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第3章 前世の私が邪魔して、今世の貴方の気持ちがわかりません
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フェリシアがイクセルの腕の中で気を失ってから、3日が過ぎた。
カーテンの隙間から差し込む朝の日差しと、小鳥のさえずりに導かれるように、フェリシアの意識がゆっくりと覚醒した。
横になったまま瞬きを繰り返し、小さく息を吐く。それから身体を起こして、乱れた髪を手櫛で整える。
そこでやっと部屋が甘い香りに満たされていることに気づいた。
クンクンと子犬のように鼻を動かし、香りの元を探る。どうやら窓辺にあるらしい。
フェリシアは部屋履きを履いて、ベッドから降りる。立ち上がった拍子にふらりと身体がよろめいてしまったが、それでも窓辺まで歩く。
薄暗い部屋の中、躓かないようにゆっくりと歩けば、いつかの砦帰りの時のような花瓶に生けられた美しい花々が視界に入る。
ポピーにガーベラ、そしてマリーゴールド。全部、癒しや慰めの花言葉を持つ花ばかりだ。これが誰からの贈り物だと訊かなくてもわかる。
「……すべて忘れると言ってくれたくせに。嘘つき」
拗ねた言葉を吐いても、花を見つめるフェリシアの表情は微笑んでいる。
夕立の中、前世の過ちに気づいてしまったフェリシアは、二度とやり直すことができない絶望で、自ら罪の意識を心の奥に植えつけてしまった。
罪悪感で一生苦しみ、死ぬまで一人で耐えていかなければいけない。そう思い込んだフェリシアを、イクセルは救い上げてくれた。最低な女だと罵ることも、軽蔑のまなざしを向けることもなく。
『貴女が罪の償い方を見つけるまで、私はとことん付き合います』
あの時の言葉は、聞きようによっては、まるでプロポーズだ。もちろん都合よく受け止めることなんてしない。彼には好いた女性がいるのだから。
フェリシアはカーテンを全開にして、部屋に光を入れる。
清潔に整えられ、高価な調度品に囲まれた部屋がはっきりと視界に映る。前世の記憶を取り戻してから、少しだけ違和感を感じていたここは、今は居心地がいい。
なんだか長旅から、やっと戻ってきたような心境だ。
「まさに、それですわ……」
呟いたフェリシアは、まぶたを閉じる。そうだ。心だけは旅に出ていた。
それを自覚した途端、ずっと頭の中を支配していた前世の記憶がおぼろげになっていく。
前世の井上莉子は、忘れてはいけないことだけを残し、ゆっくりと遠ざかっていった。
再び目を開け、ぐるりと部屋を見渡す。薄暗い時には気づかなかったけれど、壁際にトルソーに着せられた見覚えのある上着があった。窓に背を向け、そこまでよたよたと歩く。
「早くお返しに行かないといけませんわね」
触れると溶けてしまいそうな肌触りの上着は、イクセルの警護隊の制服だ。
急に体調が悪くなった自分に掛けてくれたのを、うっすらと覚えている。身体を支えてくれたたくましい腕も、厚い胸板も。
「っ……!い、いけませんわっ。わたくしったら、なんて破廉恥なことを……!」
無意識にトルソーを抱きしめようとしている自分に気づいて、フェリシアは慌てて距離を取る。
しかし病み上がりの身体ではバランスを取るのが難しく、あっと思った時には尻もちをついていた。
「痛っ……でも誰にも見られなくて良かった───え? ニ、ニドラ!?」
何となく視線を感じて振り向けば、水差しを抱えた侍女が扉を開けた状態でこちらを凝視していた。
「えっと……今のもしかして見られちゃったかし……ら?」
恥ずかしさから顔を真っ赤にしたフェリシアとは対照的に、ニドラは表情をまったく動かさず口を開く。
「いいえ、何も見ておりません」
明らかに嘘だと思ったけれど、フェリシアはその言葉を信じることにした。
*
熱が下がったら、もう動いても大丈夫。そう思ったのはフェリシアだけで、ニドラとモネはまだ療養が必要だと主張した。
心配をかけた自覚があるフェリシアは、それから数日はベッドで大人しく過ごした。外出許可が下りたのは、最後にイクセルと会ってから10日経ってからだった。
イクセルの上着は、まだフェリシアの部屋にある。一度手紙を添えて返却したら「直接届けに来てください」というメッセージカードと共に送り返されてしまった。
それから「療養中でいつになるかわからない」という手紙も送ったけれど、イクセルからは「それでもいい」というそっけないカードが届いただけ。
「──それってつまり、怒っていらっしゃるって……ことかしら??」
砦に向う朝、ニドラに髪を整えてもらっているフェリシアの表情は、とても不安そうだ。
「別に怒らせておけばよろしいのでは?それより、今日の髪飾りはリボンになさいます?クリスタルの髪留めも今日のドレスに合いますが」
「よろしくはないと思うわ。そうねぇ、髪留めにしてちょうだい」
「かしこまりました」
頷くと同時に、ニドラはハーフアップにしたフェリシアの髪に、蝶を模したクリスタルの髪飾りを刺す。
「よくお似合いです」
「ふふっ、ニドラが上手に髪を結ってくれたおかげね」
鏡越しに会話をしながら、フェリシアはふと思ったままを問いかけた。
「ねぇニドラ、なんだかイクセル様に対して更に容赦がなくなったような気がするのですけど……わたくしが熱を出している間になにかあったの?」
「さぁ、どうでしょう」
鏡越しとはいえ、目を逸らさずに意味深な言葉を吐いたニドラに、フェリシアは何かがあったことを悟ってしまった。
カーテンの隙間から差し込む朝の日差しと、小鳥のさえずりに導かれるように、フェリシアの意識がゆっくりと覚醒した。
横になったまま瞬きを繰り返し、小さく息を吐く。それから身体を起こして、乱れた髪を手櫛で整える。
そこでやっと部屋が甘い香りに満たされていることに気づいた。
クンクンと子犬のように鼻を動かし、香りの元を探る。どうやら窓辺にあるらしい。
フェリシアは部屋履きを履いて、ベッドから降りる。立ち上がった拍子にふらりと身体がよろめいてしまったが、それでも窓辺まで歩く。
薄暗い部屋の中、躓かないようにゆっくりと歩けば、いつかの砦帰りの時のような花瓶に生けられた美しい花々が視界に入る。
ポピーにガーベラ、そしてマリーゴールド。全部、癒しや慰めの花言葉を持つ花ばかりだ。これが誰からの贈り物だと訊かなくてもわかる。
「……すべて忘れると言ってくれたくせに。嘘つき」
拗ねた言葉を吐いても、花を見つめるフェリシアの表情は微笑んでいる。
夕立の中、前世の過ちに気づいてしまったフェリシアは、二度とやり直すことができない絶望で、自ら罪の意識を心の奥に植えつけてしまった。
罪悪感で一生苦しみ、死ぬまで一人で耐えていかなければいけない。そう思い込んだフェリシアを、イクセルは救い上げてくれた。最低な女だと罵ることも、軽蔑のまなざしを向けることもなく。
『貴女が罪の償い方を見つけるまで、私はとことん付き合います』
あの時の言葉は、聞きようによっては、まるでプロポーズだ。もちろん都合よく受け止めることなんてしない。彼には好いた女性がいるのだから。
フェリシアはカーテンを全開にして、部屋に光を入れる。
清潔に整えられ、高価な調度品に囲まれた部屋がはっきりと視界に映る。前世の記憶を取り戻してから、少しだけ違和感を感じていたここは、今は居心地がいい。
なんだか長旅から、やっと戻ってきたような心境だ。
「まさに、それですわ……」
呟いたフェリシアは、まぶたを閉じる。そうだ。心だけは旅に出ていた。
それを自覚した途端、ずっと頭の中を支配していた前世の記憶がおぼろげになっていく。
前世の井上莉子は、忘れてはいけないことだけを残し、ゆっくりと遠ざかっていった。
再び目を開け、ぐるりと部屋を見渡す。薄暗い時には気づかなかったけれど、壁際にトルソーに着せられた見覚えのある上着があった。窓に背を向け、そこまでよたよたと歩く。
「早くお返しに行かないといけませんわね」
触れると溶けてしまいそうな肌触りの上着は、イクセルの警護隊の制服だ。
急に体調が悪くなった自分に掛けてくれたのを、うっすらと覚えている。身体を支えてくれたたくましい腕も、厚い胸板も。
「っ……!い、いけませんわっ。わたくしったら、なんて破廉恥なことを……!」
無意識にトルソーを抱きしめようとしている自分に気づいて、フェリシアは慌てて距離を取る。
しかし病み上がりの身体ではバランスを取るのが難しく、あっと思った時には尻もちをついていた。
「痛っ……でも誰にも見られなくて良かった───え? ニ、ニドラ!?」
何となく視線を感じて振り向けば、水差しを抱えた侍女が扉を開けた状態でこちらを凝視していた。
「えっと……今のもしかして見られちゃったかし……ら?」
恥ずかしさから顔を真っ赤にしたフェリシアとは対照的に、ニドラは表情をまったく動かさず口を開く。
「いいえ、何も見ておりません」
明らかに嘘だと思ったけれど、フェリシアはその言葉を信じることにした。
*
熱が下がったら、もう動いても大丈夫。そう思ったのはフェリシアだけで、ニドラとモネはまだ療養が必要だと主張した。
心配をかけた自覚があるフェリシアは、それから数日はベッドで大人しく過ごした。外出許可が下りたのは、最後にイクセルと会ってから10日経ってからだった。
イクセルの上着は、まだフェリシアの部屋にある。一度手紙を添えて返却したら「直接届けに来てください」というメッセージカードと共に送り返されてしまった。
それから「療養中でいつになるかわからない」という手紙も送ったけれど、イクセルからは「それでもいい」というそっけないカードが届いただけ。
「──それってつまり、怒っていらっしゃるって……ことかしら??」
砦に向う朝、ニドラに髪を整えてもらっているフェリシアの表情は、とても不安そうだ。
「別に怒らせておけばよろしいのでは?それより、今日の髪飾りはリボンになさいます?クリスタルの髪留めも今日のドレスに合いますが」
「よろしくはないと思うわ。そうねぇ、髪留めにしてちょうだい」
「かしこまりました」
頷くと同時に、ニドラはハーフアップにしたフェリシアの髪に、蝶を模したクリスタルの髪飾りを刺す。
「よくお似合いです」
「ふふっ、ニドラが上手に髪を結ってくれたおかげね」
鏡越しに会話をしながら、フェリシアはふと思ったままを問いかけた。
「ねぇニドラ、なんだかイクセル様に対して更に容赦がなくなったような気がするのですけど……わたくしが熱を出している間になにかあったの?」
「さぁ、どうでしょう」
鏡越しとはいえ、目を逸らさずに意味深な言葉を吐いたニドラに、フェリシアは何かがあったことを悟ってしまった。
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