46 / 47
第4章 今世の貴方と私の掛け違った恋に終止符を
2
夜の帳が下りた頃、イクセルの弟であるエイリット・アベンスは、懐中時計を片手に砦の正面玄関でソワソワしていた。
今日のエイリットの服装は、学校の制服でもなければ、普段着でもない。兄から借りた貴族の夜会衣装だ。
若干、着られている感はあるけれど、窓に映る自分はこれまでで最高に男前である。しかしエイリットの表情は憂いている。
思い返してみると、この夏は好きな人が手を伸ばせば届く距離にいたというのに、ただ横顔を眺めるだけで終わってしまった。
「こんなはずじゃなかったのに……!」
兄に直談判して、砦に滞在するとこまでは予定通りだった。兄の婚約者を利用して、もっと片想い相手──ディオーナと距離を縮めるチャンスを得たのも事実だ。
だがしかし、兄の婚約者の侍女であるニドラが優秀だったせいで、その後の段取りはメチャクチャだった。
ディオーナはニドラに心酔して、エイリットのことなど見向きもしてくれない。
彼女の手作りキッシュは、この世にこんな美味しいものがあるのかと驚愕するほどの味だったが、それが単なる賄賂だとわかった途端、なんかしょっぱい味に変わった。
とはいえ、ニドラのことをエイリットは憎んではいない。むしろ感謝している。
お前、本当に侍女なのか?と、尋ねたくなるほどニドラは博識で、教え方も上手い。
表情筋が死んでいるからわかりにくいが、とても世話焼きだ。下心からエイリットがディオーナの傍にいるとわかっていても、嫌な顔をせずエイリットの勉強までみてくれた。おかげで苦手科目だった地理が克服できた。ありがとう。
「あれ?僕……思っている以上に、充実してない?」
見方を変えれば、すんげぇ得るものがあったことに、エイリットは気づいてしまった。
夏の間、好きな子の傍にずっといることができて、山のように出された課題も片づけることもできて、兄の脳筋部下のおかげで剣術もワンランクアップした。
うん、しょっぱい思いだけしたわけじゃない。得るものはあった。でも、夏の初めに掲げた目標は、まだ達成していない。
同級生という枠から脱却する。これがエイリットの目標だ。
だから今日は、絶対にダンスに誘う。あわよくばダンスを踊りながら、名前で呼び合うことができたら最高だ。
「あ、坊ちゃまだ!キマッじゃん。頑張ってダンス誘いなよぉー!」
「俺ら応援してっから!」
「困ったら目で合図してくれよ。いつでも助けてやるからな!」
たまたま通りかかった兄の部下である脳筋三人組に肩を叩かれたエイリットは、曖昧な笑みを浮かべてやり過ごすが、グッと握った拳は震えている。
とりあえず、手加減なしに肩を叩かれて痛い。それと、良かれと思ってアドバイスをくれたようだが、声がでかい。
万が一、ディオーナに聞かれたらどうしてくれるんだ。あと、アドバイスって言っても、フワフワだし。
エイリットが彼らに求めるのは、邪魔をするな。黙っていろ。この二つだけである。
そんなふうに心の中で突っ込みを入れたエイリットだけど、地面が微かに揺れたのを感じ、表情が変わる。
「何か……良からぬことがあった」
母親の出自は訳アリだが、エイリットは四大家門の一員だ。自慢できるほどではないが、地の精霊の祝福を受けている。
とはいえ、精霊力が開花したと豪語できるほどではない。意中の女性との婚姻の際に有利になることも、妨げになることもない、日常生活でほんのちょっと役立つもの。
地面を通して、近親者が激しく感情を揺さぶられたことを感じ取れる能力だ。
そしてこの揺れは、エイリットにとって一番身近な存在──イクセルの感情だ。
「兄上、怒り狂ってるな……コレ」
イクセルは自分の懐に入れた者にはとことん甘いが、それ以外の者に対しては無慈悲で冷酷だ。言い換えると、あまり感情が動かない。
出来の悪い部下には、呆れと苛立ちの感情は持つけれど、怒りを覚えることはほとんどない。
なぜならイクセルにとって部下は、出来が良かろうが悪かろうが、大切な存在だからだ。
そんなイクセルが、地面を通してはっきりわかるほど怒りを露わにしている。
「フェリシア様……何をしでかしたんじゃ……」
イクセルが人生の大半を、フェリシアに捧げてきたことをエイリットは知っている。氷のようなイクセルの感情を動かせるのは、フェリシアだけだということも。
慰労会開始時刻ギリギリまで執務室で身支度を整えていたイクセルの姿を、エイリットは思い出す。
エイリットの目には警護服なんてぶっちゃけどれも一緒に見えるが、イクセルは違うようで「これじゃない」「こっちでもない」とブツブツ言いながら何度も着替えていた。
その姿はデビュタントを飾る乙女みたいで、若干気持ち悪かった。
とはいえ日頃、目にすることがないウキウキとしたイクセルを見ることができて、嬉しくもあった。
自分が置かれた状況も忘れ、頑張れ!と心の中でエールを送ったエイリットは間違いなくお兄ちゃん子である。
でも、イクセルの頑張りは無駄になってしまったようだ。一体、どうして?
憎悪と執着と嘘にまみれた家庭で育ったエイリットだからわかる。フェリシアは無自覚にイクセルを翻弄するが、悪意を持って傷つけるような真似はしない。
それにイクセルがフェリシアに向けて、殺意に近い怒りを持つわけがない。
「っ……!まさか……」
そこまで考えて、エイリットは口元に手を当てた。
自分の予想が外れて欲しいと願うが、おそらくフェリシアの身に何かあったのだろう。そして、フェリシアを憎む相手はものすごく身近な人物しかいない。
「くそっ、なんだよ!最悪じゃんか!!」
母親であるリリーシェが、自分を次期当主にしたがっているのはわかっていた。だからイクセルとフェリシアが婚約することを全力で反対していた。
しかしエイリットは、アベンス家の当主になんかなりたくない。望んでいるのは、ディオーナの家に婿入りすることだ。これはマズい。
エイリットはイクセルと違って、家族を愛している。家族だんらんを望むわけではないが、それでも誰かが欠けるのは嫌だ。
「兄上に、伝えなきゃ」
最悪な状況を打破するカギは、自分しか知らない。
舌打ちをしながら懐中時計を懐にしまったエイリットは、イクセルの元に全速力で駆け出した。
今日のエイリットの服装は、学校の制服でもなければ、普段着でもない。兄から借りた貴族の夜会衣装だ。
若干、着られている感はあるけれど、窓に映る自分はこれまでで最高に男前である。しかしエイリットの表情は憂いている。
思い返してみると、この夏は好きな人が手を伸ばせば届く距離にいたというのに、ただ横顔を眺めるだけで終わってしまった。
「こんなはずじゃなかったのに……!」
兄に直談判して、砦に滞在するとこまでは予定通りだった。兄の婚約者を利用して、もっと片想い相手──ディオーナと距離を縮めるチャンスを得たのも事実だ。
だがしかし、兄の婚約者の侍女であるニドラが優秀だったせいで、その後の段取りはメチャクチャだった。
ディオーナはニドラに心酔して、エイリットのことなど見向きもしてくれない。
彼女の手作りキッシュは、この世にこんな美味しいものがあるのかと驚愕するほどの味だったが、それが単なる賄賂だとわかった途端、なんかしょっぱい味に変わった。
とはいえ、ニドラのことをエイリットは憎んではいない。むしろ感謝している。
お前、本当に侍女なのか?と、尋ねたくなるほどニドラは博識で、教え方も上手い。
表情筋が死んでいるからわかりにくいが、とても世話焼きだ。下心からエイリットがディオーナの傍にいるとわかっていても、嫌な顔をせずエイリットの勉強までみてくれた。おかげで苦手科目だった地理が克服できた。ありがとう。
「あれ?僕……思っている以上に、充実してない?」
見方を変えれば、すんげぇ得るものがあったことに、エイリットは気づいてしまった。
夏の間、好きな子の傍にずっといることができて、山のように出された課題も片づけることもできて、兄の脳筋部下のおかげで剣術もワンランクアップした。
うん、しょっぱい思いだけしたわけじゃない。得るものはあった。でも、夏の初めに掲げた目標は、まだ達成していない。
同級生という枠から脱却する。これがエイリットの目標だ。
だから今日は、絶対にダンスに誘う。あわよくばダンスを踊りながら、名前で呼び合うことができたら最高だ。
「あ、坊ちゃまだ!キマッじゃん。頑張ってダンス誘いなよぉー!」
「俺ら応援してっから!」
「困ったら目で合図してくれよ。いつでも助けてやるからな!」
たまたま通りかかった兄の部下である脳筋三人組に肩を叩かれたエイリットは、曖昧な笑みを浮かべてやり過ごすが、グッと握った拳は震えている。
とりあえず、手加減なしに肩を叩かれて痛い。それと、良かれと思ってアドバイスをくれたようだが、声がでかい。
万が一、ディオーナに聞かれたらどうしてくれるんだ。あと、アドバイスって言っても、フワフワだし。
エイリットが彼らに求めるのは、邪魔をするな。黙っていろ。この二つだけである。
そんなふうに心の中で突っ込みを入れたエイリットだけど、地面が微かに揺れたのを感じ、表情が変わる。
「何か……良からぬことがあった」
母親の出自は訳アリだが、エイリットは四大家門の一員だ。自慢できるほどではないが、地の精霊の祝福を受けている。
とはいえ、精霊力が開花したと豪語できるほどではない。意中の女性との婚姻の際に有利になることも、妨げになることもない、日常生活でほんのちょっと役立つもの。
地面を通して、近親者が激しく感情を揺さぶられたことを感じ取れる能力だ。
そしてこの揺れは、エイリットにとって一番身近な存在──イクセルの感情だ。
「兄上、怒り狂ってるな……コレ」
イクセルは自分の懐に入れた者にはとことん甘いが、それ以外の者に対しては無慈悲で冷酷だ。言い換えると、あまり感情が動かない。
出来の悪い部下には、呆れと苛立ちの感情は持つけれど、怒りを覚えることはほとんどない。
なぜならイクセルにとって部下は、出来が良かろうが悪かろうが、大切な存在だからだ。
そんなイクセルが、地面を通してはっきりわかるほど怒りを露わにしている。
「フェリシア様……何をしでかしたんじゃ……」
イクセルが人生の大半を、フェリシアに捧げてきたことをエイリットは知っている。氷のようなイクセルの感情を動かせるのは、フェリシアだけだということも。
慰労会開始時刻ギリギリまで執務室で身支度を整えていたイクセルの姿を、エイリットは思い出す。
エイリットの目には警護服なんてぶっちゃけどれも一緒に見えるが、イクセルは違うようで「これじゃない」「こっちでもない」とブツブツ言いながら何度も着替えていた。
その姿はデビュタントを飾る乙女みたいで、若干気持ち悪かった。
とはいえ日頃、目にすることがないウキウキとしたイクセルを見ることができて、嬉しくもあった。
自分が置かれた状況も忘れ、頑張れ!と心の中でエールを送ったエイリットは間違いなくお兄ちゃん子である。
でも、イクセルの頑張りは無駄になってしまったようだ。一体、どうして?
憎悪と執着と嘘にまみれた家庭で育ったエイリットだからわかる。フェリシアは無自覚にイクセルを翻弄するが、悪意を持って傷つけるような真似はしない。
それにイクセルがフェリシアに向けて、殺意に近い怒りを持つわけがない。
「っ……!まさか……」
そこまで考えて、エイリットは口元に手を当てた。
自分の予想が外れて欲しいと願うが、おそらくフェリシアの身に何かあったのだろう。そして、フェリシアを憎む相手はものすごく身近な人物しかいない。
「くそっ、なんだよ!最悪じゃんか!!」
母親であるリリーシェが、自分を次期当主にしたがっているのはわかっていた。だからイクセルとフェリシアが婚約することを全力で反対していた。
しかしエイリットは、アベンス家の当主になんかなりたくない。望んでいるのは、ディオーナの家に婿入りすることだ。これはマズい。
エイリットはイクセルと違って、家族を愛している。家族だんらんを望むわけではないが、それでも誰かが欠けるのは嫌だ。
「兄上に、伝えなきゃ」
最悪な状況を打破するカギは、自分しか知らない。
舌打ちをしながら懐中時計を懐にしまったエイリットは、イクセルの元に全速力で駆け出した。
あなたにおすすめの小説
結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です
柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。
そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。
真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。
けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。
「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」
彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。
アンリは実は、亡き国王の婚外子。
皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。
三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで
狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。
一度目は信じた。
二度目は耐えた。
三度目は――すべてを失った。
そして私は、屋上から身を投げた。
……はずだった。
目を覚ますと、そこは過去。
すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。
――四度目の人生。
これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、
同じように裏切られ、すべてを失ってきた。
だから今度は、もう決めている。
「もう、陸翔はいらない」
愛していた。
けれど、もう疲れた。
今度こそ――
自分を守るために、家族を守るために、
私は、自分から手を放す。
これは、三度裏切られた女が、
四度目の人生で「選び直す」物語。
再会の約束の場所に彼は現れなかった
四折 柊
恋愛
ロジェはジゼルに言った。「ジゼル。三年後にここに来てほしい。僕は君に正式に婚約を申し込みたい」と。平民のロジェは男爵令嬢であるジゼルにプロポーズするために博士号を得たいと考えていた。彼は能力を見込まれ、隣国の研究室に招待されたのだ。
そして三年後、ジゼルは約束の場所でロジェを待った。ところが彼は現れない。代わりにそこに来たのは見知らぬ美しい女性だった。彼女はジゼルに残酷な言葉を放つ。「彼は私と結婚することになりました」とーーーー。(全5話)
婚約者が私のことをゴリラと言っていたので、距離を置くことにしました
相馬香子
恋愛
ある日、クローネは婚約者であるレアルと彼の友人たちの会話を盗み聞きしてしまう。
――男らしい? ゴリラ?
クローネに対するレアルの言葉にショックを受けた彼女は、レアルに絶交を突きつけるのだった。
デリカシーゼロ男と男装女子の織り成す、勘違い系ラブコメディです。
必要とされなくても、私はここにいます
あう
恋愛
辺境公爵カーネル・クリスのもとへ嫁ぐことになったフィレ・バーナード。
けれど彼女は、理想の妻になろうとも、誰かの上に立とうともしなかった。
口出ししない。
判断を奪わない。
必要以上に関わらない。
ただ静かに、そこにいるだけ。
そんな彼女の在り方は、少しずつ屋敷の空気を変えていく。
張りつめていた人々の距離はやわらぎ、日々の営みは穏やかに整いはじめる。
何かを勝ち取る物語ではない。
誰かを打ち負かす物語でもない。
それでも確かに、彼女がいることで守られていくものがある。
これは、
声高に愛を叫ばなくても伝わる想いと、
何も奪わないからこそ育っていく信頼を描く、
静かでやさしい結婚生活の物語。
愛しているからこそ、彼の望み通り婚約を解消します
皇 翼
恋愛
「俺は、お前の様な馬鹿な女と結婚などするつもりなどない。だからお前と婚約するのは、表面上だけだ。俺が22になり、王位を継承するその時にお前とは婚約を解消させてもらう。分かったな?」
初対面で婚約者と紹介された時、二人きりになった瞬間に開口一番に言われた言葉がこれだった。
面識の全くない、紹介された直後の人間にこんな発言をする人間だ。好きになるわけない……そう思っていたのに、恋とはままならない。共に過ごして、彼の色んな表情を見ている内にいつの間にか私は彼を好きになってしまっていた――。
好き……いや、愛しているからこそ、彼を縛りたくない。だからこのまま潔く死に消えることで、婚約解消したいと思います。
******
・以前書いていた作品を色々改稿して、11万文字~13万文字くらいに改稿したものです。内容は少しずつ変わっていると思います。
死ぬまでに叶えたい十の願い
木風
恋愛
「あなたを妻として、愛することはない。おそらく、生涯抱くこともないだろう」
三年間の白い結婚——捨て置かれた王太子妃エリアーナに、側妃が『死の呪い』をかけ余命一年を宣告する。
離縁を願うも拒否され、代わりに「死ぬまでに十の願いを叶えて」と契約する——
二人きりの外出、星空、海…ささやかな願いが王太子の心をほどいていく。
あなたの隣に私は必要ですか?
らんか
恋愛
政略結婚にて、3年前より婚約し、学園卒業と共に嫁ぐ予定であったアリーシア。
しかし、諸事情により結婚式は延期され、次の結婚式の日取りさえなかなか決められない状況であった。
そんなアリーシアの婚約者ルートヴィッヒは、護衛対象である第三王女ミーアの傍を片時も離れようとしない。
月1回の婚約者同士のお茶会もすぐに切り上げてしまい、夜会へのエスコートすらしてもらった事がない。
そんな状況で、アリーシアは思う。
私はあなたの隣に必要でしょうか? あなたが求めているのは別の人ではないのでしょうかと。
* 短編です。4/4に完結します。
ご感想欄は都合により、閉じさせて頂きます。