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1.オム・ファタールと無いものねだり
オム・ファタールはねだる
しおりを挟む「本当に心配症ですよねえ、平気だって言ってんのに」
少年は苦笑いをしながらスマホを仕舞う。先程通話口で話していた緩やかな空気とは少し違う、大人びた声だ。意識的か無意識的かは分からない。だが、この少年は電話口の彼の前では、少し幼く振舞う様だった。
「——彼が、寵愛者か」
私がそう問いかければ、頬に大きなガーゼを貼った少年——前野篤志は、眉をハの字にして微笑んだ。肯定も否定もしない。
「何故だ? 色々と探らせてもらったが、彼自身に飛びぬけた才能は無いだろう。頭脳も身体能力も優れてはいるが、所詮は『それなりに』だ。君の元に集う人間の中には、彼の上位互換の性能を持つ者は沢山居るだろう」
確かに従者としては有能だ。ここ二週間の振舞いからしても、前野に関する周囲の感情を察知しては全て上手くいなしている。だが、所詮はその程度だ。
頭脳に関しては龍宮や巳上や兎和が。身体能力に関しては衣貫や沙流川兄弟が、圧倒的に彼を上回っている。彼らと共に居れば、トラブルに巻き込まれはすれど大事にはならないだろう。それなのになぜ、頑なに後田宗介の傍から離れようとしないのか。
私は、その非効率さが不思議でならなかった。
「………………俺ね、大丈夫なんですよ」
前野がキイキイと椅子を軋ませて、ぽつりぽつりと喋り始める。窓から差し込む夕日が、少しだけ少年の表情を分からなくさせた。
「何があったって最終的には大体大丈夫なの。それが前野の血で、呪い。どれだけピンチになったって、最後はラッキーで何とかなる。俺とつるんでるうちに、大体の奴らは理解するんです。『アイツは巻き込まれがちだけど、運がいいから大丈夫。今回もきっと大丈夫だ』って。そうして、心配はしてくれるけど、焦りはしなくなる」
それは当たり前だろう。偶然が何度も重なれば、それはいつか必然に変わる。必然的に起こりうることに心を砕くほど、人々の心に余裕はない。無駄なリソースは省いていく。それが効率的に生きる上で最も重要なことだ。
「でも、宗介だけそうならないんです。ずっと。俺がどんなに大丈夫だって言っても、実際問題大丈夫だったとしても、『次が大丈夫だとは限らない』って、いつもいつも。いつも、心配して、焦って、色んな行動をしてくれる。それで大丈夫だったら、『無事ならいいんだ』『良かった』って心底安心したように笑ってくれる。『無駄に心配した』とか、『動き損だ』とか、そういうことは一切言わないんです」
後田宗介。何一つ特別な血筋も家柄も持たない、本来ならこの学園に足を踏み入れる資格さえ持たなかった者。特別の特別になってしまったからこそ、いずれ潰える運命が決まってしまった哀れな人間。
「宗介だけが、ずっと俺を一人の人間として扱ってくれる。『最後にはきっと上手くいく』呪われた前野の血を引く人間じゃなくて、『もしかしたら上手くいかないかもしれない』ただの前野篤志として。それが、それが堪らなく——嬉しい」
嬉しいのが、苦しい。少年はぎゅ、と拳を握りしめて吐き出した。
「でも、特別じゃない。『寵愛者』なんかじゃない。そんな風にラベリングしない。だから、もうちょっとだけ、夢を」
「………………」
「夢を、見たいんです。この三年が、最後で、いいから」
懺悔するようなその言葉に、私はどう返せばいいのか全く分からなかった。誰かを特別に思うことなど無かったし、その想いで苦しむことも到底無かった。
きっとこの先も、彼が持つ崩れ落ちそうな相反する感情を理解することなど出来ないだろう。
「……面白いな。私には微塵も理解できない」
「風紀委員長様、ひど~」
「だが、興味深い。君の在り方、君と後田宗介の関係。君は使える人間だ。私は有能なものが好きだから、行動の全てに興味がある。だから観察させてくれ。有能な君が、この学園で何を得て何を失うのか」
「……趣味、悪」
うげ、と舌を出す前野が不敬で笑ってしまう。仮にも先輩で、その上風紀委員長の役職を持つ人間に対してその態度。やはり外部生は新しい風をもたらしてくれる。
「~~~~篤志!!」
バン、と激しい音がして、保健室のドアが開け放たれる。前野は一度だけ目を閉じて、それから目を開ける。その栗色の双眸は、先程茜色に彩られて見せた憂いを帯びたものとはまるっきり違うものになっていた。
「そーすけ~~~!!」
「おまっ、そのほっぺ!」
「後田宗介、ドアは静かに開けるように」
「げぇっ、鳳凰院……先輩!」
風のように走って来た後田に抱きしめられ、なすが儘にされている前野。彼はちらりと私を見て、しー、と唇に指をあてた。
「……ふっ、面白いな。前野篤志、君の今後に期待しよう」
「はあ?! お前まった厄介なの釣って……!」
「鳳凰院先輩は助けてくれたんだって~! お礼言わないと!」
「ッ…………ありがとう、ござい、マシタ…………」
「カタコト!」
じゃれ合う二人を尻目に立ち上がる。この空間に私は不要だろう。けらけら笑う前野を見た。先程の表情を、目の前の彼に見せる日は来るのだろうか。もしもそんな日が来たとしたら、それはきっと——。
「そーすけ、カフェテリア行こうよ。お詫びに甘いモン奢ってあげる」
「! …………それ、お前が食べたいだけだろ」
「へへ、バレた?」
二人の決別の時なのだろう。私はそう結論付けて、保健室のドアに手をかけた。
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