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第二部 ティアの知らない過去と未来
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今回も前半↓は、昔話(その②)になるので読みにくいかもしれません(;´∀`)申し訳ありません!
□■□■□■□■□■
ユザーナの将来を想い身を引いたメリエムだったけれど身寄りもなく、母国に帰ることもできないのが現実。
メリエムがティアを産み育てるには、とてもいい環境とは言えなかった。
身一つで飛び出したメリエムは、悩み抜いた末、覚悟を決めてとある娼館の門を叩いた。
その娼館の名はおなじみの、メゾン・プレザン。
既に現役を引退して女主となっていたマダムローズは、すぐにメリエムがユザーナの婚約者であることに気付いた。
けれども頑なに、ユザーナのことを口にしないメリエムを見て、マダムローズは深く追及することなく迎え入れることにした。建前上、下働きとして。
ちなみにマダムローズとバザロフは開戦直前からの関係。
そして、バザロフとユザーナは犬猿の仲ではあるが、ただ反りが合わないだけで、憎悪の対象ではない。
一応、背中を預けて戦った戦友でもある。その頃も、反りは合わなかったけれど。
だからメリエムがメゾンプレザンに居ることはマダムローズからバザロフに伝わり、そしてユザーナの元にもすぐに伝わるのは必然だった。
もちろん必死にメリエムを探していたユザーナは、すぐさま、メゾン・プレザンに足を向けた。
そして何度も通い、メリエムに、屋敷に戻ってきて欲しいと懇願した。
様々な、思いつく限りの提案もした。土下座など数えきれないほどした。
けれど、メリエムは一度も首を縦に振ることはなかった。
ユザーナはこの時、宰相補佐であったが、近いうちに宰相となることが決まっていた。メリエムはそれを知っていた。
もうすでに、二人の足元には絶対に埋められない溝が横たわっていたのだ。
『生きる世界が違うの。もう二度とここには来ないで』
メリエムは、ユザーナを想う気持ちから、きっぱりとそう言って突き放した。
そして、ユザーナはそれっきりメゾン・プレザンに足を向けることができなかった。
その後すぐ、メリエムは死んだ。流行り病であっけなく。
バザロフ伝手に訃報を聞いたユザーナは、メリエムが死んだのは自分のせいだと強く責めた。
その後も罪悪感から、ティアに会いに行くこともできなかった。自分の娘から罵られることが何よりも怖かった。
けれど、ずっとずっと見守っていた。
犬猿の仲であるバザロフに恥をしのんで頭を下げて、ティアの動向を常に聞いていた。
そして聞くたびに会いたい気持を押し殺し、ひたすら自分を責め続けていた。贖罪の方法をずっと考えていた。
ちなみにマダムローズがユザーナのことを意気地なし野郎と嫌っていたりするのは、そこにあったりもする。
「───……君のお母さんがメゾン・プレザンに身を寄せたのは、私の責任だ。本当にすまなかった」
長い昔話を語り終えた後、ユザーナは深いため息と共にそう言った。
そして苦渋に満ちた表情を隠すように、テーブルに肘を付き、そのまま組んだ指に額を押し当てた。
「今でもあの時のことを夢に見る……。メリエムが消えてしまった空っぽの部屋を。いや、こんなことを言っても詮無いことだ。忘れてくれ。とにかく、すまなかった」
甘い甘い恋バナと思いきや、まさかの懺悔であったことに、ティアは複雑な心境になる。
個人としてなら慰める言葉の一つや二つ浮かんではくるけれど、娘という立場からしたら、それを口にしたくはない。
だけど、伝えたいことはちゃんとある。
「あの……つかぬことを聞きますが、ユザーナさまは母と会った時、もしかして背中にお怪我をされてましたか?」
てっきり恨み節が始まるのかと身構えていたユザーナは、弾かれたように顔を上げ、目を丸くする。
けれど、すぐに首を縦に振った。
「あ……ああ。矢が肺まで届いていた」
良く母が見つけるまで生きていたな。
などとティアは思ったけれど、今それを言えば話が大幅にずれそうだったので、さらっと流す。
そして意識を元に戻して、再び口を開いた。
「お母さ……あ、母の背には、何年たっても消えない傷が残ってました」
「……」
「私、昔、聞いたことがあるんです。『どうしてこんなところに傷跡があるの?』って」
「……」
「母はこう言いました。『大切な人の命を救った勲章』だと」
ここでユザーナは瞠目した。細い眉は苦しげに歪み、瞼は震えている。
でもティアは、言葉を続ける。
「この傷跡を見るたびに、その人のことを思い出せる宝物だとも言ってました」
どうしてこんな大切なことを忘れてしまっていたのだろう。
善良なお騒がせな市民からではなく、ティアはもっと前から、知っていたのだ。
移し身の術を使うことができる人間にしか持てない宝物があるということを。
ティアは、そっと左胸に手を当てた。
今は、この傷の本当の持ち主を見る勇気はちょっとない。
「そうか」
ユザーナは、噛み締めるように呟いた後、少し置いてもう一度同じ言葉を繰り返した。
二度目の『そうか』には、強い後悔と、それを凌駕する愛おしい響きを持っていた。
「あのですね。私はとても幸せなんですよ。ユザーナさま」
知りたかったことは、全部聞いた。
伝えたいことも、全部伝えた……はず。
だからティアは、この場を締めくくる言葉を紡ぐことにする。
「身寄りのない私は、本来なら娼館で客を取らなくてはならないはずなのに、マダムローズはそれを禁じてくれました。それに娼館の皆さんは、私にとても優しいです」
───そして母も、とても幸せだったんです。
ティアは歌うように呟いた。
そう。ティアとメリエムは全く同じ運命を辿っていたのだ。
一人の男性の命を救い、その男に恋をして、好きな人の為に身を引いて。
ずっとティアは、自分の母親が望まぬ運命に翻弄された不幸で可哀想な人間だと思ってきた。
でも、違った。自分の母親はとても幸せだったのだ。
そのことを知ることができて、ティアはとても幸せだった。嬉しかった。
「母とユザーナ様のこと、聞かせていただいてありがとうございました」
そう言ってティアは、ユザーナに向かって深く頭を下げた。
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ユザーナの将来を想い身を引いたメリエムだったけれど身寄りもなく、母国に帰ることもできないのが現実。
メリエムがティアを産み育てるには、とてもいい環境とは言えなかった。
身一つで飛び出したメリエムは、悩み抜いた末、覚悟を決めてとある娼館の門を叩いた。
その娼館の名はおなじみの、メゾン・プレザン。
既に現役を引退して女主となっていたマダムローズは、すぐにメリエムがユザーナの婚約者であることに気付いた。
けれども頑なに、ユザーナのことを口にしないメリエムを見て、マダムローズは深く追及することなく迎え入れることにした。建前上、下働きとして。
ちなみにマダムローズとバザロフは開戦直前からの関係。
そして、バザロフとユザーナは犬猿の仲ではあるが、ただ反りが合わないだけで、憎悪の対象ではない。
一応、背中を預けて戦った戦友でもある。その頃も、反りは合わなかったけれど。
だからメリエムがメゾンプレザンに居ることはマダムローズからバザロフに伝わり、そしてユザーナの元にもすぐに伝わるのは必然だった。
もちろん必死にメリエムを探していたユザーナは、すぐさま、メゾン・プレザンに足を向けた。
そして何度も通い、メリエムに、屋敷に戻ってきて欲しいと懇願した。
様々な、思いつく限りの提案もした。土下座など数えきれないほどした。
けれど、メリエムは一度も首を縦に振ることはなかった。
ユザーナはこの時、宰相補佐であったが、近いうちに宰相となることが決まっていた。メリエムはそれを知っていた。
もうすでに、二人の足元には絶対に埋められない溝が横たわっていたのだ。
『生きる世界が違うの。もう二度とここには来ないで』
メリエムは、ユザーナを想う気持ちから、きっぱりとそう言って突き放した。
そして、ユザーナはそれっきりメゾン・プレザンに足を向けることができなかった。
その後すぐ、メリエムは死んだ。流行り病であっけなく。
バザロフ伝手に訃報を聞いたユザーナは、メリエムが死んだのは自分のせいだと強く責めた。
その後も罪悪感から、ティアに会いに行くこともできなかった。自分の娘から罵られることが何よりも怖かった。
けれど、ずっとずっと見守っていた。
犬猿の仲であるバザロフに恥をしのんで頭を下げて、ティアの動向を常に聞いていた。
そして聞くたびに会いたい気持を押し殺し、ひたすら自分を責め続けていた。贖罪の方法をずっと考えていた。
ちなみにマダムローズがユザーナのことを意気地なし野郎と嫌っていたりするのは、そこにあったりもする。
「───……君のお母さんがメゾン・プレザンに身を寄せたのは、私の責任だ。本当にすまなかった」
長い昔話を語り終えた後、ユザーナは深いため息と共にそう言った。
そして苦渋に満ちた表情を隠すように、テーブルに肘を付き、そのまま組んだ指に額を押し当てた。
「今でもあの時のことを夢に見る……。メリエムが消えてしまった空っぽの部屋を。いや、こんなことを言っても詮無いことだ。忘れてくれ。とにかく、すまなかった」
甘い甘い恋バナと思いきや、まさかの懺悔であったことに、ティアは複雑な心境になる。
個人としてなら慰める言葉の一つや二つ浮かんではくるけれど、娘という立場からしたら、それを口にしたくはない。
だけど、伝えたいことはちゃんとある。
「あの……つかぬことを聞きますが、ユザーナさまは母と会った時、もしかして背中にお怪我をされてましたか?」
てっきり恨み節が始まるのかと身構えていたユザーナは、弾かれたように顔を上げ、目を丸くする。
けれど、すぐに首を縦に振った。
「あ……ああ。矢が肺まで届いていた」
良く母が見つけるまで生きていたな。
などとティアは思ったけれど、今それを言えば話が大幅にずれそうだったので、さらっと流す。
そして意識を元に戻して、再び口を開いた。
「お母さ……あ、母の背には、何年たっても消えない傷が残ってました」
「……」
「私、昔、聞いたことがあるんです。『どうしてこんなところに傷跡があるの?』って」
「……」
「母はこう言いました。『大切な人の命を救った勲章』だと」
ここでユザーナは瞠目した。細い眉は苦しげに歪み、瞼は震えている。
でもティアは、言葉を続ける。
「この傷跡を見るたびに、その人のことを思い出せる宝物だとも言ってました」
どうしてこんな大切なことを忘れてしまっていたのだろう。
善良なお騒がせな市民からではなく、ティアはもっと前から、知っていたのだ。
移し身の術を使うことができる人間にしか持てない宝物があるということを。
ティアは、そっと左胸に手を当てた。
今は、この傷の本当の持ち主を見る勇気はちょっとない。
「そうか」
ユザーナは、噛み締めるように呟いた後、少し置いてもう一度同じ言葉を繰り返した。
二度目の『そうか』には、強い後悔と、それを凌駕する愛おしい響きを持っていた。
「あのですね。私はとても幸せなんですよ。ユザーナさま」
知りたかったことは、全部聞いた。
伝えたいことも、全部伝えた……はず。
だからティアは、この場を締めくくる言葉を紡ぐことにする。
「身寄りのない私は、本来なら娼館で客を取らなくてはならないはずなのに、マダムローズはそれを禁じてくれました。それに娼館の皆さんは、私にとても優しいです」
───そして母も、とても幸せだったんです。
ティアは歌うように呟いた。
そう。ティアとメリエムは全く同じ運命を辿っていたのだ。
一人の男性の命を救い、その男に恋をして、好きな人の為に身を引いて。
ずっとティアは、自分の母親が望まぬ運命に翻弄された不幸で可哀想な人間だと思ってきた。
でも、違った。自分の母親はとても幸せだったのだ。
そのことを知ることができて、ティアはとても幸せだった。嬉しかった。
「母とユザーナ様のこと、聞かせていただいてありがとうございました」
そう言ってティアは、ユザーナに向かって深く頭を下げた。
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