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第5章 囚われた者たち

第1話 3王子

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 アゼルドが、二人の弟を連れて奴隷市場に出たのも酔狂ではない。
 あるとき次男のアーロンが言ったのだ。

「兄上、ギャランも十六です。自分の奴隷を買い与えても良いのでは?」

 それもその通りだと同意した長男が父へ進言し、許可が降りて選りすぐりの奴隷商人が城下の広場へ通された。
 本人だけが乗り気ではなかった。

「特に必要とはしておりませんので」
と、遠回しに辞退しようとしたが叶わず、仕方がないので生気のない顔を俯かせる若い男女を前に、どうしたものかと思案した。

 エドワード六世の美しい子供たちは、男ばかりの三兄弟だった。長男アゼルドは父の期待を一心に背負い、騎士の子達で年に一度開催する競技試合でも無様に負けたことはなく、戦争を模した盤上のゲームでも指揮官として秀でていた。やや痩せ型ではあるが体つきも申し分ない。しかし本人の興味はクルセナ教と読書であった。オルダニアに限らず、アルバ帝国やノース王国、そのほかどんな遠いところであっても、クルセナへの信仰のための書物であれば取り寄せた。七大騎士の中でも特に信仰に厚いモダレッドの娘と結婚して、妻と共にますます傾倒している。

 次男アーロンは、兄弟の中で一番の腕っぷしだった。派手ではないが華やかで、彼が姿を現すとパッと空気が明るくなるような男だった。弁は立つが父と兄によく従い、たとえ意見が違っても嫌な顔一つ見せない。アーロンは『王都』の庶民にも人気だった。

 三男ギャランは、少し年齢が離れているからか、甘やかされて育って気難しくなったと言われている。上の二人に比べて背も低く、顔つきも平凡である。武芸も帝王学にも興味を示さず、そうかと言って芸術的なセンスがあるようでもない。小さい頃は日がな一日ぶらぶらと庭をさまよい、流れゆく雲を眺め、よく迷子になったと乳母を泣かせた。本人はちょっとした散歩のつもりだったし、道を失ったことはない。

 最近は散歩の距離が伸びて、下町の商人横丁や農家の方までぶらぶらしている。まさか王家の嫡出子がこんなところにいるとは想像しない町人たちは、暇な若い男があれこれ見学していくのを訝しんだり親しんだり、時には声をかけて働き手にしてしまっていた。それで本人は満足して、日暮れまでには部屋に戻る。

 何度言ってもやめないので、父も諦めたようだ。もっとも、このことに一番注意しているのは次兄だった。アーロンは誰彼問わず冗談に巻き込むお調子者として場を和ませる腕を持つ一方で、礼儀やしきたりには長男以上にうるさいところがあった。
 弟に奴隷を与えるべきだと再三述べたのも、それがここでの常識だからだ。

 さて、ギャランは本当に困った。断れば父の顔まで潰してしまう。自分としては体裁だの面目だのは馬鹿馬鹿しいとまで思っていたのだが、こんなところに生まれてしまって、まだしばらくは自分の意思に関係なくここで暮らしていかなければならないのなら、「気にしない」だけでは立ち行かないのだ。

 そこでギャランは一計を案じた。

「来たい奴はいるか?」

 並んだ奴隷も商人も、衛兵も兄弟も驚いたのは言うまでもない。成り行きを見守っていた兄弟の老指南役も、たくわえた白い顎ひげをしごいて首を傾げた。

「誰か志願者は?」
と、ギャランはもう一度尋ねた。

 どこかから売られたのかさらわれてきたのか、国元にいればまだ働き盛りで、人の子であり夫であり妻であり兄弟であっただろう哀れな人々は、チラチラと隣同士視線を交わし、これが福音なのか悪魔の囁きなのか捉えあぐねている。

 これで手を挙げて、自分から望んできたのだろうと言われながら、死ぬより恐ろしい責苦にあう可能性も考えられる。だが一般的に言って、王家の人間がそのような嗜虐性を満たしたいなら、それ相応の場所をこっそり用意してもらったほうがいい。こんな明るい白日のもとでパフォーマンスをするだろうか。
 それとも、一家で狂っているのか?

 戸惑いの伝播は一瞬だった。

 鉄の足枷の音を立てて、半歩前に出る男がいた。赤毛の、ひょろひょろと背の高い、色白の男だった。

 半歩進んだのは、隣同士で繋がれているため、それ以上歩けなかったからだ。気づかれたか不安に思った男は、
「わた、私が……」
と、引きつった喉から声を振り絞った。

 ギャランのつま先が彼の方に向いた。

「名前は?」
「オディです」
「アルバ人か?」

 彼の特徴と名前の響きから、ギャランはすぐに言い当てた。

「はい。『跳ね馬山』の西で暮らしていました」

 そこは何十年も前から、アルバ人最後の抗戦地帯になっていた。南から逃げたアルバ人が、入り組んだ地形に守られて村を作っている。あたりは未だに獣人族が出るとか、もっと西の怪しい民族が人間を狩って食うとか、恐ろしい噂が絶えない。

 ギャランは眉一つ動かさない顔の奥で、それらの情報を引き出して、整理して、またしまい込んだ。

「じゃあ、そいつ」
「おいおい、それで決まりか?」と、案の定アーロンが口を挟んだ。「お前は本当に何もわかっちゃいないな、ギャラン。それじゃ後々苦労するぞ」

 そう言って、彼は手近な一人の腕を取った。農夫と思われる若い男だった。
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