前世の私が邪魔して、今世の貴方を好きにはなれません!

当麻月菜

文字の大きさ
31 / 44
第3章 前世の私が邪魔して、今世の貴方の気持ちがわかりません

しおりを挟む
 フェリシアがイクセルの腕の中で気を失ってから、3日が過ぎた。

 カーテンの隙間から差し込む朝の日差しと、小鳥のさえずりに導かれるように、フェリシアの意識がゆっくりと覚醒した。

 横になったまま瞬きを繰り返し、小さく息を吐く。それから身体を起こして、乱れた髪を手櫛で整える。

 そこでやっと部屋が甘い香りに満たされていることに気づいた。

 クンクンと子犬のように鼻を動かし、香りの元を探る。どうやら窓辺にあるらしい。

 フェリシアは部屋履きを履いて、ベッドから降りる。立ち上がった拍子にふらりと身体がよろめいてしまったが、それでも窓辺まで歩く。

 薄暗い部屋の中、躓かないようにゆっくりと歩けば、いつかの砦帰りの時のような花瓶に生けられた美しい花々が視界に入る。

 ポピーにガーベラ、そしてマリーゴールド。全部、癒しや慰めの花言葉を持つ花ばかりだ。これが誰からの贈り物だと訊かなくてもわかる。

「……すべて忘れると言ってくれたくせに。嘘つき」

 拗ねた言葉を吐いても、花を見つめるフェリシアの表情は微笑んでいる。 

 夕立の中、前世の過ちに気づいてしまったフェリシアは、二度とやり直すことができない絶望で、自ら罪の意識を心の奥に植えつけてしまった。

 罪悪感で一生苦しみ、死ぬまで一人で耐えていかなければいけない。そう思い込んだフェリシアを、イクセルは救い上げてくれた。最低な女だと罵ることも、軽蔑のまなざしを向けることもなく。

『貴女が罪の償い方を見つけるまで、私はとことん付き合います』

 あの時の言葉は、聞きようによっては、まるでプロポーズだ。もちろん都合よく受け止めることなんてしない。彼には好いた女性がいるのだから。

 フェリシアはカーテンを全開にして、部屋に光を入れる。

 清潔に整えられ、高価な調度品に囲まれた部屋がはっきりと視界に映る。前世の記憶を取り戻してから、少しだけ違和感を感じていたここは、今は居心地がいい。

 なんだか長旅から、やっと戻ってきたような心境だ。

「まさに、それですわ……」

 呟いたフェリシアは、まぶたを閉じる。そうだ。心だけは旅に出ていた。

 それを自覚した途端、ずっと頭の中を支配していた前世の記憶がおぼろげになっていく。

 前世の井上莉子は、忘れてはいけないことだけを残し、ゆっくりと遠ざかっていった。

 再び目を開け、ぐるりと部屋を見渡す。薄暗い時には気づかなかったけれど、壁際にトルソーに着せられた見覚えのある上着があった。窓に背を向け、そこまでよたよたと歩く。

「早くお返しに行かないといけませんわね」

 触れると溶けてしまいそうな肌触りの上着は、イクセルの警護隊の制服だ。

 急に体調が悪くなった自分に掛けてくれたのを、うっすらと覚えている。身体を支えてくれたたくましい腕も、厚い胸板も。

「っ……!い、いけませんわっ。わたくしったら、なんて破廉恥なことを……!」

 無意識にトルソーを抱きしめようとしている自分に気づいて、フェリシアは慌てて距離を取る。

 しかし病み上がりの身体ではバランスを取るのが難しく、あっと思った時には尻もちをついていた。

「痛っ……でも誰にも見られなくて良かった───え? ニ、ニドラ!?」

 何となく視線を感じて振り向けば、水差しを抱えた侍女が扉を開けた状態でこちらを凝視していた。

「えっと……今のもしかして見られちゃったかし……ら?」

 恥ずかしさから顔を真っ赤にしたフェリシアとは対照的に、ニドラは表情をまったく動かさず口を開く。

「いいえ、何も見ておりません」

 明らかに嘘だと思ったけれど、フェリシアはその言葉を信じることにした。





 熱が下がったら、もう動いても大丈夫。そう思ったのはフェリシアだけで、ニドラとモネはまだ療養が必要だと主張した。

 心配をかけた自覚があるフェリシアは、それから数日はベッドで大人しく過ごした。外出許可が下りたのは、最後にイクセルと会ってから10日経ってからだった。

 イクセルの上着は、まだフェリシアの部屋にある。一度手紙を添えて返却したら「直接届けに来てください」というメッセージカードと共に送り返されてしまった。

 それから「療養中でいつになるかわからない」という手紙も送ったけれど、イクセルからは「それでもいい」というそっけないカードが届いただけ。



「──それってつまり、怒っていらっしゃるって……ことかしら??」

 砦に向う朝、ニドラに髪を整えてもらっているフェリシアの表情は、とても不安そうだ。

「別に怒らせておけばよろしいのでは?それより、今日の髪飾りはリボンになさいます?クリスタルの髪留めも今日のドレスに合いますが」
「よろしくはないと思うわ。そうねぇ、髪留めにしてちょうだい」
「かしこまりました」

 頷くと同時に、ニドラはハーフアップにしたフェリシアの髪に、蝶を模したクリスタルの髪飾りを刺す。

「よくお似合いです」
「ふふっ、ニドラが上手に髪を結ってくれたおかげね」

 鏡越しに会話をしながら、フェリシアはふと思ったままを問いかけた。

「ねぇニドラ、なんだかイクセル様に対して更に容赦がなくなったような気がするのですけど……わたくしが熱を出している間になにかあったの?」
「さぁ、どうでしょう」

 鏡越しとはいえ、目を逸らさずに意味深な言葉を吐いたニドラに、フェリシアは何かがあったことを悟ってしまった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした

ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。 彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。 そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。 しかし、公爵にもディアにも秘密があった。 その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。 ※本作は「小説家になろう」さんにも投稿しています ※表紙画像はAIで作成したものです

旦那様は離縁をお望みでしょうか

村上かおり
恋愛
 ルーベンス子爵家の三女、バーバラはアルトワイス伯爵家の次男であるリカルドと22歳の時に結婚した。  けれど最初の顔合わせの時から、リカルドは不機嫌丸出しで、王都に来てもバーバラを家に一人残して帰ってくる事もなかった。  バーバラは行き遅れと言われていた自分との政略結婚が気に入らないだろうと思いつつも、いずれはリカルドともいい関係を築けるのではないかと待ち続けていたが。

2度目の結婚は貴方と

朧霧
恋愛
 前世では冷たい夫と結婚してしまい子供を幸せにしたい一心で結婚生活を耐えていた私。気がついたときには異世界で「リオナ」という女性に生まれ変わっていた。6歳で記憶が蘇り悲惨な結婚生活を思い出すと今世では結婚願望すらなくなってしまうが騎士団長のレオナードに出会うことで運命が変わっていく。過去のトラウマを乗り越えて無事にリオナは前世から数えて2度目の結婚をすることになるのか? 魔法、魔術、妖精など全くありません。基本的に日常感溢れるほのぼの系作品になります。 重複投稿作品です。(小説家になろう)

【完結】あなたを忘れたい

やまぐちこはる
恋愛
子爵令嬢ナミリアは愛し合う婚約者ディルーストと結婚する日を待ち侘びていた。 そんな時、不幸が訪れる。 ■□■ 【毎日更新】毎日8時と18時更新です。 【完結保証】最終話まで書き終えています。 最後までお付き合い頂けたらうれしいです(_ _)

貴方が選んだのは全てを捧げて貴方を愛した私ではありませんでした

ましゅぺちーの
恋愛
王国の名門公爵家の出身であるエレンは幼い頃から婚約者候補である第一王子殿下に全てを捧げて生きてきた。 彼を数々の悪意から守り、彼の敵を排除した。それも全ては愛する彼のため。 しかし、王太子となった彼が最終的には選んだのはエレンではない平民の女だった。 悲しみに暮れたエレンだったが、家族や幼馴染の公爵令息に支えられて元気を取り戻していく。 その一方エレンを捨てた王太子は着々と破滅への道を進んでいた・・・

【完結】愛したあなたは本当に愛する人と幸せになって下さい

高瀬船
恋愛
伯爵家のティアーリア・クランディアは公爵家嫡男、クライヴ・ディー・アウサンドラと婚約秒読みの段階であった。 だが、ティアーリアはある日クライヴと彼の従者二人が話している所に出くわし、聞いてしまう。 クライヴが本当に婚約したかったのはティアーリアの妹のラティリナであったと。 ショックを受けるティアーリアだったが、愛する彼の為自分は身を引く事を決意した。 【誤字脱字のご報告ありがとうございます!小っ恥ずかしい誤字のご報告ありがとうございます!個別にご返信出来ておらず申し訳ございません( •́ •̀ )】

君のためだと言われても、少しも嬉しくありません

みみぢあん
恋愛
子爵家令嬢マリオンの婚約者アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は……    暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓

処理中です...