32 / 44
第3章 前世の私が邪魔して、今世の貴方の気持ちがわかりません
2
しおりを挟む
ニドラに詳細を訊けないまま身支度が終わり、フェリシアはモネに見送られ、ニドラとともに馬車に乗り込む。
先導する馬に乗った警護隊は、本日はラルフではなく別の人だった。
「ラルフ殿は、しばらく視察で砦を離れるそうです」
「まぁ、そうだったの……」
フェリシアとラルフは、たった一日とはいえ一緒に仕事をした仲だ。警護隊の仕事とはいえ、顔を見ることができないのは少し寂しい。
「そんな顔をなさらずとも、ラルフ殿は10日程で戻ってくるそうです。すぐにお会いできますよ」
「……ニドラ、随分と砦の内情に詳しいわね」
「はい。フェリシア様が臥せっておられる間も、大陸語の講師は続けておりましたから」
「そ、そうなの!?」
てっきり休講にしていたと思っていたフェリシアは、目を丸くする。
「主からの頼まれごとですから、おろそかにはできません。夏季休暇が明けるまでに、ディオーラ様には何としても大陸語をマスターしていただきます」
反対側の席に座っているニドラの口調はきっぱりとしていて、表情は使命感に満ちていた。
「……わたくしは、貴女にふさわしい主になれているのかしら」
「まだ風邪を引いておられるのですか?」
「もうっ、ニドラったら!」
ほほを膨らませたフェリシアに、ニドラは珍しくクスクスと笑う。
「フェリシア様は、そんなことを気にされなくてもいいのです」
「嫌よ。わたくしはニドラが”あんな主人に仕えてかわいそう”だなんて、言われたくないですもの」
「ご心配には及びません。そんな輩は、二度と減らず口が叩けぬよう処分しますから」
言い終えると、ニドラはクスクス笑いからニヤリ笑いに変わった。目が本気だった。
「……やっぱりわたくし、もっと努力しますわ。手始めに大陸語を学ぼうかしら?」
「フェリシア様が、ですか?どういう風の吹き回しでしょう」
「だってできないままでいたら、ずっと嘘を吐き続けなきゃいけないでしょ?ニドラにずっと甘えるのも申し訳ないですし。なら習得してしまえば嘘にはならないし、特技にだってなるわ」
語りながらフェリシアは、自分の言葉に納得する。
甘やかされて気づいてなかったけれど、井上莉子と同じように自分も苦手なものから逃げてしまう悪い癖があった。
でもこれまでは、優秀な侍女のおかげで許されていた。きっとこれからも気にしなければ、不便なく暮らしていけるだろう。
しかし、それでは駄目だとフェリシアは思う。少しずつでも、欠点を直していきたい。そうして苦手なものを克服していけば、いつか夕立の時に出せなかった答えに辿りつけると信じている。
「そういうわけで、よろしくお願いします。ニドラ先生」
「……はぁーーーー」
背筋を伸ばして頭を下げた途端、ニドラが長い長い溜息を吐く。
「ちょっとニドラ、それは酷いんじゃありませんの?」
物覚えのいいほうではないのは自覚しているが、やる前から無理と決めつけないでほしい。
そんな気持ちでフェリシアは顔を上げて、ニドラを軽く睨む。しかし彼女の溜息は、違う意味だった。
「フェリシア様のお世話をするのが生きがいでしたのに、自立したことを言われると……なんだか寂しゅうございます」
「それは申し訳ないわ……ごめんなさい。あと、わたくしをダメ人間にしないで。あのねニドラ、大陸語ができたところで、たくさんできなかったことが、一つが減っただけよ。まだまだ貴女が傍にいてくれないと困るの、わたくし。だから寂しいだなんて言わないで」
素直な気持ちを口にすれば、ニドラは眩しそうにフェリシアを見る。
「フェリシア様は、いつの間にか大人になられたのですね」
寂しさと嬉しさを滲ませたニドラの言葉に、フェリシアは「まだまだこれからよ」と言って微笑み返した。
*
馬車は定刻通り砦に到着し、フェリシアはイクセルの上着を抱えて、ニドラは大陸語の辞書などが入った鞄を持って降りる。
夏の日差しは、午前中だというのにジリジリと照り付けている。
「ここまで熱いと、さすがに今日は外での昼食は無理そうね」
「さようですね。屋内の北側に静かな場所がございましたので、そちらに変更するのがよろしいかと」
「賛成だわ。じゃあ、わたくしがイクセル様に使っていいか許可をいただくから、ニドラはエイリットさんとディオーナ様に伝えてくれるかしら?」
「もちろんです」
砦内へと歩きながらそんな会話をしていたら、今まさに話題に出た二人が姿を現した。
「フェリシア様!ニドラ先生!お迎えにきましたぁー」
暑さなどものともしない元気の良さで、ディオーナは大きく手を振りながらこちらに駆け寄る。フェリシアも、笑顔で手を振り返す。
「10日ぶりですが、お元気でしたか?ディオーナ様」
「はい!見ての通り元気です。フェリシア様こそ、体調はもうよろしいのですか?」
「ええ。嫌というほどベッドに縛り付けられましたから」
「まぁ!さすがニドラ先生。体調管理も優秀なんですね。素晴らしいですっ。尊敬しますわ!」
「……え?」
最終的にニドラを称賛する形となり、フェリシアの笑顔が固まる。
一方、ニドラはまんざらでもない表情を浮かべている。しばらく見ない間に、ニドラとディオーナに固い師弟関係が生まれたようで何よりだ。
そんな中、少し遅れてエイリットが到着した。
「おはようございます。エイリットさん。今日も暑くなりそ……ん?」
彼は貴族令息の夏休みらしい品のある軽装姿でニコニコ顔だったが、なぜか不気味なぬいぐるみを抱えていた。
先導する馬に乗った警護隊は、本日はラルフではなく別の人だった。
「ラルフ殿は、しばらく視察で砦を離れるそうです」
「まぁ、そうだったの……」
フェリシアとラルフは、たった一日とはいえ一緒に仕事をした仲だ。警護隊の仕事とはいえ、顔を見ることができないのは少し寂しい。
「そんな顔をなさらずとも、ラルフ殿は10日程で戻ってくるそうです。すぐにお会いできますよ」
「……ニドラ、随分と砦の内情に詳しいわね」
「はい。フェリシア様が臥せっておられる間も、大陸語の講師は続けておりましたから」
「そ、そうなの!?」
てっきり休講にしていたと思っていたフェリシアは、目を丸くする。
「主からの頼まれごとですから、おろそかにはできません。夏季休暇が明けるまでに、ディオーラ様には何としても大陸語をマスターしていただきます」
反対側の席に座っているニドラの口調はきっぱりとしていて、表情は使命感に満ちていた。
「……わたくしは、貴女にふさわしい主になれているのかしら」
「まだ風邪を引いておられるのですか?」
「もうっ、ニドラったら!」
ほほを膨らませたフェリシアに、ニドラは珍しくクスクスと笑う。
「フェリシア様は、そんなことを気にされなくてもいいのです」
「嫌よ。わたくしはニドラが”あんな主人に仕えてかわいそう”だなんて、言われたくないですもの」
「ご心配には及びません。そんな輩は、二度と減らず口が叩けぬよう処分しますから」
言い終えると、ニドラはクスクス笑いからニヤリ笑いに変わった。目が本気だった。
「……やっぱりわたくし、もっと努力しますわ。手始めに大陸語を学ぼうかしら?」
「フェリシア様が、ですか?どういう風の吹き回しでしょう」
「だってできないままでいたら、ずっと嘘を吐き続けなきゃいけないでしょ?ニドラにずっと甘えるのも申し訳ないですし。なら習得してしまえば嘘にはならないし、特技にだってなるわ」
語りながらフェリシアは、自分の言葉に納得する。
甘やかされて気づいてなかったけれど、井上莉子と同じように自分も苦手なものから逃げてしまう悪い癖があった。
でもこれまでは、優秀な侍女のおかげで許されていた。きっとこれからも気にしなければ、不便なく暮らしていけるだろう。
しかし、それでは駄目だとフェリシアは思う。少しずつでも、欠点を直していきたい。そうして苦手なものを克服していけば、いつか夕立の時に出せなかった答えに辿りつけると信じている。
「そういうわけで、よろしくお願いします。ニドラ先生」
「……はぁーーーー」
背筋を伸ばして頭を下げた途端、ニドラが長い長い溜息を吐く。
「ちょっとニドラ、それは酷いんじゃありませんの?」
物覚えのいいほうではないのは自覚しているが、やる前から無理と決めつけないでほしい。
そんな気持ちでフェリシアは顔を上げて、ニドラを軽く睨む。しかし彼女の溜息は、違う意味だった。
「フェリシア様のお世話をするのが生きがいでしたのに、自立したことを言われると……なんだか寂しゅうございます」
「それは申し訳ないわ……ごめんなさい。あと、わたくしをダメ人間にしないで。あのねニドラ、大陸語ができたところで、たくさんできなかったことが、一つが減っただけよ。まだまだ貴女が傍にいてくれないと困るの、わたくし。だから寂しいだなんて言わないで」
素直な気持ちを口にすれば、ニドラは眩しそうにフェリシアを見る。
「フェリシア様は、いつの間にか大人になられたのですね」
寂しさと嬉しさを滲ませたニドラの言葉に、フェリシアは「まだまだこれからよ」と言って微笑み返した。
*
馬車は定刻通り砦に到着し、フェリシアはイクセルの上着を抱えて、ニドラは大陸語の辞書などが入った鞄を持って降りる。
夏の日差しは、午前中だというのにジリジリと照り付けている。
「ここまで熱いと、さすがに今日は外での昼食は無理そうね」
「さようですね。屋内の北側に静かな場所がございましたので、そちらに変更するのがよろしいかと」
「賛成だわ。じゃあ、わたくしがイクセル様に使っていいか許可をいただくから、ニドラはエイリットさんとディオーナ様に伝えてくれるかしら?」
「もちろんです」
砦内へと歩きながらそんな会話をしていたら、今まさに話題に出た二人が姿を現した。
「フェリシア様!ニドラ先生!お迎えにきましたぁー」
暑さなどものともしない元気の良さで、ディオーナは大きく手を振りながらこちらに駆け寄る。フェリシアも、笑顔で手を振り返す。
「10日ぶりですが、お元気でしたか?ディオーナ様」
「はい!見ての通り元気です。フェリシア様こそ、体調はもうよろしいのですか?」
「ええ。嫌というほどベッドに縛り付けられましたから」
「まぁ!さすがニドラ先生。体調管理も優秀なんですね。素晴らしいですっ。尊敬しますわ!」
「……え?」
最終的にニドラを称賛する形となり、フェリシアの笑顔が固まる。
一方、ニドラはまんざらでもない表情を浮かべている。しばらく見ない間に、ニドラとディオーナに固い師弟関係が生まれたようで何よりだ。
そんな中、少し遅れてエイリットが到着した。
「おはようございます。エイリットさん。今日も暑くなりそ……ん?」
彼は貴族令息の夏休みらしい品のある軽装姿でニコニコ顔だったが、なぜか不気味なぬいぐるみを抱えていた。
256
あなたにおすすめの小説
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
【完結】あなたを忘れたい
やまぐちこはる
恋愛
子爵令嬢ナミリアは愛し合う婚約者ディルーストと結婚する日を待ち侘びていた。
そんな時、不幸が訪れる。
■□■
【毎日更新】毎日8時と18時更新です。
【完結保証】最終話まで書き終えています。
最後までお付き合い頂けたらうれしいです(_ _)
伝える前に振られてしまった私の恋
喜楽直人
恋愛
第一部:アーリーンの恋
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。
そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。
第二部:ジュディスの恋
王女がふたりいるフリーゼグリーン王国へ、十年ほど前に友好国となったコベット国から見合いの申し入れがあった。
周囲は皆、美しく愛らしい妹姫リリアーヌへのものだと思ったが、しかしそれは賢しらにも女性だてらに議会へ提案を申し入れるような姉姫ジュディスへのものであった。
「何故、私なのでしょうか。リリアーヌなら貴方の求婚に喜んで頷くでしょう」
誰よりもジュディスが一番、この求婚を訝しんでいた。
第三章:王太子の想い
友好国の王子からの求婚を受け入れ、そのまま攫われるようにしてコベット国へ移り住んで一年。
ジュディスはその手を取った選択は正しかったのか、揺れていた。
すれ違う婚約者同士の心が重なる日は来るのか。
コベット国のふたりの王子たちの恋模様
優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした
ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。
彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。
そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。
しかし、公爵にもディアにも秘密があった。
その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。
※本作は「小説家になろう」さんにも投稿しています
※表紙画像はAIで作成したものです
いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!
夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。
しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。
ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。
愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。
いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。
一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ!
世界観はゆるいです!
カクヨム様にも投稿しております。
※10万文字を超えたので長編に変更しました。
悪役令嬢に仕立て上げたいのならば、悪役令嬢になってあげましょう。ただし。
三谷朱花
恋愛
私、クリスティアーヌは、ゼビア王国の皇太子の婚約者だ。だけど、学院の卒業を祝うべきパーティーで、婚約者であるファビアンに悪事を突き付けられることになった。その横にはおびえた様子でファビアンに縋り付き私を見る男爵令嬢ノエリアがいる。うつむきわなわな震える私は、顔を二人に向けた。悪役令嬢になるために。
2度目の結婚は貴方と
朧霧
恋愛
前世では冷たい夫と結婚してしまい子供を幸せにしたい一心で結婚生活を耐えていた私。気がついたときには異世界で「リオナ」という女性に生まれ変わっていた。6歳で記憶が蘇り悲惨な結婚生活を思い出すと今世では結婚願望すらなくなってしまうが騎士団長のレオナードに出会うことで運命が変わっていく。過去のトラウマを乗り越えて無事にリオナは前世から数えて2度目の結婚をすることになるのか?
魔法、魔術、妖精など全くありません。基本的に日常感溢れるほのぼの系作品になります。
重複投稿作品です。(小説家になろう)
悪役令嬢になったようなので、婚約者の為に身を引きます!!!
夕香里
恋愛
王子に婚約破棄され牢屋行き。
挙句の果てには獄中死になることを思い出した悪役令嬢のアタナシアは、家族と王子のために自分の心に蓋をして身を引くことにした。
だが、アタナシアに甦った記憶と少しずつ違う部分が出始めて……?
酷い結末を迎えるくらいなら自分から身を引こうと決めたアタナシアと王子の話。
※小説家になろうでも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる