忘れられた側室は、次期王の寵妃になりたくないので

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3 「……だから、泣くなと。王になるのだから…」


リーシャの自死、王の葬儀に戴冠、その頃のフェルディナンドは一日に数時間寝られればいい方だった。

どうにか一命は取り留めたが、リーシャの毒に蝕まれた身体は深刻で、毎日寝ずに水を与え続ける事くらいしか医師にも出来る事はなかった。

「リーシャ、王の葬儀…終わてしまいますよ。あなたがひたすらに愛した…だから起きて」

どうにか毒を排出させ、ほんの少しずつしか与えられない為、栄養を絶え間なく与える。

医師によれば、毒が代謝すれば起きるだろうという予測であった。

リーシャが嘔吐したのもよかったらしく、毒性はそこまでリーシャの体内に回っていないらしい。

「リーシャ、リーシャ」

王自らの寝ずの番、こくこくと船を漕ぎながらリーシャの口内に細いガラスで水を与え続ける。
 

三時間と続けて眠る事の出来ない世話から一週間。
フェルナンドの公務の間はリーシャのお気に入りの侍女はその口の隙間から注ぎ入れる。

「……陛下」

「リーシャはたくさん飲んでくれた?」

「…ええ、医師はいつ起きてもおかしくないと」

侍女からガラスを預かると、フェルナンドはリーシャの身体を抱き起こし、その唇に運んだ。

「君は寝てくれ、夜は僕がやる」

「…陛下、私がやりますから、陛下は寝てくださいませ」

「いいんだ、僕がやりたい」


どれだけ眠かろうが、身体が苦しかろうが…フェルディナンドは欠かさずに夜通しリーシャに水を与えた。

そして、翌日の朝だ。

「……リーシャ……?」

薄らと彼は目を開けた。
でも、その美しい瞳は何も映さない。

ただ廃人のように黙ったままで視線も動かないリーシャを、フェルディナンドは悲しげに見つめる。

死にきれなかった、王の後を追って死ぬという簡単な事さえもリーシャには遂行出来なかった。

それを呪うみたいに、ただそこに器だけ残ったみたいに何も見てはくれない。

「…っ、リーシャ、悪いけど…どんな事をしたって僕は君を死なせない。縛り付けて…食事を口の中に押し込めて…ぅう…息が出来ないように塞げば…飲み込むでしょう。絶対に…死なせない」

リーシャの膝にまとわりつく大柄なその国の王、涙を流してリーシャに懇願する。

リーシャは薬の作用か、常に朧気で…それでも縋り付くフェルディナンドの頭に軽く手をやった。

「泣かな……で、」

それは、初めて会った時の逢瀬のように。
リーシャの瞳は何も映す事はなく、仄暗い闇に身を置いているが、リーシャは確かに生きていた。






「リーシャ様が飲んだ毒薬に、廃人になるといった副作用は聞いた事がありませんが…光や声にも何も示さず……私にもどうしたらいいのやら…」

それから二週間経っても、リーシャはそれ以上の感情も見せず、身体は命を繋げる為の活動をしない。

医師は毎日訪れるが、まだ医療の芳しくないこの国ではただ見守る事が関の山である。

フェルディナンドが口元に食事を運び上を向かせて無理やり嚥下させ、ようやくその命をつなぎ止めている。

「リーシャ、体調は?」

「………」

リーシャの意識は、深い海底の底に居た。
意識が回復してからも塞ぎ込んだ精神は脳になんの信号も送らずにただ虚空を見つめる。

フェルディナンドはただ抱きしめた。毎日毎日、返事もないリーシャに話し掛け、愛を囁いて。

「リーシャ、今日もこの部屋で私は眠るから…この時期は寒いでしょう。…あっ!別にこれは下心じゃないですからね。現に僕はあなたを暖める目的以外に身体に触れてなんかないですし」

リーシャの澱んだ目は一点を見つめる。

「リーシャ、あの薬、聖女の妙薬というそうですね。健康な人が飲めば命を奪う毒薬にもなるが…肺病には特効薬だとか。聖女が助けてくれたんでしょうか、あなたを」

フェルディナンドはその髪の毛に触れた。

「髪の毛を結びましょうか、…父君を待っているあなたは、毎日髪の毛を結んでいましたね。何かパーティでもあるのかと思うくらいに華美に…。ねぇリーシャ、僕の正室になって」

さらさらの黒髪、男性のフェルディナンドでは結ぶ事は叶わなかったようだが、上等な櫛でその美しい絹を梳いた。

「あなたは僕の母君が皇后の時に召し上げられたそうですね。そして僕が産まれて…母は亡くなり、すぐに当時側室のアルベルトの母が妊娠し…それからずっと後に正室に選ばれた。僕は嘆くあなたに何も出来ませんでした。だから、今度はちゃんと…あなたを正室に。僕は側室も置かないし、子も作りませんから」

リーシャが聞いているわけがない。
聞こえていたって、気持ちのいい話ではない。

だがフェルディナンドはその左側のベッドに入り込むとリーシャを抱き締め、こうして昔話や今の王宮の復興の話をした。

もちろん、リーシャを狂おしい程に愛する身としてその身体を抱きながら兆さないわけがない。

だが、フェルディナンドはただ抱き締める。
リーシャの意識が起きた時に、きっと寒くないように。


次の朝、フェルディナンドは違和感と共に起床した。腰にまとわりつく腕。
リーシャは寝返りをうたせてやらないと、褥瘡を作る程に生を受け入れようとはしていなかったのだ。

なのに、そのリーシャの細い身体はフェルディナンドの腰に回ってぴったりと胸元に頭を押し付けている。

「……リーシャ?!リーシャ…?!」

「………」

返事は無い、だがリーシャはその日からほんの少しだけ命を享受するようになった。

少し頭を動かし景色を見ようとする。
ふわふわの寝具を掛けてやればそれを撫で、ほんの少しだが食事にも応じているように見える。

医師は小さな光をリーシャの瞳に翳した。

「…確かに、二週間前より瞳孔が動いています。窓の方を時々向いているし…着実に快復していますね」

「リーシャ、景色が見たいのですか?」

リーシャは何も言わない。
だが、フェルディナンドはリーシャに余所行きとまではいかない、美しい装いを侍従に用意させ、その身体を持ち上げる。

「よいしょ」

ほとんど力が入らない身体を横抱きにして、その身体を両腕に仕舞った。

「リーシャ、庭に行きましょうか。皇后の庭ですから…以前とは比べ物にならない程に咲き誇っています」

王自ら、愛おしい人を持ち上げ…その中庭を歩いた。リーシャからすればもうひと月ぶりの外気。

もう戴冠も終わったフェルディナンド、しっかりと王として認知されているのに、その王が美しい男を抱いて歩いている。

だが、もう王宮でも…フェルディナンドの人柄や王としての資質は折り紙付きだ。

そして……深い寵愛を与える者がいるという事も。

「リーシャ、可愛い。その瞳が生を嫌っても、あなたはそれでも美しいのだから不思議です。僕の膝の上ですみません、背もたれのある椅子がないもので…」

腰まで伸びる黒髪を後ろから抱き込み、倒れないように筋肉に押し付ける。

「リーシャ、元気になったら王宮の外に出掛けましょうか。側室に召し上げられてからはほとんど出ていないでしょう」

だが、本当にリーシャが元気になる日など来るのだろうか。元気になっても、フェルディナンドに与えられるのは拒絶。

もちろんフェルディナンドの望みはリーシャの安寧と健康だが、睡眠と休養が不足した脳みそはほんの少し悲観に傾いた。

ぽたりと涙が落ち、その雫はリーシャの頬に落ちる。

それに…リーシャはそっと触れた。
そしてその源を確認するみたいに手を上げるとフェルディナンドの頬に触れる。

「…リーシャ?」

「……だから、泣くなと。王になるのだから…」

「リーシャ、声……」

痛いくらいにリーシャを両腕に押し込み嗚咽を漏らす。うわ言みたいにリーシャの名を呼び、彼を持ち上げた。

リーシャはその首に腕を回す。
涙で歪むフェルディナンドの視界、そして…リーシャは顎に優しく手を添え、最後だと言ったあの日以来…約一年と半年程ぶりの口付け。

あの時は触れるだけのそれだった。
だが、フェルディナンドはリーシャを腕の中から出す事はなく、角度を変えて今度は自ら口付けを請う。舌はリーシャの口内に入り込み、唇を食み、何度も舌を吸う。

「…リーシャ、」

「っふはぁ、はぁ……今度は…ちっそく…させる気ですか」

リーシャは、その瞳に少しずつ…生を宿していった。
フェルディナンドはまたしても細い四肢を抱えると腕の中に収めてしまう。それをリーシャは嫌そうに暴れた。

「おろして」

「ダメです、見てみてくださいリーシャ。あなたが抵抗しても僕は少しも痛くありません。一ヶ月も寝ていたのですから、筋肉も無い、痩せてしまった」

その通りだ、降ろせとは言ってみたもののリーシャが一人で歩けるはずもない。

皇后宮のベッドに降ろされて、水に手を伸ばそうにも力は出ない。

「…死ねなかったのですね」

すぐにフェルディナンドがリーシャにグラスを渡し、自殺未遂を図ってから…初めて自分から何かを口にした。

「リーシャ、今医者を呼びます」

「……いいのです。今までずっと…牢獄に居ました。身体が苦しくても声も出ない。身体も動かずに…あなたの煩い声だけが響いてた…。でも、さっき何故か身体が動いたの」

「…リーシャ、お願いです。何も望みません。そこに居てくれたらそれで…だから、もう僕の前から居なくなるような事をしないで欲しい……これは、あなたを好きで仕方がない愚かな男からのお願いなのです」


リーシャはフェルディナンドに泣くなと小さい頃から言い続けてきた。
なのに、フェルディナンドはその翠色の瞳からぽたぽたと雫を落とすとその膝におでこを擦り付け縋る。

この光景は見た事があると…リーシャは思いを馳せ、その金髪を撫でてやる。

リーシャの愛する王はもう居ない。
居るのは、今膝にすりついて泣くフェルナンドだけだ。

「私はどれくらい寝ていたのですか」

「……意識が戻るまでは一週間、今日こうして話せるようになるまでは二週間と少しなので、大体ひと月」

「じゃあもう、陛下の葬儀は終わってしまったのですね」

フェルナンドは答えられなかった。
自死を選ぶ程に愛した王の葬儀、それを遅らせる訳にはいかず、リーシャにとって唯一だったその肩書きをフェルナンドが賜った事。

もう名実共に王はいない。

フェルナンドは、リーシャの激昂や罵倒を覚悟していたが、それを悟ったにも関わらずリーシャは穏やかだった。

あの日フェルナンドに国賊だと罵ったリーシャが嘘のように、冷静さを纏っている。


「リーシャ、あなたの目覚めを待てずすみません」

「……いいのです、私はあの方を守りたかっただけ。死を悼む事は私のする事じゃない。むしろ…あの方は聖女様を焦がれていた。この国にとって死は絶望ではない。そして、私は聖女様に連れて行っては貰えなかった、それが私と陛下の運命ですから」

フェルナンドは分からなかった。
殉葬を望み、殉葬が成されぬのならと自死を選んだリーシャの言葉とは思えない。

フェルナンドは、もちろん聖女の信徒ではあるがリーシャの深い信仰に着いていける程の崇拝は持ち合わせていない。


「…リーシャ、つかぬ事を伺いますが…僕の声が煩いとは……?」

「愛しているだとか、どんな所が好きだとか毎日毎日。しかも勝手に抱きついて…共寝まで行っていましたね。牢の中でずっとそれに文句を言ってやりたかった。起きたら真っ先にあなたを叱らねばと……そうしたら、またあなたが泣いていて、気付いたら私は自分の牢から出る事が出来たのです」

膝に縋るフェルナンドの頬を軽く撫ぜ、またその頬を抓りあげる。

フェルナンドは果実のように赤く顔を染め、まさか聞いてはいないだろうと語り続けた夢想に酷く羞恥した。

あの時は精一杯だった、意識があるのに視線すら動かさないリーシャに…少しでも刺激を与えたかったから。

フェルナンドの頬を抓りながらリーシャはほんの少し口角を上げる。

「申し訳ございません…違うのです、あなたが寒いかと。暖めないと起きてくれないと…本当なのです。もう…リーシャが望むなら二度と触れないと誓いますから…」

涙ながらに弁解するフェルナンドがまさか王だなんて誰が思うだろう、そうリーシャが心中で悪態をつくとさらに頬を抓った。

「……あなたのそういうところ」

「え?」

リーシャの意識は、本人で言うところの牢の中から解き放たれたとはいえ、それも今さっき。

なのにリーシャはフェルナンドの腕を引っ張ると、自分の腕の中に来るように仕向けた。

フェルナンドは、心臓を鳴らしながらもリーシャの仕草に呼応しベッドの上へ上がる。

横たわったリーシャに馬乗りになるような体勢、そしてリーシャはフェルナンドに口付けを仕掛ける。

軽く触れるだけのキス、そしてその首に腕を回して耳元に柔らかい唇を擦り付けた。

「フェルナンド」

フェルナンドは、リーシャのその甘い抱擁と愛撫に何を返したらいいのかも分からない。

そのまま、この細い腕をベッドに縫い付け唇を性欲のまま貪ってしまいたい。

だが、フェルナンドが持ち合わせた優しさは、彼をまたその両腕にすっぽりと収めた。

「…リーシャ、あなたは小悪魔です。僕をきっと試してる。どれだけ好きかも知っているのに、こんな風に意地悪をする。僕は、今起きたばかりのあなたに、何かする程獣じゃない。あなたは…僕の理性なんて壊れてしまえば面白いのかもしれないけれど、本当に愛しているんです」

リーシャは、その悲痛な震え声を聞いてしまったら…これ以上余計な挑発は出来なかった。

リーシャにとって身体など心よりずっと易いものなのに、フェルナンドはそれすらも奪おうとはしない。


その腕の中は、暖かいがほんの少しだけもどかしい。
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