血を吸うかぐや姫

小原ききょう(TOブックス大賞受賞)

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穢れたものの除去

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◆穢れたものの除去

 5時間目の数学の授業、
 僕は昼休みの物置での光景が目に焼き付き離れなかった。それは委員長の神城涼子も佐々木奈々もおそらく同じだろう。
 その光景もあるが、体育教師大崎には何らかの処分が下されることはないのだろうか?
 今回は、伊澄瑠璃子は何もされなかったと言っているが、上里先生も二人きりでいるところを目撃している。いわゆる被害者からの申告がないと罪に問われないというやつなのか。
 だが、あの逢引のような形の二人はどっちが誘ったのだろう?
 当の伊澄瑠璃子は一番前の席で、数学教師の声に耳を傾けている。
 そう言えば、まだ中間テストは行われていないが、彼女の成績はどうなんだろう? 彼女は、この春わが高校に転校してきたばかりなので、成績も謎だ。 

6時間目が終わると、僕の席に神城と佐々木が寄ってきて、
「ねえ、屑木くん。気にならない?」と佐々木が言った。
 神城もその横で気難しい顔をしている。
 僕が「あれのことだろ?」と言うと、神城も「そう、あのことよ」と答えた。
 もうあの物置小屋で見たことは既に三人の間では暗黙の了解だ。

 すると神城が「私が気にならない、と言ったのは、あの後、体育の大崎先生がどうなったのかよ」と言った。
 大崎先生が?
 僕は「大崎先生は保険室に自分の足で行ったんだろ。それっきり知らないよ」と答えた。
 そう言った僕に、佐々木が、
「ええっ、屑木くんは、大崎先生のあの様子、まともだと思っているの?」と素っ頓狂な声を出した。
 まともじゃない・・確かに僕もそう思っている。しかし・・
「今頃、保険の先生に手当をしてもらっているんじゃないか?」
 神城が「だといいのだけど、変な胸騒ぎがするのよね」と小さく言った。
 僕だって、少しおかしいと思っている。けれど・・
「けれど、どうしようもないじゃないか。どんな手当をしてもらっているか、わざわざ
保健室に見に行くわけにもいかないしな」と僕は言った。

 佐々木奈々は「大崎先生、あんなに女好きなのに、あれで治まったのでしょうか?」と小さく言った。
 それは僕も気になる。あの女好きの先生のことだ。過去にも色々とやっているだろうし、これからも同じようなことを繰り返すのだろう。
 もし何か事が起こっても理事長が握り潰す。それも繰り返されてきたのだろう。

 今回はたまたま物置に向かう伊澄瑠璃子を佐々木奈々が運よく見かけたからよかったようなものを・・たまたま運よく・・
 いや、待て・・佐々木奈々がグラウンドを歩く伊澄瑠璃子を見つけたのはただの偶然だったのか。あの時、佐々木は窓の向こうに誘われるように歩いていった。
 ・・いや、考えすぎだ。
 考えすぎ・・そう思うのと同時に、僕の目は一番前の席、教壇前の伊澄瑠璃子に注がれた。その後ろ姿を見ただけで、背筋にぞっと震えが走った。
 伊澄瑠璃子の姿は後ろ姿のはずなのに、なぜか僕には彼女が後ろを見ている気がしたのだ。
 だいたい、彼女の席の位置に違和感がある。一番前の真ん中なんて、一番他の生徒達に見られる席だ。当然教師にも。
 だが・・もし仮に後ろに目があれば、クラスの生徒全員を見渡すことができる。
 伊澄瑠璃子は全方位に目がある・・そんな考えが突然沸き上がってきた。
 後ろに目がついている・・そんなことありえるはずが・・そう思って頭を振っても、なぜか拭い切れない。
 物置小屋で変なものを見たせいだろう。
 頭を振った後、人の気配を感じたので前を見ると、
そこに伊澄瑠璃子が立っていた。
 わっ、びっくりした!

切れ長の瞳が目の前にある。物置小屋で見たように赤くはないが、その瞳の光の中に吸い込まれそうだ。
伊澄瑠璃子は僕たちと顔を合わせると、
「みなさん」と僕と神城、佐々木の三人に声をかけた。
 そう言われると、僕らは彼女に向き合わねばならないような感覚に陥る。決してなおざりにはできない。もしいい加減に対応すると、他の支障ができる、そんな気がした。
「やっぱり、気になるわよねえ・・大崎先生のことが」
 そう伊澄瑠璃子が言った。なぜか楽しんでいるように聞こえるのは気のせいか?
 元々、大崎先生のことを「気にならない?」と言っていた神城と佐々木は、
「さっき、その話をしていたところなの」と答えた。

 そんな神城と佐々木に伊澄瑠璃子は、
「保健室に・・一緒に行ってみましょうか」と提案した。
 委員長の神城が「そのこと、さっき屑木くんに言ったんだけど、手当てなんて見てもしょうがないって言われたのよ」と僕の顔を睨むように言った。

 それを聞いた伊澄瑠璃子が僕の顔をチラリと盗み見て、
「屑木くんの言いたいこともわかるわ」と微笑を浮かべた。
 その口調は僕や神園、佐々木たちよりも数段大人びて聞こえた。
 僕が「僕の言いたいこと?」と問うと、
伊澄瑠璃子はその綺麗な口元に手を当て「うふっ」と笑ったあと、
「だって・・屑木くんは怖いのよね・・大崎先生の顔・・そして、その体を見ることが」と言った。
 まるで子供があやすような言い方だった。
 僕は慌てて「怖くなんてないよ」と強く否定し、
「それより、手当なんてもうとっくに終わっているんじゃないかな」と言った。

 すると、佐々木奈々が思いついたように伊澄瑠璃子に、
「ねえ、伊澄さん・・あの物置に・・あの中に伊澄さんと大崎先生以外に、他に誰もいなかった?」と尋ねた。
 その言葉を聞いた時の伊澄瑠璃子の驚きの表情は忘れられない。
 切れ長の瞳がカッと見開かれ佐々木奈々の顔を凝視した。
 佐々木は蛇に睨まれた蛙のように身をすくめた。佐々木はその問いの答をもう伊澄瑠璃子に求めることはなかった。
 つまり、もう一つの影のことは伊澄瑠璃子にとって触れてはいけないことだった。そんな気がした。

 伊澄瑠璃子にからかわれているような気がした僕は、
「じゃ、保健室に行ってみよう」と伊澄瑠璃子に言うと、佐々木も「私も行きます!」と手を挙げた。
 神城は「放課後は、雑用があるから、やめとくわ」と断った。言いだしたのは神城も同じなのに。
「では、屑木くん。佐々木さん。行きましょうか」
 伊澄瑠璃子は僕と佐々木を先導するように歩き出した。
 目の前をロングヘアーが揺れている。長身、細く白い脚。そのどれをとっても美しい。佐々木奈々も羨望の眼差しを持ってその後ろ姿を追いかけているようだ。

 その途中、佐々木が伊澄瑠璃子の後ろから声をかけ、
「ねえ、伊澄さん。大崎先生に何もされなかったって言ってたけど、一応、変なことはされそうになってたわけだし・・そんな先生の様子を見に行くって、ちょっとイヤじゃない?」と言った。
 伊澄瑠璃子はその問いに歩きながら、
「私、不純異性交遊のようなもの・・汚らわしいものが大嫌いなのよ・・」と言った。
 汚らわしいもの・・
 無責任な男女交際は確かに不純だとは思う。彼女の言うように確かに汚らわしいかもしれない。伊澄瑠璃子の言う「汚らわしいもの」の意味はもっと高位レベルの言葉のようにも聞こえた。
 心の汚れが大嫌い。
 伊澄瑠璃子は大崎先生の性的行為の餌食となりそうなところ、僕たちが助けた。
 しかし、僕たちの行動は伊澄瑠璃子にとっては予定されていたことのようにも思える。
そして、「汚れ」を除去するところを僕達に見て欲しいかのように。

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