83 / 99
涙があるからこそ、前に進めるのだ
9
しおりを挟む
オホンッと、喉の調子を整えた菜穂子は、背筋をピンと伸ばして口を開く。
「まあ君、この前の祝賀会では八つ当たりしちゃってごめんなさい!」
言い終えたと同時に、菜穂子は額に膝がくっつきそうなほど深く頭を下げた。
ゆっくり三つ数えて顔を上げれば、ポカンとした真澄と目が合う。
「菜穂ちゃん……」
「うん?」
「俺に八つ当たりしたって言ってるが……」
「うん」
「さっぱりわからん」
でしょうね。それを今から説明するのだから。
そう心の中で呟いた菜穂子は、再び真澄の隣に座る。ちょっと彼の目を見て話すのは、恥ずかしいというより、気まずい。
「私ね、まあ君と結婚してからの生活が楽しいの。でも楽しい反面、私はどんな妻でいればいいのかわからなくってね……なんか自分を見失ってたんだ」
「そうか」
指をこねながら、たどたどしい説明をした菜穂子に、真澄は優しい声で相槌を打つ。
「今にして思えば……自分で考えてもわからないんだから、まあ君に訊くしかなかったんだけど、それができなかったの」
もし尋ねた結果、真澄から自分への不満が溢れてきたらと思うと怖くて行動に移せなかった。
予定より早く契約結婚を終了したいと告げられるのを、何より恐れていた。
真澄のことを好きだと自覚してしまった菜穂子からしたら、それは死ねと言われるようなものだった。
「祝賀会の時はね、自分で勝手に悩んでた時に”妻としての自覚がない”って言われて、ついカッとなって……あんなひどいことしちゃったんだ。ほんと、ごめん」
もう一度、菜穂子は深く頭を下げた。すぐに真澄の手が、頭の上に乗る。
「……まあ君?」
「さっきの仕返しだ」
そう言うや否や、真澄は両手でわしゃわしゃと菜穂子の頭を撫でまわす。
「ちょ、ちょっと……!」
「菜穂ちゃんの頭、ちっさ」
「脳みそが少ないって言いたいの!?」
「違う。可愛い」
「……っ!」
さらっと、ときめくことを言う真澄に、菜穂子の胸が軋む。でも、もう辛いとは思わない。
菜穂子が真澄のことを好きなのは事実だ。この気持ちは、変えられない。
自分の気持ちを、自分で否定することは、とても苦しい。だから菜穂子は、開き直ることにした。
恋など、事故のようなものだ。望む望まないに限らず、心の一番大事なところに居座ってしまう厄介なもの。
ならその気持ちを無理矢理追い出すより、大切にしよう。どうせ叶わぬ恋であっても──
「夫婦の形って、夫婦の数だけあって、どれが正解とか不正解かなんて誰かに決めてもらうことじゃないんだよね」
菜穂子の頭を好き放題に撫でていた真澄の手が、ピタリと止まった。
「私は、今からでも私たちだけの夫婦の形を探したい」
契約終了まで、残り四か月。この提案は、意味のないものかもしれない。他に好きな人がいる真澄にとったら、迷惑なものかもしれない。
けれど、真澄は頷いてくれた。とてもとても綺麗な笑みを浮かべて。
「ああ。俺も、賛成だ。探していこう」
真澄の手が、菜穂子の頭から頬に移動する。
ゆっくり包み込むように押し当てられ、菜穂子は切なくなる。彼のこの行為は、愛からくるものじゃない。
でも抱える想いが違っても、向かう先は同じである。それだけで、もう十分幸せだ。
「じゃあ、仲直りってことでいい?」
おずおずと菜穂子が尋ねると、真澄はがっくりと項垂れた。菜穂子の目が、不安に揺れる。
「俺から……いや、俺のほうが悪かったのに……菜穂ちゃんにそこまで言わせてしまって悪かった」
「ううん、ぜんぜん」
「俺こそ、ずっと菜穂ちゃんを避け続けてごめん」
「もう、いいの。ちゃんと捕まってくれたし」
「最高のサプライズだった。感謝する」
「ふふっ、何度逃げても捕まえてあげるね」
「助かる。だがそうならないよう、俺も努力する」
生真面目に言った真澄は、菜穂子を見つめて誓いを立てるように深く頷いた。
「まあ君、この前の祝賀会では八つ当たりしちゃってごめんなさい!」
言い終えたと同時に、菜穂子は額に膝がくっつきそうなほど深く頭を下げた。
ゆっくり三つ数えて顔を上げれば、ポカンとした真澄と目が合う。
「菜穂ちゃん……」
「うん?」
「俺に八つ当たりしたって言ってるが……」
「うん」
「さっぱりわからん」
でしょうね。それを今から説明するのだから。
そう心の中で呟いた菜穂子は、再び真澄の隣に座る。ちょっと彼の目を見て話すのは、恥ずかしいというより、気まずい。
「私ね、まあ君と結婚してからの生活が楽しいの。でも楽しい反面、私はどんな妻でいればいいのかわからなくってね……なんか自分を見失ってたんだ」
「そうか」
指をこねながら、たどたどしい説明をした菜穂子に、真澄は優しい声で相槌を打つ。
「今にして思えば……自分で考えてもわからないんだから、まあ君に訊くしかなかったんだけど、それができなかったの」
もし尋ねた結果、真澄から自分への不満が溢れてきたらと思うと怖くて行動に移せなかった。
予定より早く契約結婚を終了したいと告げられるのを、何より恐れていた。
真澄のことを好きだと自覚してしまった菜穂子からしたら、それは死ねと言われるようなものだった。
「祝賀会の時はね、自分で勝手に悩んでた時に”妻としての自覚がない”って言われて、ついカッとなって……あんなひどいことしちゃったんだ。ほんと、ごめん」
もう一度、菜穂子は深く頭を下げた。すぐに真澄の手が、頭の上に乗る。
「……まあ君?」
「さっきの仕返しだ」
そう言うや否や、真澄は両手でわしゃわしゃと菜穂子の頭を撫でまわす。
「ちょ、ちょっと……!」
「菜穂ちゃんの頭、ちっさ」
「脳みそが少ないって言いたいの!?」
「違う。可愛い」
「……っ!」
さらっと、ときめくことを言う真澄に、菜穂子の胸が軋む。でも、もう辛いとは思わない。
菜穂子が真澄のことを好きなのは事実だ。この気持ちは、変えられない。
自分の気持ちを、自分で否定することは、とても苦しい。だから菜穂子は、開き直ることにした。
恋など、事故のようなものだ。望む望まないに限らず、心の一番大事なところに居座ってしまう厄介なもの。
ならその気持ちを無理矢理追い出すより、大切にしよう。どうせ叶わぬ恋であっても──
「夫婦の形って、夫婦の数だけあって、どれが正解とか不正解かなんて誰かに決めてもらうことじゃないんだよね」
菜穂子の頭を好き放題に撫でていた真澄の手が、ピタリと止まった。
「私は、今からでも私たちだけの夫婦の形を探したい」
契約終了まで、残り四か月。この提案は、意味のないものかもしれない。他に好きな人がいる真澄にとったら、迷惑なものかもしれない。
けれど、真澄は頷いてくれた。とてもとても綺麗な笑みを浮かべて。
「ああ。俺も、賛成だ。探していこう」
真澄の手が、菜穂子の頭から頬に移動する。
ゆっくり包み込むように押し当てられ、菜穂子は切なくなる。彼のこの行為は、愛からくるものじゃない。
でも抱える想いが違っても、向かう先は同じである。それだけで、もう十分幸せだ。
「じゃあ、仲直りってことでいい?」
おずおずと菜穂子が尋ねると、真澄はがっくりと項垂れた。菜穂子の目が、不安に揺れる。
「俺から……いや、俺のほうが悪かったのに……菜穂ちゃんにそこまで言わせてしまって悪かった」
「ううん、ぜんぜん」
「俺こそ、ずっと菜穂ちゃんを避け続けてごめん」
「もう、いいの。ちゃんと捕まってくれたし」
「最高のサプライズだった。感謝する」
「ふふっ、何度逃げても捕まえてあげるね」
「助かる。だがそうならないよう、俺も努力する」
生真面目に言った真澄は、菜穂子を見つめて誓いを立てるように深く頷いた。
22
あなたにおすすめの小説
愛する人は、貴方だけ
月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
下町で暮らすケイトは母と二人暮らし。ところが母は病に倒れ、ついに亡くなってしまう。亡くなる直前に母はケイトの父親がアークライト公爵だと告白した。
天涯孤独になったケイトの元にアークライト公爵家から使者がやって来て、ケイトは公爵家に引き取られた。
公爵家には三歳年上のブライアンがいた。跡継ぎがいないため遠縁から引き取られたというブライアン。彼はケイトに冷たい態度を取る。
平民上がりゆえに令嬢たちからは無視されているがケイトは気にしない。最初は冷たかったブライアン、第二王子アーサー、公爵令嬢ミレーヌ、幼馴染カイルとの交友を深めていく。
やがて戦争の足音が聞こえ、若者の青春を奪っていく。ケイトも無関係ではいられなかった……。
【完結】私の望み通り婚約を解消しようと言うけど、そもそも半年間も嫌だと言い続けたのは貴方でしょう?〜初恋は終わりました。
るんた
恋愛
「君の望み通り、君との婚約解消を受け入れるよ」
色とりどりの春の花が咲き誇る我が伯爵家の庭園で、沈痛な面持ちで目の前に座る男の言葉を、私は内心冷ややかに受け止める。
……ほんとに屑だわ。
結果はうまくいかないけど、初恋と学園生活をそれなりに真面目にがんばる主人公のお話です。
彼はイケメンだけど、あれ?何か残念だな……。という感じを目指してます。そう思っていただけたら嬉しいです。
彼女視点(side A)と彼視点(side J)を交互にあげていきます。
【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する
ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。
夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。
社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。
ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。
「私たち、離婚しましょう」
アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。
どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。
彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。
アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。
こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。
すべてはあなたの為だった~狂愛~
矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。
愛しているのは君だけ…。
大切なのも君だけ…。
『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』
※設定はゆるいです。
※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
愛を忘れた令嬢が平民に扮した公爵子息様に娶られる話
rifa
恋愛
今まで虐げられ続けて育ち、愛を忘れてしまった男爵令嬢のミレー。
彼女の義妹・アリサは、社交パーティーで出会ったオリヴァーという公爵家の息子に魅了され、ミレーという義姉がいることを一層よく思わないようになる。
そこでミレーを暴漢に襲わせ、あわよくば亡き者にしようと企んでいたが、それを下町に住むグランという青年に助けられ失敗し、ミレーはグランの家で保護され、そのまま一緒に暮らすようになる。
そしてそのグランこそがアリサが結婚を望んだオリヴァーであり、ミレーと婚約することになる男性だった。
やがてグランが実は公爵家の人間であったと知ったミレーは、公爵家でオリヴァーの婚約者として暮らすことになる。
だが、ミレーを虐げ傷つけてきたアリサたちを許しはしないと、オリヴァーは密かに仕返しを目論んでいた。
※アリサは最後痛い目を見るので、アリサのファンは閲覧をオススメしません。
【完結】無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない
ベル
恋愛
旦那様とは政略結婚。
公爵家の次期当主であった旦那様と、領地の経営が悪化し、没落寸前の伯爵令嬢だった私。
旦那様と結婚したおかげで私の家は安定し、今では昔よりも裕福な暮らしができるようになりました。
そんな私は旦那様に感謝しています。
無口で何を考えているか分かりにくい方ですが、とてもお優しい方なのです。
そんな二人の日常を書いてみました。
お読みいただき本当にありがとうございますm(_ _)m
無事完結しました!
誰も愛してくれないと言ったのは、あなたでしょう?〜冷徹家臣と偽りの妻契約〜
山田空
恋愛
王国有数の名家に生まれたエルナは、
幼い頃から“家の役目”を果たすためだけに生きてきた。
父に褒められたことは一度もなく、
婚約者には「君に愛情などない」と言われ、
社交界では「冷たい令嬢」と噂され続けた。
——ある夜。
唯一の味方だった侍女が「あなたのせいで」と呟いて去っていく。
心が折れかけていたその時、
父の側近であり冷徹で有名な青年・レオンが
淡々と告げた。
「エルナ様、家を出ましょう。
あなたはもう、これ以上傷つく必要がない」
突然の“駆け落ち”に見える提案。
だがその実態は——
『他家からの縁談に対抗するための“偽装夫婦契約”。
期間は一年、互いに干渉しないこと』
はずだった。
しかし共に暮らし始めてすぐ、
レオンの態度は“契約の冷たさ”とは程遠くなる。
「……触れていいですか」
「無理をしないで。泣きたいなら泣きなさい」
「あなたを愛さないなど、できるはずがない」
彼の優しさは偽りか、それとも——。
一年後、契約の終わりが迫る頃、
エルナの前に姿を見せたのは
かつて彼女を切り捨てた婚約者だった。
「戻ってきてくれ。
本当に愛していたのは……君だ」
愛を知らずに生きてきた令嬢が人生で初めて“選ぶ”物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる