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二部 手のひらで転がされているかもしれませんが......何か?
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アルビスとシダナは神妙な顔で、カレンが口を開くのをじっと待っている。
けれどヴァーリは、空気を読むことができなかった。
「……えっと……どしたんですか?」
「来てはいけないのでしょうか?」
きょとんとしながら問うたヴァーリに質問返しをしたのは、カレンではなくリュリュだった。
ようやくヴァーリは余計なことを言ってしまったことに気付くがもう遅い。リュリュは無駄口を叩くアルビスの側近に露骨に舌打ちをした。
こんな態度を取っているがリュリュとヴァーリは義理の兄弟だ。ヴァーリの父親が内乱で孤児となってしまったリュリュを引き取ったのだが、この兄弟恐ろしく仲が悪い。いや、義理の妹が一方的に兄を嫌っているのだ。
そんな理由があったにせよ、聖皇后を差し置いて口を開くのは少々行き過ぎた行為なのだが、現在カレンはここまで全力疾走したせいで息が上がってしまい、呼吸を整えるのに忙しい。
細過ぎる肩が大きく上下しているし、艶やかな黒髪は乱れてまくっている。
赤い頬は血行がいいのではなく、むしろ今にも倒れてしまいそうで、アルビスはたちまち不安になる。
無論、たかだか走ったくらいで人は倒れたりはしない。でもアルビスは、これまでの煩労のせいでカレンの体調が万全ではないことも知っているため異常なほど過保護になってしまう。
「カレン、大丈夫か?すぐにここに座りなさ」
「け、結構ですっ」
最後の「い」まで言い切る前に、カレンに遮られてしまった。
カレンから「これ以上、寄るな、触るな、見つめるな」というオーラを全開にされたせいで、アルビスは金縛りにあったように、一歩も動くことができない。
身動ぎすら許されない緊迫した沈黙がしばらく続いたあと、やっと息が整ったカレンは不機嫌な顔をしながらこう吐き捨てた。
「ちょっと話があるんだけど」
剣呑な口調を聞いて、やはり良い話ではなかったかと、アルビスはこくりと唾を呑む。
けれどここで、横から口を挟む者が現れた。
「恐れながらカレン様、これから朝の議会でございます。後ほどゆっくりお時間をとりますので──」
「あっそう。でも、こっちはすぐに終わるから」
一閃されたシダナは、すごすごと引き下がる。
華奢な見た目とは裏腹に、カレンが時として突拍子もない行動をするのをシダナは知っているので、素直に空気と化す。
「カレン、話とはなんだ?」
他の家臣達が耳ににしたら嵐の前の静けさかと怯えるほど、アルビスは柔らかな口調でカレンに続きを促した。
そうすればカレンは、噛みつくような口調でこう問うた。
「セリオスさんから聞いたんだけど、側室の所に行ってないって本当なの?」
アルビスは返答に困り、シダナはポーカーフェイスを貫いた。
けれどヴァーリが「うげっ」と口にしてしまったせいで、この問いが是であることにカレンは気付いてしまった。
もう直視できないほど、カレンの目がつり上がる。
「どういうこと?」
「……すまない。仕事が立て込んでいただけだ」
─── だから近いうちに側室に足を向けよう。
アルビスは、後半の言葉を紡ぐことができなかった。カレンがその言葉を強く望んでいることは知っているし、そう言えば、一先ず納得してもらえることがわかっていても。
ここにいる全員は、カレンが条件付きで聖皇后になったことを知っている。アルビスがどれほどカレンを愛おしいと思っているのかも。
でもここで口を挟める者はいなかった。
ギシギシとした空気の中、再びカレンが口を開く。
「ねえ、仕事が忙しいのはわかるけど、寝てないわけじゃないでしょ?」
「……」
「側室の場所って、そんなに遠いわけじゃないよね?」
「……」
「確認だけど、約束忘れたわけじゃないよね?」
「……もちろんだ」
「なら、なんで行かないの?」
「仕事が」
「それはさっき聞いたからっ」
堂々巡りになりそうな流れを打ち払うように、カレンはダンッと足を踏み鳴らした。部屋の空気が更に緊迫感を増す。
アルビスは何も言い返すことはせず、僅かに眉を下げた。
アルビスはカレンを怒らせたいわけでも、約束を反故するつもりもなかった。
仕事が本当に忙しかったのだ。この部屋で朝日を拝んだことなど数知れない。
なにせ大帝国の皇帝が花嫁を迎えたのだ。しかも300年ぶりの異世界の女性を。
そうなれば同盟国からも、領主からも、祝いの品や文が山のように届き、それを処理するのには膨大な時間を要する。
本来なら皇后がその一部を請け負わないといけないのだが、アルビスはそんな煩わしいことをカレンにさせる気は毛頭なかった。
自分でやればいいことだし、これからもずっとカレンにそういった政治的な仕事をやれと言うつもりもない。
ただそれらが側室の元に足を向けることができなかった理由として、足りないのもわかっている。
側室の元に通い、カレン以外の女性と世継ぎをもうけるのはアルビスの義務だ。でもどうしたって、そこに行きたくなかった。
そんなことを考えていても、アルビスの表情は動かない。一方カレンは、物言わぬアルビスに苛立ちが募る。
「とにかく今日からちゃんと通ってちょうだいよねっ」
端的に自分の要求だけを押し付けると、くるりと背を向けた。
─── パタンッ。
2拍置いて、静かに扉が閉じられた。
「……」
「……」
「……」
部屋に残された男3人は何とも言えない顔を作る。
一人は、この沈黙に耐え切れずオロオロと情けない程に狼狽え、もう一人は冷静さを取り戻そうと現在の時刻を確かめるため、懐中時計を取り出す。
最後の一人は閉じられた扉を見て、切なそうに眉を寄せた後、深く深く息を吐いた。
けれどヴァーリは、空気を読むことができなかった。
「……えっと……どしたんですか?」
「来てはいけないのでしょうか?」
きょとんとしながら問うたヴァーリに質問返しをしたのは、カレンではなくリュリュだった。
ようやくヴァーリは余計なことを言ってしまったことに気付くがもう遅い。リュリュは無駄口を叩くアルビスの側近に露骨に舌打ちをした。
こんな態度を取っているがリュリュとヴァーリは義理の兄弟だ。ヴァーリの父親が内乱で孤児となってしまったリュリュを引き取ったのだが、この兄弟恐ろしく仲が悪い。いや、義理の妹が一方的に兄を嫌っているのだ。
そんな理由があったにせよ、聖皇后を差し置いて口を開くのは少々行き過ぎた行為なのだが、現在カレンはここまで全力疾走したせいで息が上がってしまい、呼吸を整えるのに忙しい。
細過ぎる肩が大きく上下しているし、艶やかな黒髪は乱れてまくっている。
赤い頬は血行がいいのではなく、むしろ今にも倒れてしまいそうで、アルビスはたちまち不安になる。
無論、たかだか走ったくらいで人は倒れたりはしない。でもアルビスは、これまでの煩労のせいでカレンの体調が万全ではないことも知っているため異常なほど過保護になってしまう。
「カレン、大丈夫か?すぐにここに座りなさ」
「け、結構ですっ」
最後の「い」まで言い切る前に、カレンに遮られてしまった。
カレンから「これ以上、寄るな、触るな、見つめるな」というオーラを全開にされたせいで、アルビスは金縛りにあったように、一歩も動くことができない。
身動ぎすら許されない緊迫した沈黙がしばらく続いたあと、やっと息が整ったカレンは不機嫌な顔をしながらこう吐き捨てた。
「ちょっと話があるんだけど」
剣呑な口調を聞いて、やはり良い話ではなかったかと、アルビスはこくりと唾を呑む。
けれどここで、横から口を挟む者が現れた。
「恐れながらカレン様、これから朝の議会でございます。後ほどゆっくりお時間をとりますので──」
「あっそう。でも、こっちはすぐに終わるから」
一閃されたシダナは、すごすごと引き下がる。
華奢な見た目とは裏腹に、カレンが時として突拍子もない行動をするのをシダナは知っているので、素直に空気と化す。
「カレン、話とはなんだ?」
他の家臣達が耳ににしたら嵐の前の静けさかと怯えるほど、アルビスは柔らかな口調でカレンに続きを促した。
そうすればカレンは、噛みつくような口調でこう問うた。
「セリオスさんから聞いたんだけど、側室の所に行ってないって本当なの?」
アルビスは返答に困り、シダナはポーカーフェイスを貫いた。
けれどヴァーリが「うげっ」と口にしてしまったせいで、この問いが是であることにカレンは気付いてしまった。
もう直視できないほど、カレンの目がつり上がる。
「どういうこと?」
「……すまない。仕事が立て込んでいただけだ」
─── だから近いうちに側室に足を向けよう。
アルビスは、後半の言葉を紡ぐことができなかった。カレンがその言葉を強く望んでいることは知っているし、そう言えば、一先ず納得してもらえることがわかっていても。
ここにいる全員は、カレンが条件付きで聖皇后になったことを知っている。アルビスがどれほどカレンを愛おしいと思っているのかも。
でもここで口を挟める者はいなかった。
ギシギシとした空気の中、再びカレンが口を開く。
「ねえ、仕事が忙しいのはわかるけど、寝てないわけじゃないでしょ?」
「……」
「側室の場所って、そんなに遠いわけじゃないよね?」
「……」
「確認だけど、約束忘れたわけじゃないよね?」
「……もちろんだ」
「なら、なんで行かないの?」
「仕事が」
「それはさっき聞いたからっ」
堂々巡りになりそうな流れを打ち払うように、カレンはダンッと足を踏み鳴らした。部屋の空気が更に緊迫感を増す。
アルビスは何も言い返すことはせず、僅かに眉を下げた。
アルビスはカレンを怒らせたいわけでも、約束を反故するつもりもなかった。
仕事が本当に忙しかったのだ。この部屋で朝日を拝んだことなど数知れない。
なにせ大帝国の皇帝が花嫁を迎えたのだ。しかも300年ぶりの異世界の女性を。
そうなれば同盟国からも、領主からも、祝いの品や文が山のように届き、それを処理するのには膨大な時間を要する。
本来なら皇后がその一部を請け負わないといけないのだが、アルビスはそんな煩わしいことをカレンにさせる気は毛頭なかった。
自分でやればいいことだし、これからもずっとカレンにそういった政治的な仕事をやれと言うつもりもない。
ただそれらが側室の元に足を向けることができなかった理由として、足りないのもわかっている。
側室の元に通い、カレン以外の女性と世継ぎをもうけるのはアルビスの義務だ。でもどうしたって、そこに行きたくなかった。
そんなことを考えていても、アルビスの表情は動かない。一方カレンは、物言わぬアルビスに苛立ちが募る。
「とにかく今日からちゃんと通ってちょうだいよねっ」
端的に自分の要求だけを押し付けると、くるりと背を向けた。
─── パタンッ。
2拍置いて、静かに扉が閉じられた。
「……」
「……」
「……」
部屋に残された男3人は何とも言えない顔を作る。
一人は、この沈黙に耐え切れずオロオロと情けない程に狼狽え、もう一人は冷静さを取り戻そうと現在の時刻を確かめるため、懐中時計を取り出す。
最後の一人は閉じられた扉を見て、切なそうに眉を寄せた後、深く深く息を吐いた。
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