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第一章 上司と部下となった貴方と私
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「……なんでこんな風になっちゃったのかなぁ」
両腕を胸の位置で交差して封書を大事に抱えながら、クラーラはてくてくと廊下を歩く。
その表情は、先ほどのヴァルラムより憂いていた。
ヴァルラムに冷たく当たりさえすれば、、間違いなく愛想をつかされると思っていた。そして彼はここを去り、本来あるべき道を進んでくれると思っていた。
でもその努力は無駄に終わり、罪悪感だけが日に日につのっていく。
ヴァルラムと別れて3年が経過して、自分は大人になったつもりでいた。
だからもっと彼の優しや気遣いを上手にかわせると思っていた。なのに実際は、ちょっとした仕草に心を揺さぶられ、心にもない態度を取る始末。一体これのどこが大人なのか。
──でも、このままヴァルの婚約者でいたいとは思わない。
学生だった頃、クラーラは真っすぐにヴァルラムの好意を受け入れていた。
今だから言えることだが、好きになってもらえるよう努力をしたことなどなかった。ただ自然に会話して、自然な流れてヴァルラムは自分に「好きだよ」と想いを伝えてくれた。
でも卒業間際にヴァルラムは急に冷たくなった。その理由を訊けないままでいる現状では、どうして平民落ちした自分に執着するのかわからない。
男爵家は世襲貴族ではない。当主が死んだら、そこで終わり。クラーラが貴族令嬢に戻れる道は閉ざされてしまった。
己の立場を弁えているクラーラは、こんな場所で再会しなかったらヴァルラムとは一生すれ違うことも、名前すら呼んではいけない立場なのもちゃんと自覚している。そして、彼にも気付いてほしいと願っている。
でもそう願いつつも、いつも記憶が邪魔をする。
あの朽ちた藤棚の下で、どれほど自分が彼に大切にされ、愛おしんでもらえていたのかを。自惚れだったらどんなに良かったかと思うほどの眼差しを隠すこと無く自分に向けてくれていたことを。
いっそヴァルラムの口から、研究馬鹿の父親と奔放な母親の間に生まれ十人並みの顔と頭脳しか持っていない自分をたぶらかしたのは、若気の至りだったといって欲しい。そうすれば──
「使命感が強過ぎるせいで、こんな状況になった私を見捨てることができないと躍起になってるって思えるのにな……」
そんなことを呟きつつも、要はヴァルに嫌われてしまえば、全部丸く収まるとも思ってしまう。
クラーラは書類を片手に持つと、自分の唇をなぞる。
噛みつかれたように合わされたヴァルラムの唇の感触は、とてもじゃないけれど忘れることはできない。
あんなにも強く抱きしめられたことなんて無かった。むさぼるようにキスされたことも。
熱を帯びた目で、はっきり自分を抱くと言った。
ミントグリーンの瞳はギラギラとしていた。あれは冗談ではく本気だった。そういうことに疎い自分だってちゃんとわかった。それだけ強く求められて、怖かった。
もし王都を去る直前、婚約破棄したいと彼に目の前にして言ったら同じことをされたのだろうか。
タラレバを考えるのは愚かなことではあるが、直接会って声を聞いて、引き留められたら、きっと決心が揺らいでしまっていただろう。
それはとてつもなく怖いことだ。光り輝く彼の将来を傷を付けることになっていたのだから。だからやっぱり自分の取った行動に後悔していない。他に方法は無かった。
再会できたことは、今でも嬉しいのか嬉しくないのかわからない。ただ、このままずるずると流されてはいけないことだけはわかる。
とことん嫌な奴を演じて、嫌われて憎まれて、鬱陶しい奴と思ってもらえたら、彼はきっと自分を見限って、己の身分に釣り合う素敵な女性を伴侶にするだろう。
「うん。大丈夫。私は間違ってない」
クラーラは日に日に揺らいでいく決意を固めるように声に出して言う。
なのに、窓ガラスに映る自分は今にも泣きそうな顔をしていて……クラーラは唇を強く噛んだ。
*
それから数日後。共同研究室ではクラーラの悲痛な叫び声が響いていた。
「痛いですっ。頭皮もげる!!」
「もげるわけないでしょ!?ほら、クラーラ動かないで。このリーチェお姉さまが、男を虜にする髪型にしあげてるんだから、大人しくしなさい」
「そうよ。素材は良いんだから、もっとお洒落をしなさい。はい、顎をあげて。ナタリー姉さんがチーク塗ってあげましょうね」
頭皮はがっつり引っ張られ、顔にはブラシ。
美女二人は素材も良ければお洒落スキルも長けている。加えて腕力もあるため、逃げようとするクラーラをナタリーの片腕がしっかりと拘束している。
「もー無理です。無理、無理。私、お洒落なんて必要ないですよぅー」
これはもはや拷問だと情けない声を上げるクラーラは、身を飾る女性の心理が心底理解できない。
なのに運悪く今日はリーチェとナタリーはほどほど暇で、客人と会う予定のクラーラは二人に捕まってしまった。そして現在、二人のいい暇潰しの材料にされてしまっていたりする。
「お洒落が必要ないなんて、聞きようによっては素材で十分勝負できるっていうことかしら?クラーラちゃん。うん、確かに10代のうちはそれで良いと思う。私だってそうだったから。でもね、20代になってみなさい。お肌の衰えを痛いほど感じるから。そして太陽の日差しを恨めしく思うんだからね」
クラーラの髪をうなじで一纏めにしたリーチェは、ぐいっと力強く引っ張った。
「痛いですっ。降参です!降参!!」
まるで手にしているカプチーノ色の髪が太陽の化身だと思っているかのような力加減に、その持ち主であるクラーラは涙目で訴える。
けれど、リーチェの耳には届かなかった。
両腕を胸の位置で交差して封書を大事に抱えながら、クラーラはてくてくと廊下を歩く。
その表情は、先ほどのヴァルラムより憂いていた。
ヴァルラムに冷たく当たりさえすれば、、間違いなく愛想をつかされると思っていた。そして彼はここを去り、本来あるべき道を進んでくれると思っていた。
でもその努力は無駄に終わり、罪悪感だけが日に日につのっていく。
ヴァルラムと別れて3年が経過して、自分は大人になったつもりでいた。
だからもっと彼の優しや気遣いを上手にかわせると思っていた。なのに実際は、ちょっとした仕草に心を揺さぶられ、心にもない態度を取る始末。一体これのどこが大人なのか。
──でも、このままヴァルの婚約者でいたいとは思わない。
学生だった頃、クラーラは真っすぐにヴァルラムの好意を受け入れていた。
今だから言えることだが、好きになってもらえるよう努力をしたことなどなかった。ただ自然に会話して、自然な流れてヴァルラムは自分に「好きだよ」と想いを伝えてくれた。
でも卒業間際にヴァルラムは急に冷たくなった。その理由を訊けないままでいる現状では、どうして平民落ちした自分に執着するのかわからない。
男爵家は世襲貴族ではない。当主が死んだら、そこで終わり。クラーラが貴族令嬢に戻れる道は閉ざされてしまった。
己の立場を弁えているクラーラは、こんな場所で再会しなかったらヴァルラムとは一生すれ違うことも、名前すら呼んではいけない立場なのもちゃんと自覚している。そして、彼にも気付いてほしいと願っている。
でもそう願いつつも、いつも記憶が邪魔をする。
あの朽ちた藤棚の下で、どれほど自分が彼に大切にされ、愛おしんでもらえていたのかを。自惚れだったらどんなに良かったかと思うほどの眼差しを隠すこと無く自分に向けてくれていたことを。
いっそヴァルラムの口から、研究馬鹿の父親と奔放な母親の間に生まれ十人並みの顔と頭脳しか持っていない自分をたぶらかしたのは、若気の至りだったといって欲しい。そうすれば──
「使命感が強過ぎるせいで、こんな状況になった私を見捨てることができないと躍起になってるって思えるのにな……」
そんなことを呟きつつも、要はヴァルに嫌われてしまえば、全部丸く収まるとも思ってしまう。
クラーラは書類を片手に持つと、自分の唇をなぞる。
噛みつかれたように合わされたヴァルラムの唇の感触は、とてもじゃないけれど忘れることはできない。
あんなにも強く抱きしめられたことなんて無かった。むさぼるようにキスされたことも。
熱を帯びた目で、はっきり自分を抱くと言った。
ミントグリーンの瞳はギラギラとしていた。あれは冗談ではく本気だった。そういうことに疎い自分だってちゃんとわかった。それだけ強く求められて、怖かった。
もし王都を去る直前、婚約破棄したいと彼に目の前にして言ったら同じことをされたのだろうか。
タラレバを考えるのは愚かなことではあるが、直接会って声を聞いて、引き留められたら、きっと決心が揺らいでしまっていただろう。
それはとてつもなく怖いことだ。光り輝く彼の将来を傷を付けることになっていたのだから。だからやっぱり自分の取った行動に後悔していない。他に方法は無かった。
再会できたことは、今でも嬉しいのか嬉しくないのかわからない。ただ、このままずるずると流されてはいけないことだけはわかる。
とことん嫌な奴を演じて、嫌われて憎まれて、鬱陶しい奴と思ってもらえたら、彼はきっと自分を見限って、己の身分に釣り合う素敵な女性を伴侶にするだろう。
「うん。大丈夫。私は間違ってない」
クラーラは日に日に揺らいでいく決意を固めるように声に出して言う。
なのに、窓ガラスに映る自分は今にも泣きそうな顔をしていて……クラーラは唇を強く噛んだ。
*
それから数日後。共同研究室ではクラーラの悲痛な叫び声が響いていた。
「痛いですっ。頭皮もげる!!」
「もげるわけないでしょ!?ほら、クラーラ動かないで。このリーチェお姉さまが、男を虜にする髪型にしあげてるんだから、大人しくしなさい」
「そうよ。素材は良いんだから、もっとお洒落をしなさい。はい、顎をあげて。ナタリー姉さんがチーク塗ってあげましょうね」
頭皮はがっつり引っ張られ、顔にはブラシ。
美女二人は素材も良ければお洒落スキルも長けている。加えて腕力もあるため、逃げようとするクラーラをナタリーの片腕がしっかりと拘束している。
「もー無理です。無理、無理。私、お洒落なんて必要ないですよぅー」
これはもはや拷問だと情けない声を上げるクラーラは、身を飾る女性の心理が心底理解できない。
なのに運悪く今日はリーチェとナタリーはほどほど暇で、客人と会う予定のクラーラは二人に捕まってしまった。そして現在、二人のいい暇潰しの材料にされてしまっていたりする。
「お洒落が必要ないなんて、聞きようによっては素材で十分勝負できるっていうことかしら?クラーラちゃん。うん、確かに10代のうちはそれで良いと思う。私だってそうだったから。でもね、20代になってみなさい。お肌の衰えを痛いほど感じるから。そして太陽の日差しを恨めしく思うんだからね」
クラーラの髪をうなじで一纏めにしたリーチェは、ぐいっと力強く引っ張った。
「痛いですっ。降参です!降参!!」
まるで手にしているカプチーノ色の髪が太陽の化身だと思っているかのような力加減に、その持ち主であるクラーラは涙目で訴える。
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