前世の私が邪魔して、今世の貴方を好きにはなれません!

当麻月菜

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第2章 前世の私の過ちと、今世の貴方のぬくもり

 チックタックと時を刻む時計の針と、イクセルのペンを走らせる音だけが執務室に響く。

 そんな中、手伝いを却下され暇を持て余しているフェリシアは、テーブルの上に積み上げられている書類を盗み見る。

(報告書と、予算関係の書類がほとんどね。あ、始末書もあった。それにしてもこの書類たち……誤字と計算間違いのオンパレードだわ)

 警護隊は騎士団と違い、犯罪を取り締まる頭脳派集団だと思っていたけれど、そうではなかったようだ。

「……大丈夫かしら」

 我が国の未来を案じて不安を呟けば、すぐさま「大丈夫だ」とイクセルから返された。

「聞いていらしたのですか?」
「おや、わざと私に聞かせていたのかと?」

 クイッと、器用に片方の眉を持ち上げるイクセルに、フェリシアは肩をすくめた。

「書類をずっと捌いていますが、任務は順調に遂行されておりますの?支障をきたしているのなら、補佐官を置いたほうがよろしいんじゃなくて?」
「私のことを心配してくれるなんて、光栄だな」
「国の安全を心配しているだけですわ」

 都合のいい解釈はやめて、とフェリシアが鋭く言えば、イクセルは目を丸くする。

「夜会でお仲間が嬉々として悪い噂を語っている最中、相槌すら打たずにデザートのお代わりをどうしようかと悩んでいた令嬢とは思えない発言ですね」
「っ……なっ!み、見ていらしたのですか!?」
「ええ。薄汚れた貴族社会にいても穢れを知らない貴女に、ずっと釘付けでした」
「嘘はやめてください」

 まったくもう、この人は。

 確かに、前世の記憶が戻る前の自分は、噂話なんて興味はなかった。人の悪い笑みを浮かべて嬉々として他人の不幸話に花を咲かせる令嬢達と一緒にいることは苦痛だった。

 でも、その姿をイクセルが覚えていたというは、にわかには信じ難い。

「貴方はわたくしではなく、好きな人のことを見ていたのでしょう?」

 自分を利用してまで、意中の女性を射止めようとしているのだから。

 心の中で呟き、イクセルに視線を向ける。彼はどうとでも取れる薄い笑みを顔に貼り付けたまま。そのことには答えたくない、ということか。

「ま、わたくしには関係ないことですね」

 そんな強がりを言ってみたものの、イクセルの好きな人が誰なのか興味がないと言えば嘘になる。
 
 身分も容姿も最高レベルのイクセルが好きになった人は、どんな女性なのだろう。

 平民なのだろうか。それとも特殊な性癖でイクセルのことを異性として見ていない稀有な人なのか。
 
 もしかしたら、意中の女性は既婚者で、どんなに好きでも想いを告げられない相手なのかもしれない。

(でも、イクセルなら財力と権力を駆使して手に入れそうだけれど)

 アベンス家の当主デュエッドはそうして二番目の妻を手に入れた。親子だから同じ手を使うとは安易な考えであるが、なんとなくそうしそうな気配がイクセルにはある。

 そんなふうに色々な推測を立ててみたものの、わかっているのは「イクセルには惚れた女性がいる」という点だけ。

「貴方は自分の心を隠すのがお上手なんですね」

 色恋はネタは、貴族社会では皆の大好物だ。だから当の本人が必死に隠していても、暴かれてしまうことは度々ある。

 しかしイクセルに限っては、一度も浮いた話を聞かない。そのせいでお見合い前の自分は、恋心を持ってしまったのだ。

「別に隠してはいませんよ。慎重なだけです」

 しみじみと呟いたフェリシアに、イクセルは真摯な口調で返す。 

 好きな人のことになると彼は別の表情を見せる。そっか。そんなに、好きなのか。

「貴方の好きな女性が一日も早く、貴方の想いに気付いてくれることを祈ってますわ」
「ああ。私も毎晩毎夜、星を見上げて祈っているよ」

 気障な台詞だが、嘘は感じられない。前世の記憶が戻る前の自分がこの光景を目にしたら、泣き崩れてしまうだろう。

「貴方ったら、婚約者であるわたくしがここにいるのに、他の女性のことを語るなんて酷い人ね。……ふふっ」

 笑うことで、微かに感じたやるせない気持ちを誤魔化す。

 それでも何となく居心地悪さを感じてフェリシアは窓辺に立つ。

 煌々と照りつける太陽の下、相変わらず騎士たちは稽古に励んでいる。

「……しばらくは雨が降りそうもないわね」

 窓ガラス越しに空を見上げるフェリシアの表情は憂いている。

 前世と今世の失恋の傷を癒すために王都を離れたのにチリチリと胸が痛むのは、まだ心のどこかでイクセルへの恋心が残っているからなのだろうか。

(馬鹿ね、そんなことあるわけないじゃない)

 イクセルがマザコンじゃなかったにせよ、人の弱みにつけこんで半ば脅して婚約させるなんて性根が腐っているにも程がある。

 幻滅に値する行為にときめくような性癖をフェリシアは持ち合わせていない。

 きっとこのザラザラした気持ちは、見えない何かに対する子供じみた嫉妬なのだろう。18歳の女の子にはよくあること。

 そう無理やり結論付けて、フェリシアは壁時計を見ようとした───しかし、それはできなかった。

「すまなかった。嫌な気持ちにさせて」

 耳に注ぎ込まれた吐息交じりの掠れ声と、たくましい腕。イクセルが背後から抱きしめているのに気づいたのは瞬きを2回繰り返してからだった。

「あ、あの……」
「すまなかった」

 いや別に、謝ってほしいわけじゃない。

 節度ある距離まで離れてほしいだけなのに、イクセルは抱きしめる腕に力を込めた。そっともがいてみるが、苦しくはないけれど、彼の腕から逃れることはできない。

 その絶妙な力加減は、イクセルが女慣れしていることを如実に示している。きっと彼にとってこの程度のスキンシップは大したことではないのかもしれない。

 しかし、前世でもこんな甘いシチュエーションを味わえなかったフェリシアにとったら、かなりの大事件だった。
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