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☠️武蔵野奇譚 Ⅳ 奇跡に関する考察
しおりを挟む人生には、二通りの生き方しかない。
一つは、奇跡など起こりはしないと
思って生きること。
もう一つは、あらゆるものが奇跡だ
と思って生きること。
アルベルト・アインシュタイン
その時、私は台所の流し台に俎を置き、軽快に長ネギを刻んでいた。右手に持っていたのは、何処の家庭にも有る普通の文化包丁だ。私はどういう訳か、子供の頃から料理番組を観るのが大好きで、大概の家庭料理は自分で作ることが出来る。この時、ガス・コンロの上に掛かっていたのは、片手鍋の中で煮える中辛の麻婆豆腐だ。熱々の麻婆豆腐に刻んだ長ネギを加えると、その美味しさが何倍にも増幅する。私は、使う分だけの長ネギを刻むと、右手の中指を軽く引っ掛け、流し台の下の扉を開けた。もう何百回となくやっているので、特に何も考えず、流れ作業の中でやっていた。流し台の下の扉の裏には、包丁を挿して置くラックのようなものが付いている。正式な名称は分からないが、何処の家庭にも有るヤツと一緒だと思う。私は目で確認することもなく、包丁の先端をラックに挿すと、通常の流れの中で包丁を持つ手を放した。次の瞬間!
「!?」
私の頭の中は真っ白になった。包丁の先端が、ラックに刺さっていなかったのだ。その下には、私の大切な足がある。私は瞬間的に、「やらかした!」と思った。包丁の先端が足に突き刺されば、血塗れの大惨事だ。場合に依っては、救急車も呼ばなくてはならない。只、不思議なことに、痛みは全く感じない。私は、恐る恐る足元を見ると、その光景を目の当たりにして絶句した。いや、血の気が引いた。包丁は、私の右足の親指と人差し指の間に突き刺さり、ビヨ~ンと揺れていた。見て貰えば分かるが、足の親指と人指し指の間には、全くと言っていいほど隙間がない。幸運な事に、私の足は完全に無傷だった。その瞬間、私は「奇跡」を見た思いがした。いや、「神」の存在を確信した。勿論、これは完全なノン・フィクションである。脚色も加えていない。この短編集「武蔵野奇譚」は、全て身の回りで起こった実話で纏めたいと思っている。フィクションが読みたい人には、是非、「毒牙」と「塩飽の真珠」をお勧めしたい。
今回の短編では、「奇跡」という事象について考えてみたい。果たして、これは偶然なのだろうか? それとも、必然? 私はYouTubeを観るのが好きで、ジャンルを問わず、様々な動画を鑑賞する。特に好きなのは、東南アジアでヘビの縫いぐるみを使ったドッキリだ。ハンモックで気持ち良くお昼寝中のオジサンに1m位あるコブラの縫いぐるみを投げると、とんでもない事件が起こる。咄嗟に、木の上から落ちて来たと思うのだろう。タイの周辺なら、決して有り得ない話ではない。また、インドネシアでは、10m位いのニシキ・ヘビの縫いぐるみを使ったドッキリが秀逸だ。興味のある方は、是非、見て頂きたい。金なんて掛けなくても、ドッキリは成立するし、驚くほど笑える。
YouTubeを検索中に、良く出喰わすのが、「奇跡」の瞬間を捉えた映像だ。突然、目の前の道路が大きく陥没し、落下寸前、危機一髪で命拾いをしたとか・・・。家族で食事中、横から大型トラックが突っ込んで来て、九死に一生を得たとか・・・。この手の動画は、中国からの配信が多いようだ。最近は、様々な場所に監視カメラが仕掛けられている時代なので、事故の瞬間が動画に収められていることも多いのだろう。勿論、この何十倍、いや、何百倍もの被害者が、救急車で病院に運び込まれているに違いない。倫理上、助かった動画は流せるが、血塗れの惨状は映せない。それにしても、この世の中には、余りにも「奇跡」の瞬間が多過ぎはしないだろうか? そこには、必ず何かの「力」が介在している。今回は、私自身に起こった幾つかの「奇跡」について書いてみたい。勿論、実話だ。短編なので、最後までつき合って貰えたら幸いだ。
私は、どういう訳か、子供の頃から「悪運」が異常に強かった。断って置くが、「運」が強かった訳ではない。宝くじは当たったことがないし、パチンコは大敗の連続だ。「嫌がらせか!」というくらいに酷い負け方を何度も経験している。いつか書いてみたいが、今回は短編なのでスルーする。
私が子供の頃は、クラスに一人くらい、必ず腕を吊ったり、松葉杖をついた生徒がいた。最近、見掛けなくなったのは、子どもたちが無茶をしなくなったからだろう。エアコンの効いた部屋でゲームをしている限り、大怪我をすることはない。私たちの世代は、大人たちの目を盗み、悪いことが仕放題だった。滑り台は飛び降りるものだと思っていたし、ブランコは思い切り漕いだところでジャンプし、その飛距離を競った。小学校の校庭にも、救急車がしょっちゅう来ていた。特に、私の周りでは、大怪我をする者が多かった。一緒に遊んでいた友達が、何故か骨折級の怪我をする。何度も市内の病院に見舞いに行ったが、幸か不幸か、見舞われたことは一度もない。私は三人兄弟の真ん中で、上の姉と下の弟には、それぞれ入院経験が有る。私は、三人の中でも飛び抜けて無茶をする子供だったが、病院で診て貰った記憶すらない。どういう訳か、極めて「悪運」が強いのだ。友達の大怪我は何度も目撃しているが、自分が怪我をするなんて考えもしなかった。例えば、家の前に車がギリギリで擦れ違える程度の市道が通っているのだが、或る時、夢中でボールを追い掛け、飛び出した事があった。交通量の多い通りではないので、完全に油断していた。その瞬間!
「!?」
右側から白の軽トラックが走って来るのが見えた。私は恐怖の余り、その場で固まり、身動きが取れなくなった。軽トラックは、咄嗟の急ブレーキで止まってくれたのだが、私の鼻先から僅かに数センチの所だった。この時も、私は全くの無傷だった。あの時、もしも運転手さんが脇見運転をしていたら、もしも車がセダン・タイプの乗用車だったら、もしも飛び出すタイミングが少しでもズレていたら・・・。私は撥ね飛ばされ、大怪我をしていただろう。いや、下手をしたら死んでいた。
この当時、私の家の周りには、高さが20mはあろうかというケヤキの巨木が何本も生えていた。私は木登りが得意で、良くてっぺん近くまで登って遊んでいた。或る時、かなりの高さまで登ったところで、迂闊にも足を滑らせ、近くの枝を掴むのにも失敗した。次の瞬間!
「!?」
万事休す!かと思ったが、セーターが木の枝に引っ掛かり、九死に一生を得た。かなりのスピードで落下したので、あそこに折れた枝がなければ、地面に叩きつけられ、そのまま病院に直行だった。この程度の「奇跡」は、一々数え上げたら切りがない。それこそ、今、生きているのが不思議なくらいだ。それでは、筆も温まったところで、そろそろ私に起こった人生最大の「奇跡」について書きたいと思う。
私の通う大学の理工学部には、建築学科がなく、土木工学というダムやトンネルや橋梁などの大きなインフラの設計などを学ぶ学科が有った。私学では、とても珍しい大学だった。私は、第一志望ではなかったことも有り、良く調べもせずに入ってしまった。実際、所在地すら知らず、多摩に完成したばかりのピカピカの新校舎に通えるものと思っていた。「理工学部はこっちです」と言われた時には、流石に驚きの余り、椅子から転がり落ちそうになった。そんなことって・・・。それは、後楽園球場の直ぐ近くという、都会のド真ん中に在るキャンパスだった。いや、理工学部だけが独立した、キャンパスとも呼べないような狭い大学だった。私は、ここで愚痴を零すつもりはない。但し、思い描いていた学生生活とは大分違った。これから受験という学生は、良く調べることをお薦めする。勿論、わざわざ私立の大学に行かせてくれた両親には、大いに感謝している。ここで大学時代の思い出を語るつもりはないのだが、私の学科に特有の授業に「測量実習」というのが有った。この授業を履修集すると、卒業後には、国家試験をパスして「測量士」の資格が貰えるという有り難い授業だ。私は、入学した年、実習も兼ねて測量士の事務所でアルバイトをしたことがある。元々、単純作業が苦手な性格なので、工場内の作業よりは、外回りの仕事の方が楽だと思った。資格を持った測量士のアシスタント的な仕事で、勤務時間の半分は、移動のために車に乗っていた。
最初に採用された測量事務所では、実際の仕事が始まるのは二週間後なので、それまで別の測量事務所で働いて欲しいとのことだった。この業界は、大手ゼネコンや役所関係からの二次請け、三次請けがメインなので、特に珍しいことではないらしい。県の土木課から大きな仕事を受注したが、建設会社のスケジュールもあり、直ぐに仕事には掛かれない。そこは、個人が経営する小さな事務所だった。私は、派遣された先の事務所で直ぐに気に入られ、毎日の仕事も楽しかった。そこは比較的大きな測量事務所で、社員も二十人くらいいて、とても活気が有って忙しそうだった。私的には、ずっとこちらの会社で働いても良いと思っていたのだが・・・。ある日、突然、採用された事務所の方から呼び戻された。
「仕事は沢山有るから、また、いつでも戻っておいで」
派遣された先の事務所では、そう言って優しく送り出してくれた。とてもアット・ホームな事務所だった。私は、採用された測量事務所に連れ戻された訳だが、そこでの仕事は、ちょっと変わっていた。もう、かなり以前に開通しているはずだが、神奈川県の中津川渓谷に高速道路を通すので、工事の前に正確な測量をしなくてはならない。今、ちょっとGoogleで検索したところ、どうやら高速道路ではなく、国道412号線だったようだ。制定された年度もピッタリ合っていた。この道路は、平塚市を起点として、厚木市方面へと抜けて行く。最近は、何でもネットで調べられるので、図書館へ行く手間が省けて有り難い。仕事としては、山の頂に測量機材を運ぶため、鉈を持たされ、麓からケモノ道を作って行くというものだった。社長は、久し振りに取れた大きな仕事ということもあり、とにかく張り切っていた。私としても、ワンダー・フォーゲル部にでも入った気分で、結構、愉しく働いていた。測量助手という仕事は、その時間の大半が車での移動に費やされる。毎朝、西武池袋線のひばりヶ丘駅で待ち合わせ、神奈川県の中津川渓谷まで移動する。朝夕の渋滞等も有り、片道二時間近く掛かっていた。そう言えば、仕事の途中で一度、日がとっぷりと暮れてしまい、下山できなくなったことが有った。良く「山の日没はつるべ落とし」と言うが、午後三時を過ぎると、本当にストンッという感じで太陽が沈む。いや、落下する。あの感覚は、経験した者にしか分からない。当時は、未だ携帯電話がなく、社長の奥さんと私の家族が心配し、危うく遭難届が出されるところだった。今にして思えば、連絡を取る手段がないというのは、本当に不便なものだ。私としては、人生で初の野宿ということも有り、悲壮感はまるでなく、結構、楽しんでいた。食べる物はなかったが、枯れ葉を集めて焚き火をし、ちょっとしたキャンプ気分だった。翌朝、両家の家族が迎えに来てくれた時には、安堵感と言うよりは、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。そんなに大事になっているとは、全く思っていなかった。今となっては、良い思い出だ。勿論、この程度のことが「奇跡」であるはずがない。本題はここからだ。
仕事も順調に運び出した、或る日のこと。その日は、朝からシトシトと小雨が降っていた。山全体が霧に霞んでいて、何とも言えない嫌な雰囲気に包まれていた。こんな日には、山に入るのは気が進まない。勿論、社長の方は、朝からやる気全開だ。この仕事には、家族の生活が懸かっている。子供だって小さいし、ひばりヶ丘に家も買った。私は、右手に鉈を持ち、いつものようにバッサ、バッサと枝や葉を伐採して行った。仕事にも慣れて来て、社長よりも素早く動ける自信があった。毎日、嫌と言うほど山を登らされているので、体力的にも人生のピークに在った。小雨がシトシトと降り続く中、私は軽快に伐採を続けて行った。その時!
「!?」
私の眼の前に、一本の細い木がスクっと立っていた。高さは1m50㎝くらいだろうか。勿論、木の種類までは分からない。太さは、直径3㎝程だ。その瞬間、私は、とてつもなく嫌な予感がした。その木が「御神木」に見えたのだ。山の中には、絶対に切ってはいけない木があるという。昔、「まんが日本昔話」で観た気がする。その佇まいといい、雰囲気といい、オーラといい、只の木ではない。小雨の降りしきる中、ぼんやりと光ってすら見える。切るには大いに抵抗があるが、こちらも仕事で来ている以上、見逃す訳には行かない。ケモノ道の真ん中に立っているし、確実に機材の搬送の邪魔になる。私は意を決すると、鉈の刃を左肩から斜め右下に向けて思い切り振り下ろした。一発で切り倒すため、体重を掛け、全身を使って刃を振った。次の瞬間!
カツンッ!
私が全力で振り降ろした刃は、見事に自分に向かって跳ね返って来た。その瞬間、私は目の前が真っ暗になり、全てが終わったと思った。鉈が跳ね返った方向には、私の左手が在ったのだ。私は、咄嗟に手首が落ちたと思った。それほどのスピードで、鉈の刃が跳ね返って来た。私は、恐る恐る手首の位置を見ると、その光景を見て絶句した。
「 」
頭の中は真っ白で、何も考えることが出来なかった。私は、今でもその光景を思い出す度に、ゾッとして血の気が引く。鉈の刃は、私が左手に嵌めた軍手の布一枚を切り裂き、手の甲の上でピタリと止まっていた。私は、今でも、あの鉈の刃の冷たい感触を覚えている。不思議なことに、私の左手の甲は、全くの無傷だった。傷一つ付いていなかった。そんなことが、本当に有り得るのだろうか? 私の左手の甲には、小雨に濡れた鉈の刃が貼り付き、その上に四角く切り取られた軍手の布がヒラリと被さっている。少なくとも、私にとっては、人生最大の「奇跡」だった。あの時、手首から先を失っていたら、私の人生は全く別のものになっていただろう。もしも、貴方が右手に鉈を持ち、左手に軍手を嵌めていたとして、軍手の布一枚だけをスパッと切れるだろうか? 私なら、絶対にやらない。手の甲は湾曲しているので、必ず無傷では済まない。あの時の私は、本当に無傷だったのだ。その時、私は「奇跡」と「神」の存在を同時に確信した。
その後、あの御神木がどうなったのか、私には、どうしても思い出すことが出来ない。「奇跡」の体験は他にも有るのだが、予定の六千文字も近づいて来たことだし、慌てて詰め込むこともない。またの機会にすることにしよう。
了
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