血を吸うかぐや姫

小原ききょう(TOブックス大賞受賞)

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物置小屋①

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◆物置小屋

 翌日、松村の頬は包帯が取れ、いつもと変わらない顔になった。頬はへこんではいない。
 だが、それは表向きの顔だ。僕には松村の顔が二重に見える。
 つまり、目を細めて見れば、松村の顔の中心が空洞に見えるのだ。そして、気を抜くとその穴の中に吸い込まれそうになる。だから、松村の顔は凝視しないことにした。

 そんな松村が見たという幻視が真実であったのか、どうかはわからないが、
 体育教師の大崎は他の女子生徒にも触手を伸ばしていたようだった。

 女子生徒の一人が、匿名で教頭先生に訴えたそうだ。だが大崎はしらばっくれているらしい。性的なことをされた当人が言っているのにも関わらず、学校側は臭いものに蓋でもするように問題をねじ伏せようとしている。

「ひどい話よねえ」と委員長の神城涼子は声を漏らした。
 佐々木奈々も神城に同調して「私もお父さんにこの話をしたんだけど、こういう問題って難しい、って言ってた」と言った。
「そうよね。あまり大きく取り上げると、被害者が傷つくしね」
 神城の言う通りだ。
 僕たちは三人で昼休み恒例の駄弁りタイムを過ごしている。
 いつのまにか、神城と佐々木の席に近づく機会が多くなった。というか、女子でしか聞けない話も結構あるからだ。

 人伝ての更に人伝いの噂では、津山静香は、スーパーで万引きをしたらしい。そのことを耳にした体育の大崎先生が脅かしていたということだ。何をどう脅かしていたのかは不明だ。
 それに、どこまでが真実なのかは知らない。
 わかるのは、あの体育の授業でデッドボールを受けた松村の幻視こそが最も真実に近い、ということだ。

 そんな風に僕たち3人が談笑しているところへ、他の女子生徒が3人ほど寄ってきて、
「委員長、体育の大崎先生を糾弾する署名活動をしませんか」と強く訴えてきた。
 神城は「そうねえ、変な噂が立つばかりだし、このまま放っておくのもなんだわね」と答えた。神城も立場上すぐに行動には移せない。

「もう体育の授業を受けるの、やだよねえ」と言って佐々木奈々は席をたち、窓際に向かった。
 佐々木が窓に映る空を見上げ、
「雨、降らないかなあ。雨が降ったら、体育館になるし」と言うと、
 神城が「そうよね・・なんか、グラウンドにはあの物置があるから、ちょっとね」と言った。

 その時、窓際の佐々木奈々が、
「あれって、伊澄さんじゃない?」と声を上げた。
 伊澄瑠璃子?
 窓辺にかけ寄った神城がグラウンドを見下ろし「そうね。伊澄さんね」と言った。
 伊澄瑠璃子がグラウンドに・・
 それは別に驚くことではないだろう。昼の休憩が終わり、グラウンドで遊ぶ・・そんなわけはないか。
 だったら、何を・・
 その時の僕はなぜか胸騒ぎがしていた。
 伊澄瑠璃子がグラウンドを歩いている・・ただ、それだけのことで、
 僕も彼女たちにつられて窓からグラウンドを見下ろした。見ると、長身、ロングヘアーの女子高生が歩いている。
 確かに、あれは伊澄瑠璃子だ。
 一人で歩いている。その目立つ容姿は見間違えようもない。
 春の陽気に誘われてどこかに行くのだろうか?
 そんなはずもないだろう。彼女がそんな無駄な行動をするとは思えない。
 伊澄瑠璃子の行動には明確な意思がある・・そんな風に感じた。

 僕の思いが正しいことを示すように伊澄瑠璃子はある場所に向かって歩いていた。
 その場所は、体育倉庫の横、汚い物置小屋だ。
 どうして、そんな場所に伊澄瑠璃子の用事があるというのだ。
 そう思っていると、僕の横にくっ付くように立っている神城涼子が、
「あの人、噂の体育教師、大崎先生じゃない?」と指差した。
 神城の言う通り、校舎の方から大崎先生が出てきた。
 他の生徒の間を縫うように歩いている。白のジャージのポケットに手を突っ込み、ホイッスルを胸にぶら下げている。独特な歩き方は大崎先生そのものだ。
その向かう先は?
 と思って伊澄瑠璃子の姿を探すと、彼女の姿はもうなかった。あの小屋の中に入ったのだろうか。
 
 佐々木奈々が「なんだかあやしいですねえ」と好奇心旺盛な目で言うと、神城が「確かに変ねえ」と素直に同意した。
 確かにおかしい・・
 と思っていると、神城が「行ってみましょうか?」と提案した。
 僕が「そうだな」と言うと、佐々木も「賛成です。伊澄さんとは今度、お屋敷探検に行く仲ですから」と同意した。

 そして、僕たち三人は校庭に出た。
 もう伊澄瑠璃子の姿はおろか、大崎先生の姿もなかった。
 だが、僕たちの足は、体育倉庫の物置小屋に向かっていた。

 物置小屋は、体育倉庫のなれの果てらしい。昔はここも体育倉庫に使われていたが、新しく倉庫を作ったので用済みとなったということだ。そうなってもまだ小屋を放置しているのは、学祭や体育祭の臨時の物置としてまだ使えるからだ。

 物置小屋にはガムテープで補修された窓がある。いきなり小屋に入るよりも、そこから中を覗こうと佐々木が提案した。
 僕たちが足を進めるに従って、空が厚い雲で覆われだした。
 佐々木奈々が小さな声で「中で淫行が行われていたらどうします?」と誰ともなしに言った。神城が「ちょっとそれは・・」とためらうように言うと僕は、
「もしそうだったら、それは犯罪だろ。とめないと」と強く言った。「伊澄さんを助けないと」
 そんな言葉がこの状況・・つまり、伊澄瑠璃子をとりまく状況には相応しくない、そんな気がした。
 犯罪とか、そんなものを遥かに超えているものがある。なぜかそんな気がした。
 そう思う僕は何者かによって洗脳されかかっているのだろうか。

 佐々木奈々が「こっちこっち」という風に僕と神城に向かって手招きした。
 窓から直接中を見るよりも、その手前にある木の陰から見る方が中の人に気づかれなくて済むと言うのだ。
 しかし、木といっても僕たち三人が身を潜めるには細すぎる。
 神城涼子が「ちょっと、屑木くん。触らないでよね」と言ったり、僕が「何でお前のお尻なんか」と答えたり、 佐々木が「涼子ちゃんはお尻なんて言ってませんよ」と笑ったりする。
 これではまるで探偵ごっこだ。
 すると、佐々木が、
「しっ、静かに」と口元に人差し指を立て言った。
 神城は小さな声で「奈々、何か聞こえたの?」と訊いた。
 佐々木は耳をそばだてながら「何か聞こえませんか?」と僕たちに問うた。

 僕も神城も沈黙に徹した。耳を澄ました。
 確かに聞こえる。
「あ・あ・あ・・」
 この途切れ途切れの断続的な声、聞きようによっては喘ぎ声にも聞こえる。だが、男か女か不明だ。わからない。声が遠すぎるせいなのか。
 僕の横で神城が囁くように「どうする、屑木くん。中を覗く?」と訊いた。
 僕はコクリと頷き、先頭に立って、ガラス窓に近づいた。

 僕は窓にへばりつくようにして中を覗き込んだ。
 中は薄暗く、目の前には蜘蛛の巣がかかっていて、見えにくい。どこに人がいるのかも認識できない。
 僕は目を凝らして中の様子を伺った。気味の悪い声の発生源だけでも確かめようと思った。
 さっきの声は二人のどっちの声なのか?
 体育の大崎先生か、それとも伊澄瑠璃子なのか。

 更に小屋の奥へ目を移すと、二人の人間、いや、もうそれは一つに成りかけているような男女の組だった。
 おそらく伊澄瑠璃子と思われる女の子に大崎先生が覆いかぶさっている。
 すると再び「あ・あ・あ・」と痙攣のような断続的な声が上がった。
 それが性的喜びを表現するものなのか、どうかはまだわからない。

 伊澄瑠璃子の太腿は大きく開かれている。その上に大崎の腰がある。
 僕の脇に佐々木奈々が来た。小さく「どうですか? 中の様子は」と尋ねてきたので、
「あれは、淫行だな」と答えた。
 佐々木の背中に神城涼子がいる。「私、担任の先生に言ってこようか」と言った。
 僕は「その方がいいな」と言って、思い留まった。

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