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第二部 結婚とは……
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「どうした?ティア」
そう問いかけると共に、グレンシスの足が静かに止まった。
次いでグレンシスは、ティアの背を優しく、労るようにそっと撫でる。
「帰りたくありません」
ティアがグレンシスの耳元で囁いた途端、たくましい腕が強張るのがわかった。
駄目だ帰るぞ。そんな言葉を聞くのがとても怖くて、ティアは更にグレンシスの首にしがみつく腕に力を入れると、嫌々と必死に首を振る。
けれどグレンシスは、口を開く。怖気が立つほど優しい口調で。
「どうして嫌なんだ?」
そんなの答えたくない。
ティアはまるで聞き分けのない幼子に戻ったように、もっと激しく首を横に振る。
「そうか」
ぽんぽんとティアの背を軽く叩きながら、ため息交じりにグレンシスそう呟いた。
が、すぐに何かをひらめいたかのように、弾んだ声色に変えてでこう言った。
「よしっ。ならちょっと、寄り道をしよう」
そう言うが早いかグレンシスはティアを抱き直すと、カツカツと足音を響かせながら、とある場所へと足を向けた。
ティアはずっと目を瞑ったまま、グレンシスの首にしがみついている。
時折、グレンシスが何かを跨いだり、しゃがんだりしている気配が伝わっているが、それでも目をつむったままでいる。
完全に振り遅れているが、ティアは子供のような駄々を言ってしまったことが、とても恥ずかしかった。
今までずっと聞き分けよく、良い子な自分を心掛けていたのに、よりによって一番嫌われたくない人にワガママを言ってしまうなんて。
でもほんのちょっぴり、そんなことでは嫌われたりしないという確信を持っている自分に呆れてしまってもいる。
そんなふうにティアの心はごちゃごちゃと忙しい。けれどさっきまで忙しなく動いていたグレンシスの足はここで止まった。
そしてグレンシスは腰を落とすと、あぐらを組んだ足の間にティアを収める。
次いで、軽く揺さぶりながらティアに声を掛けた。
「着いたぞ、目を開けてみろ」
言われるがまま目を開ければ、見慣れない景色がティアの眼前に広がる。
「ここは王城の中だけれども誰も来ない。俺だけの秘密の場所だ」
先に答えを教えてもらい、ティアはほっとしてぐるりと辺りを見渡す。
秘密の場所と言う名の通り、ここはひどく静かな場所だった。
棟と棟の間にあるこの場所は、裏庭と呼ぶこともできない狭い空間だった。
ただし、ここは王城。
こんな人目につかないデッドスペースな場所でも、むき出しの地面ではなく、色鮮やかなタイルが敷き詰めてある。
そして見栄えを良くする為だけに植えられたであろう生垣のオウゴンマサキが、その名の通り黄金色の葉を気持ち良さそうに秋の風に揺らめかせている。
日はまだ高く、頭上からは秋のキラキラとした日射しが降り注ぎ、二人っきりの空間は柔らかい光で、外部から遮断されているかのようだった。
「ティアに見せることができて良かった。なかなかの所だろう?」
「はい。すごく落ち着きます」
素直に頷いたティアに、グレンシスは満足そうに笑った。
そして後ろからティアを、ぎゅっと抱きしめたままでいる。
きっとこのまま陽が沈んで、夜の帳が落ちて、月がぷかぷか夜空に浮かんでも、こうしたままで居てくれるんだろう。
───自分が帰ると言うまでは。ずっと。
グレンシスの妻になる人間はとても幸せ者だと思う。
宝物のように大事にされ、惜しみなく愛おしんでくれるのだろう。
ティアは漠然とそう思った。心底羨ましいと思った。
そして、その隣にいる自分以外の女性を想像したら、胸が締め付けられるように痛んだ。
チリっと焦がれるようなものではない。
ジリっと火鉢を押し当てられたかのような、ひりつくような痛みだった。
───それは嫉妬だった。
ティアは生まれて初めて、手放したくはないという執着心を覚えてしまった。
メゾン・プレザンという娼館の中でしか生きてこなかったティアには、失うものなど最初から少なかった。
大好きな娼婦であっても、いずれは去っていく人間だと割り切って、心の全部を委ねることができなかった。
バザロフやマダムローズに対しても、見捨てられるかもしれない怖さから、どうしたって一線を引いてしまっていた。
それに母親を失って天涯孤独の身の上になってからは、何にも執着が持てなかった。自分の命でさえ。
だから危険が伴う王女の婚姻の旅ですら、命じるままに赴いた。
そして道中、何の躊躇もなく王女の身代わりを自分から申し出た。
なのに、今になって手放せないものができてしまった。
そしてついさっきの出来事。
ティアにとって、とても好ましくない方向に予想を大きく裏切られてしまった。
結婚しない言い訳がなくなってしまったのだから。
ティアはもう、天涯孤独の身の上ではない。認知してくれる父親がちゃんといる。
そして国王陛下は、移し身の術を軍事利用しないとはっきりと言ってくれた。
だから本当は隠れるようにメゾン・プレザンに居る必要はなくなってしまったのだ。
それでも意思をはり続け、自分がグレンシスの元を去ったら、どうなるのだろう。
全部なくなってしまうのだろうか。
過ごした日々も、甘く焦がれるこの気持ちも、自分の為に整えられた部屋も、大小のクマの縫いぐるみも。
まるで夢だったかのように……。
「……そんなの」
「ん?どうした?」
ぽつりと呟いたティアの言葉を、グレンシスはきちんと拾った。
けれど、ティアは残念ながらそれを無視した。
「無理!!やだ!!願い下げ!!」
「はぁ?」
突如として大声を張り上げたティアに、グレンシスは目を丸くする。
「ティアお前、一体誰と喋っているんだ?」
グレンシスは胡乱げに……いや、若干怯えてながら、そう問いかけた。
対してティアは問いに答えることはしないが、とてもすっきりとしていた。
声に出したおかげで、何かが豪快に吹っ切れた。
もういいや。全部洗いざらい話してしまおう。ずっと隠してきた自分の弱さを。
そして、全部を聞いた上でグレンシスが自分の手を離すなら仕方がない。諦めが付く。
失礼バンザイと胸を張ってメゾン・プレザンに戻ろう。
ティアはそんなふうに一周回って、腹をくくった。
「あのですね、グレンさま」
「なんだ」
「私、子供をつくるのが怖いんですっ」
静寂に満ちていた二人だけの空間に、それはやけに大きく響いた。
そう問いかけると共に、グレンシスの足が静かに止まった。
次いでグレンシスは、ティアの背を優しく、労るようにそっと撫でる。
「帰りたくありません」
ティアがグレンシスの耳元で囁いた途端、たくましい腕が強張るのがわかった。
駄目だ帰るぞ。そんな言葉を聞くのがとても怖くて、ティアは更にグレンシスの首にしがみつく腕に力を入れると、嫌々と必死に首を振る。
けれどグレンシスは、口を開く。怖気が立つほど優しい口調で。
「どうして嫌なんだ?」
そんなの答えたくない。
ティアはまるで聞き分けのない幼子に戻ったように、もっと激しく首を横に振る。
「そうか」
ぽんぽんとティアの背を軽く叩きながら、ため息交じりにグレンシスそう呟いた。
が、すぐに何かをひらめいたかのように、弾んだ声色に変えてでこう言った。
「よしっ。ならちょっと、寄り道をしよう」
そう言うが早いかグレンシスはティアを抱き直すと、カツカツと足音を響かせながら、とある場所へと足を向けた。
ティアはずっと目を瞑ったまま、グレンシスの首にしがみついている。
時折、グレンシスが何かを跨いだり、しゃがんだりしている気配が伝わっているが、それでも目をつむったままでいる。
完全に振り遅れているが、ティアは子供のような駄々を言ってしまったことが、とても恥ずかしかった。
今までずっと聞き分けよく、良い子な自分を心掛けていたのに、よりによって一番嫌われたくない人にワガママを言ってしまうなんて。
でもほんのちょっぴり、そんなことでは嫌われたりしないという確信を持っている自分に呆れてしまってもいる。
そんなふうにティアの心はごちゃごちゃと忙しい。けれどさっきまで忙しなく動いていたグレンシスの足はここで止まった。
そしてグレンシスは腰を落とすと、あぐらを組んだ足の間にティアを収める。
次いで、軽く揺さぶりながらティアに声を掛けた。
「着いたぞ、目を開けてみろ」
言われるがまま目を開ければ、見慣れない景色がティアの眼前に広がる。
「ここは王城の中だけれども誰も来ない。俺だけの秘密の場所だ」
先に答えを教えてもらい、ティアはほっとしてぐるりと辺りを見渡す。
秘密の場所と言う名の通り、ここはひどく静かな場所だった。
棟と棟の間にあるこの場所は、裏庭と呼ぶこともできない狭い空間だった。
ただし、ここは王城。
こんな人目につかないデッドスペースな場所でも、むき出しの地面ではなく、色鮮やかなタイルが敷き詰めてある。
そして見栄えを良くする為だけに植えられたであろう生垣のオウゴンマサキが、その名の通り黄金色の葉を気持ち良さそうに秋の風に揺らめかせている。
日はまだ高く、頭上からは秋のキラキラとした日射しが降り注ぎ、二人っきりの空間は柔らかい光で、外部から遮断されているかのようだった。
「ティアに見せることができて良かった。なかなかの所だろう?」
「はい。すごく落ち着きます」
素直に頷いたティアに、グレンシスは満足そうに笑った。
そして後ろからティアを、ぎゅっと抱きしめたままでいる。
きっとこのまま陽が沈んで、夜の帳が落ちて、月がぷかぷか夜空に浮かんでも、こうしたままで居てくれるんだろう。
───自分が帰ると言うまでは。ずっと。
グレンシスの妻になる人間はとても幸せ者だと思う。
宝物のように大事にされ、惜しみなく愛おしんでくれるのだろう。
ティアは漠然とそう思った。心底羨ましいと思った。
そして、その隣にいる自分以外の女性を想像したら、胸が締め付けられるように痛んだ。
チリっと焦がれるようなものではない。
ジリっと火鉢を押し当てられたかのような、ひりつくような痛みだった。
───それは嫉妬だった。
ティアは生まれて初めて、手放したくはないという執着心を覚えてしまった。
メゾン・プレザンという娼館の中でしか生きてこなかったティアには、失うものなど最初から少なかった。
大好きな娼婦であっても、いずれは去っていく人間だと割り切って、心の全部を委ねることができなかった。
バザロフやマダムローズに対しても、見捨てられるかもしれない怖さから、どうしたって一線を引いてしまっていた。
それに母親を失って天涯孤独の身の上になってからは、何にも執着が持てなかった。自分の命でさえ。
だから危険が伴う王女の婚姻の旅ですら、命じるままに赴いた。
そして道中、何の躊躇もなく王女の身代わりを自分から申し出た。
なのに、今になって手放せないものができてしまった。
そしてついさっきの出来事。
ティアにとって、とても好ましくない方向に予想を大きく裏切られてしまった。
結婚しない言い訳がなくなってしまったのだから。
ティアはもう、天涯孤独の身の上ではない。認知してくれる父親がちゃんといる。
そして国王陛下は、移し身の術を軍事利用しないとはっきりと言ってくれた。
だから本当は隠れるようにメゾン・プレザンに居る必要はなくなってしまったのだ。
それでも意思をはり続け、自分がグレンシスの元を去ったら、どうなるのだろう。
全部なくなってしまうのだろうか。
過ごした日々も、甘く焦がれるこの気持ちも、自分の為に整えられた部屋も、大小のクマの縫いぐるみも。
まるで夢だったかのように……。
「……そんなの」
「ん?どうした?」
ぽつりと呟いたティアの言葉を、グレンシスはきちんと拾った。
けれど、ティアは残念ながらそれを無視した。
「無理!!やだ!!願い下げ!!」
「はぁ?」
突如として大声を張り上げたティアに、グレンシスは目を丸くする。
「ティアお前、一体誰と喋っているんだ?」
グレンシスは胡乱げに……いや、若干怯えてながら、そう問いかけた。
対してティアは問いに答えることはしないが、とてもすっきりとしていた。
声に出したおかげで、何かが豪快に吹っ切れた。
もういいや。全部洗いざらい話してしまおう。ずっと隠してきた自分の弱さを。
そして、全部を聞いた上でグレンシスが自分の手を離すなら仕方がない。諦めが付く。
失礼バンザイと胸を張ってメゾン・プレザンに戻ろう。
ティアはそんなふうに一周回って、腹をくくった。
「あのですね、グレンさま」
「なんだ」
「私、子供をつくるのが怖いんですっ」
静寂に満ちていた二人だけの空間に、それはやけに大きく響いた。
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