17 / 24
ああ、世界はこんなにも
しおりを挟む私の結婚話にそれなりの猶予があることはわかった。
でも、それは手放しに喜べることではない。
私はずっと監視生活が続くということだし、サフィールのほうも魔法学園に入る手立てがないということだ。
「お父様は今どこにいるのかしらね……」
「……」
「サフィール……?」
サフィールの返事がないことを不思議に思った私は、彼の近くに顔を近づける。
「!!」
サフィールは苦し気な顔で荒い息を吐いていた。
もしかして、傷の影響で発熱してる?
「……っ」
私は、サフィールに回復魔法を使わずにいたことを後悔した。
理屈で考えれば、傷を治さないほうが賢い選択なのだと思う。
お母様は今のところサフィールを殺す気はないので、傷が癒えないうちは彼を放置してくれるだろうから。
もし傷を治してしまうと、私かサフィールのどちらかが回復魔法を使えることがお母様の中で確定的となる。
そうなってしまえば、お母様は暴力を振るうことに躊躇がなくなるだろう。
サフィールは、治ったそばから暴力を受け続けることになる。
「でも……っ」
サフィールは今私の目の前で苦しんでいる。
私が冷静に理屈をこねられるのは、自分が暴力を受けていないからだ。痛みを知らないからだ。
痛くて苦しい思いをしているのは、目の前のサフィールなのだ。私は薄情にも彼に「我慢しろ」と言ったも同然だった。
「ごめん……ごめんなさい、サフィール……」
私はサフィールに回復魔法を使うことを決意した。
身につけていた寝衣をためらいもせずに脱ぎ捨て、ベッドに上がる。そして、苦労しながらサフィールの衣服を脱がす。
サフィールの傷には間に合わせの包帯が巻かれていた。
サフィールはお母様の前で気絶したように装っていたというから、この処置はお母様が使用人に命じたのだろう。
私を追い出す以上、サフィールを死なせるわけにはいかないものね。
包帯を取ると、下に当てられていた布は血でぐっしょりと濡れていた。
サフィールはこんな状態で転移魔法を使ったの?無茶が過ぎるわ。
……ううん。サフィールは私に助けを求めて転移したんだ。それを私は──
──やめよう。反省はサフィールを助けてからだ。今は一刻も早く回復魔法を使うのが先だろう。
サフィールの傷に当てられていた布を取ると、痛ましい傷があらわになる。
「……っ」
サフィールの背中は、傷がないところを探すのが困難なほどに、ぐちゃぐちゃに痛めつけられていた。
「お母様……なんてことを──」
私は溢れ出しそうな激情をこらえ、サフィールの背中に覆い被さった。できるだけ体重をかけないように注意する。
傷がこすれたのか、サフィールが苦し気にうめく。
「うう……」
「サフィール、ごめんね。すぐ治すからね」
私の声がサフィールに届いているのかは怪しいが、声をかけずにはいられなかった。
私は意識を集中し、回復魔法を詠唱する。
『慈愛の女神ネーリエよ。我の魔力と真なる祈りを以て、かの者の傷を癒したまえ』
回復魔法を乗せた私の魔力が、少しずつサフィールの中に入っていく。
今回はサフィールの傷が塞がっていないからか、私の魔力が傷口からダイレクトに染み渡っていくような手応えを感じた。これが『感応型』の能力なのだろう。
私の魔力がサフィールに染み渡り、ひとつになったような一体感を感じる。
ああ、心地がいい。
以前よりも強い一体感を感じる。
まるで、はじめからひとつの個体だったかのような自然さだ。
私はサフィールの中で溶けてしまったのかしら。……それもいいわね。
やがて、水中から浮上するような感覚のあと、私は正気を取り戻した。急いでサフィールの容態を確認する。
「──よかった。ほとんど治ってる」
うっすらと傷が残ってはいるが、ほぼ完治したと言っていいと思う。これなら痛みも感じないだろう。
回復魔法の上達を実感する。『感応型』は傷口が塞がっていないほうが治しやすい性質なのだろうか。
「……」
これを見たお母様はどう思うかしらね。
私は部屋に閉じ込められているから、傷を治したのはサフィールの能力だと思うかしら。
どちらにせよ、あとはお母様次第だろう。
私は考えを打ち切り、サフィールの背中から身体を起こした。
その瞬間、貧血に似た症状が私を襲う。
「……魔力切れね」
私は残りわずかな魔力で身体やシーツについた血をきれいにすると、力尽きるようにサフィールの横に倒れ伏す。そのまま意識が薄れていった。
◇ サフィールside ◇
夢をみていた。
あたたかなぬくもりに抱かれる夢を。
次第にぬくもりが離れていき、僕はそれを追いかけようと手を伸ばした。
そこで目が覚めた。
「ここは──」
月明かりが差し込む室内で、僕は急いで自分の状況を思い出そうとする。
ここは見慣れた自室ではない。姉さんの部屋、それもベッドの上だ。
──そうだ、思い出した。
僕は姉さんの部屋に転移したが、話の途中でだんだんと意識が曖昧になっていったはず。どうやら僕はそのまま気を失っていたようだ。
おそらく、出血が多かったのと発熱が原因だろう。
しかし、今は背中の痛みが嘘のように消えている。まだ少しだるさは残るが、それもじきにおさまるだろう。
「姉さん、回復魔法を使ってくれたんだ……」
姉さんは僕がこれ以上痛めつけられるのを心配し、回復魔法を使うことを躊躇しているようだった。
しかし、目の前で苦しむ僕を見ていられず、結局は魔法を使うことにしたのだろう。
「ふ、姉さんらしい」
姉さんは自分を性悪令嬢と蔑むが、実際はかなりのお人好しだと思う。以前は本当に姉さんを性悪だと思っていた時期もあったが、ある日を境に姉さんは変わった。
今は、以前とは別人のような言動をみせ、僕を助けることでいつも頭がいっぱいの様子だ。
そんな姉さんを、いつしか僕は慕うようになっていった。
「……」
状況確認のためにあたりを見回せば、僕の隣には裸の姉さんが寝ていた。いや、おそらく魔力が枯渇して気絶しているのだろう。
あたりに血の痕跡がないことを考えると、後始末もすべて姉さんがしてくれたようだ。
「まったく……魔力が少ないのに無茶をする」
僕は腕を動かし、姉さんの顔にかかる髪を自分の指で優しく払いのけた。
「ううん……」
姉さんはくすぐったかったのか、むずがるような反応をみせた。自分の口元に自然と笑みが浮かぶ。
僕は姉さんの寝顔を眺めながら、今後について考える。
僕の傷が治っていることは、いずれ使用人からあの女に伝わるだろう。姉さんが自室に閉じ込められている以上、傷を治したのは僕の能力だと考えるに違いない。
……まあ、それはいい。
僕があの女から暴力を受ける頻度が上がるだけだ。僕が耐えれば済むこと。何も問題はない。
しかし、姉さんの結婚話についてはどうにかする必要がある。
あの女のことだ。良縁など探してくるわけがない。姉さんは売られるようにして嫁に出されることだろう。
最終決定権はエルドリッジ伯にあるとはいえ、断れない段階にまで話が進んでしまえば手遅れになる。
「僕が動くしかないな……」
姉さんをろくでもない男に嫁がせるつもりはない。彼女には、ずっと僕のそばにいてほしい。
僕は、姉さんのくちびるにそっと指を這わせた。
「ルディア……」
僕と姉さんの影が重なる。
哀れな僕達を、天上の月だけが静かに見下ろしていた。
1
あなたにおすすめの小説
異世界に転生したので幸せに暮らします、多分
かのこkanoko
ファンタジー
物心ついたら、異世界に転生していた事を思い出した。
前世の分も幸せに暮らします!
平成30年3月26日完結しました。
番外編、書くかもです。
5月9日、番外編追加しました。
小説家になろう様でも公開してます。
エブリスタ様でも公開してます。
【連載版】ヒロインは元皇后様!?〜あら?生まれ変わりましたわ?〜
naturalsoft
恋愛
その日、国民から愛された皇后様が病気で60歳の年で亡くなった。すでに現役を若き皇王と皇后に譲りながらも、国内の貴族のバランスを取りながら暮らしていた皇后が亡くなった事で、王国は荒れると予想された。
しかし、誰も予想していなかった事があった。
「あら?わたくし生まれ変わりましたわ?」
すぐに辺境の男爵令嬢として生まれ変わっていました。
「まぁ、今世はのんびり過ごしましょうか〜」
──と、思っていた時期がありましたわ。
orz
これは何かとヤラカシて有名になっていく転生お皇后様のお話しです。
おばあちゃんの知恵袋で乗り切りますわ!
異世界転生した時に心を失くした私は貧民生まれです
ぐるぐる
ファンタジー
前世日本人の私は剣と魔法の世界に転生した。
転生した時に感情を欠落したのか、生まれた時から心が全く動かない。
前世の記憶を頼りに善悪等を判断。
貧民街の狭くて汚くて臭い家……家とはいえないほったて小屋に、生まれた時から住んでいる。
2人の兄と、私と、弟と母。
母親はいつも心ここにあらず、父親は所在不明。
ある日母親が死んで父親のへそくりを発見したことで、兄弟4人引っ越しを決意する。
前世の記憶と知識、魔法を駆使して少しずつでも確実にお金を貯めていく。
乙女ゲームっぽい世界に転生したけど何もかもうろ覚え!~たぶん悪役令嬢だと思うけど自信が無い~
天木奏音
恋愛
雨の日に滑って転んで頭を打った私は、気付いたら公爵令嬢ヴィオレッタに転生していた。
どうやらここは前世親しんだ乙女ゲームかラノベの世界っぽいけど、疲れ切ったアラフォーのうろんな記憶力では何の作品の世界か特定できない。
鑑で見た感じ、どう見ても悪役令嬢顔なヴィオレッタ。このままだと破滅一直線!?ヒロインっぽい子を探して仲良くなって、この世界では平穏無事に長生きしてみせます!
※他サイトにも掲載しています
デブだからといって婚約破棄された伯爵令嬢、前世の記憶を駆使してダイエットする~自立しようと思っているのに気がついたら溺愛されてました~
トモモト ヨシユキ
ファンタジー
デブだからといって婚約破棄された伯爵令嬢エヴァンジェリンは、その直後に前世の記憶を思い出す。
かつてダイエットオタクだった記憶を頼りに伯爵領でダイエット。
ついでに魔法を極めて自立しちゃいます!
師匠の変人魔導師とケンカしたりイチャイチャしたりしながらのスローライフの筈がいろんなゴタゴタに巻き込まれたり。
痩せたからってよりを戻そうとする元婚約者から逃げるために偽装婚約してみたり。
波乱万丈な転生ライフです。
エブリスタにも掲載しています。
【完結】回復魔法だけでも幸せになれますか?
笹乃笹世
恋愛
おケツに強い衝撃を受けて蘇った前世の記憶。
日本人だったことを思い出したワタクシは、侯爵令嬢のイルメラ・ベラルディと申します。
一応、侯爵令嬢ではあるのですが……婚約破棄され、傷物腫れ物の扱いで、静養という名目で田舎へとドナドナされて来た、ギリギリかろうじての侯爵家のご令嬢でございます……
しかし、そこで出会ったイケメン領主、エドアルド様に「例え力が弱くても構わない! 月50G支払おう!!」とまで言われたので、たった一つ使える回復魔法で、エドアルド様の疲労や騎士様方の怪我ーーそして頭皮も守ってみせましょう!
頑張りますのでお給金、よろしくお願いいたします!!
ーーこれは、回復魔法しか使えない地味顔根暗の傷物侯爵令嬢がささやかな幸せを掴むまでのお話である。
【完結】花咲く手には、秘密がある 〜エルバの手と森の記憶〜
ソニエッタ
ファンタジー
森のはずれで花屋を営むオルガ。
草花を咲かせる不思議な力《エルバの手》を使い、今日ものんびり畑をたがやす。
そんな彼女のもとに、ある日突然やってきた帝国騎士団。
「皇子が呪いにかけられた。魔法が効かない」
は? それ、なんでウチに言いに来る?
天然で楽天的、敬語が使えない花屋の娘が、“咲かせる力”で事件を解決していく
―異世界・草花ファンタジー
悪役令嬢に転生したので地味令嬢に変装したら、婚約者が離れてくれないのですが。
槙村まき
恋愛
スマホ向け乙女ゲーム『時戻りの少女~ささやかな日々をあなたと共に~』の悪役令嬢、リシェリア・オゼリエに転生した主人公は、処刑される未来を変えるために地味に地味で地味な令嬢に変装して生きていくことを決意した。
それなのに学園に入学しても婚約者である王太子ルーカスは付きまとってくるし、ゲームのヒロインからはなぜか「私の代わりにヒロインになって!」とお願いされるし……。
挙句の果てには、ある日隠れていた図書室で、ルーカスに唇を奪われてしまう。
そんな感じで悪役令嬢がヤンデレ気味な王子から逃げようとしながらも、ヒロインと共に攻略対象者たちを助ける? 話になるはず……!
第二章以降は、11時と23時に更新予定です。
他サイトにも掲載しています。
よろしくお願いします。
25.4.25 HOTランキング(女性向け)四位、ありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる