熱砂の魔人に恋をして千と一夜では全く足りなくなりました!

梅村香子

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第9章

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「アレムには再び水脈を利用して行こうと思います。外からの侵入は不可能でしょうから。水脈を進んで、宮殿内に引かれている水の流れに乗りましょう」

日の出前の暗がりの中。
オアシスの紺色に揺らめく泉を前にカリムが言った。

「また追い出されたりしないだろうな」

アスアドが嫌そうな顔をした。
亡者の村に放置された事を思い出したのだろう。

「きちんと話を通すので大丈夫ですよ。頻繁に使おうとすると断られますが、何とか頼んでみましょう」

そう言うと、カリムは何の躊躇ためらいもなく泉の中に飛び込んだ。

「ひぇー! するっと中に入っちゃった。精霊ってジン嫌いで有名なのに。しっかり取り入っちゃってて、すごいなぁ」
「カリムは、昔から魅惑のジンなんて言われている。あらゆるものを魅了して、自分の思い通りにする。魔力よりも恐ろしい能力だ」
「さっすがカリム様っ。美しさも抜群だしね」

盛り上がるシディの横で、アスアドが無言で泉の水面に視線を落としていた。

「どうしたの? 黙っちゃって」
「いや……。改めて、俺はカリムの事をよく知らないんだなと思ってな」
「え? そ、それは、これからだよっ! カリムはジンの力を取り戻して、二人は隠さず何でも話せるようになったんだしさ! ね?」 

懸命にファリスとルトに同意を求めるシディの足元。
カリムの手が水面から伸びて手招きをした。

「あ! 交渉成立みたい! そんな事、気にせずにさっ。ほら、一緒に行こうよ!」

シディがアスアドの腕をつかんで泉に飛び込んだ。

「忙しい奴だな」

ファリスがおかしそうに笑う。

「シディは優しいから。いつも周りをよく見てるよね」
「妬けるな。少し前までは、あんなに警戒してたのに。今は使い魔の俺よりシディを評価してないか?」
「え!? いや、そんな事はないよっ! ファリスは僕にとって――」

焦るルトを見て、ファリスは笑みを深くした。

「冗談だよ。分かってる。ルトの思いの強さはしっかりとな」

使い魔は主の体を抱き寄せた。

「カリムが言ってたが。最近、水脈を使ったのか?」
「うん。僕が紅宝玉を持ってたから途中で追い出されたんだけどね。それで、怖い思いをしちゃって」
「そうか。今度は何も怖がらないくていいからな」
「……ありがとう」

ファリスのさりげない言葉一つ一つに胸が温かくなる。

「飛び込むぞ」

腰を抱かれて水の中に落ちた瞬間、覚えのある浮遊感に襲われた。
急速に落下していくかと思いきや、ファリスの腕に包まれて闇の中を穏やかな速度で下降していく。
見覚えのある眩しい世界に着地すると、先に揃っていた面々が呆れた顔をしていた。    

「遅いよっ。本当に過保護なんだから。ファリスみたいな甘々な使い魔なんて見た事ないよ」
「逆に、その辺の使い魔と一緒にして欲しくないけどな」
「はいはい。分かりましたよっ。早く都に向けて出発しよう。魔軍が完全復活しちゃうよ」

シディが足早に白い空間を進んでいく。

「ルトも早くっ!」

小さな手に引っ張られて、ルトも足を踏み出した。

アレムの都に行けば、再びアムジャットとヘイデルに立ち向かわなければいけない。
今度は多くの従僕に加えて封印を解きつつある魔軍ともぶつかる事となる。
カリムが力を取り戻したとはいえ、厳しい戦いになるだろう。
ファリスは自分が出来る事を全力ですればいいと言ってくれた。

一体、自分に何が出来るのか。

ファリスとカリム、そしてシディは魔人で、人間であるアスアドだって八年も砂漠を旅して何度も修羅場をくぐり抜けている猛者だ。
ヘイデルが本気で殺しにかかってくる中で、弱点になるのは確実に自分。
腕輪に魔軍を戻すまで、絶対に皆の足を引っ張ってはならない。
ファリスはきっと自分を最優先に考えてくれる。

(けど、それに甘えてたらいけないんだ。これまで、僕の油断で皆に迷惑をかけてきたんだから。ちゃんと役に立たないと)

「怖いか?」

無言になったルトにファリスが問う。

「平気だよ。ファリスや皆がいてくれるから」

ルトはファリスの瞳を強く見つめ返した。
本当はとても怖い。
心は不安ばかりだ。
でも、悩んでいても仕方がない。
皆と一緒に頑張る。
出来ない事を考えるのではなく、出来る事を見つけて全力を尽くせばいいのだ。

「絶対に魔軍を再封印して、アスアドの国を元に戻そうね」
「ああ。ご主人様の願いは何としても叶えないとな」

力強く拳を握ったルトに、ファリスは優しく微笑んだ。





「着きました。この上です」

カリムは足を止めて上を見た。
変わらず白い空間が続いているだけだが、アレムの都の真下に着いたようだった。
アスアドが言っていた通り、水脈の道は随分と早い。
空を飛んで移動した時よりもだ。
これなら陸路が馬鹿らしくなるのも当然だ。

「都の中の噴水から井戸、あらゆる所に出られますが、場所を間違えると一発で捕まってしまいますね」
「僕にまかせて! 都の中は隅々まで知ってるからね。絶対に周りに誰もいない貯水槽があるんだ」
「では、侵入経路はシディに任せましょう」
「兄上の所まで行くのはどうするか。辿り着くまでに絶対捕まるだろ」
「それは案がある。宮殿内では解放途中のグール達がうろついている筈だ。それに紛れて腕輪に近づこう」
「紛れるって、どうやって?」
「こうやって」

疑問を投げかけたルトの前で、ファリスがシディの両肩に手を置いた。
その瞬間、シディが醜い食人鬼グールに変化した。

「うそっ? ちょっと!! こんな気持ち悪い姿、嫌だよっ!」

赤黒く硬い皮膚を触りながら、食人鬼になったシディが涙交じりに訴えた。

「諦めろ。捕まらずに中を動くには、この姿が一番だ。そして、俺達はこうだ」

食人鬼に変身したシディ以外の姿が消えた。

「おい。見えなくなったぞ」

アスアドが声を上げる。

「シディ以外は姿を消す」
「え? じゃあ、僕だけ気持ち悪い姿って事っ? ひどいよ」

醜い食人鬼の姿で可愛らしく怒るシディにファリスは笑った。

「仕方ないだろ。案内役だからな。俺達はシディを目印に追っていく」
「う……。分かったよ……」

赤黒く肉の垂れた顔が諦めたように伏せられた。

「それで、王の間に忍び込んだらどうするの?」

姿が消えたまま、ルトは首をかしげる。

「俺は兄上と話したい」
「では、アスアド様と私が先に姿を見せて、アムジャット様の気を引きましょう。ヘイデルも今の私なら抑えられます。アムジャット様を説得して……無理なら、皆で連携して腕輪奪還を目指しましょう。中がどうなっているか不明なので、大まかな作戦しか立てられませんが……」
「充分だ。俺とルトは姿を消したまま隙をうかがう。シディはその姿でカリム達を守れ。いいな」
「えぇ? 僕、ずっとこの体なの? 最悪っ」

醜い顔でいじけるシディにアスアドが優しい顔を向ける。

「シディには期待してんだから頑張ってくれよ。今回、お前が味方になってくれから、こうして苦もなく侵入できるしな」
「アスアド……僕っ、がんば――」
「機嫌が直ったのなら早く行きましょう。時間がありません」
「待ってよっ! 何? そのおざなりな感じ! 僕を馬鹿にしてるでしょ!」

騒ぐシディを無視してカリムが呪文を唱え、白い空間から闇の世界へ少しずつ上がっていく。
精霊に追い出されなければ、床に飲み込まれずにきちんと地上に上がっていけるようだ。

「宮殿に入りますよ。シディ、出る場所に導いてくれ」
「了解!」

何の前触れもなく周りの闇が消えると、石壁が目の前に現れた。
それと同時に足首ぐらいまでが水に浸かり、急な水気にルトは肩を強張らせた。

「ここは地下にある貯水槽だよ。目立たない場所にある分、王の間までは距離があるんだ。ちゃんとついて来てね」

食人鬼姿のシディ以外、誰も見えない。
怖々とした足取りで貯水槽から出て、暗い階段をのぼった。

「俺達にかけた魔法はヘイデルに察知されないように弱いものだ。少しでも注視されると見破られるが、静かに歩いていれば雑多な気配の中では消えてしまえる」

耳元でファリスの声がする。

「分かったよ。何があっても慌てないようにする」

ルトは静かに深呼吸した。
腕輪を取り返して魔軍を再封印する。
そして、ヘイデルに七つの島の国の魔法を解かせる。

(絶対に、絶対に、成功させないと!)

「出るよ」

長かった階段が終わり、地下室を抜ける。
後ろにいるファリスの気配を感じながら、やっと見慣れてきた異形姿のシディを追った。
王の間にあるものと遜色ない飾り細工が並ぶ広い廊下に出ると、食人鬼達が一匹のネズミも逃さぬ勢いで行き来していて、ルトは息をのんだ。

(これが……紅宝玉の中にいたグール……すごい数だ……)

震えそうになる足を叱咤して、言われた通りに落ち着いて歩を進める。
時間をかけて長い柱廊を進み、幾つもの庭を横切る。
王の間に近づくにつれて、食人鬼の数が際限なく増えていった。

(一体、魔軍の規模はどれだけのものなんだ……)

見覚えのある廊下の奥を見ると、王の間の扉が大きく開かれて食人鬼がそこから出入りしていた。
やっと目的地だ。
緊張で心臓の音がうるさい。
足を止めたくなる衝動を我慢してシディを追い、静かに王の間へと侵入した。
広間には相当数の食人鬼がいて、魔軍解放は順調に進んでいるようだった。

(一歩が怖いな……。でも、変に足を止めたり息を殺したりして、魔法が解けたら一大事だ)

食人鬼達の隙間を縫いながら、少しずつ、少しずつ奥へ進む。
玉座には変わらずアムジャットが座り、側にはもちろんヘイデルが仕えていた。
そして、二人の前には大理石の台座。
台上には仰々しく腕輪が置かれ、絶えず食人鬼が出てきていた。

(みんな、ここにいるよね……?)

ルトは、そっと周りを見回した。
側には異形姿のシディが他の食人鬼に紛れるようにして立っている。
アスアド達も見えないだけで近くにいるのだろうけど。

(大丈夫だよね……?)

不安になったルトを察するように、見えない腕が腰にそえられた。
ファリスだ。

(あ……傍にいてくれてる……)

ルトは静かに安堵の息を吐いた。

「魔軍が完全に解放されたら、お前は何がしたい?」

アムジャットが使い魔に疑問を投げているのが聞こえた。

「先から申し上げている通りですよ。アムジャット様が史上最強の王である事を世界中に知らしめ、この都から新たな大国を造りましょう」

アムジャットの問いに、使い魔のヘイデルは微笑みながら答えた。

「……それが、お前の本当の願いか?」
「ええ。どうかされたのですか?」

怪訝そうな顔をしたヘイデルに、アムジャットが苦笑した。

「疑っているのではない。私にはお前しかいない。だから、嘘偽りのないお前の望みを叶えたい。ヘイデルの願いは私の願いだ」
「それは、私の言葉ですよ」

交わされる会話に意識を向けていると、見えないファリスの腕がルトの腰を引き寄せた。
アスアドやカリムはどこにいるのか分からないが、魔人同士では思考が通じているのか、シディがこちらを見て小さく頷いた。

「これ以上、ヘイデルに騙されるのはやめて下さい!」

アスアドの声が王の間に響く。

腕輪奪還の為の策が始まったのだ。
姿が露わになったアスアドと玉座のアムジャットを見つめながら、ルトは見えないファリスの手に己のそれを重ねた。

「アスアド、いつの間に……っ」

驚くアムジャットの隣でヘイデルが魔力を発動させる。
それを見計らったように、玉座の側に移動していたカリムがヘイデルの動きを止めた。

「カリムっ!? 力を取り戻したのかっ?」
「やっとお前の相手が出来て嬉しい限りだ」

ヘイデルとカリムの魔力がぶつかり、巻き込まれた食人鬼や魔人が一瞬で消滅する。

「ヘイデルの言っている事は全て嘘です。誰も兄上を追放しようなんて思っていませんでした。世継ぎの王子として、兄上は皆の希望だったではありませんか」
「……私を説得しようとしているのか? やめてくれ」
「やめません。国に魔法をかけたり魔軍を解放したり、兄上がするような事じゃない。ヘイデルの話を鵜呑みにしないで、俺の事を……もう一度信じて下さい」
「既に……そんな話ではなくなっているんだ。アスアド」

アムジャットが薄く笑った。

「説得など無意味ですよ。もうすぐ魔軍が完全に解放される。そうすれば、世界は私達のものです」

カリムの起こした風塵を弾いてヘイデルが言った。

「シディを俺達の元に寄越したのは、心配してくれたからでは? 優しい兄上は何も変わってない。お願いです。ヘイデルと魔軍を治めて下さい。兄上っ!」

カリムとヘイデルの強大な魔力のぶつかり合う衝撃と、従僕の魔人達の攻撃がアスアドの身にふりかかる。

「アスアドっ!」

変化を解いたシディが身を挺してアスアドを守った。

(争いが本格的になってきた……僕達は隙をみて腕輪を奪わないと)

ルトは忙しなく視線だけを左右に配りながら気を揉んでいた。

「僕達は……?」

隣にいる見えないファリスに小さく囁くと、耳に顔を寄せられた気配がした。

「俺達は、まだだ」

ルトは頷く代わりにファリスの腕をぎゅっとつかんだ。

「私は変わったんだ、何もかも。だが……お前が魔法から逃れていたと知った時は嬉しかったよ」
「俺もです。兄上が石になっていなくて嬉しかった……。だから、もう一度、皆で話しましょう。国の魔法を解いて、父上や母上とも――」
「断る。お前は……何も分かってないんだ」

兄に語りかけるアスアドの横では食人鬼が腕輪から放出され続け、確実に数を増やしている。

「あと少しでアムジャット様が世界の覇者になられる……! さぁ、こちらへ」

カリムの力を退けたヘイデルが、完全開放が迫った腕輪へアムジャットを招く。

「……やっと、この時が来たな。ヘイデル」

腕輪が乗せられた大理石の台座の側まで歩きながら、アムジャットが満足気な笑みを浮かべた。

「兄上っっ!」
「アムジャット様、お止め下さい!」

アスアドとカリムの声が重なる。

(このままだと魔軍が……!)

完全解放を前に食人鬼達の気が高揚し、野太い咆哮が王の間に木霊する。
アスアド達は従僕の魔人達とヘイデルの力に阻まれて、上手くアムジャットに近づけずにいた。

「ファリス……っ」
「まだだ」

目前の状況に焦るルトに、ファリスは短く言う。

「でもっ……」

このままでは、アムジャットによって魔軍が完全解放されてしまう。
しかし、ファリスはルトを守っているだけだった。

「あと数体ですよ」

ヘイデルの言葉に頷くと、アムジャットは自身の手首に腕輪をはめた。

「だめですっ! 兄上っ!」   

残りの食人鬼が飛び出すと、紅宝玉が主を包むように光を発した。
弟の叫びを無視したアムジャットが腕を掲げる。
最悪な状況だ。
魔軍が世界に解き放たれる。

(世界が……世界が、魔軍の手に落ちてしまうっ) 

ルトの胸に絶望感が押し寄せた。
アムジャットが大きく息を吸い魔軍に命令を下す瞬間を、ただ見ている事しか出来ない。

「魔軍よ」

凛と張ったアムジャットの声に、食人鬼達が動きを止める。

「世界中をその力で支配して、私の名を刻んで来るのだっ」

耳を塞ぎたくなるような醜い食人鬼達の雄叫びが都中に響き渡る。
その様子にアムジャットは喜びの表情で頷いた。

(とうとう魔軍が世界へ放たれてしまった……)

一斉に飛んだ異形がアレムの都から四方八方に散っていく。
未だに微動だにしないファリスは、どういう考えで姿を隠し続けているのか。
広間には、いなくなった食人鬼の隙間を埋めるように従僕の魔人が山のように集まってきていた。

「やっと世界が大きく動き始めた……。こんな時に邪魔をされたくないからね。少し黙っていてもらうよ」

ヘイデルの一声で、従僕の魔人が一斉にカリムとシディに飛びかかる。

「そういえば、お仕置きを忘れていたね」

そう言って、ヘイデルがシディの体に魔力を向けた。
カリムの力が間に合わず、幼い魔人は地に縫い付けられるように拘束されてしまった。

「う……ぐぁっ」

シディが痛みに顔をしかめる。

(シディっ……!)
「シディ!!」

ルトの心の叫びと同時に、アスアドがシディの名を呼ぶ。

「裏切りが過ぎるよね。アムジャット様の優しさに甘えて何をやっているのやら。呆れてものも言えないよ」

ヘイデルの魔力でシディの体が痛めつけられる。
短い悲鳴を上げて、幼い魔人は涙を流した。

「やめろっ! シディを殺す気かっ」
「別に死んでも構いませんよ。こんな裏切り者」
「お前……っ」

アスアドはヘイデルを強く睨んだ。

「ところで……ルトと使い魔はどこに隠れているのですか?」

ヘイデルはわざとらしく王の間を見渡した。

「来てない。俺達の国の問題だからな」
「……なるほど。そうですね」

信じたとは思えないが、ヘイデルはそれ以上の言及をやめてアムジャットに視線を移した。

「先程、私の本当の願いを聞いて下さいましたよね? 実はアムジャット様が魔軍を解放なされたら、お話しようと思っていた事があります」
「何だ? どんな事でも、私が――」
「兄上っ! 自分を騙しているジンの言いなりになるのですかっ? ヘイデルは絶対に兄上を裏切る気でいます!」

言葉を遮ったアスアドに、アムジャットは眉根を寄せた。

「何度も言わせるな。私は騙されてない」
「そうですとも。私はアムジャット様の唯一の理解者ですから。私の願い……叶えて下さいますよね?」

もちろんだ、と言ったアムジャットに近づくと、ヘイデルは腕輪のはめられた手首を包んだ。

「私の願いは自由です……私を自由の身にして下さい」
「自由?」

アムジャットは言葉の意味をはかりかねて、問うような顔をした。
その表情を見て笑みを深くしたヘイデルは小さく呪文を唱えた。

「腕輪よ。永き眠りを求める主をその身に封じよ」
「ヘイデル? それは――」

アムジャットが言葉を紡ぎ終わる前に、その身が腕輪の中へと消え失せた。

「え……!?」

ルトは思わず声を出してしまった。
一体何が起こったのか。

(どうなってるの? アムジャットが腕輪に封印された……!?)

目の前で起こった事が即座に理解できない。
ヘイデルがアムジャットを腕輪に封じてしまった。

「ヘイデル……っ! お前、どういうつもりだっ!?」

兄を腕輪へと封印されてしまった弟が激昂する。

「どういう? 今、言ったではないですか。自由が欲しいと」

アムジャットが封印された腕輪を優しく撫でると、ヘイデルはそれを自分の手首にはめた。

「私は他のジンと違って縛られていましたから……」
「使い魔というのなら、シディやファリスも同じだろ」
「……違いますよ。そんなものとは全く別です」

ヘイデルはアスアドの側まで来ると、主と同じ色の瞳を鋭く見据えた。

「私はマイムナーによって造られたジンなのですよ。腕輪を捜す為に私は生まれました」

カリムが驚きに表情を変えた。

「カリムも知らなかった事です。何百年、どこを捜しても見つからない腕輪……。マイムナーはファリスを憐れみ、一刻も早く見つけ出そうと己の魔力を分けて、私を造りました。最初は腕輪の捜索のみ命じられていましたが、すぐに息子のお守まで押し付けられましたよ」

灰色の瞳に自嘲の色を交えて、ヘイデルは言葉を紡ぐ。

「私は、ただの傀儡くぐつです。未来永劫マイムナーに従属し、永遠に自由を得る事は出来ない。そして、今は息子に仕えている。まるで、重いかせが幾つも身体に巻きついているようで、苦しくてたまらなかった……」
「ずっと……兄上を封じる為に腕輪を捜していたのか?」
「ええ。主は殺せませんから。マイムナーに夫と息子達。そして美しい国……。私は、それら全てを直接的に滅ぼす事が出来ない。だから、自由を得るには中途半端に生かすしかないのですよ。アムジャット様の命令でならば、国を不毛の地にしてマイムナー達を石にする所までは可能でしたからね。あとは本人。腕輪は丁度よい入れ物でした」

逃れられない従属の枷。
ヘイデルはその鎖から自由になる為にアムジャットを利用して、主達を永遠の静寂に陥れたのだ。

「そんな事の為に国を……。マイムナー様に全てを打ち明ければ良かっただろう」

シディに圧し掛かる魔力を抑えながら、カリムが言った。

「そんな事? 自身で強い力を持ち、己の意思でマイムナーに仕えていたカリムには、私の思いなど分からないだろうね。私は絶対的な奴隷なんだよ。主に自由を望んだ所で何になる? あの女と血族がいる限り、私に本当の自由は来ない」

アムジャットを封じた紅宝玉の光が、ヘイデルの灰色の瞳を輝かせる。

「カリムが人間になっていると知った時、すぐに殺してやろうと思ったよ。お前だけなら簡単だから。けど、お優しいアムジャット様がシディを侍らせてしまった」
「……そんな、ふざけた事を……っ」

アスアドが半月刀シャムシールを構えた。

「……この八年、国が呪われたのは何故なのか、どんな奴がやったのか、ずっと探していた……。まさか、お前だとは考えもしてなかった。お前がジンだと知ってたカリムでさえもだ。それが、どういう意味か分かるか? 疑う余地もないぐらい、お前を信頼してたから……家族だと思ってたからだ」

ヘイデルが口元を押さえ、おかしそうに笑った。

「有難いことですね。心が温まりますよ」
「お前っ……!」 

挑発するような声音に、アスアドは半月刀を振りかざす。

「あなたに私は殺せませんよ」

ヘイデルに魔力で払われ、アスアドの体がカリムの隣まで吹き飛ばされた。

「残念ながら、私にもアスアド様を殺せませんが。けれど、死に値する思いはさせてあげられます」

ヘイデルがゆっくりとカリムに視線を向けた。

「まさか……っ。やめろっ」

ヘイデルと周囲にいた従僕達の魔力がカリムへ集中する。
すさまじい一撃が、シディを守っているカリムに放たれた。

「カリムっ!」

爆風で視界が遮られる。
カリムは無事なのか。
自分の目で確認する前に、ヘイデルの忌々しそうな声音が耳に届いた。

「ファリス……。どこかにいるとは思っていたけどね。もう少し黙っていてくれても良かったのに」

辺りの空気が静まると、カリムを守ったファリスがヘイデルの前に立ちはだかっていた。

「部外者は肩身が狭くてね。少し席を外していた」
「席に戻るにしては遅すぎたようだけど」

ヘイデルが腕輪に触れながら勝ち誇ったように口角を上げた。
その表情に、ルトの胸が冷たく震えた。

(どうしよう……僕が……)

とうとう姿を消しているのは自分だけになった。
ファリスは腕輪を取り戻す絶好の機会が訪れる瞬間まで動く気はなかった筈。
しかし、カリムが本気で殺されそうになって計画通りにはいかなかった。
残るはルトのみ。

(僕がファリスや皆の意図を汲んで、ヘイデルから腕輪を奪う。後はないんだ……)

しかし、どのようにして奪えばいいのか。
一撃で殺されてしまうだろう自分に何が出来る。
ヘイデルは無能な人間であるルトを歯牙にもかけてないだろう。
その油断をつけば、己でも腕輪を奪えるだろうか。
しかし、魔人の隙をつくなんて自分にはほぼ不可能だ。

(どうしよう。ファリス……僕は、どうすれば……)

――ルトはルトなりに、その時に出来る事を全力ですればいい――。

昨晩のファリスの言葉が胸によぎる。

(そうだ。今、この瞬間にも僕にしか出来ない事は絶対にある。ファリスだって腕輪奪還の為に考えを巡らせている筈だ。姿が消えているのは僕一人。どうにか皆と一緒に隙をついて、腕輪を絶対に取り戻すんだ!) 

ルトは自分に出来る事を探して、心を研ぎ澄ませた。

「魔軍の主というのも、なかなか気持ちがいい……。自由は素晴らしいね」

ヘイデルは晴れやかな顔を見せた。
王の間には強い魔力持つ魔人ばかりが集められているのが分かる。
少しでもおかしな行動を見せれば、自分の命は一瞬で終わる。
ルトはぎゅっと拳に力を入れた。

「そんなもの、すぐに飽きるだろ」

静かに言い返したファリスに、ヘイデルが不愉快そうに目を細めた。

「生まれた時から自由を手にしている奴には、私の気持ちは分からないよ」
「そうだな。分かりたくもない。そもそも、俺は完全な自由など望まないな」
「…………」
「背負うものがなく、一つの枷もない時を過ごして何になる? それは、ただの独りよがりな無だ。何も生み出さない」

ファリスは灰色の瞳を鋭い視線で射抜いた。

「そんなに苦しかったのか? 美しい国で信頼や愛情に囲まれて暮らしている事が。全てを裏切り、絶望させる程に」
「……そうだよ。ずっと苦しくて気が狂いそうだった。私にとって、信頼や情など煩わしいだけ。説教でもするつもりかな? 四百年も腕輪に閉じ込められていたくせに、気持ちに余裕があって羨ましいよ」
「説教なんかしない。ただ、同情はするな。愛情が疎ましいなんて……可哀想に」

ファリスがヘイデルの隙を作ろうとしているのが伝わってくる。
ルトは二人の会話を聞きながら、ひたすらに腕輪を奪う方法を考えていた。

「……やめて欲しいな。私は至上の解放感を味わっているんだから。それはファリスもだろう?」
「確かに、四百年ぶりの外界は最高だ。まぁ、俺はまだ……完全な解放は叶ってないがな」

ファリスが、さり気なく視線を外してルトを見た。

これは――!

(ファリスからの合図だ……!!!)

ルトは最大限に考えを巡らせた。
視線を合わせる直前の言葉。
隠された意味。
ファリスの意図を――。

(解放感……叶ってない完全な解放……そうだっ!)

ルトの脳内にひらめきの雷が落ちてきた。

(これなら、きっと……!! 後は僕次第だ……!)

ルトは大きく息を吸い込んだ。
合図が通じたのを察して、ファリスが声を上げる。

「悪いが、こんな歪んだ自由は終わらせてもらう」

ヘイデルがファリスの言葉に反応するよりも早く、ルトは大きく叫んだ。

「ファリス! 自身を封じている腕輪に再び戻れ!」

ファリスの姿が一瞬にして腕輪の中に消える。

「な、何っ!? ルト……っ」

全く警戒してなかったルトの行動にヘイデルは大きくうろたえた。
今のうちだ。
次の一手に移られる前に。
ルトは急いで使い魔に命じる。

「そして、腕輪を僕の手に!」

主の命令に、ファリスはヘイデルの手首から腕輪を外そうとする。

「っ!? ふざけるなっ!!」

ヘイデルが魔力で腕輪を押さえつけた。
内側のファリスの力と拮抗して、周囲に突風が吹き荒れた。
それと同時に、姿が見えるようになったルトに魔人達が襲いかかる。
使い魔の守りがなくなったルトを狙うそれらを弾き飛ばしたのは、カリムの魔力だった。

「ルトっ、平気か!?」
「ありがとう、カリムっ。シディは?」
「僕も大丈夫だよ!!」

ヘイデルの魔力から逃れて立ち上ったシディは、カリムと共に周囲の従僕を圧倒し始めた。
形勢が逆転し、残るはヘイデル一人だ。

「ヘイデル、諦めろ!」

吹き荒れる突風を切り抜けながら、弟王子が八年間追い続けた魔人に迫る。
己の自由の為に信頼や愛情を裏切り、美しい国を絶望の底へと叩き付けたヘイデル。
身に余るやるせない憤りを半月刀に込めて、アスアドは元凶の魔人に振りかかった。

「や、やめろ!」

腕輪とファリスに全神経を注いでいたヘイデルは上手く動けず。
振り上げられた半月刀にカリムが魔力を加えて、鋭い刃が白い炎を宿した。
アスアドとカリムの信念を込めた猛烈な一太刀が。
正義の白い炎がヘイデルに下ろされた。
強い衝撃に、王の間が白い光で満たされる。

(ヘイデルがアスアドに倒された……!)

体を吹っ飛ばされたヘイデルの手首から腕輪が外れて、すぐにルトのそれへとはまった。
中にいるファリスがルトを待っているのが、腕輪を通して感じられる。

(いくよっ! ファリス!)

アスアド達に見守られる中、ルトは腕輪を頭上に振り上げた。

「世界中に散った魔軍よ。この腕輪の中に帰れっ!」

ルトの命令に応えて、紅宝玉が激しく光り始める。
まぶしいと思う間もなく都中に轟音が響き、大量の邪悪な気配が王の間へと迫ってくるのが分かった。

(封印には時間はかからないってファリスは言ってたけど……)

開け放たれた扉や数多の窓から、まるで竜巻のように食人鬼達が戻って来た。
世界中に散っていたそれらは、瞬く間に腕輪に吸収されていく。

(す、すごい力で……立ってられない……っ!)

魔軍を吸い込む強い力にルトは膝をつきそうになったが、後ろからの支えで体の重みが急に消えた。

「上出来だ」
「ファリスっ!」

腕輪の中から戻った使い魔が力強くルトを包んでくれていた。

「さすがは俺のご主人様。完璧だ。魔軍はもう心配ない。俺と一緒に封印しよう」
「うん……っ!」

ファリスの温かさを背中で感じながら、ルトは魔軍の嵐の中心に立ち続けた。

「後、どれぐらいなの? こっちも結構大変なんだよぉ」

主を倒されて暴れている従僕達と格闘しているシディが泣きそうな声を出した。

「もう過半数は封印された。もう少し耐えてくれ」

都に響いている轟音が少しずつ小さくなっている。
ファリスと共に魔軍の嵐を見上げていると、徐々に吸い込まれる食人鬼の数が減っていくのが分かった。

「ルト……あと、わずかだ。頑張ろう」

懸命に頷く主に少しでも負担がないようにと、使い魔は腕の中の体をしっかりと支え続ける。

(音が、ほとんどなくなった……グールも残りは数える程だ……)

王の間に飛んでくる醜い影がほとんどいなくなった。

そして、ついに再封印が目前となり――。

「私の……自由の証がっ……!」

カリムに押さえつけられて呻くヘイデルの前で、最後の食人鬼が腕輪に飲み込まれた。
王の間にいた従僕達も、シディの活躍でほとんどが蹴散らされていた。

「二人共、大丈夫かっ」

ルトとファリスの元にアスアドが駆け寄る。

「僕達は何ともないよ! アスアドは?」
「俺も怪我はない」

アスアドはルトの手首にはまっている腕輪に視線を落とした。

「無事に再封印が成功したな」
「うん……」
「兄上は……中でグールと一緒なのか?」

弟王子の目が切なげに細められる。

「別の場所にいるから心配するな。今はルトが腕輪の主だから、すぐに解放できる」

そう言って、ファリスが腕輪に手をかざす。
燃えるように紅宝玉が光ると、目の前にアムジャットが姿を現した。

「アスアド……」
「兄上! 無事でよかった……!」

弟は兄の手を取った。
その手を弱い力で握り返しながら、アムジャットは周囲に視線を流した。
紅宝玉の中で魔軍が再封印されたのは分かっていただろう。
カリムに捕らえられているヘイデルを見て、完全に野望は潰えたと悟ったようだった。

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