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初めての異世界
私は人族です
しおりを挟む「《浄化の光》!!」
私が言い終えた瞬間、鏡台の周りを淡い光が薄っすらと覆った。
それはわずか数秒のことで、光が消え去ったあとには埃ひとつない鏡台が鎮座していた。
年代を感じさせるアンティーク調の趣はそのままに、職人が丁寧に磨き上げたかのように隅々まで本来のツヤと木目の美しさを取り戻している。
うん、これは凄い魔法だ。
勢いづいた私はついでにずっと気になっていた床をきれいにすることにした。
気づいている人もいるかもしれないけれど、今の私、裸足なんだよね。…………この分厚い埃の積もった床の上で。
私は無言のまま床に視線を落とし、「床の埃を取り去る」「ついでに足の裏を含めた私の体もきれいにする」と念じながら魔法を発動した。
「!!んん!?……わ、凄い」
床から埃が消え去り、下に隠れていたベージュの絨毯が姿を現していた。
ペルシャ絨毯みたいに芸術的で繊細な模様が丁寧に織られていて、見る者の目を楽しませてくれる。
そのことも十分凄いのだが、私が驚いたのは自分の体の変化に対してだ。
おそらく病み上がりだったであろう私は、あまり言いたくはないが体が汗でベトベトだった。
それが呪文ひとつで髪も肌も入浴後のようにしっとりすべすべの手触りになるなんて。
…それだけではない。
おそらく身につけている衣服もきれいになっていると思う。
汗を吸ってかなりベタついていたはずだったが、洗濯して乾かした後のような清潔さだ。
…無意識にベタついた服もなんとかしたいって考えてたのかな……
なんだか気分までスッキリしたように感じる。
確かゼスさんの説明では《浄化の光》を自分に使った場合、汚れ以外にも体内や体の表面についた有害なものを浄化して消し去る……だったかな。
……有害なものってなんだろう。毒?毒キノコを食べたり毒ヘビに噛まれたりしてもこの魔法があれば助かるってことかな。
…あとは毒を盛られた場合とか。
それ以外に思いつくのは病原菌とかウイルスとか?
体内に巣食った病巣とかも摘出しなくても浄化して消し去れるってこと?
そうだとしたら、この世界の人間…人族は余程のことがない限り病気にはならないし、たとえ病に罹っても浄化をすれば即座に快復できるってことになる。
私が感じているこのスッキリ感は汗のベタつきがなくなったからだけではなく、体内のウイルスや病原菌が浄化されたことによるものかもしれない。
………これはヒトが与えられるには過分な加護なのではないだろうか。
私が地球の価値観を引きずり過ぎているのだろうか。
私はゼスさんに訊ねた。
「この世界の人族は滅多に病気に罹らないのですか?」
「ん?……その言い方から察するに、カノンがいた世界では病気に罹るのは珍しくない事のようだな。……まぁ大凡は君が想像している通りだ。すべての人族は《浄化の光》が使える。《浄化の光》を常用する人族達はまず病気には罹らない。人族よりも頑強な我々魔族の方が病に罹る確率は遥かに高いだろう。」
そう言って皮肉げに笑ったゼスさんはその後真面目な表情になり、こう言った。
「《浄化の光》が使えたな。やはりカノンは人族で間違いないようだ」
「はい。私は人族です」
大真面目に答える私。
でも、人族…人間であることはお互い薄々分かってたよね。
魔族特有だという紅い魔眼も無いし、変な角とか尻尾とかも生えてない。
だからこれはお互いが納得するための事実確認だ。
それから私は看病してもらったことへのお礼や客人として迎えてもらえたことがどんなに有り難かったかなど、色々話し込んでいるうちに窓の外が薄暗くなってきた。
「もう日暮れ時か。人族は何か腹に入れねば活動できぬのだったな。ふむ、何か食材があったかな。少し見てこよう」
「!?」
え、今なんと?
今のゼスさんの言い方だと、魔族は何も食べなくても活動できるみたいじゃないですか。
食材を探しに今にも扉から出ていきそうなゼスさんの背中に声をかける。
「あ、あの……魔族は食事…………」
なんだか混乱してちゃんとした言葉にならないよ。
「食事?ああ、心配せずとも良い。確かに魔族は人族のように食事でエネルギーを補給したりしない。だがカノンが床(とこ)に伏している間に馴染みの行商が商いに訪れてな」
その行商人に頼んで人族が食べる食材などを見繕ってもらい、若い娘が身につける衣服や靴なども買い求めたという。
「そうだ、靴も買っていたな」とベッド下にひっそりと置かれていた靴を渡される。
私が履いていたブーツはボロボロだったので処分したそうだ。
ゼスさんの足もとを見る。
うん、靴を履いている。
この世界は土足の文化が主流なのか。
靴のサイズは偶然にもピッタリだった。
でも日本人だった私は部屋の中で土足というのがどうにも不衛生な気が…………と思いかけたが、これも《浄化の光》があれば解決することに気づく。
そう、どんなに雨に濡れてビショビショだったり泥だらけの靴でも《浄化の光》を使えば汚れひとつない状態になるのだから。
これなら土足の文化が人々の間で定着するわけである。
何だか《浄化の光》が万能過ぎて怖い。これに慣れたら前の生活に戻れなくなりそうだ。
それにしても私の靴や着替えなどを購入した時点では私はゼスさんにとって不審者でしかなかったはず。
それなのにここまで細かく気を配ってくれていたなんて。
ゼスさんは私の返答次第では殺していたと言っていたけれど、そうは思えなくなってきた。
もし彼が私を信用の置けない人物だと判断していた場合でも、「次に会ったら殺す」とか言って脅した上で開放してくれたのでは、と思う。……私の想像でしかないのだが。
ゼスさんの行動は彼の優しい内面を表しているようで、何だか心が温かくなった。
話は逸れたが、結局ゼスさんは食事をしないらしい。
ならばどうやって生命活動を維持しているのだろう。知りたい。
「魔族は何をエネルギー源にしているのですか?」
「魔素だ。分かるか?大気中に含まれる魔法の源だ。我々魔族や魔獣は人族とはまったく異なった体のつくりをしている。魔族である私は魔素を取り込むことで消費したエネルギーが補充されるのだ」
かといって人族のような食事ができないわけではないらしい。
現にこれまでも行商から紅茶の茶葉や茶菓子などを購入し、よく嗜んでいたそうだ。
食べなくても死なないのが人族との違いだ。
私はまじまじとゼスさんの姿を見つめた。
なんというか……ファンタジーだな、と思う。
体が魔素を吸収することで、人族のような食事を必要としない。
魔眼で嘘や悪意を見破る。
人族より体が丈夫……でも病気には罹るらしい。
そしてスルーしたけど魔獣も存在するらしい。もう頭がパンパンです。情報過多。
魔獣というワードをスルーした私は気を取り直し、食材庫へ向かうゼスさんに同行を願い出た。
理由はいくつかある。
先ず、食事を必要としているのが私自身であること。
次に、<食材>という言い方からして調理が必要である可能性が高く、食事が必要な張本人が作るのが筋だろう、という理由。
私は料理が得意と言える程の腕前ではないので、できればそのまま食べられるパンやフルーツなどがあってくれればと思う。
最後に、これからお世話になるこの家?お屋敷?を自分の目で見てみたいから、という理由だ。
特に同行を断られることもなく一緒に部屋を出る。
食材庫まではそこそこ距離があった。
そこに辿り着くまでに部屋の扉をいくつも通り過ぎた。
なのに、誰ともすれ違わない。
部屋の扉の前を通り過ぎる時も生活音が聞こえなかった。
メイドさんみたいな人を雇っていないのだろうか?
結構な規模のお屋敷で?家族もいないのかな。
少し訊くのを躊躇ったが、結局質問した。
「このお屋敷に住んでいるのはゼスさんだけなのですか?」
特に気にした素振りもなくゼスさんが答えた。
「ああ、その通りだ。屋敷の裏に馬が一頭いるが、同居人という意味ではいないな。人を雇おうにも魔族と人族は敵対しているから余程の物好きでないとここへは来ないだろう。使用人を募集して、もしやって来るとしたら偵察か諜報目的での工作員だろうな」
魔眼があれば直ぐ見破れるがな。と不敵に笑うゼスさん。
「魔族の使用人は雇わないのですか?」
ゼスさんは私の質問に意表を突かれたような顔になり、「そうか、カノンは何も知らないのだったな」と言って言葉を続けた。
「魔族は現在この世界に5人しかいない」
え………たった5人!?
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