マギカブレイカー2章

信長三世

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アーデリア帝国

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帝都はまだ青い。

だが王宮最上層だけは、すでに光を帯びていた。

玉座の間。

巨大な円形窓の向こうに、導力塔群が紫の脈動を刻んでいる。

その中心。

玉座に、紫が在る。

マルヴァ・アーデリア。

帝国女王。

夜より深い王装。鋭角に裁たれた外套。紫銀の長髪が静かに流れ、深青紫の瞳は瞬きすら惜しむように都市を見下ろしている。

右手の王笏。

先端の完全透明な人工結晶が、都市演算機構と同期し、微細な振動を伝える。

帝都全域の魔力流動。

区画ごとの消費量。

依存国家への供給比率。

すべてが数値化され、彼女の掌に収まっている。

階下に二人。

ブロメル。

丸い体躯に濃紺の法衣。両手の指輪が静かに光る。

「西再開発区、魔力効率九十八・七。過去最高値です」

声は穏やか。

だが目は常に計算している。

ドレイク。

細身の軍装。影のように無駄がない。

「反独占圏、声明文を修正中。だが帝国炉代替案は未完成」

抑揚のない声。

事実のみ。

マルヴァは微動だにしない。

「冬は近い」

短い一言。

ブロメルが微笑む。

「はい。彼らは契約を更新します」

王笏に、ほんのわずか力が込められる。

帝都南区の魔力圧が一段階下がる。

代わりに北区を補強。

市民は気づかない。

誤差〇・〇〇〇三。

許容範囲内。

地下深層。

巨大な演算環が回転している。

帝国炉群と直結する中枢。

その上に立つ存在は、もはや王というより――制御装置。

マルヴァが呟く。

「暴走は未熟の証」

それは信念。

かつて十代で暴走域を圧縮し、都市一角を救った少女の記憶は、いまや国家の神話だ。

広場の紋章が紫に光る。

衛兵が敬礼する。

市民が頭を垂れる。

それは恐怖ではない。

安心だ。

帝国は安定している。

凍死者ゼロ。

飢餓ゼロ。

犯罪率最低。

数字は嘘をつかない。

ドレイクが一歩進む。

「教育区の炉に一瞬の出力変動」

沈黙。

王笏の結晶がかすかに脈打つ。

「誤差か」

「〇・〇〇〇一」

マルヴァの瞳が細くなる。

「記録だけ残せ」

それだけ。

帝国は揺らがない。

揺らぎは排除する。

排除できる。

マルヴァは立ち上がる。

外套が紫の軌跡を描く。

「未熟は管理する」

それが帝国。

それが彼女。

朝日が昇る。

帝都は今日も整流されている。

完璧に。

――少なくとも、女王の掌の上では。

王宮の高窓を離れた風は、石畳の匂いを運んでくる。

学園。

まだ朝露が残る中庭に、小さな靴音が重なっていた。

初等科の校舎は白く、少しだけ古い。

窓から身を乗り出す声。

「今日返却だよな?」

「うん……魔力基礎」

「やばいかも」

掲示板の前に、じわじわと人が集まる。

背が足りない。

つま先立ち。

前の子の肩を掴んで覗き込む。

その後ろ。

黒から金へ流れるグラデーションの髪が、朝日に溶ける。

うなじから低く結ばれたローツインテールが、静かに揺れた。

「……審判の刻」

「始まったよ」

エルナが即座に突っ込む。

教師が紙を貼る。

ぱん、と乾いた音。

一瞬の静止。

「出た!」

波のように視線が走る。

「一位、ルシア」

「やっぱり」

「またかー」

ルシアは掲示板を見上げる。

ほんの少しだけ、顎が上がる。

「必然」

「普通に喜べよ」

レオンが笑う。

二位、ノエル。

「惜しい」

ノエルは答案を受け取り、静かに目を通す。

「符号、逆にした」

「それだけで二位なの怖いんだけど」

ティナが半泣き。

三位、アルト。

四位、セリナ。

セリナは順位を確認するだけで、もう興味を失ったように踵を返す。

「点は点だ」

短い。

中位。

リリア。

答案を受け取り、ぱらりとめくる。

ぱち。

「また鳴った」

「静電気でしょ」

誰かが言う。

今朝は湿っているのに。

教師が声を張る。

「問五。“魔力を安定させるために大切なことを三つ”」

「あ、深呼吸って書いた!」

「俺も!」

ルシアの答案には、細かい文字が並んでいる。

“魔力波形の振幅安定”
“感情出力の同期抑制”
“術前循環均一化”

教師が額を押さえる。

「……内容は正しいが、小学生向けに書け」

「真理は簡略化できません」

「できる」

ノエルが即答。

笑いが広がる。

王宮では数値が都市を整える。

ここでは、まだ背の低い子供たちが、
自分の中の揺らぎをどう整えるかで必死だ。

教師が手を叩く。

「次、武術場へ移動!」

空気が変わる。

緊張が少し混ざる。

セリナの足取りが、わずかに速くなる。

ルシアのツインテールが揺れる。

リリアが最後に石畳を踏む。

ぱち。

朝の青は、まだやわらかい。

武術の時間が始まる。

武術場の円形フィールドが淡く起動する。

壁際の棚には色とりどりの教育用武器が整然と並んでいる。
槍、杖、短剣、脇差、棍、そして軽量加工されたスリングショット。

生徒たちはそれぞれの得物を手に取る。
素材は柔軟だが内部に感応式導体が仕込まれ、魔力を通せば本物同様の手応えを返す。

担任の教師が、優しく手を叩いた。

「今日は総当たりね。誰と当たってもいいわ。
 場外か、きれいに一本取ったら勝ち。
 危なくなったら炉が止めるから、思いきりいきましょう」

天井の教育用魔力炉が低く唸る。

炎は燃える“感覚”だけを与え、
氷は凍える錯覚を与えるが怪我はしない。
電撃は痺れるが傷つけない。

本物に近く、しかし安全。

「始めましょう」



最初に弾けたのは、空気を裂く音だった。

アルトの魔力槍が真っ直ぐ伸びる。
圧縮術式で半歩分だけ間合いが延びる。

火属性のカインが火球を放つ。

アルトは槍身に回転魔力を流し、炎を逸らし、柄で胴を払う。

「一本!」

中央が空く。



ルシアは動かない。

黒から金へ流れる髪を揺らし、逆手のダガーを低く構える。

踏み込んできた上級生志望の男子生徒、レオ。
力任せの斬撃。

ルシアは刃先に“角度補正”を流す。
斬撃はわずかに外れる。

「軌道が甘いわ」

だがレオは二撃目を重ねる。
横薙ぎと同時に足元へ疑似氷結術式。

床が“凍った感覚”を再現する。

一瞬、ルシアの踏み込みが止まる。

そこへ柄打ち。

「一本!」

ルシアは悔しそうに目を細めるが、静かに外へ出る。

理詰めの魔術は強い。
だが総当たりの混戦では、複合攻撃に弱い。



ノエルは脇差を抜く。

氷の水膜が刃を包む。

セリナと一瞬打ち合う。
炎と氷が触れ、白い蒸気のような揺らぎ。

互角。

だが横からエルナの弾が足元を弾ませる。

沈む感覚。

セリナの棍が伸びる。

「ごめんね、ノエル」

一本。



エルナは空へ跳ぶ。

足元に反発膜。
空中にも薄い足場を描き、三次元的に跳ね回る。

スリングショットを回転させ、その遠心力を魔力弾に乗せる。

通常よりもはるかに速い長距離射撃。

弾は武器へ共振を起こし、床へ弾性変化を与え、視界を歪ませる疑似電撃も混ぜる。

接近すれば拳に巻き付け、打撃補強。

止まらない。

縦横無尽に動き回り次々に一本を攫って行く。



セリナは炎の陣を描く。

背丈より短い二本の棍の中央を握る。

両端に炎が灯る。

体温が上がり、動作の始動が速まる。

長剣を弾き、回転、柄打ち。

確実に削る。



リリアは外周。

杖を縦に。

踏み込みの“先”に杖の端を置く。

ぱち。

足がずれる。

一本。

また一本。

戦わせない。



やがて四人。
このとき最も一本を取っていたのはエルナ。

セリナ。
エルナ。
アルト。
リリア。
最後に残った者が高得点が付く。

中央に圧が集まる。

アルトとセリナが正面衝突。

槍と炎棍がぶつかり、空気が鳴る。

同時に。

空中からエルナがリリアへ急降下。

弾を連射しながら距離を詰める。

疑似電撃弾。

疑似氷結弾。

軌道が逸れる。

当たらない。

リリアは動かない。

エルナが空中足場を蹴り、背後を取る。

その瞬間。

ぱち。

空間が鳴る。

リリアの杖の端が、エルナの着地地点に置かれている。

踏み込んだ瞬間、軸が半歩ずれる。

体勢が崩れる。

杖が軽く肩を叩く。

「……一本」

エルナは目を見開き、それから笑う。

「やっぱり捕まらないか」

退場。



その背後。

アルトが強引に踏み込む。

セリナは二刀で槍を挟む。

一本の棍で槍を抑え、もう一本で胴を打つ。

「胴あり」

アルト脱落。



武術場の中央。

最後に残ったのは、長女と三女。

セリナは背丈より短い棍を二本、中心を握って構える。
両端が均等に使える、最も彼女に馴染んだ間合い。

対するリリアは、腰ほどまでの杖を一本。

背丈はほぼ同じ。
わずかにセリナの方が高い。

リーチは明らかにセリナが上。
数の利もある。
物理的条件は、どう見ても長女が有利だった。

武術場は静まり返る。

教師も、生徒たちも、息を呑む。

ぱち。

はっきりとした帯電音。

セリナが踏み込む。

炎が、強まる。

教育用炉から供給された制御済みの炎。
だがその揺らぎは、今までより濃い。

連撃。

速い。
重い。

棍が左右から交差し、打ち込み、返し、払う。
数で圧し、間合いで制す。

――はずだった。

リリアは大きく動かない。

受ける。
流す。
そして“置く”。

セリナが踏み込みたい“先”に、すでに杖の端がある。

打ち込めない。

棍の先から三寸を撃ち込めない。

重心が、わずかにずれる。

ぱち。
教師が一瞬だけ眉を寄せる。
――今朝の湿度で静電気は起きにくいはずだが。

また音が鳴る。

セリナの呼吸が荒くなる。

炎がさらに強く揺れた、その瞬間――

一瞬だけ。

教育用の擬似炎ではない、
生の熱を含んだ揺らぎが混じる。

教師の眉がわずかに動く。

リリアの杖が、二本の燃える棍を同時に抑える。

交差する炎を、中央で止める。

そのまま、セリナの耳元へ静かな声。

「セリナ、ダメ。」

ほんのわずか、姉を呼ぶ声。

セリナの目が揺れる。

「あっ……」

二人が、間合いを切る。

一瞬の空白。

今度は迷いがない。

セリナが両腕に魔力を集め、真正面から踏み込む。

速い。

重い。

真っ直ぐ。

ぱち、と強い帯電音。

ほんの半拍。

ほんのわずか。

リリアの杖が遅れる。

その内側へ、炎の棍が滑り込む。

胴。

一本。

静寂。

セリナは肩で息をする。

リリアは、呼吸一つ乱れていない。

擬似魔術を一度も使っていない。
炉からの魔力も、ほとんど消費していない。

ただ、そこに立っている。

「勝者、セリナ」

教師の声は穏やかだった。

だが観戦していた数人の生徒が、小さく囁く。

「……やらせだろ」
「姉妹でズルいんじゃないの?」

違和感。

均一に分配されたはずの魔力の中で、
リリアだけが“使っていない”。

それなのに、ここまで残った。



数日後。

初等科の成績掲示板の前は、人だかりになっていた。

学科一位 ルシア・ローデン
二位   ノエル・ローデン

実技一位 セリナ・ローデン
二位   エルナ・ローデン

名前が並ぶ。

ローデン家の姉妹。

リリアの名は、その少し下。

学科も実技も中位。
落第はしない。
だが目立たない。

「ほらな」
「上は身内で固めて……」

ひそひそと声が落ちる。



放課後。

校舎の裏庭。

陽はまだ高いのに、空気だけが妙に乾いていた。

リリアの前に、数人の生徒が立ちはだかる。
五人姉妹は、そこに揃っていた。

「なあ、お前さ」

一歩、近づく。

「インチキだろ? 学校にもあんまり来てないし成績上位だし、実技も魔術使わないで最後まで残るのはありえないよ」

セリナが、反射的に前へ出る。

「何? やめてよ。」

姉妹を庇うように、前に出る。
だが今日は武器は携帯していない。
制服のまま。

風が、止まる。

ぱち。

微かな帯電音。

アルトが前に出た。

「お前達がいなければ俺が一番なんだよ!」

レオも続く。

「たまにしか来ないのに、ズルいんだよ!」

アルトの目は焦燥で濁っていた。

「本当の実戦なら負けないんだよ!」

その手に握られているのは、訓練用ではない。
実装型の魔槍。

炉の供給を介さず、個人魔力を直結させる仕様。

明らかな規則違反。

セリナが一歩、下がる。

戦う構えではない。
止めるための距離。

リリアが、静かに口を開く。

「アルト君、それは互いのためにならないわ……」

乾いた空気が、肺の奥をざらつかせる。

その場の全員が感じた。

見えない圧。

リリアの姉妹達が、ほとんど同時に後方へ退く。
言葉はない。

アルトは構わず、魔槍を構えた。

重心が前へ移る。

踏み込み。

その、刹那。

ダンッ!!

閃光。

音が遅れて鼓膜を打つ。

アルトの目の前、踏み込むはずだった地点に、焼け跡。
小さく抉れ、煙が上がる。

地面が陥没している。

「がっ!!」

衝撃波に弾かれ、アルトが尻餅をつく。
魔槍が手から転がる。

焦げた匂い。

空は、快晴。

雲ひとつない。

担任が駆け寄ってくる。

「大丈夫っ!?」

アルトの肩を掴み、周囲を見回す。

「アルト君! 魔槍を持ち出して何してるの?!」
「炉の外で出力が走ったわ! 何をしたの!」

アルトは青ざめた顔で、陥没した地面を見つめている。

雷の痕。

しかし、雷雲はない。

リリアは、にこりと微笑んだ。

「天気がいいのに、雷って落ちるんですね。びっくりしました」
その背後で、乾いた空気がまだ微かに震えていた。

リリアの声音は、どこまでも穏やか。

セリナが一瞬だけ横目でリリアを見る。

何も言わない。

言わないと決めている。

五人姉妹は、静かに踵を返す。

背後で、教師の叱責が続く。

誰も気づかない。

リリアの足元に、ほんの微かに残っていた帯電の揺らぎが、完全に消えたことを。

ーーー

夕刻。

石畳の継ぎ目に靴先を引っかけそうになりながら、アルトは歩いていた。

重いのは身体ではない。頭だ。

担任に一時間。
その後、教頭室で三十分。

「規則違反の重大性は理解しているか」
「実装型は炉管理対象だ」
「出力ログは残る」

同じ説明を何度も聞かされた。反論は途中で尽き、最後はただ頷くしかなかった。

「……今日はもう帰りなさい」

担任の声は叱責よりも疲労が勝っていた。それが逆に胸に残る。

北区の上流住宅街に入る。

整えられた庭木。均等に灯る魔導灯。安定供給区域特有の静かな魔力圧。

帝都はいつも通り整然としている。

だが、家の門が開いている。

扉を開けた瞬間。

「アルト!」

母の声が張りつめている。

居間には父。机の上に封書が二通。

濃紺と、紫。

「あなた魔槍を持ち出したの?! 本当なの?!」

「……うん」

喉が乾く。

父が濃紺の封書を示す。

「管理局から出頭命令だ。明朝九時、保護者同伴」

それだけでも十分に重い。

だが父の手にあるもう一通。

紫の封蝋。中央塔直轄監察印。

母の声が震える。

「王宮……?」

父が静かに読み上げる。

教育区炉外出力事案につき、
対象生徒アルト・——、保護者同伴の上、
明朝、王宮最上層へ出頭せよ。
女王陛下が直接事情を聴取される。

時間が止まる。

「……は?」

意味が追いつかない。

母の顔から血の気が引く。

「女王陛下が、直々に……?」

その名は口にしなくても全員が思い浮かべている。

マルヴァ・アーデリア

帝国の安定そのもの。

その存在が、少年一人を呼び出す。

「俺、ただ持ち出しただけだろ……」

父の声は低い。

「炉外出力が記録されたらしい」

母が口元を押さえる。

「落雷の原因が魔槍かもしれないってこと……? それとも……」

言葉が途切れる。

アルト自身が発生源かもしれない。

その可能性を、誰も言い切れない。

沈黙の中で、母がぽつりと言う。

「教育を押し付けすぎたのよ……成績、順位、そんなことばかり」

父も目を伏せる。

「結果を求めすぎた」

だが後悔は今さら意味を持たない。

紫の封書が机の上で異様な存在感を放つ。

出頭命令とはいえ、王宮だ。

適当な格好で行くわけにはいかない。

父が立ち上がる。

「正装を用意しよう」

母も動く。

クローゼットが開き、式典用の礼装が取り出される。父の濃紺の礼服。母の落ち着いた色のドレス。

アルトは立ち尽くしたまま。

「俺は……?」

母が振り返る。

「替えの制服を持っていきなさい。正規の状態で出頭するの」

「皺のないものを」

父が淡々と付け加える。

アイロンの蒸気音が静かな家に響く。

準備をしている間だけ、全員が“いつもの家庭”の動きに戻る。
だが会話は少ない。

王宮最上層。

管理局。

炉外出力。

単語だけが浮かんでは沈む。

夜は静かだ。

導力塔の紫の光が遠くで脈打つ。

完璧に制御された帝都。

その中心に、明朝向かう。

断罪か。

選別か。

アルトはまだ知らない。

ただ、用意された制服の重みだけが、やけに現実だった。

王宮前。

巨大な白石の門の前で、フォーリア一家は止められた。

近衛の槍が交差する。

「止まれ。名を」

父が震えを抑えて名乗る。

「アルト・フォーリアと、その両親でございます。王宮より出頭命令を賜りました」

門前の看守が封書を受け取り、封蝋を確認する。
紫の監察印。

看守の表情が一瞬だけ変わる。

「……確かに。通す」

だがそのままでは終わらない。

「王座の間へ入る前に要項を伝える。よく聞け」

別の衛兵が前に出る。

「武装解除。身体検査を行う。
 女王陛下の前では許可なく顔を上げるな。
 問われたことのみ答えよ。
 虚偽は反逆と見なされる」

言葉は淡々としているが、重い。

母の指が震える。

「失礼があれば、どうなりますか……」

看守は一瞬だけ沈黙し、はっきりと言った。

「女王陛下への不敬は家門単位で処罰される」

空気が凍る。

上流階級とはいえ、彼らはあくまで帝国の国民層だ。
王族に直接呼ばれることなど、本来あり得ない。

母は顔色を失い、父の背中に冷たい汗が流れる。

アルトは黙って立っていた。

自分のせいだ、と分かっている。

身体検査が行われ、装身具まで確認される。
魔力検知石が淡く光る。

「異常なし」

門がゆっくり開いた。

王宮の中庭を進む間、三人ともほとんど言葉を発しなかった。



王座の間、前室。

巨大な扉の前で案内役の近衛が立ち止まる。

「ここで待て」

重厚な扉の向こうには、帝国の頂点がいる。

母はふと、目を閉じた。

アルトが生まれた日のことを思い出す。

小さな手。
泣き声。
医師が「元気な男の子です」と言った瞬間。

幸せだった。

アルトは真面目な子だった。
学業も、魔術も、武術も、誰よりも懸命に努力してきた。

名門と呼ばれるほどではない。
だがフォーリア家は代々、帝国に仕える家だ。

そして――

魔槍。

祖父から受け継がれてきた武具。

刃は恐ろしく鋭い。
切っ先に蝶が止まるだけで切れてしまう、と冗談のように言われるほどの危険な槍。

それを学園に持ち出した。

帝国の財産である生徒に対して。

私的な争いで。

本来なら、反逆と取られてもおかしくない。

父の喉が鳴る。

「……魔が刺しただけだ」

だが、それでは済まされない。

その事実は三人とも分かっていた。

沈黙の中、扉の向こうから声が響く。

「アルト・フォーリアとその両親。入りなさい」

巨大な扉が開いた。



王座の間。

高い天井。
赤い絨毯がまっすぐ王座まで伸びている。

中央。

王座に座すのは
マルヴァ・アーデリア女王。

その側に二人。

近衛騎士長 ドレイク。
宮廷魔導監察官 ブロメル。

ブロメルが静かに言う。

「中程まで進み、跪きなさい」

フォーリア一家は進む。

膝をつく。

頭を深く下げる。

空気が重い。

ドレイクが一歩前に出た。

「マルヴァ様。召喚させましたフォーリア一家にございます。
 中央におりますのがアルト・フォーリア」

沈黙。

やがて、女王の穏やかな声が降りた。

「アルト。顔を上げなさい」

アルトは恐る恐る顔を上げる。

女王は怒っていない。

ただ、静かに見ている。

「雷は、アルトの魔力ですか」

柔らかな声。

「それとも、魔槍で呼んだのですか」

王座の間が静まり返る。

アルトは唾を飲み込む。

「……いえ」

声が震える。

「私が踏み込もうとした瞬間、雷に打たれました」

一瞬、視線が集まる。

アルトは続ける。

「私は……魔槍に魔力を込めていません」

沈黙。

ドレイクとブロメルが互いに視線を交わす。

そして。

マルヴァは、わずかに微笑んだ。

その表情は――

怒りでも疑いでもなかった。

王座の間の空気が、さらに張り詰めた。

ドレイクはゆっくりと一歩前に出ると、腰の書簡筒から古い羊皮紙を取り出した。
厚く鞣されたそれには、帝国紋章が深く押されている。帝国軍規の原本――王宮にしか保管されない正式文書だった。

彼はそれを広げると、静かに息を整え、低く通る声で読み上げ始めた。

「帝国軍規 第四章 武装規律」

その声は決して大きくはない。それでも石造りの広間に反響し、壁と天井を伝って、ゆっくりと王座の間全体へ広がっていく。

「第一項。
帝国軍に属する武具、ならびに軍規指定武装は、任務外において持ち出すことを禁ずる」

羊皮紙が、静かにめくられた。

そのわずかな音さえ、この空間では異様に大きく聞こえる。

「第二項。
軍規指定武装を私闘、威嚇、または私的争いに用いた場合――」

そこでドレイクの声が、ほんのわずかに重くなる。

「当人は軍規違反として拘束。
武具は王宮へ返還される」

言葉は淡々としている。だがその内容は、容赦のない処断を意味していた。

さらに読み上げが続く。

「第三項。
その武具が家門継承品であり、帝国への奉納武具として登録されている場合――」

フォーリア家の祖父から受け継がれてきた魔槍は、まさにそれに該当していた。

「家門責任が発生する」

その瞬間、父の背中に冷たい汗が流れた。

家門責任。

それは当人だけの罪では終わらないという意味だった。
家族、家名、代々の立場――すべてが裁きの対象になる。

ドレイクの声は揺らがない。

「第四項。
武装の使用により帝国の財産――すなわち帝国臣民に危害が及ぶ恐れがあった場合」

わずかな間が空いた。

その沈黙が、かえって重く感じられる。

「反逆準備行為として審理される」

母の肩が小さく震えた。

私闘では済まない。
反逆――その言葉の意味は、帝国の民なら誰でも知っている。
それは処罰ではなく、抹消に近い。

だがドレイクは、さらに最後の一文を読み上げた。

「第五項。
ただし――」

その言葉が発せられた瞬間、王座の間の空気がわずかに変わる。

「当人が武具を扱うに足る技量を持ち、帝国への奉仕に適する資質があると認められた場合」

羊皮紙がゆっくり閉じられた。

「その限りではない」

沈黙が落ちる。

ドレイクは羊皮紙を丁寧に巻き、書簡筒へ戻すと、静かに女王へ一礼した。

「以上が規定にございます」

マルヴァ・アーデリア女王は、わずかに頷いた。

その動作は穏やかだったが、この場にいる誰もが、その一つの頷きが持つ重さを理解していた。

やがて女王の視線が、跪く少年へ落ちる。

「アルト」

静かな声だった。

「槍を持ちなさい」

ドレイクが振り向く。

「騎士団長、前へ」

フォーリア一家の後ろに控えていた男が、一歩踏み出した。

帝国第三騎士団・騎士団長。

全身を覆う重装鎧は黒鉄のように重く、動くたびに鈍い金属音が響く。
背は高く、立つだけで圧迫感がある。その姿は、まるで城壁が歩いてきたかのようだった。

その手には――

魔槍。

フォーリア家に代々伝わる槍が握られていた。

騎士団長は何も言わない。ただアルトの前まで進み、槍を差し出す。

アルトは両手でそれを受け取った。

柄が掌に触れた瞬間、忘れていた感触が一気に身体へ戻ってくる。

祖父に教えられた握り方。
幼い頃から振り続けてきた重さ。
腕の筋肉が、その記憶をはっきりと覚えていた。

だが、その安心感は一瞬で消える。

背後に、両親がいる。

母の震えが、背中越しに伝わってくる。
父は必死に呼吸を抑え、動かないよう耐えていた。

アルトは理解した。

これは試験ではない。

処刑だ。

少しでも太刀筋を誤れば。
受け損なえば。
返しが遅れれば。

騎士団長の剣は、迷いなく振り下ろされる。

帝国騎士団長の一撃は、人間を両断する威力を持つ。

もしそれを流し損ねれば――

弾いた剣が。
あるいは自分の槍が。

背後の両親へ飛ぶ。

守る者を背にして戦う実戦。

それを、この王座の間でやれというのだ。

ドレイクが低く言った。

「構えろ」

騎士団長は無言で剣を抜いた。

鋼が鞘から滑り出す音が、広間に鋭く響く。

アルトはゆっくりと槍を構えた。

呼吸を整える。

胸の奥で荒れていた鼓動が、少しずつ落ち着いていく。

その時、祖父の声が脳裏に浮かんだ。

――槍は人を殺す道具だ。
――だが守るために振るう時だけ、槍は嘘をつかない。

アルトは足を踏みしめる。

王座の上から、マルヴァの声が静かに降りてきた。

「目の前の騎士団長に」

わずかな間。

その沈黙の重さは、刃より鋭かった。

「全力で打ち込みなさい」

王座の間が、完全な沈黙に包まれる。

アルトの背後で、母が小さく息を飲んだ。

アルトは振り返らない。

振り返れば、心が折れる。

槍を握り直す。

視界に入るのは騎士団長だけだった。

鎧の継ぎ目。
剣の位置。
足の角度。
重心。
距離。

すべてを、頭の中で測る。

一歩踏み込めば届く距離。

だが、その一歩が命を分ける。

踏み込んだ瞬間、アルトの脳裏にあの光景がよぎる。

学園の庭。
魔槍を振り上げた自分。
ローデン家の姉妹。

そして――

空から落ちてきた雷。

アルトの喉が乾く。

それでも、足が動いた。

床を踏み込む。

身体が前へ出る。

槍が唸る。

全力の突きが放たれ、空気が鋭く裂けた。

その瞬間――

騎士団長の剣が、雷のような速度で動いた。

アルトの視界が暗転した。

王座の間の空気が、急に遠くなる。

騎士団長の踏み込みを見るよりも早く――
張り詰め続けていた緊張が限界を超えた。

意識が落ちた。



「アルト!アルトォ!」

泣き叫ぶ声が耳に届く。

暗闇の底から、ゆっくりと意識が浮かび上がってくる。

頬に温かいものが落ちた。

母の涙だった。

「アルト…!アルト!」

アルトは重い瞼を開いた。

ぼやけた視界の中で、母の顔が揺れている。

「か…母さん…」

かすれた声が出た。

母は崩れるようにアルトを抱きしめる。

「良かった…アルト…」

震えた声だった。

まるで、もう二度と目を覚まさないと思っていたかのように。

アルトはゆっくりと周囲を思い出す。

王座の間。

騎士団長。

槍。

そして――

「俺…気絶して…」

自分の情けなさが喉に詰まった。

その時。

ブロメルの落ち着いた声が響いた。

「目覚めたようです、マルヴァ様」

ドレイクが一歩前に出る。

冷たい声だった。

「フォーリア一家。女王の御前ですよ」

一拍置き、

「跪きなさい」

母は慌ててアルトの身体を支える。

震える手で立たせると、そのまま膝を折らせた。

父もまた、膝から崩れ落ちた状態から必死に体勢を整え、跪く。

三人の額が床に近づく。

アルトの頭はまだぼんやりしていた。

その時だった。

「……?」

視界の端に、違和感が映る。

アルトはゆっすらと顔を上げた。

騎士団長。

その重厚な鎧の――

胴部。

そこに。

はっきりとした 亀裂 が走っていた。

鋼鉄の鎧に。

まるで雷に撃たれたような、深い一線。

アルトの心臓が止まりかけた。

(……え?)

喉が乾く。

(俺が……?)

思考が追いつかない。

槍を振った記憶はある。

踏み込んだ記憶もある。

だが――

その先が、ない。

意識が落ちたのだから当然だった。

マルヴァの声が静かに降りる。

「素晴らしい一撃でした」

王座の間の全員が、その言葉に耳を傾ける。

「アルト・フォーリア」

女王は柔らかく微笑んでいた。

「あなたなら、やって退けると思っていました」

アルトの思考は真っ白だった。

(俺が……どうやって)

手を見る。

まだ痺れている。

指先が震えている。

足も同じだった。

身体の奥に、まだ残っている。

自分でも理解できないほどの 力の痕跡。

全力だった。

いや――

それ以上だった。

マルヴァは視線を横へ向ける。

「ブロメル」

「計らいなさい」

ブロメルが咳払いをする。

「コホン」

王座の間の空気が改まる。

重々しい声で宣言された。

「アルト・フォーリア」

「あなたを 帝国騎士団兵養成修練 への参加者として任命します」

フォーリア一家の背筋が震えた。

だが言葉は続く。

「これによりアルト・フォーリア、ならびにその両親は」

「帝国の保護下に入ります」

「生活は帝国より支援されます」

沈黙が落ちる。

父と母は言葉を失っていた。

処罰を覚悟していた。

家門の没収すら覚悟していた。

それが――

帝国直属の騎士養成。

あり得ない抜擢だった。

マルヴァはアルトを見つめる。

その瞳は静かで、どこか楽しげだった。

「アルト」

穏やかな声。

だが、その言葉は重い。

「帝国の槍になりなさい」

王座の間に、静かな沈黙が広がる。

アルトの心臓が大きく鳴る。

自分の未来が、今この瞬間に決まったことを。

まだ理解できないまま。

それでも――

王座の間を出たあとも、アルトの足はまだ震えていた。

何が起きたのか。
どうして騎士団長の鎧に亀裂が入ったのか。

自分でも分からない。

ただ一つだけ分かるのは――

あの王座の上の女王は、すべてを見ていたということだった。

マルヴァ・アーデリア。

帝国を統べる者。

その視線は最後まで、アルトから一瞬も外れなかった。

その日から。

少年アルト・フォーリアの人生は、帝国に握られることになる。

やがて人々は彼をこう呼ぶ。

――帝国の聖槍、アルト。

だがその物語の始まりが、
女王の掌の上で始まったことを知る者は、まだいなかった。



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