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悲しい電話
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◇
「発表会が終わってから、加奈子に言おうと思っていたの」
お母さんのあまりの突然の話に私は頭の中が白くなった。家の中なのに、全然寒くないのに、足が少し震えている。
「次の学校のこともあるから、一応、年内にって決めてたのよ」
お父さんの転勤の話が十月には決まっていたらしい。
場所は仙台、神戸からは遥か遠い地方のような気がした。
子供の私にとっては仙台なんてもう異国だよ。
発表会の優勝の喜びなんてどこかに吹き飛んでしまった。
「この家はどうするの、ローンがまだ残っているんでしょう?」
「買い手さんが見つかるまでこのままにしておくわ」
売っちゃうんだ。もう帰ってこれないんだ。
「お母さん、私、学校に友達がいるの。友達になってまだ間がないの」
言っても仕方のないこととわかってはいても言わなければならない。
「知っているわよ。芦田さんでしょ」
智子だよ・・何度、私はその名前を口にしたことだろう。
「智子とすごく仲がいいの」
仲がいいけど、まだそんなに遊んでいない。これからだった。
「しょうがないじゃないの。お父さんだって好きで転勤するわけじゃないんだし」
発表会が終わるまでって「芦田堂」の大福をたくさん食べるのを我慢してたのに。
「加奈子が大人だったら、お父さんとお母さんだけで仙台に行くのだけど、まだ加奈子は子供なのよ」
一緒に二人で遊園地にだって行こうって思ってたのに。ジェットコースターは怖くて乗ったことないけれど智子と一緒なら大丈夫だって思ってたのに。
「でも友達が一人だけだっから、まだよかったじゃないの」
お母さんは最後にそう言った。
その日の夜、智子から電話がかかってきた。
「加奈ちゃん、おめでとう。他のお母さんから聞いたよ!加奈ちゃんが優勝したって」
こっちから電話をしようと思っていたのだけれど、智子は待ちきれなかったみたいだ。
「あ、ありがとう、智子」
ああ、どうしてお母さんはこの電話の前に引越しの話をしたのだろう。
これでは智子と優勝の喜びを分かち合えないよ。
「私ね、加奈ちゃんがきっと優勝するって思っていたの」
なんて嬉しい言葉だ。友達の言葉だ。
「ど、どうしてそう思ったの?」
「だって加奈ちゃん、音楽室でいつも弾いてたじゃない。私がのんびり休んでいる時もいつも頑張ってたじゃない。絶対に優勝するはずだよ」
智子の声がはっきりと綺麗に聞こえる。
智子、ちゃんと聞こえているのに、遥か遠くで声が聞こえる気がする。
「うん、うん」私は頷いた。
「加奈ちゃん、何かあった?」
私の受け答えをおかしく感じたのか智子が訊ねた。
智子に嘘はつけない。
「智子、ごめん。私の家、引越しすることになっちゃった」
「いつなの?」智子の声が小さくなった。
ちゃんと声を拾ってあげないと消えてしまいそうな小さな声だ。
「年内に」
それだけ言うと、しばらく智子の沈黙があった。
さっきまであんなにはしゃいでいた智子の声がぷつりと消えた。
「智子?・・」私は受話器に呼びかけた。
受話器の向こうは無言の暗闇だ。その暗闇のどこかに智子の呼吸が聞こえるような気がした。
「えへへ、加奈ちゃん、私、少し泣いてた。もう大丈夫だよ」少し鼻声になった気がする。
「智子、本当にごめん」私も鼻声になっている。
「どうして加奈ちゃんが謝るのかな?」
智子の声が詰まったようにぐちゅぐちゅしている。
「だって、せっかく友達になれたのに。これからなのに」
私の声はもう続かなかった。
「加奈ちゃん、まだ時間はあるよ」
「そ、そうね」
嗚咽がどっと込み上げてきた。
「加奈ちゃん、それまで、たくさん一緒に遊ぼうよ」
それから、どこで電話を切ったのか、もう覚えていない。
◇
「それでね、お父さんが加奈ちゃんの優勝のお祝いに、特別大きな大福を作ってくれるの」
「そうなんだ!うれしいよ」
「出来たら、お店に寄ってね」
「寄る、絶対、お店に行く!」
「こんなに大きいんだよ」そう言って智子は両手を使って説明する。
「そんな大きいの食べられないよ」
「私は同じようなの、食べたことあるよ」
「それで、智子、そんなに顔が丸いんだ」
「加奈ちゃん、それは違うよお」
「冗談よ!」
私たちは学校からの帰り道、そう言いながら笑い合った。
引越しのことは二人の口から一言も出てこなかった。
どちらかが言いだせば、どちらかが泣いてしまう、二人ともそれがわかっていた。
私がいなくなったら、智子は一人きりになるのかな?
それとも、すぐに新しい友達を作るのかな? 智子ならすぐに出来そうだ。
「発表会が終わってから、加奈子に言おうと思っていたの」
お母さんのあまりの突然の話に私は頭の中が白くなった。家の中なのに、全然寒くないのに、足が少し震えている。
「次の学校のこともあるから、一応、年内にって決めてたのよ」
お父さんの転勤の話が十月には決まっていたらしい。
場所は仙台、神戸からは遥か遠い地方のような気がした。
子供の私にとっては仙台なんてもう異国だよ。
発表会の優勝の喜びなんてどこかに吹き飛んでしまった。
「この家はどうするの、ローンがまだ残っているんでしょう?」
「買い手さんが見つかるまでこのままにしておくわ」
売っちゃうんだ。もう帰ってこれないんだ。
「お母さん、私、学校に友達がいるの。友達になってまだ間がないの」
言っても仕方のないこととわかってはいても言わなければならない。
「知っているわよ。芦田さんでしょ」
智子だよ・・何度、私はその名前を口にしたことだろう。
「智子とすごく仲がいいの」
仲がいいけど、まだそんなに遊んでいない。これからだった。
「しょうがないじゃないの。お父さんだって好きで転勤するわけじゃないんだし」
発表会が終わるまでって「芦田堂」の大福をたくさん食べるのを我慢してたのに。
「加奈子が大人だったら、お父さんとお母さんだけで仙台に行くのだけど、まだ加奈子は子供なのよ」
一緒に二人で遊園地にだって行こうって思ってたのに。ジェットコースターは怖くて乗ったことないけれど智子と一緒なら大丈夫だって思ってたのに。
「でも友達が一人だけだっから、まだよかったじゃないの」
お母さんは最後にそう言った。
その日の夜、智子から電話がかかってきた。
「加奈ちゃん、おめでとう。他のお母さんから聞いたよ!加奈ちゃんが優勝したって」
こっちから電話をしようと思っていたのだけれど、智子は待ちきれなかったみたいだ。
「あ、ありがとう、智子」
ああ、どうしてお母さんはこの電話の前に引越しの話をしたのだろう。
これでは智子と優勝の喜びを分かち合えないよ。
「私ね、加奈ちゃんがきっと優勝するって思っていたの」
なんて嬉しい言葉だ。友達の言葉だ。
「ど、どうしてそう思ったの?」
「だって加奈ちゃん、音楽室でいつも弾いてたじゃない。私がのんびり休んでいる時もいつも頑張ってたじゃない。絶対に優勝するはずだよ」
智子の声がはっきりと綺麗に聞こえる。
智子、ちゃんと聞こえているのに、遥か遠くで声が聞こえる気がする。
「うん、うん」私は頷いた。
「加奈ちゃん、何かあった?」
私の受け答えをおかしく感じたのか智子が訊ねた。
智子に嘘はつけない。
「智子、ごめん。私の家、引越しすることになっちゃった」
「いつなの?」智子の声が小さくなった。
ちゃんと声を拾ってあげないと消えてしまいそうな小さな声だ。
「年内に」
それだけ言うと、しばらく智子の沈黙があった。
さっきまであんなにはしゃいでいた智子の声がぷつりと消えた。
「智子?・・」私は受話器に呼びかけた。
受話器の向こうは無言の暗闇だ。その暗闇のどこかに智子の呼吸が聞こえるような気がした。
「えへへ、加奈ちゃん、私、少し泣いてた。もう大丈夫だよ」少し鼻声になった気がする。
「智子、本当にごめん」私も鼻声になっている。
「どうして加奈ちゃんが謝るのかな?」
智子の声が詰まったようにぐちゅぐちゅしている。
「だって、せっかく友達になれたのに。これからなのに」
私の声はもう続かなかった。
「加奈ちゃん、まだ時間はあるよ」
「そ、そうね」
嗚咽がどっと込み上げてきた。
「加奈ちゃん、それまで、たくさん一緒に遊ぼうよ」
それから、どこで電話を切ったのか、もう覚えていない。
◇
「それでね、お父さんが加奈ちゃんの優勝のお祝いに、特別大きな大福を作ってくれるの」
「そうなんだ!うれしいよ」
「出来たら、お店に寄ってね」
「寄る、絶対、お店に行く!」
「こんなに大きいんだよ」そう言って智子は両手を使って説明する。
「そんな大きいの食べられないよ」
「私は同じようなの、食べたことあるよ」
「それで、智子、そんなに顔が丸いんだ」
「加奈ちゃん、それは違うよお」
「冗談よ!」
私たちは学校からの帰り道、そう言いながら笑い合った。
引越しのことは二人の口から一言も出てこなかった。
どちらかが言いだせば、どちらかが泣いてしまう、二人ともそれがわかっていた。
私がいなくなったら、智子は一人きりになるのかな?
それとも、すぐに新しい友達を作るのかな? 智子ならすぐに出来そうだ。
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