった。押し花をもらったことを誰かに言う人にだけ渡していたということだ。
 それは配下を増やすためだと考えていた。なぜ、そんなことを。
 そう考えているうちに「別れの曲」が終わりを告げた。
 いったい審査員の何人が長田さんのピアノの音に感銘を受けたのだろうか?

 そして、順位の発表があった。私は見事に優勝した。
 技術点が一番だったのが勝因だった。
 観客席で父と母がすごく喜んでいるのが見えた。
 長田さんは二位だった。他にも技術の優れた子はいたけれど長田さんが二位になったのは審査が長田さん寄りに動いたせいなのか、と勝手に想像したりした。
 長田さんに比べたら私は遥かに恵まれていた。
 私には応援してくれる優しい両親がいたし、今は智子という唯一無二の友達がいる。
 一刻も早く智子に伝えようと思った。そうだ、今日の夜、電話をかけよう。
 その時の私は長田さんのことはもう忘れていた。

「すみません。石谷さんですよね?」
 ホールを出た所で、「シズコさん」と長田さんに呼ばれていた女性があの時のカメラを持って声をかけてきた。
 私が頷くとホッとしたような表情を見せる。
「優勝、おめでとうございます」と言ったので私が「ありがとうございます」と答えるとカメラを私の方に差し出した。
「あの・・石谷さん、このカメラの使い方、ご存知でしょうか?」
 私は機械音痴だ。普通のカメラでも怖くて触れない。
「私にはわかりません。誰かスタッフの方に訊いてみればいいのではないでしょうか」
 どうしてよりによって私に声をかけてくるのかしら?
「それが、誰もいなくて、このカメラ、舶来製でただの一眼レフではないのです」
「そんな難しいものを私が知ってるわけがないじゃないですか」
 私は少し声を荒げた。
 両親が外で待っているから先を急ぎたかった。
「でも恭子さまが『石谷さんに』と言うものですから」
 女の人が指す先には長田さんがいた。
 改めて綺麗な服だと思った。
 自分の晴れ姿を写真に撮って欲しいと思うのは当然だ。そして両親に見て欲しいと娘が思うのも当然だ。長田さんのご両親が腹立たしく思えてきた。
「あの、もっと簡単なカメラはないんですか?」
「それがこのカメラでないといけないらしくて、私がもっとカメラのことを勉強していればよかったのですけど」
 女の人は自分がいたらないせいだというような表情を見せた。
 私にそんな顔をされても、と思いながら、私は直接言おうと長田さんに近づいた。
「長田さん、ごめんなさい。私、このカメラの使い方を知らないの」
「そう・・」
 私に言われて長田さんは残念そうに俯いた。
 いつものような透き通るような声だ。濁りがない。それでいて深い。
 そうだ、さっきのピアノの音に似ている。どことなく悲しい声だ。
 彼女は私に救いを求めているのだろうか?
 もしそうだったとしても私にはどうすることもできない。
「長田さん、ご両親、来ていないみたいだけど、準優勝のこと、はやく報告した方がいいよ」
 ずっと気になっていたから訊ねてみる。
「そうね」とだけ返ってきた。
「発表のことは私の方から伝えることになっていますから」
 女の人が二人の間に入ってきた。私は長田さんに訊いたのに。
 伝えていないのなら早く伝えた方がいい。ご両親は報告を待っていると思う。
 準優勝だって立派なことだ。ご両親も娘の報告を聞いてきっと喜ぶと思う。
 だから娘が直接報告するのが当たり前だと私は思う。でも私は人の家のことまで口出しすることはできない。

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