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第一部 別れと餞別

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 役目を終えたティア達は、長居は無用のはずであった。
 いや、それどころか、早々に帰路に付き、王城へ無事任務が完了したことを報告しなければならない。

 けれどもティアは、なぜか一人、関所の一室で待機を命じられている。
 ティアにとったら拘束されているといっても過言ではない状況だ。考えたくはないが、置いていかれたのかという不安すら覚えてしまう。

 もちろん、ティアを置いてグレンシス達が帰るわけはないのだけれど。



 ちなみにこうなった経緯は、アジェーリアのちょっとしたワガママであった。そして、最後のワガママを命じられたのは、お目付け役であるグレンシス。

 というわけで、アジェーリアが関所の門をくぐった数分後、グレンシスはティアの元に戻ってきたのだ。
 そして、目を丸くするティアを担ぎ上げて、関所の一室に放り込んだのだ。

 もちろん予想すらしてなかった展開にティアは『え?ん?ちょ?は?』と、思いつく限りの疑問詞を並べ立てたけれど、グレンシスは全て無視した。

 そしてティアを長椅子に座らせた途端、『ちょっと待っとけ』という言葉だけを捨て置いて、どこかへ消えてしまったのであった。


 そんなこんなで、ティアは大人しく長椅子に腰かけている。というより、足の怪我が一晩で完治するわけがなく、勝手気ままに動くことができないだけ。

 ちなみにティアがいるここは、賓客をもてなす部屋。
 ウィリスタリア国とオルドレイ国の調度品が、バランス良く配置され、日当たりの良い中庭に面した場所にある。
 そして開け放たれた窓から夕陽が差し込む中、活気ある声が聞こえてくる。
 
 同僚を夕飯に誘う声や、交代を命じる声。そして、たわいない雑談から弾けるように笑いあう声。

 アジェーリア達もこの声を聴いているのだろうか。

 ティアは、不安な気持ちを忘れ、そんなことをふと考える。

 ここは両国の関所である。だから、その中には、きっと異国の者同士の会話もあるのだろう。

 両国の関係が良好なものになれば良いと願うアジェーリアにとって、ここはその兆しが見える場所でもあってほしい。

 ティアはそんなことを願いながら窓に目を向ける。
 丁度、違う制服を着た者同士が肩を抱き合いながら、建物の中に入るのを目にすることができて、自然に口元がほころぶ。

 そして、ひじ掛けに添うように置いてあるクッションを持ち上げて顔を埋める。意味はない。ただ、フカフカしてて気持ちよさそうだったから。

 ちなみに、ティアは昨晩の騒ぎのせいで、かなり寝不足であった。
 そして続けざまに移し身の術を使ったせいで、まだ体力が回復していなかったりもする。

 なので、うっかり……本当についついうっかり、そのまま寝入ってしまったのであった。

 だからノックの音と共に、グレンシスが顔をのぞかせたことにも気づけなかった。

 
「───……ティア、お前は長椅子に座ると寝る癖でもあるのか?」

 呆れ交じりのその声に、弾かれたように顔をあげれば、正装したままグレンシスが声と同じ表情を浮かべティアを見下ろしていた。

「……ありません」

 とりあえず質問に答えてみたものの、なんだか、以前にも似たようなことがあったなとティアは思った。

 けれど、寝不足のティアはそれがいつだったか思い出すことができなかった。そして、懲りずにまたクッションに顔を埋めようとしてしまう。

 それを察したグレンシスは、慌ててそれを取り上げる。そして、恨めし気に見つめるティアに淡々と口を開いた。

「寝るのは後にしろ。行くぞ」
「へ?どこにですか?」
「王女の元だ」

 にべもなく答えたグレンシスに、ティアの頭の中で、はてなマークがぽわんと浮き出る。

「あの……なんでと聞いても」
「聞くな」
「え」

 ぴしゃりと斬り捨てられたグレンシスの言葉に、ティアは短い声をあげた。
 ちなみにその声は、正確には『え゛』に近い発音だった。

 それを聞いたグレンシスは、さすがにキツイ口調だったかと気付き、すぐに自分が分かる範囲のことをティアに伝えることにする。

「俺も良くわからない。とにかくお前を連れてこいと言われたんだ」
「……はぁ」

 グレンシスの説明ではまったくもって理解できないティアであった。
 けれど、グレンシスに抱き上げられてしまい、それどころではなくなった。

 条件反射でその腕から逃れるようとしてしまうティアを、『抱いて運ぶほうが早い』とグレンシスは嗜める。

 結果として、ティアは反論する言葉を失い、不本意ながら口を閉ざすことになってしまった。


 関所はそこそこに広い。
 ティアはグレンシスに抱かれたまま、中庭を通り抜けて、幾つかの廊下を曲がる。

 ちなみに関所は要塞でもあるので、ひとたび争いの場となれば、弓での攻防ができるよう、小さな明り取りの窓がいくつもある。

 そして今はそこから暖かみのあるだいだい色の夕陽が、柔らかく廊下を照らしている。

 そんな中をグレンシスはティアを抱いて歩いている。

 グレンシスにとったら、怪我を負っているティアを抱き上げて運ぶことは当然の権利である。けれど、ティアにとったら死ぬほど恥ずかしい時間であった。

 しかも、向かう途中で、関所の兵士達とすれ違うのだ。
 そしてその全員から、ぬるりとした意味ありげな視線を頂戴してしまう始末。

 もちろんティアは、その全て無視することにした。こういう時、表情筋が死んでくれているのは本当に役に立つ。

 そう思いながらティアはそっと目線を上にする。そうすれば、正装していつもより凛々しさが数倍も跳ねあがったグレンシスと目が合った。

 しかもあろうことか、グレンシスはティアと目が合った途端、ふわりと笑ったのだ。

 不意打ちとも言えるそれに、ティアが即座に、びゅんと音がするほどの勢いで目を逸らしたのは言うまでもない。

 そこそこの出来事には何食わぬ顔ができるティアだけれど、どうしたってグレンシスに対しては平常心でいられなかったりもする。 

 そして、自分の不注意で暴れ始める心臓をティアがなだめていれば、グレンシスの足が止まった。

 そこは関所の中で最も警備兵が多く配置されている場所──王族がいる部屋の前であった。

 グレンシスはティアを抱いたまま、警備をしている兵の一人に声をかける。

「王女にお連れしたと伝えてくれ」
「はっ」
 
 事前に知らされていたのだろう。警備兵は訝しむ様子もなく、すぐに扉の奥へと消える。次いで数拍置いて、どうぞと入室を促された。

「……あ」

 グレンシスに抱き上げられてからは一度も声を発していなかったティアは、ここでようやっと声を上げた。

 その声は短くも、驚きの響きがあった。
 翡翠色の瞳も、零れ落ちそうなほど開かれている。

 ティアがそこまで驚くのも無理はなかった。

 なぜなら、部屋の中は、オルドレイ国の衣装に身を包んだアジェーリアがいたから。
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