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本編 第3章
第3話
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「お言葉ですが、多賀少将。私たちにその役目は荷が重く感じております」
朔太郎が一歩足を踏み出し、真剣な面持ちで告げた。慌てて律哉も「私も同意見です」という。
(そもそも、補佐になどなってしまえば、家に帰るのが遅くなる可能性が高い)
今までなら、喜んで受け入れたであろう役目。でも、今は遠慮したい。折角の新婚なのに、妻と離れる時間を増やしたくない。
「私たちよりも適切な人材は、ほかにいらっしゃいます」
断りの言葉を述べても多賀はなにも言わない。むしろ、踵を返して執務机のほうに戻ってしまった。
そして、椅子に深く腰掛け、背もたれに背中を預けた。
「私は別に適切な人材が欲しいわけではない。お前たちが適任だと思ったから、声をかけたんだ」
脚を組み、多賀が律哉を見据える。漆黒色の双眸には感情などちっとも宿っていない。淡々とした男だった。
「――と、言いますと?」
先の言葉を促した朔太郎に、多賀が笑う。にやりという言葉が似合いそうな笑みだ。
「キミたちがちょうどいいと思ったからだ。キミたちよりも上の年齢になると、口うるさいだろう」
「……はぁ」
なんか流れた変わったような気がする。気のせいではないはずだ。
「そして、キミたちよりも下の年齢になると、まだ軍に馴染んでいない者もいる。そんなやつは現状役に立たない」
穏やかな声でばさりと切り捨てていく。本当に恐ろしい人物だと感じる。
「有能な人材、将来性のある人材。まぁ、いろいろあるが、私が欲しいのはただ一つ」
多賀が人差し指を立てた。くるりと円を描いて、順番に二人を指さす。
「――それなりに仕事ができ、口うるさくない。出世欲はそこそこで露骨に上に媚びない」
一つと言った割には、条件が多くないだろうか?
などと口を挟むのは愚か者のすることだ。律哉は唇を結んだ。
「まぁ、つまり。――私に仕事をしろと促してこない補佐だ」
……開いた口がふさがらないとは、まさにこのことだろうか。
「私はあまり仕事が好きじゃなくてね。いや、軍部の仕事が嫌いというわけじゃない。働く、労働。そういうのが嫌いなんだ」
「……多賀少将?」
「できれば一日中布団にこもって寝ていたいじゃないか。ごろごろぐーたらしていたいじゃないか」
頬杖を突き、多賀が大きく息を吐いた。
「こんなに出世する予定ではなかったんだ。なのに、まったく。優秀だ有能だと勝手に周りに評価され、今ではこんな階級まで来てしまった。私は怠惰だというのに!」
多賀がバンっと執務机をたたく。立派な机はびくともしない。上に載った書類が微かに揺れるだけだ。
「できれば面倒なことはしたくない。私は自分のやり方で仕事がしたい。書類など、提出日に間に合えばそれで十分だろう」
一人ブツブツと文句を言う多賀を見ていると、先ほどまで身体にまとわりついていた得体のしれない恐怖が薄れていくのがわかる。
でも、完全に油断はできない。多賀を見ているとわかるのだ。この男はただ者ではないと。
(やる気がなく、怠惰。だが、出世している。恐ろしいほどに有能な人材なのだろうな)
一目見てわかる体格の良さ。他者を威圧する雰囲気。すべてが軍人に向いている。
「――と、それなりに言ってみたが、結局のところ急遽決まった配属となる。私にはこの駐屯地のことがなにもわからない。しばらく面倒をみてくれということだ」
また背もたれに背中を預けた多賀が二人を見つめる。
「補佐となれば、給金は増える。そして、残業はなしだ。毎日定時に帰ることが可能となる」
「……それ、いいんですか?」
「いいもなにも、私が定時で帰りたいんだ。職場になど長くいたくない」
……完全に私情が入っていた。むしろ、私情がすべてだと言っても過言ではない。
「どうだろうか? やってみてくれないか?」
多賀が目を細める。
視線を浴びて、律哉は背筋を正した。
「承知いたしました。桐ケ谷、その任をお引き受けしたく思います」
頭を下げる。隣の朔太郎も、少し時間を置いて了承の返事をしていた。
(定時で帰ることができるのならば、真白との時間が減る心配はない)
むしろ、残業時間がなくなるので、一緒にいる時間は増えるはずだ。だったら、引き受けない手はない。
「そうかそうか、助かる。……では、今からこの駐屯地の案内を頼みたい」
「承知いたしました」
多賀の言葉にうなずく。
この上司は食えない存在だというのはよくわかった。だが、悪い人ではなさそうだ。
(やる気がないのが、吉と出るか凶と出るか……)
今の律哉にはそんなことわからない。ただ、上手くやれたらいいなぁとは思っているのだ。
朔太郎が一歩足を踏み出し、真剣な面持ちで告げた。慌てて律哉も「私も同意見です」という。
(そもそも、補佐になどなってしまえば、家に帰るのが遅くなる可能性が高い)
今までなら、喜んで受け入れたであろう役目。でも、今は遠慮したい。折角の新婚なのに、妻と離れる時間を増やしたくない。
「私たちよりも適切な人材は、ほかにいらっしゃいます」
断りの言葉を述べても多賀はなにも言わない。むしろ、踵を返して執務机のほうに戻ってしまった。
そして、椅子に深く腰掛け、背もたれに背中を預けた。
「私は別に適切な人材が欲しいわけではない。お前たちが適任だと思ったから、声をかけたんだ」
脚を組み、多賀が律哉を見据える。漆黒色の双眸には感情などちっとも宿っていない。淡々とした男だった。
「――と、言いますと?」
先の言葉を促した朔太郎に、多賀が笑う。にやりという言葉が似合いそうな笑みだ。
「キミたちがちょうどいいと思ったからだ。キミたちよりも上の年齢になると、口うるさいだろう」
「……はぁ」
なんか流れた変わったような気がする。気のせいではないはずだ。
「そして、キミたちよりも下の年齢になると、まだ軍に馴染んでいない者もいる。そんなやつは現状役に立たない」
穏やかな声でばさりと切り捨てていく。本当に恐ろしい人物だと感じる。
「有能な人材、将来性のある人材。まぁ、いろいろあるが、私が欲しいのはただ一つ」
多賀が人差し指を立てた。くるりと円を描いて、順番に二人を指さす。
「――それなりに仕事ができ、口うるさくない。出世欲はそこそこで露骨に上に媚びない」
一つと言った割には、条件が多くないだろうか?
などと口を挟むのは愚か者のすることだ。律哉は唇を結んだ。
「まぁ、つまり。――私に仕事をしろと促してこない補佐だ」
……開いた口がふさがらないとは、まさにこのことだろうか。
「私はあまり仕事が好きじゃなくてね。いや、軍部の仕事が嫌いというわけじゃない。働く、労働。そういうのが嫌いなんだ」
「……多賀少将?」
「できれば一日中布団にこもって寝ていたいじゃないか。ごろごろぐーたらしていたいじゃないか」
頬杖を突き、多賀が大きく息を吐いた。
「こんなに出世する予定ではなかったんだ。なのに、まったく。優秀だ有能だと勝手に周りに評価され、今ではこんな階級まで来てしまった。私は怠惰だというのに!」
多賀がバンっと執務机をたたく。立派な机はびくともしない。上に載った書類が微かに揺れるだけだ。
「できれば面倒なことはしたくない。私は自分のやり方で仕事がしたい。書類など、提出日に間に合えばそれで十分だろう」
一人ブツブツと文句を言う多賀を見ていると、先ほどまで身体にまとわりついていた得体のしれない恐怖が薄れていくのがわかる。
でも、完全に油断はできない。多賀を見ているとわかるのだ。この男はただ者ではないと。
(やる気がなく、怠惰。だが、出世している。恐ろしいほどに有能な人材なのだろうな)
一目見てわかる体格の良さ。他者を威圧する雰囲気。すべてが軍人に向いている。
「――と、それなりに言ってみたが、結局のところ急遽決まった配属となる。私にはこの駐屯地のことがなにもわからない。しばらく面倒をみてくれということだ」
また背もたれに背中を預けた多賀が二人を見つめる。
「補佐となれば、給金は増える。そして、残業はなしだ。毎日定時に帰ることが可能となる」
「……それ、いいんですか?」
「いいもなにも、私が定時で帰りたいんだ。職場になど長くいたくない」
……完全に私情が入っていた。むしろ、私情がすべてだと言っても過言ではない。
「どうだろうか? やってみてくれないか?」
多賀が目を細める。
視線を浴びて、律哉は背筋を正した。
「承知いたしました。桐ケ谷、その任をお引き受けしたく思います」
頭を下げる。隣の朔太郎も、少し時間を置いて了承の返事をしていた。
(定時で帰ることができるのならば、真白との時間が減る心配はない)
むしろ、残業時間がなくなるので、一緒にいる時間は増えるはずだ。だったら、引き受けない手はない。
「そうかそうか、助かる。……では、今からこの駐屯地の案内を頼みたい」
「承知いたしました」
多賀の言葉にうなずく。
この上司は食えない存在だというのはよくわかった。だが、悪い人ではなさそうだ。
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今の律哉にはそんなことわからない。ただ、上手くやれたらいいなぁとは思っているのだ。
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