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騎士王子の片恋相手
騎士王子の片恋相手②
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(本当、本当にあり得ないわっ!)
剣の素振りをしながら、グレースは頭の中でとある人物を罵倒し続ける。
近くを通った隊員の騎士たちが「うわぁ」と言葉を零すのもしっかりと聞こえていた。なので、そちらを強くにらみつければ彼らは我先にとばかりに散っていく。
(最低、最低、最低っ!)
何度も何度も頭の中で罵倒を繰り返し、グレースは剣を握りしめる。
(――私の心を、何だと思っているのよ!)
剣が空を切るような音を聞きながら、グレースは昨日の出来事を思い出していた。
あれは――そう。あの後グレースが目覚めたときから始まった。
◆
「んっ」
身じろぎをして、グレースが目を覚ます。視線だけで周囲を見渡せば、どうやらどこかの貴族の客間らしかった。豪奢な寝台に寝かされている自身の服装はラフなワンピース。
目覚める前の記憶をたどれば、すぐに記憶は引っ張り出てきた。
(そうだわ。私、交流会で飲みすぎて……)
窓の外を見つめれば、すっかり日は落ちている。それにやってしまったとため息をつくグレースだったが、ここにグレースのほかに誰もいないことに気が付く。まぁ、むしろ誰かがいたら関係を疑われるのでいない方が良いのだが。
「しかしまぁ、どうしてこんなことに……」
飲みすぎたような自覚はある。けれど、まさか眠ってしまうなんて。それはきっと、オディロンに横抱きにされて心地よかったからだろう。それは容易に想像が出来たので、グレースは寝台に腰掛けながら頭を抱える。ずきずきと頭が痛むのは飲みすぎの証拠だ。
「……っていうか、ここ何処よ」
ここがどこなのかわからない以上、帰るということは出来ない。それに、オディロンに非礼を詫びないといけない。まさか、彼の腕の中で眠ってしまうなんて。それこそ、無礼だと叱られても仕方がない。……彼は、そんな細かいことを気にするような性格ではないと聞いているが。
そんなことを考えグレースが項垂れていると、ふと部屋の扉がノックされた。それに驚いて返事をすれば、そこからは一人の男性が顔を見せる。……オディロンだ。
オディロンは交流会の時とは違う衣装を身に纏っており、その姿は間違いなく王子殿下そのもの。……それにぼうっと見惚れていれば、オディロンは「起きました?」と問いかけてくる。
「……え、えぇ、まぁ」
気まずくてそっと視線を逸らせば、オディロンは「あんなところで飲みすぎちゃダメですよ」と言いながらグレースに近づいてくる。
「男所帯の中で飲みすぎたら、どうなるかわかりませんよ」
「……普段は、気を付けています。ただ、今回は……その」
「その?」
「まぁ、やけくそになってしまったと言いますか」
肩をすくめながらそう言う。
そうすれば、オディロンは頭上に疑問符を浮かべていた。彼には実は二つの呼び名がある。一つ、騎士を務めていることから『騎士王子』。もう一つは――そう。『天然王子』である。彼は天然な性格の持ち主なのだ。
(頭はいいのに何処となく鈍いって、もう魅力的すぎるわ)
心の中でそう思いながら、グレースは「ここまで連れてきてくださり、ありがとうございました」と言ってぺこりと頭を下げる。
そのまま立ち上がろうとすれば、オディロンに手首をつかまれた。その後「俺の告白の返事、聞かせてくれませんか?」と問うてきた。
……告白の返事。
そんなもの、決まっているじゃないか。
「無理です。私、オディロン殿下とはお付き合いできません」
微かな期待も持たせずに一刀両断すれば、オディロンは露骨に眉を下げてしまった。その表情が可愛らしく見えてしまって、グレースの心臓がとくんと大きな音をたてる。
しかし、ここで甘い顔を見せてはいけない。男とはここで甘い顔を見せればつけあがるものだ。決して全人類の男がそういう感じではないとはわかっていても、兄がそういうタイプだった以上油断はできない。
「グレース嬢」
「私、戻りますね。できれば、ここがどこなのか教えていただければと」
オディロンににっこりと笑いかけてそう言えば、彼は「ここは王宮の客間です」と何でもない風に答えてくれた。
が、王宮の客間ということは――グレース程度の身分では一生入ることが出来ないような部屋じゃないか。
頬が引きつるのを実感していれば、オディロンは「俺の妃に、なってください」と突拍子もなく告げてくる。……この男にはムードとか話題の順序とかはないのだろうか。しかも、先ほどの付き合ってよりもパワーアップしている。
「勘弁してください。私は女騎士……もとい、ただの男爵令嬢です。そんな、王子殿下に嫁げるような身分ではありません」
ゆるゆると首を横に振りながらそう言えば、彼は「そんなのどうでもいい」と言いながらグレースの手を握ってくる。ごつごつとした騎士の手に、グレースの頬に熱が溜まっていく。
「俺はグレース嬢が良い。それに、俺は王位継承者じゃない。だから、好きな人と結婚できる」
まっすぐにグレースの目を見つめ、オディロンがそう言う。
熱烈な告白だ。そう思う半面、やはり彼と自分は釣り合わないと思ってしまう。
(とりあえず、逃げましょう)
一瞬でそう判断し、グレースは「ですが、無理です」と言った後オディロンの手を振り払おうとする。けれど、振り払えない。
しかも、彼は何を思ったのかグレースの手を取ってその手の甲に口づけてきた。
「――なっ!」
驚いて力いっぱい手を引っ込めれば、彼はにっこりと笑う。その後「俺なりの、忠誠の証です」と言ってくる。……違う。立場が逆だ。そう言いたいのに、口はもごもごと動くだけであり、上手くしゃべることが出来ない。
グレースがその顔を真っ赤に染め上げるのを見ても、オディロンは笑うだけだ。その笑い方に心を乱されながらも、グレースは「か、帰ります!」と言って一心不乱に扉に向かって駆けた。
そして、騎士団の宿舎に戻り私室に入った。……やたらと心臓がバクバクと鳴るのは気のせいではない。
(な、な、な)
――何あの王子殿下!
心の中でそう叫びながら、グレースはこの夜一睡もできなかった。
◆
(どうしていきなり手の甲にキス⁉ っていうか、普通私が忠誠を誓う側でしょう⁉)
内心で悪態をつきながら、グレースはまだ一心不乱に剣の素振りをしていた。この日、訓練は午前中のみであり、午後からは久々の半休だった。いつもならば私室にこもったり買い物に行ったりするのだが、今日はそんな気分にはなれない。
そういうこともあり、宿舎の前で一心不乱に剣を振っていたのだ。
グレースはオディロンのことが恋愛感情で好きだった。しかし、あんなことになって「はい!」と喜んで言えるほど夢見がちではない。グレースとて二十歳を迎えたのだ。夢を見られる年齢はとっくの昔に過ぎた。
(最低、最低、最低っ!)
「あのー、隊長?」
(本当にあり得ないわ。……あんなキスは、何処かのお姫様か令嬢に贈りなさいよ!)
「隊長!」
グレースが一人心の中で文句を呟いていれば、遠くからグレースを呼ぶ声が聞こえた。それに驚いて慌ててそちらに視線を向ければ、そこにはナタンがいた。彼はグレースを見つめ「隊長に来客がありますよ」と言ってくる。……ちなみに、かなりグレースから離れている。こういう時のグレースはいつも以上に手が出やすいことを彼は心得ているのだ。
「……追い返して頂戴」
どうせどこかの貴族がやってきたのだろう。そう思いそう言えば、ナタンは「そういうわけにもいきませんってば」と叫ぶ。こちらに近づいてくる意思はどうやら彼にはないらしい。
「今日は私は半休なの!」
やけくそになってそう言うのに、ナタンは「だって、殿下がいらっしゃっているんですからー!」と叫んできた。……殿下。
「はぁ?」
「オディロン殿下が、隊長に会いたいってこっちにいらっしゃっているんです!」
――オディロン殿下。
その言葉にグレースの頬が引きつる。……どうして、彼が。
(そもそも、昨日今日でどんな顔をして会えばいいっていうのよ……)
そう思い頭を抱えてしまいそうになるものの、グレースは下唇を噛むだけにとどめた。しかし、意を決して「じゃあ、応接室にお通しして頂戴」と叫ぶ。
「私は着替えてからオディロン殿下の元に行くから。ナタンがおもてなししておいて頂戴――」
とりあえず、ナタンに指示を出しておこう。
そんな風に考えてグレースがそう言った時だった。不意に後ろから誰かに肩を掴まれる。その所為で「ひぇっ!」と声をあげ、グレースは手に持っていた剣を落とす。
「――グレース嬢」
何処となく、甘ったるいような声だった。それに驚いてグレースが固まってしまえば、その人物はグレースのことを後ろから抱きしめてくる。……人間とは、予想外の危機に瀕した時は声も出ないのだろう。それを今、グレースは認識した。
(あ、ありえない――!)
話は変わるがグレースには悪い癖がある。幼少期。年頃の異性にたくさん悪戯をされた。その所為――と言うべきなのか。グレースは――危機に瀕すれば問答無用で手が出るのだ。
「ぐっ」
後ろから抱きしめた人物が低い悲鳴を上げるのがわかった。遠くにいたナタンが冷や汗をだらだらと垂らしている。
「さ、さ、さ――」
――最低っ! 変質者!
半ばヤケクソのようにそう叫ぶ。グレースは肘で思いきり彼――オディロンの腹を殴ったのだ。見事に肘を打ち込んだせいなのか、オディロンはその場にうずくまる。
「は、はぁ、はぁ……」
思い切り叫び、肘を打ち込んだグレースは呼吸を整える。実のところ、グレースは男性の下心が大嫌いなのだ。だからこそ、自分に言い寄てくる男性に触れられた瞬間――蕁麻疹が走り、すぐに手を出してしまう。
「た、た、隊長ー!」
ナタンが思いきり駆けてくる。それを見つめながら、グレースは「何よ」とツンと澄まして答える。
「王子殿下殴ってどうするんですか!」
「……あ、あぁあっ!」
その時、グレースは初めて自分が肘を打ち込んだ相手が王子であるオディロンだと理解した。
(このままだと、王子殿下に手を出した罪で処されるわ!)
そう思っても、謝罪の言葉は口から出てこない。だって、グレースは悪いとは思っていないから。この場合悪いのは先に手を出してきたオディロンだろう。そう思って彼の様子を窺えば、彼は腹を押さえながら「……肘の打ち込み方、完璧でしたね」とすっとぼけたようなことを言う。
「……はぃ?」
「護身術として完璧です。……むしろ、俺も見習いたい」
……この王子殿下は何を言っているのだ。
そう思いグレースが頬を引きつらせていれば、彼は「その護身術、俺に教えてくれませんか?」と問いかけてきた。……本当に意味が分からない。
「グレース嬢はやっぱり俺が見込んだ通りの女性です。……いやぁ、長年見つめ続けてきましたが、実際にこういうの食らうといろいろと新鮮です!」
「……何、おっしゃっているのですか?」
今の発言にはいろいろと突っ込みどころがあるような気がする。いや、突っ込みどころしかない。
(そもそも、私を長年見つめ続けていたって――どういうこと⁉)
本当に意味が分からない。そう思ってしまうグレースを他所に、オディロンは「俺、グレース嬢と結婚したい!」と目をキラキラとさせながら言ってくる。……そこに、普段の面影はない。
さらには彼はその手をグレースの腰に回してくる。なので、その手は容赦なくはたきおとす。
「セクハラです」
「そういう物事をはっきりと言うところ、好きです」
……何なんだ、この男は。
もういろいろと突っ込みどころがありすぎて、グレースは何とも言えなくなった。
そんなグレースを他所に、オディロンは「好きです」ともう一度言ってくる。
「貴方が男を袖にするところに、惚れこみました」
「……はぃ?」
「男に容赦なく攻撃が出来る。そんな強い貴女に惚れたんです。……どうか、俺の恋人、婚約者、妃。どれでもいいのでなってください」
その言葉だと自分に拒否権はないようだ。そう悟るが、グレースとて易々とは納得できない。だからこそ、グレースは息を吸った。
「帰ってくださいっ!!」
顔を真っ赤にしてそう言えば、オディロンはきょとんとしたような表情になる。その表情は大層可愛らしかったが……いかんせん、言っていることがめちゃくちゃだ。納得できるわけがない。
「そういうところ、好きです」
「本当に意味が分かりませんから!」
真剣な面持ちでそう言われ、グレースは目に涙を浮かべながらそう言ってしまう。……なんというか、いろいろと不安だった。
剣の素振りをしながら、グレースは頭の中でとある人物を罵倒し続ける。
近くを通った隊員の騎士たちが「うわぁ」と言葉を零すのもしっかりと聞こえていた。なので、そちらを強くにらみつければ彼らは我先にとばかりに散っていく。
(最低、最低、最低っ!)
何度も何度も頭の中で罵倒を繰り返し、グレースは剣を握りしめる。
(――私の心を、何だと思っているのよ!)
剣が空を切るような音を聞きながら、グレースは昨日の出来事を思い出していた。
あれは――そう。あの後グレースが目覚めたときから始まった。
◆
「んっ」
身じろぎをして、グレースが目を覚ます。視線だけで周囲を見渡せば、どうやらどこかの貴族の客間らしかった。豪奢な寝台に寝かされている自身の服装はラフなワンピース。
目覚める前の記憶をたどれば、すぐに記憶は引っ張り出てきた。
(そうだわ。私、交流会で飲みすぎて……)
窓の外を見つめれば、すっかり日は落ちている。それにやってしまったとため息をつくグレースだったが、ここにグレースのほかに誰もいないことに気が付く。まぁ、むしろ誰かがいたら関係を疑われるのでいない方が良いのだが。
「しかしまぁ、どうしてこんなことに……」
飲みすぎたような自覚はある。けれど、まさか眠ってしまうなんて。それはきっと、オディロンに横抱きにされて心地よかったからだろう。それは容易に想像が出来たので、グレースは寝台に腰掛けながら頭を抱える。ずきずきと頭が痛むのは飲みすぎの証拠だ。
「……っていうか、ここ何処よ」
ここがどこなのかわからない以上、帰るということは出来ない。それに、オディロンに非礼を詫びないといけない。まさか、彼の腕の中で眠ってしまうなんて。それこそ、無礼だと叱られても仕方がない。……彼は、そんな細かいことを気にするような性格ではないと聞いているが。
そんなことを考えグレースが項垂れていると、ふと部屋の扉がノックされた。それに驚いて返事をすれば、そこからは一人の男性が顔を見せる。……オディロンだ。
オディロンは交流会の時とは違う衣装を身に纏っており、その姿は間違いなく王子殿下そのもの。……それにぼうっと見惚れていれば、オディロンは「起きました?」と問いかけてくる。
「……え、えぇ、まぁ」
気まずくてそっと視線を逸らせば、オディロンは「あんなところで飲みすぎちゃダメですよ」と言いながらグレースに近づいてくる。
「男所帯の中で飲みすぎたら、どうなるかわかりませんよ」
「……普段は、気を付けています。ただ、今回は……その」
「その?」
「まぁ、やけくそになってしまったと言いますか」
肩をすくめながらそう言う。
そうすれば、オディロンは頭上に疑問符を浮かべていた。彼には実は二つの呼び名がある。一つ、騎士を務めていることから『騎士王子』。もう一つは――そう。『天然王子』である。彼は天然な性格の持ち主なのだ。
(頭はいいのに何処となく鈍いって、もう魅力的すぎるわ)
心の中でそう思いながら、グレースは「ここまで連れてきてくださり、ありがとうございました」と言ってぺこりと頭を下げる。
そのまま立ち上がろうとすれば、オディロンに手首をつかまれた。その後「俺の告白の返事、聞かせてくれませんか?」と問うてきた。
……告白の返事。
そんなもの、決まっているじゃないか。
「無理です。私、オディロン殿下とはお付き合いできません」
微かな期待も持たせずに一刀両断すれば、オディロンは露骨に眉を下げてしまった。その表情が可愛らしく見えてしまって、グレースの心臓がとくんと大きな音をたてる。
しかし、ここで甘い顔を見せてはいけない。男とはここで甘い顔を見せればつけあがるものだ。決して全人類の男がそういう感じではないとはわかっていても、兄がそういうタイプだった以上油断はできない。
「グレース嬢」
「私、戻りますね。できれば、ここがどこなのか教えていただければと」
オディロンににっこりと笑いかけてそう言えば、彼は「ここは王宮の客間です」と何でもない風に答えてくれた。
が、王宮の客間ということは――グレース程度の身分では一生入ることが出来ないような部屋じゃないか。
頬が引きつるのを実感していれば、オディロンは「俺の妃に、なってください」と突拍子もなく告げてくる。……この男にはムードとか話題の順序とかはないのだろうか。しかも、先ほどの付き合ってよりもパワーアップしている。
「勘弁してください。私は女騎士……もとい、ただの男爵令嬢です。そんな、王子殿下に嫁げるような身分ではありません」
ゆるゆると首を横に振りながらそう言えば、彼は「そんなのどうでもいい」と言いながらグレースの手を握ってくる。ごつごつとした騎士の手に、グレースの頬に熱が溜まっていく。
「俺はグレース嬢が良い。それに、俺は王位継承者じゃない。だから、好きな人と結婚できる」
まっすぐにグレースの目を見つめ、オディロンがそう言う。
熱烈な告白だ。そう思う半面、やはり彼と自分は釣り合わないと思ってしまう。
(とりあえず、逃げましょう)
一瞬でそう判断し、グレースは「ですが、無理です」と言った後オディロンの手を振り払おうとする。けれど、振り払えない。
しかも、彼は何を思ったのかグレースの手を取ってその手の甲に口づけてきた。
「――なっ!」
驚いて力いっぱい手を引っ込めれば、彼はにっこりと笑う。その後「俺なりの、忠誠の証です」と言ってくる。……違う。立場が逆だ。そう言いたいのに、口はもごもごと動くだけであり、上手くしゃべることが出来ない。
グレースがその顔を真っ赤に染め上げるのを見ても、オディロンは笑うだけだ。その笑い方に心を乱されながらも、グレースは「か、帰ります!」と言って一心不乱に扉に向かって駆けた。
そして、騎士団の宿舎に戻り私室に入った。……やたらと心臓がバクバクと鳴るのは気のせいではない。
(な、な、な)
――何あの王子殿下!
心の中でそう叫びながら、グレースはこの夜一睡もできなかった。
◆
(どうしていきなり手の甲にキス⁉ っていうか、普通私が忠誠を誓う側でしょう⁉)
内心で悪態をつきながら、グレースはまだ一心不乱に剣の素振りをしていた。この日、訓練は午前中のみであり、午後からは久々の半休だった。いつもならば私室にこもったり買い物に行ったりするのだが、今日はそんな気分にはなれない。
そういうこともあり、宿舎の前で一心不乱に剣を振っていたのだ。
グレースはオディロンのことが恋愛感情で好きだった。しかし、あんなことになって「はい!」と喜んで言えるほど夢見がちではない。グレースとて二十歳を迎えたのだ。夢を見られる年齢はとっくの昔に過ぎた。
(最低、最低、最低っ!)
「あのー、隊長?」
(本当にあり得ないわ。……あんなキスは、何処かのお姫様か令嬢に贈りなさいよ!)
「隊長!」
グレースが一人心の中で文句を呟いていれば、遠くからグレースを呼ぶ声が聞こえた。それに驚いて慌ててそちらに視線を向ければ、そこにはナタンがいた。彼はグレースを見つめ「隊長に来客がありますよ」と言ってくる。……ちなみに、かなりグレースから離れている。こういう時のグレースはいつも以上に手が出やすいことを彼は心得ているのだ。
「……追い返して頂戴」
どうせどこかの貴族がやってきたのだろう。そう思いそう言えば、ナタンは「そういうわけにもいきませんってば」と叫ぶ。こちらに近づいてくる意思はどうやら彼にはないらしい。
「今日は私は半休なの!」
やけくそになってそう言うのに、ナタンは「だって、殿下がいらっしゃっているんですからー!」と叫んできた。……殿下。
「はぁ?」
「オディロン殿下が、隊長に会いたいってこっちにいらっしゃっているんです!」
――オディロン殿下。
その言葉にグレースの頬が引きつる。……どうして、彼が。
(そもそも、昨日今日でどんな顔をして会えばいいっていうのよ……)
そう思い頭を抱えてしまいそうになるものの、グレースは下唇を噛むだけにとどめた。しかし、意を決して「じゃあ、応接室にお通しして頂戴」と叫ぶ。
「私は着替えてからオディロン殿下の元に行くから。ナタンがおもてなししておいて頂戴――」
とりあえず、ナタンに指示を出しておこう。
そんな風に考えてグレースがそう言った時だった。不意に後ろから誰かに肩を掴まれる。その所為で「ひぇっ!」と声をあげ、グレースは手に持っていた剣を落とす。
「――グレース嬢」
何処となく、甘ったるいような声だった。それに驚いてグレースが固まってしまえば、その人物はグレースのことを後ろから抱きしめてくる。……人間とは、予想外の危機に瀕した時は声も出ないのだろう。それを今、グレースは認識した。
(あ、ありえない――!)
話は変わるがグレースには悪い癖がある。幼少期。年頃の異性にたくさん悪戯をされた。その所為――と言うべきなのか。グレースは――危機に瀕すれば問答無用で手が出るのだ。
「ぐっ」
後ろから抱きしめた人物が低い悲鳴を上げるのがわかった。遠くにいたナタンが冷や汗をだらだらと垂らしている。
「さ、さ、さ――」
――最低っ! 変質者!
半ばヤケクソのようにそう叫ぶ。グレースは肘で思いきり彼――オディロンの腹を殴ったのだ。見事に肘を打ち込んだせいなのか、オディロンはその場にうずくまる。
「は、はぁ、はぁ……」
思い切り叫び、肘を打ち込んだグレースは呼吸を整える。実のところ、グレースは男性の下心が大嫌いなのだ。だからこそ、自分に言い寄てくる男性に触れられた瞬間――蕁麻疹が走り、すぐに手を出してしまう。
「た、た、隊長ー!」
ナタンが思いきり駆けてくる。それを見つめながら、グレースは「何よ」とツンと澄まして答える。
「王子殿下殴ってどうするんですか!」
「……あ、あぁあっ!」
その時、グレースは初めて自分が肘を打ち込んだ相手が王子であるオディロンだと理解した。
(このままだと、王子殿下に手を出した罪で処されるわ!)
そう思っても、謝罪の言葉は口から出てこない。だって、グレースは悪いとは思っていないから。この場合悪いのは先に手を出してきたオディロンだろう。そう思って彼の様子を窺えば、彼は腹を押さえながら「……肘の打ち込み方、完璧でしたね」とすっとぼけたようなことを言う。
「……はぃ?」
「護身術として完璧です。……むしろ、俺も見習いたい」
……この王子殿下は何を言っているのだ。
そう思いグレースが頬を引きつらせていれば、彼は「その護身術、俺に教えてくれませんか?」と問いかけてきた。……本当に意味が分からない。
「グレース嬢はやっぱり俺が見込んだ通りの女性です。……いやぁ、長年見つめ続けてきましたが、実際にこういうの食らうといろいろと新鮮です!」
「……何、おっしゃっているのですか?」
今の発言にはいろいろと突っ込みどころがあるような気がする。いや、突っ込みどころしかない。
(そもそも、私を長年見つめ続けていたって――どういうこと⁉)
本当に意味が分からない。そう思ってしまうグレースを他所に、オディロンは「俺、グレース嬢と結婚したい!」と目をキラキラとさせながら言ってくる。……そこに、普段の面影はない。
さらには彼はその手をグレースの腰に回してくる。なので、その手は容赦なくはたきおとす。
「セクハラです」
「そういう物事をはっきりと言うところ、好きです」
……何なんだ、この男は。
もういろいろと突っ込みどころがありすぎて、グレースは何とも言えなくなった。
そんなグレースを他所に、オディロンは「好きです」ともう一度言ってくる。
「貴方が男を袖にするところに、惚れこみました」
「……はぃ?」
「男に容赦なく攻撃が出来る。そんな強い貴女に惚れたんです。……どうか、俺の恋人、婚約者、妃。どれでもいいのでなってください」
その言葉だと自分に拒否権はないようだ。そう悟るが、グレースとて易々とは納得できない。だからこそ、グレースは息を吸った。
「帰ってくださいっ!!」
顔を真っ赤にしてそう言えば、オディロンはきょとんとしたような表情になる。その表情は大層可愛らしかったが……いかんせん、言っていることがめちゃくちゃだ。納得できるわけがない。
「そういうところ、好きです」
「本当に意味が分かりませんから!」
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