皇帝陛下の寵愛なんていりませんが……何か?

当麻月菜

文字の大きさ
54 / 148
一部 不本意ながら襲われていますが......何か?

3★

しおりを挟む
 冬の空気は澄んでいて、夜空に無数の星が煌めいているのが良く見える。

 宮殿の奥の一室で、一人の女性が長椅子にゆったりと腰掛け、窓の外を眺めている。月夜に照らされたその女性は、とても美しかった。

 波打つだいだい色の髪は艶々に輝いており、毎日手を抜かず櫛を通しているのが一目でわかる。

 髪だけではない。肌も、指先も、眉も、両手両足の爪さえも。彼女の身体の全てのパーツは完全な形をして、月が霞むほど光り輝いていた。

 けれどその手入れをしているのは、専属の侍女たち。女性は自分で自身を磨くという行為を知らなかった。自ら手足を動かすのは、寝台で男と身体を重ねる時だけだと決めつけている。

 だからこの女性は毎晩、沢山の侍女を使って全身を磨き上げる。少しでも気に入らないことがあれば、罵倒を浴びせ、白魚のような手で侍女の頬を叩き、長い足で許しを乞う侍女の身体を踏みつけた。

 非道な行為であるが、不快な思いをさせる方が悪いと、自分はかしずかれて当然だと、凝り固まった考えから彼女は罪悪感を抱くことはなかった。

 美しいこの女性は高位の貴族で、自分の両親と、外廷に勤める官職達に「貴女は皇后になるために生まれてきた」と、ずっと言われ続けてきた。

 彼女自身も美しさを持ってすれば手に入らないものは何もないと信じており、これまでどんな手段も厭わずに欲しいものを手に入れてきた。

「ねえ、わたくし常々思っていたのですが、異世界から召喚されたというだけで聖王妃になれるなんて、おかしいと思わない?」

 女性は窓から目を離して、部屋のある場所に向かって問いかけた。

 月明かりだけの部屋は暗いが、確かにそこには人影がある。

「そうですね。僕もそう思いますよ」

 男性にしては少し高めの、弦楽器のような艶のある声が部屋に響いた。

 ここは城の内廷の奥。一部の衛兵を除けば、ここは男子禁制の場所であるのに、少年がいる。

 少年の年齢は13、14か。しっかりした足取りで女性の元に来ると跪いた。仕草も容姿も、とても美しい。

 稲刈り直前の稲穂のような柔らかそうな髪に、熟す前の果実のような青紫色の瞳。身にまとっている衣装も品があり、どこかの貴族令息に見える。

 けれどこの少年は、自分の過去を語ることができない。もともと与えられたであろう名前すら覚えてはいない。やんごとなき人間が表沙汰にせず、秘密裏で処理したい案件を請け負うだけの存在だ。

 幼い暗殺者に、名前など必要ない。仮に必要な場合は、雇い主が適当に名を与え、用が終われば、その名も消える。

 少年は今、この女性からロタと呼ばれている。

 女性はロタが従順に跪くのを見て、目を細めた。彼女は自分の容姿に磨きをかけるのが好きだったけれど、美しいものを愛でるのも好きだった。

「あの娘……カレンっていったかしら?たいした女じゃないわよね?」
「そうですね。貴方様のほうがよっぽどお美しいです」

 予め用意されていたように、ロタは澱みなく女性の問いに答えた。

 すぐに女性の艷やかな唇が弧を描くのを見て、ロタはほっと息を吐く。しかしその中には、倦怠感も混ざっていた。

 ロタは、この女性が城の内廷に部屋を与えられた時に雇われ、かれこれ2年以上の付き合いだ。

 どこの世界にも、汚れ仕事を請け負う稼業──暗殺者はいる。

 暗殺者は表社会からつまみ出された訳あり者の集まりで基本的に集団で行動する。しかしロタは、どこの集団にも所属していない一匹狼だった。

 そんなロタを女性が選んだ理由は、ただ一つ。見目が良かった、それだけ。

「ねぇ、ロタ。覚えていまして?夜会の時、わたくしわざわざ挨拶をして差し上げたのに、無視をされましたのよ?」

 ロタがこの女性との出会いをぼんやりと思い返していたら、再び問いが降ってきた。

 内心面倒くさいと思いつつ、ロタは正しい答えがどれなのかだけを考えて口を開く。

「ええ、覚えていますし、見ておりました。きっと貴方様のお美しさに怯んでしまったのでしょう」

 そう答えながら、ロタは夜会の時の佳蓮の姿を思い出す。

 夜会会場の外からしか見てはいなかったが、佳蓮の容姿はそこそこ可愛かったし、この女性ほど性格は悪くはないと遠目からでもわかった。

 一番強烈に覚えているのは、この女性が引きつった顔で腰を落とす姿だ。久しぶりに腹を抱えて笑った。

 もちろんロタは、そんなことは口に出さない。自分の生まれも、正確な年齢も、本当の名前さえ知らないが、長年の経験から雇い主の望む言葉を紡ぐことができる。

(こんな女が皇后になれるかもしれないなんて、終わってるよね。この国は)

 万が一、この女性が皇后の座に収まったのなら、早々に他国に流れようとロタは決めている。どう贔屓目に見ても、この帝国の未来は明るくない。 

 そんなふうにロタが意地の悪いことを考えていても、女性は気づかない。悔しそうに唇を歪めて、佳蓮への憎悪を吐き出す。

「今思い出しても……気が狂いそう……!わたくし、あんな小娘に頭を下げるなんて屈辱でしかなかったわ」
「ええ。貴方様は全ての人間にかしずかれる存在ですから」

 猫なで声でロタが女性に囁けば、赤い唇は満足そうに弧を描く。

 今日は調子がいい。普段ならこれだけ長く会話をしたら、数回は頬を張られているはずなのに。

 僅かに気が緩んでしまったロタは、次の質問で失態を犯してしまった。

「わたくし皇后になるために、血のにじむような努力をしてきましたのよ」
「はい。貴方様の並々ならぬ努力は全てこの国の母と──」

 言い終えぬうちに、ロタの言葉は女性のつま先によって封じられた。なんの躊躇もなく蹴られたのだ。

 無様に尻もちをついたロタが視線を感じて顔を上げれば、女性は鬼の形相で睨んでいた。

 その鋭い視線は、言い直せと訴えている。満足のいく正しい答えを口にしろと。

「……アルビス皇帝陛下の寵愛を受けるためでございます」
「ええ、そうよ」

 つい今しがた、自分よりはるかに幼い少年を蹴り上げたことなど忘れたかのように、女性は歯を見せて笑った。

 しかしすぐに、少女のような無邪気な笑顔を一変させ、鬼女のような表情になる。

「だから、ね。わたくしの邪魔をするものは消えてもらわないと。西のはずれのお城に引っ込んでもらうだけじゃ駄目。一生わたくしの目の届かないところに行ってもらわないと……そう思うでしょ?」
「もちろんでございます」

 ロタは間髪入れずに頷いた。聖皇后を暗殺するなど大罪中の大罪だというのに迷いはなかった。

(この女と離れられるなら、何でもするさ)

 なにせロタは、この女性について色々知りすぎてしまっていた。

 自身の立場を有利にするために他の皇后候補に嫌がらせをし続けていることとか、純潔が皇后候補の必須条件なのに、この女はそれを満たしていないとか。

 それだけじゃない。実はロタは、他の皇后候補にも雇われている多重暗殺者なのだ。

 このどれか一つでも知られてしまえば、間違いなく命を落とすだろう。ロタは生きることに対して楽しみを覚えることは一度としてないが、死に際は自分自身で決めたいと願っている。

 だから、だから……ロタは、この女性の望む言葉を紡いだ。

「僕があなたの願いを叶えましょう」

 ──お任せください、シャオエさま。

 少年はそう言ったあと、佳蓮に向ける憐憫の情をひっそりと隠して誠実な笑みを浮かべた。
しおりを挟む
感想 534

あなたにおすすめの小説

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

冷遇された聖女の結末

菜花
恋愛
異世界を救う聖女だと冷遇された毛利ラナ。けれど魔力慣らしの旅に出た途端に豹変する同行者達。彼らは同行者の一人のセレスティアを称えラナを貶める。知り合いもいない世界で心がすり減っていくラナ。彼女の迎える結末は――。 本編にプラスしていくつかのifルートがある長編。 カクヨムにも同じ作品を投稿しています。

私が美女??美醜逆転世界に転移した私

恋愛
私の名前は如月美夕。 27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。 私は都内で独り暮らし。 風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。 転移した世界は美醜逆転?? こんな地味な丸顔が絶世の美女。 私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。 このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。 ※ゆるゆるな設定です ※ご都合主義 ※感想欄はほとんど公開してます。

眺めるだけならよいでしょうか?〜美醜逆転世界に飛ばされた私〜

波間柏
恋愛
美醜逆転の世界に飛ばされた。普通ならウハウハである。だけど。 ✻読んで下さり、ありがとうございました。✻

偽聖女として私を処刑したこの世界を救おうと思うはずがなくて

奏千歌
恋愛
【とある大陸の話①:月と星の大陸】 ※ヒロインがアンハッピーエンドです。  痛めつけられた足がもつれて、前には進まない。  爪を剥がされた足に、力など入るはずもなく、その足取りは重い。  執行官は、苛立たしげに私の首に繋がれた縄を引いた。  だから前のめりに倒れても、後ろ手に拘束されているから、手で庇うこともできずに、処刑台の床板に顔を打ち付けるだけだ。  ドッと、群衆が笑い声を上げ、それが地鳴りのように響いていた。  広場を埋め尽くす、人。  ギラギラとした視線をこちらに向けて、惨たらしく殺される私を待ち望んでいる。  この中には、誰も、私の死を嘆く者はいない。  そして、高みの見物を決め込むかのような、貴族達。  わずかに視線を上に向けると、城のテラスから私を見下ろす王太子。  国王夫妻もいるけど、王太子の隣には、王太子妃となったあの人はいない。  今日は、二人の婚姻の日だったはず。  婚姻の禍を祓う為に、私の処刑が今日になったと聞かされた。  王太子と彼女の最も幸せな日が、私が死ぬ日であり、この大陸に破滅が決定づけられる日だ。 『ごめんなさい』  歓声をあげたはずの群衆の声が掻き消え、誰かの声が聞こえた気がした。  無機質で無感情な斧が無慈悲に振り下ろされ、私の首が落とされた時、大きく地面が揺れた。

騎士団寮のシングルマザー

古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。 突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。 しかし、目を覚ますとそこは森の中。 異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる! ……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!? ※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。 ※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。

処理中です...