オム・ファタールと無いものねだり

狗空堂

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2.龍の髭を狙って毟れ!

親睦会、開幕

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 爽やかな夏の香りが鼻腔を擽るようになってきた、青葉の眩しい五月某日。

 広大な土地と校舎を持つ私立瑞光学園では、三学年合同で行う伝統ある行事・親睦会が無事に幕を開けていた。——無事に?

「あっ、そーすけこっちもダメだ! やっぱ真っすぐ!」
「待て前野篤志!!」
「篤志君、私が蛮族どもから保護してあげるからね……!」
「会長と前野が一夜を過ごすくらいなら、いっそ俺が!!」
「宗介君、どうか俺に思い出を!」

 巻き上がる砂埃、上がる怒号、恨めしそうな声や黄色く染まった声、興奮したような荒い息。ちらりと振り返って見てしまった生徒たちの目はどいつもこいつも爛々と輝いており、そのあまりの気色悪さに背筋がぞわりと粟立つ。

 前から後ろから横から、時には上から。馬鹿みたいに広い敷地だというのに、俺と篤志は絶え間なく見知らぬ生徒たちに襲い掛かられては、間一髪のところで何とか逃げ続けていた。



「——どうしてこうなった!!」






 親睦会は中々に良い滑り出しだった。気持ちよい初夏の風が吹く中、連日の五月とは思えぬ暑さも少し収まっており、絶好の運動日和だった。
 クジ運もとても良く、俺と篤志のスタート位置は目と鼻の先。難なく合流できたのを喜んだのもつかの間、俺達に迫ってきていたのは目を爛々と輝かせた見知らぬ生徒たちだった。

 あっちに逃げれば知らん二年生が、こっちに逃げればこれまた知らん三年生が待ち受けている始末。まさかスタートして数分でこんなに追い回される羽目になるとは思ってもいなかった。ここまで前野の血の呪いが蔓延り始めているとは。

 高校の三年間だけ、と定めた旦那様のご判断は正しかったというわけだ。もし仮に中等部から通っていたら、ここで追いかけてくる人数は何倍にも膨れ上がっていただろう。そうなってしまっては、龍宮だ鳳凰院だと騒ぐ前に、顔も知らない一般生徒たちに取り押さえられてしまっていたに違いない。
 これはむしろ来年の方がヤバいことになるんじゃないか。ぞっとするが、今はそれどころではない。


「ッゼ、ハァ、いやこれ、無理じゃん……?」
「弱気、なこと、言うな……」
「そーすけも息切れてんじゃん!」

 ドタバタと走りながらも会話を続ける。そんな俺たちを追いかける影は二つ程。勿論どちらの顔も見たことは無い。まあこれだけ追い回されつつもはぐれていないだけでも御の字というくらいか。
 親睦会がスタートしてから既に三十分以上は経っている。その間ずっとノンストップで走って逃げ回っているのだ、そりゃあ息の一つや二つ切れるだろう。


「——篤志! 後田!」
 廊下を曲がった直ぐの教室から俺達を呼ぶ声が聞こえる。階段の踊り場からそちらを見れば、空き教室から顔を覗かせた鹿屋と蝶木が必死の形相をしながら手招きをしていた。
 お前ら既に合流してたのか。そういや開幕してからこれまで一度もスマホを見てないな。逃げるのに必死で見る暇も無かったというか、いやそんな事より。

「助かった!」
 既にヘロヘロの篤志の腕を引っ掴み、ダッシュで階段を駆け上がって教室に駆け込む。四人で揃って壁に張り付いて息を殺しながら身を潜めた。



「ッ、どこ行った!」
「撒かれたか……」
「そう遠くには行ってないはずだ! 探すぞ!」
「絶対捕まえて見せる……!」

 頭に血が上った人間は視野が狭くなる、というのは本当らしい。息を切らした見知らぬ生徒たちは、目の前の教室のドアに手をかけることなくどこかへとバタバタ走って行った。


「…………行ったね」
 真剣な顔をした蝶木が廊下を覗き込み、安堵した声音でそう零す。その言葉で漸く全身の力が抜けてその場に座り込んだ。

「つっっっっかれた…………」
「も~無理ィ~~」
「全然既読つかねえからまさかとは思ったが……。随分人気者じゃねえか」
 ニヤついた鹿屋に言われてスマホを見れば、グループトークの通知がものすごい数になっていた。遡ってみると、それぞれの現状報告や鹿屋と蝶木が合流した報告が上がっている。砂盃とリカルド先輩はかなりの人数に追われているようだ。


「あ、萩壱が鶴永先輩と合流したって」
 丁度見ていたトーク画面にメッセージが現れる。『合流~』という気の抜けたメッセージと共に、心底嫌そうな顔をした鶴永先輩と華麗なウィンクを決めた猪狩の自撮りが送られてくる。
 いつ敵に襲われるかも分からない場所で自撮りとは御見それする。流石運動神経良し男コンビ、こんなものは余裕ってか。

「あの二人が合流できたなら、こっちの手助けは必要なさそうだな」
「そうだね、どっちかというと篤志やリカルド先輩の守りを固めていこう。それにしてもお疲れ様、中々にハードだったみたいだね」
「いや、本当にな……。なんていうか……、多くないか?」

 蝶木に憐れみを含んだ声で言われて遠い目をする。そう、あまりにも追手が多い。
 
 言ってしまえば篤志はまだ入学一か月ちょっとの新入生だ。その割に、中等部あたりから在籍している鹿屋や蝶木たちより追手が多いというのはどういうことだ。
 いや、もしかしてこいつらも同じだけの追手が居たが、涼しい顔をして捌いてきたというのか。恐ろしい、こんなにも人に追われることに慣らされるだなんて一体この学園はどんな魔境なんだ。


「あー、その、ね。なんていうか、言いにくいんだけども。……最近、後田君の方にもちらほらファンが増えてるんだよね。その分追いかけてくる人も増えてるんじゃないかな」
「……は?」
「『自分もあんな風に一途に真摯に守ってほしい』、『顔は怖いけど逞しいし覚悟が決まってていい』、『抱いてほしい』。そういう意見が多いみたいだぜ」
「は?」

 大困惑する俺を鼻で笑った鹿屋は、「抱き抱かランキングに入賞するのもそのうちかもな」なんて意味の分からないことを言ってきた。俺のファン? 抱かれたい? ダキダカランキング?

「なんだそのダキダカランキングって」
「校内専用の掲示板で年に数回更新されるランキングだよ。生徒の投票によって『抱きたい男』『抱かれたい男』のそれぞれ上位十人を決めるんだ。ま、掲示板を見てる奴らしか参加しない超内輪のお祭りみたいなものだから、平等性なんて殆ど無いけどね」
「だき…………だか…………?」
「あ、そーすけがバグった」

 全く理解が出来ないアングラな世界を強制的に覗かされて脳が混乱する。この学園はそんなオープンな感じで他人を食い物にしているのか。
 そりゃ確かに封鎖的な社会で長年暮らしているからか、この学園の生徒たちは同性に対する性的な欲求のハードルが低いなとは常々思っていたが。


「……そもそも俺は、篤志だから身を賭けて守ってるんだ。なんで見ず知らずの奴を守ってやらなきゃなんねえ? 普通にキショいな」
「わあ、正論の槍」
「概ね同感だ」
 渋い顔をした鹿屋が頷く。多分こいつはそのしょーもなくて下衆いランキングに入賞してしまっているんだろう。蝶木は……どうだろう、あんまり目立つようなタイプじゃないし分からんな。

「やっぱり龍宮や鳳凰院もランクインしてるのか?」
「そうだね。前回は確か……龍宮先輩は抱かれたい男一位、鳳凰院先輩は抱かれたい男七位と抱きたい男四位あたりだった気がする」
「鳳凰院を抱きたいとか勇気あるな……。肛門括約筋でねじ切られそう」
「アイツ顔だけはゾッとする程美人だからな」

 なんとなく読めたぞ。分かりやすくゴツくて強そうな見た目の奴が抱かれたい男ランキング、儚げだったり中性的だったり美人パラメーターに見た目が振ってると抱きたい男ランキングに入るようだ。いや、こんなもんの傾向知ったって何の得にもならんが。


「ねえ俺、俺は?! ダキダカランキング入ってる?!」
「篤志はどっちも圏外だよ」
「そっ…………スか……」
「むしろ篤志をそんな目で見てる奴が居たら俺がシメる」
「それブーメランすぎねえか鹿屋さんよォ」

 それを聞いて安心した。篤志がそんなトンチキなランキングを作るような奴らに目を付けられてなくて良かった。
とはいえ、そのうち入賞してしまうだろうという諦めにも似た予感もしている。前野家の血は遅効性だ、そのうちしたり顔で『篤志の魅力を一番知っているのは俺だけ』という奴がわんさか出てくるだろう。そしてそんな勘違い野郎をシメるのがこの俺の役割である。


「それにしても厄介なことになったな。俺目当てで追ってきてる奴も居るってのは流石に想定外だ」
 追ってくる奴らの全員の目がギラギラと嫌に輝いていた。あんなのに捕まるくらいならば、時間いっぱい走り続けた方がずっとマシだ。そのギラつきがごく僅かではあるが隣の人間吸引機ではなく俺に向いているというのも恐ろしい。

 お前らの目は節穴か? 隣にもっと最高な男が居るだろうか。まだ見ぬ俺のファンだとかいうふざけた奴らの見る目の無さに腹が立った。





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