熱砂の魔人に恋をして千と一夜では全く足りなくなりました!

梅村香子

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第8章

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「アスアド様……」

ルト達が騒ぎながらオアシスへ向かっている一方で、カリムは後悔に心を締め付けられていた。
こんな最悪な形で全てが露呈する前に、どうしてきちんと話しておかなかったのか。
今更考えても無意味な事を胸の中で巡らせながら足跡を辿ると、無骨な岩に背を預けてアスアドは顔を伏せて座っていた。
本当ならば。
八年前ならば、この辺りは国の中でも一等美しい浜辺であった。
幼かったアスアドと、何度も泳ぎ遊んだ思い出深い場所。
アスアドも分かって、ここに座っているのだろうか。
カリムが名を呼ぶが返事はなく、重い沈黙が二人の間を流れた。

「……どうして、話してくれなかった」

しばらく無言で立ち尽くしていると、アスアドがゆっくりと顔を上げてカリムを見た。
どんな時にも希望を失わずに輝いていた紅榴石の瞳が、今は悲しみに満ちている。
誰よりも大切にすべき人を傷つけてしまった。
カリムは胸の奥を掻きむしられる思いがした。

「旅を始めた時には、すぐにお話しようと思っていました。しかし、魔力を失った私は人と同じ体になっていて……。どうせジンとしてお役に立てないのならば、全てを隠して、これまで通りに人間としてお仕えし続けようと考えました」
「言いたい事は分かる。母上からも口止めされた上に、人として仕えろとでも命令されていたんだろ?」

アスアドはカリムを強くなじりたくなるのをこらえて、己の前髪をかき乱した。

「だけどな……言って欲しかった。この八年、俺はお前と楽しい事、辛い事、全てを共有しているつもりでいた。互いに誰よりも理解し合っていると。でも、違ったのか? こんな大切な話を黙っておく程度の関係だったのか?」

悲しみや怒りが複雑に混ざった視線がカリムに刺さる。

「私も同じです。アスアド様と共にしたこの八年間は、私にとって何よりも大切な時間です」

カリムは紺碧の瞳で懸命に主を見つめた。

「だからこそ、言えませんでした。豊かな国と人々を一瞬で砂と石にしたジンをアスアド様は憎んでいた。私がジンだと知れば、見る目が変わってしまうかもしれない。今ある信頼がなくなってしまうかもしれない。そう思うと、どうしても打ち明ける事が出来ませんでした……」

アスアドは、きっと己が何者であっても受け入れてくれる。
それだけの強さと優しさを持った人だ。
分かりきっているのに。
もし、嫌われてしまったら。
そんな馬鹿な考えに怯えて、口を閉ざしてしまった。

怖かったのだ。

「カリム……八年前、国が突然消えて呆然とするしかなかった俺がここまで生きてこられたのも、お前のおかげだ。そんな存在をジンというだけで嫌悪すると思うか?」

アスアドはカリムと出会ってからの日々を振り返った。
美しい国が健在であった時も。
絶望にのまれて己を失っていた時も。
そして、あてどもない長い旅の間もずっと。
カリムはいつだって真摯に、ただ一心にアスアドを支えてくれた。
可愛げなく、扱いづらい悪ガキだった自分に呆れる事なく隣にいてくれた。
カリムがいなかったら今の自分はないと言いきれる。
主従の関係を超えた確かな絆が二人の間にはあるのだ。

「何者であろうと、カリムは俺にとって唯一無二の存在だ」
「…………」

カリムは立ち上ったアスアドの片手に触れると、己の両手で包んだ。

「私にとってもアスアド様はかけがえのない、ただ一人のお方です。それなのに、臆病な私はアスアド様の心を裏切り続けておりました。ですが、信じて下さい。私の全ては永遠にアスアド様の傍にあります」
「カリム……」

祈るように顔を伏せ、カリムは震える手で主の片手を包んでいた。
その手をゆっくり解くと、アスアドはカリムの背に腕を回した。

「感情をぶつけて悪かった。ファリスの言う通り、お前の事は俺が一番分かってるのにな」
「悪いのは全て私です。私が……」

アスアドはカリムを抱く力を強めた。

「謝らなくていい。お前の気持ちは、よく分かったから。ただ、最後に一つ。もう隠し事はしないでくれ。それがどんな理由からであろうと、俺は辛い」
「はい……アスアド様。もう二度と……」

カリムは、そっとアスアドの背に触れた。
出会った頃は幼く小さかった主の背。
この背が少しずつ広く逞しくなっていくのを、ずっと見守ってきた。 

「絶対に国を元に戻して、またこの浜で泳ごうな」

やはり、アスアドもこの場所を思い出してくれていたのだ。

「ええ、必ず……美しい国を取り戻しましょう……!」

カリムはぎゅっと主を抱き返した。
許されるのならば、これから先もずっとこの背について行きたい。
心の底から、そう思った。




ナツメヤシの木の下にルトとファリスは腰を下ろしている。
豊かに茂ったオアシスの緑の隙間から七つの岩山がそびえ立っているのが、よく見えた。
八年前まで、ここからの眺めは絶景だったに違いない。
今まで、どれだけの人がこのオアシスからの美しい景色に感嘆したのだろう。
そんな過去を微塵も感じさせない不毛な眺めは、ルトの心を切なくした。

「だから、雑に運ぶなって言ってんだろっ!」

オアシスまでシディの力で連れて来られたアスアドが声を上げる。
再び、とんでもない体制で空を飛んで来たようだ。
自分にはファリスがいてくれて本当によかったとルトは思った。

「復縁は上手くいったか?」
「……おかげ様で。気を遣わせたな」

ファリスの生暖かい視線を受けて、アスアドが決まりの悪い顔をした。
上手く仲直りができたようだ。

「とんでもございません。殿下」
「やめてくれよ」

ファリスはニヤニヤと笑ってアスアドをからかうと、言葉を続けた。

「よし。改めて、ここに来た目的を果たそうか」
「目的?」

アレムの都から逃れる事で頭が一杯だったが。
カリムがここに来たいと言っていたのには目的があったのか。

「俺がこの国にかけている魔法を解く。そうすれば、カリムの力が戻るかもしれない」
「本当かっ?」

瞠目するアスアドにカリムが頷く。

「今、この国はファリスの魔法の上にヘイデルの魔法がかけられた状態です。私の力はこの国と一体となってしまっているので、ファリスが魔法を解けば魔力の均衡が崩れて、力を取り戻せるかもしれません」
「実際、どうなるか分からないから危険ではあるが、賭けてみる価値はある」
「失敗したらどうなるのか? まさか、カリムが死ぬなんて事は」
「大丈夫ですよ。そんな大事にはしませんから」

心配するアスアドの腕に優しく触れると、カリムはファリスを促した。
カリムの魔力が戻るかもしれない。
上手くいけば、アムジャット達に対抗する大きな戦力となる。

「皆、カリムから離れていろ」

三人がカリムを心配そうに見つめながら距離をとる。
オアシスの隅。七つの岩山の背にして、カリムは瞼を閉じた。

(カリム……。どうか、どうか無事に上手くいきますように……)

「いくぞ」

呪文がファリスの唇から漏れた刹那、岩山と砂が眩しく光る。
その光の一部がカリムの体に飛び込み、砂が舞い上がった。

「カリムっ」

周囲が砂一色になり、何も見えなくなる。
カリムの元へ駆けていこうとするアスアドをファリスが止めた。

「ねぇ、大丈夫!?」

シディの声に全く反応がない。
しばらくして砂がおさまり視界が戻ってくる。
そこには苦渋の表情でうずくまっているカリムがいた。

「魔力が体に戻ったんだ。少し様子を見よう」
「……本当に無事なのか?」
「ああ」

周りで小さな竜巻が何度も巻き起こる。
その度に舞上がる砂がカリムの姿を隠した。
彼の体に飛び込んだ光の衝撃は凄まじかった。

「カリムっ! 体は平気なのか!?」

焦りをにじませたアスアドの声がオアシスに響く。 

「はい……」

ようやくカリムの声がした。
竜巻の勢いがなくなり、うずくまっていた体がゆっくりと立ち上ったのが見えた。
体は大丈夫なのか。
ゆっくりと舞っていた砂が地に落ち、カリムの姿が西に傾いた日の光に照らされる。

「え……?」

その姿に、ファリス以外の者が揃って言葉を失った。

透き通るような白い肌。西日に輝く艶やかな金色の髪。
長い睫は一本一本がきれいに煌めき、青い目は美しい泉のように澄んで一目で惹きこまれる。
そして、かすかに色付く頬とアネモネのような可憐な唇。

(確かにカリムだけど……こんな――)

面立ちはカリムだが。
先程までとは全く雰囲気の違う、二十歳ぐらいの甘やかな美貌を持った青年が立っていた。

「あの、カリム……だよね?」

しぼり出したシディの言葉にカリムは笑顔を見せて頷いた。

「無事に力を取り戻す事ができました。これでヘイデルに対抗できます」

カリムは可憐な笑みで己の主を見つめた。
これが魔人としての真の姿なのか。
とんでもない美貌だ。
魔力が戻る前も十二分に美青年だったのだ。
それ以上の美しさをまとうなんて誰が想像するだろうか。
驚いた顔のままのルトとアスアドをファリスが笑った。

「力を取り戻して若く美しくなったから驚いたか?」

ルトは声もなく頷く。
瞬きさえ忘れて自分の側近を凝視するアスアドに、カリムは苦笑した。

「中身は変わらず私ですから」
「……そうじゃないと困る」

アスアドは照れたように瞼を伏せた。
カリムは穏やかな表情をアスアドに向けてから、目の前に広がる砂漠と岩山を眺めた。

「ファリスの魔法を解けば、何か変化があるかもしれないと期待しましたが、そう上手く事は運びませんね」
「ヘイデルの魔力は、かなり強いからな」

ファリスの魔法を解いても全く変わらない不毛ぶりだ。

「ヘイデルをどうにかしないと無理って事だよな……カリムの力は戻ったし、すぐに兄上達を止めに行くか?」

アスアドは急く心のままに、今にもアレムの都へと走り出しそうだった。

「いえ。もう日が落ちます。動くのは明朝にしましょう。魔軍放出の力は相当なので、そう簡単に完全解放は出来ません」
「そうなのか?」
「紅宝玉の中には空間が歪むぐらい大量のグールがいるんだ。封印解除を宣言しても、全てを一息には外に出せない。出て来られないんだ。封印する時には一挙に吸い込んで早いんだがな」

ファリスの説明に首肯しながら、カリムは話を続けた。

「それに、今回の事を全て最初から話す必要があると思います。それぞれ疑問があるでしょうし、互いに知っている事を出し合って腕輪の四百年間を辿りましょう」
「都や宮殿内にある程度のグールがいた方が侵入しやすい。今晩は明日に向けて、しっかり休もう」

そう言って、ファリスは慣れた仕草でルトの肩を抱き寄せた。




四百年前。
魔族の長である大魔神は愛娘のマイムナーに人間の男を与えてやろうと、世界中を見て回っていた。
世にも稀なる見目麗しい男を見つける為に大陸の隅々まで探していると、一人の青年が目に留まった。
莫大な富と権力で絢爛豪華なアレムの都を建設中であった大王の五番目の王子。
見る者全ての心を一目で奪う美しい王子を見て、大魔神は自らが作った金の腕輪に彼を閉じ込める事にした。
その魔法の腕輪の中では人間は永遠の若さを保てる。
大魔神が瞬く間に死んでいく人間を娘に与える為に作った物だった。

しかし、当の王子は大魔神の誘いを断った。

永遠の若さと、麗しいマイムナーの側に仕えられる栄誉が無力な人間にとってどれだけ素晴らしい事か。
いくら甘い言葉を並べても、王子は大魔神を拒み続けた。
己の誘いも、そして愛娘のマイムナーさえも拒絶された大魔神は、王子の態度に激怒して邪悪な魔軍を解き放ち、王子の国を滅ぼそうとした。

当時、大魔神の側近をしていたファリスと、マイムナーに仕えていたカリムは、その騒動を受けて魔軍を止めようとしたが、強大な力には到底敵わなかった。
そこでファリスとカリムは、魔軍を強力な魔具である金の腕輪に封印しようとした。
まず、ファリスが腕輪の中に魔軍と共に入り、しっかりと封印をほどこす。
そして、大魔神の怒りを鎮めてから、カリムにファリスのみを腕輪から解放させる手筈だった。

そんな騒動の中、金の腕輪は大魔神の求めていた五番目の王子の手に渡った。
側仕えの女と道ならぬ恋に落ちていた彼は、ファリスを自分の使い魔にすると新しく国を造るように命じた。

そうして出来上がった、青い海と七つの島からなる美しい国。

ファリスが主達を王と后に据えて人々を呼び込むと、瞬く間に七つの島は遠い国々にまで噂される豊かな国となった。
その間もずっとファリスはカリムを待ち続けていたのだが。
ある日、二人にとって予想外の事が起こってしまう。
魔人の力に魅せられた者の計略により、腕輪が国外へと持ち出されてしまったのだ。
激しい奪い合いが始まる中、ファリスは制約のある身で騒ぎを上手く止められないまま、腕輪にはめ込まれていた紅宝玉までもが無理やり外されてしまう。
そのせいでファリスはカリムに再会できないまま外の世界から完全に隔絶されてしまい、いつしか金の腕輪はアレムの都への供物の中へ、紅宝玉は何も知らぬ宝石商へと流れていった。

それから四百年。

カリムと事情を知ったマイムナーは腕輪を捜し続けていたが、七つの島の国より持ち出された後の消息がどうしても分からなかった。
そんな折、マイムナーは腕輪捜索で何度も七つの島の国を訪れる内に一人の王子と恋に落ちた。
王子は王へ即位すると同時にマイムナーを后に迎え、二人の間には珠のような子が産まれた。
それがアムジャットとアスアドだった。
マイムナーは己の側近であるカリムと、新たに魔界から呼び寄せたヘイデルを二人の王子に仕えさせた。
人間としてふるまい、命をかけて主を守れと命じて。




「なるほど。その後、ご主人様とヘイデルは国に魔法をかけ、アレムの都に移り住んだって流れだね」
「そして俺は紅宝玉の中でルトと出逢った。素晴らしい偶然の重なりだ」

ファリスは魔法を使って焚火に新たな薪をくべた。
三人の魔人の力で、とんでもないご馳走を食べた後、それぞれの話を持ち寄って腕輪の四百年を振り返っていた。

「事が大きく動く時には、怖いぐらい偶然が重なるもんなんだな」

そう言うと、アスアドは燃え盛る焚火を見つめながら渋い表情をした。

「何故、兄上はあんな呪いを国にかけたのか……全く分からない」
「……ちゃんと聞いた訳じゃないけど、王様や国の人達はご主人様をどこかに幽閉する気だったって、ヘイデルから教えられてたみたいだよ」
「幽閉? ありえないだろっ。国は富み、兄上は世継ぎの王子だったんだぞ」
「ヘイデルが嘘をついたんだよ。自分だけはご主人様の味方だとか言ってさ」
「ま、さか……そんな馬鹿げた嘘を兄上が信じるとは……」
「ええ。あの何事にも聡いアムジャット様がそんな話を鵜呑みにして、国を不毛の地に変えるとは思えません……」
「母親と側近がジンだと知れば、自分の人生がひっくり返るぐらいの衝撃だろう。そこからヘイデルが上手く取り入ったんじゃないのか?」

ファリスの言葉にカリムが無言で顔を伏せた。

「今、その手の話をカリムの前でするのはやめてくれ。大体、俺と違って兄上は冷静で慎重な男なんだよ。国に魔法をかけるなんて愚行を犯すような人じゃない」
「……本当に申し訳ありません。同じく宮殿で仕えている身でありながら、ヘイデルの策略に全く気付いておりませんでした。私が上手く立ち回っていれば、こんな事には……」

カリムは悔しさに顔を歪めた。

「お前だけの責任じゃない。野心を抱いたヘイデルに対して油断していた父上達と俺。惑わされ心を渡してしまった兄上が、今回の事を引き起こしたんだ」
「……ご主人様が何を考えてるのか、僕は教えてもらえなかった。けど、アスアド達を憎んではいなかったよ。ヘイデルはアスアドとカリムを殺したがっていた。それを止めていたのはご主人様だ。そして、僕をアスアドの元に送ったのは監視役なんかじゃなくって、ヘイデルや他の危険から二人を守る為だ。これだけは絶対に本当だよ!」

シディは焚火を消してしまいそうな勢いで言った。

「ご主人様は……今も、とっても優しい。だから、何か理由があるにせよ話せば分かってくれると思うんだ」
「……一緒にいたシディが言うなら、そうなんだろうな。兄上とは何があっても一度きっちり話し合う。ヘイデルの思い通りにさせてたまるか」
「力を取り戻したので、私もヘイデルと従僕を抑えられます。必ずアムジャット様のお心を取り戻し、魔軍の世界放出を阻止しましょう」
「打倒ヘイデルだね!」

拳を握るシディに、アスアドは疑いの目を向けた。

「お前は誰の味方なんだ? ルトと紅宝玉をさらったかと思ったら、調子よく俺達と一緒にいる。実はヘイデルの手下なんじゃないだろうな?」
「やめてよっ! そりゃあ、今回は僕が大事にしちゃったようなもんだし、それは悪いと思ってるよ。でも、僕は皆の敵じゃない。僕はご主人様に幸せになって欲しいだけなんだ。だから、ヘイデルを倒す。あいつの手下なんて死んでもごめんだよ」
「……分かった。もう一度お前を信じるよ。次はないからな」

シディは黒々とした瞳を輝かせて頷いた。

「一致団結した所で今晩はしっかり体を休めよう。明日は夜明けと共に出発だ」

ファリスはそう言って立ち上がり、ルトの手を引いた。

「疲れただろう。寝床を用意するから、ゆっくり休め」
「ファリスはご主人様を溺愛だね」

シディが緩く笑いながら言った。

「当然だ。ルトは俺の全てだからな」

さりげなく放たれた情熱的な言葉にルトの顔が熱くなる。

「いいね……。僕もご主人様に言ってみたいもんだよ」
「それはヘイデルの仕事だろうな」
「悔しいっ!」

大仰に悔しがるシディに笑いかけながら、ファリスは焚火の明かりがわずかに届く繁みにルトを連れて行った。

「難しい事は考えずに休もう」

草と砂が混じる場に一瞬にして上等な寝床が現れる。
柔らかい羽布団に腰を下ろしたルトだが、全く眠れる気はしなかった。

「どうした?」

視線を下げたまま動かないルトの顔を隣に座ったファリスがのぞき込む。

「僕、こんな特別扱いしてもらえるような人間じゃないよ……」

凶悪な魔軍の完全解放が迫り、世界が危機に瀕している。
そこには、魔法にかけられた七つの島国やその国の王子と魔人達の事情が密接に絡み合っている。
ルトは偶然にもファリスと魔軍が封印されている紅宝玉を持っていた。

たった、それだけの事だ。

後は周りの人達に迷惑をかけ続けて、ここまで来たようなものだ。
今だって、何も言えずに話についていくだけで精一杯だった。
それぞれ、辛い事情を抱えて頑張っているというのに。
全力を尽くすと心に誓ったが、いつだって無力な自分が悔しくて情けなくて、そして悲しくて。
ルトの頬に涙が零れた。

「……僕、皆に迷惑かけて何も出来ないのに仲間面して……」
「また、そんなに弱気になって」

優しく名を呼ばれると、向き合うようにファリスの膝の上に座らされた。

「誰も迷惑とは思ってない。ルトは人一倍頑張ってるじゃないか」

ルトは首を横に振った。
ずっと怖がって怯えているだけ。
ファリスや皆がいてくれたから、どうにかここまで来られたのだ。

「僕はファリスに守られているだけの、お荷物じゃない?」
「……あのな」

涙に濡れた頬を大きな手で包まれて、黒緑色の瞳が間近に迫る。

「俺は荷物を背負った覚えはない。そもそも、ルトがいなかったら俺はここにはいないだろ?」
「でも、僕は何も……」
「そう卑屈になるな」

ぎゅっと頬を包んでいた手に力が入った。

「誰でも出来る事と出来ない事がある。それはジンも人間も同じだ。周りを見て自分の能力が上がる訳じゃない。だから、ルトはルトなりに、その時に出来る事を全力ですればいい」

仄かな焚火の明かりを吸い込んでファリスの瞳が穏やかな光を宿す。
その光を見つめていると、荒れていた心が凪いでいくのを感じた。

「自分が無力だなんて思わないでくれ。俺の力の源はルトだ。ルトが傍にいてくれるから、誰よりも強くあろうと思える」
「ファリス……。ごめん……僕、すぐ弱気になって泣いちゃって。僕もファリスがいてくれるから頑張れるんだ」

自分なりに出来る事を全力で。
ファリスに言われた通りだ。

(僕らしく頑張ると決意してたつもりなのに、勇気と力のある皆を見てたら、つい泣きごとを漏らしちゃった……)

「僕も、ファリスの主として恥ずかしくないような強い心を持たないとね」
「主として……? 俺の方は、ちょっと意味が違うな」
「え?」

顔を引き寄せられて鼻先が触れ合う。

「あ……ファリス……?」

近すぎる距離に、胸の鼓動が急激に増していく。

「強くあろうと思うのはルトが主だという以前に、俺にとって何よりも特別な存在だからだ」
「…………」
「愛しい人だからこそ、どんな時にも隣にいて守りたい。そう思うから強くなれる……」

髪を撫でられ、互いの吐息が交じり合う。

「ルト……」
「ぁっ……」

甘く名を囁かれると、ゆっくりと唇が重なった。
熱い唇が柔らかく触れ合い、一つになる。
何度も優しく啄まれて、頬が熱くなった。

「紅宝玉の中で、一目見た時からルトに心を奪われていた……」

頬どころか全身が熱い。
恥ずかしくて、ファリスの顔から視線を逸らした。
自分にとってもファリスは何より特別な存在だ。
紅宝玉の中で別れた時、絶対にファリスを解放してもう一度逢いたいと思った。
仲間だと言ってもらえて嬉しかったし、孤独に潰されそうだった人生を変えてくれた恩人だ。
けれど、己の気持ちはファリスと同じなのだろうか。
ファリスは同じ男で、魔人なのに。

(でも、キスは嫌じゃなかった。優しい唇の感触はむしろ――)

悩めるルトの桃色の唇が、もう一度、塞がれる。
優しくも情熱的な口付けに心が蕩けて、何も考えられなくなっていく。

「……無事に魔軍を再封印できたら、ルトの気持ちを聞かせて欲しい」
「ファリス……」

背に触れられると、寝たくないと思っているのに瞼が重くなっていく。

(な、んで……急に、眠気が……?)

きっと、ファリスが眠りの魔法をかけたのだ。

「やだよ……ぼく、ま……だ…」

考えなければいけない事が沢山あるのに。

「少しでも疲れを取る為にもう寝よう。明日は何も心配する事はない。共に自分の出来る事と向き合おう。ルトの隣にいつも俺はいるから」

濃い眠りの羽衣に包まれ、抗いようもなく意識が遠のいていく。

(だめだ……ねむい……) 

観念して広い胸に体を預けると、ファリスが笑った気配がした。

「おやすみ。ご主人様」

頬に口づけをされた感触を最後に、ルトの意識は眠りに吸い込まれていった。


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